木曜日
孫娘帰ってくる日暖かし。昼に空港へ行く。
何時復帰するのかと、心待ちにしていたソダーリングが引退を決意したようだ。長身から繰り出すサービスと豪快なファーが印象に残る。全仏でナダルの連勝と連覇を阻み優勝するかと期待されたが、二度のファイナル進出も優勝はかなわなかった。2011年に腺熱を患うと、それ以降世界の舞台に戻ることはなかった。
夢よもう一度、優勝したくて必死に復帰を目指して頑張っていたに相違ない。
月曜日
この季節三寒四温とはいわないが、そんな日々が続いている。今日は新しいコーチ(fujita)のレッスンを受ける。レッスン生3名、シャツを2枚着替えて90分のレッスンを終えると疲れがどっと出ていた。
クラブハウスの外のベンチに座りこみ、帰ろうかどうしょうかと3番コートの男女対決の好ゲームをゆったりと観戦していた。風もまく暖かい日ざしがぼくを温めてくれていたし、トレーニングの疲労なのか、体を動かしたくなかった。
wowowでテニス国際大会「Coca-Cola INTERNATIONAL PREMIER TENNIS LEAGUE(コカ・コーラ インターナショナル・プレミア・テニス・リーグ)」(通称IPTL)が放映されている。
その中にファブリス・サントロ選手を見出して、その試合を目を皿のようにして見入っていた。彼も左右両手打ちでだが、テレビではほとんど見ることが出来なかった。どこまで勝ち上がる実力がないのだと、そのトリッキーな両手打ちに少しがっかりしたことは事実だった。
2010年全豪オープン1回戦でマリン・チリッチに敗れた試合を最後に現役を引退したのだが、引退したときの評価が高くて、そのキャリアを知らないぼくは首をかしげていた。
今回の大会で彼のシングルスを3回ほどみて、さもありなんと納得することができた。まさかのフォアの両手打ちが徹底してのスライスで勝負、バックの両手打ちがドライブボールなのだ。
”強打を武器とせず、トリッキーな配球で相手を翻弄するプレイスタイルから『フレンチマジシャン(フランスの魔術師)』の異名を持つ。”というのだ。
木曜日
いよいよ寒気到来、冬将軍がやってきている。昨日も寒気の中I氏とシングルス2セット、二日間の辛抱は体を回復させていた。無理をしたらアカン、これからも体調管理に万全をつくそう。
今日は昨日以上に寒くて風も強い。昼からコートへ、一人で籠ボールでストロークとサービスの練習をしていると、寒くて限界を感じたのでそそくさと家路についた。気温は下がりあられがぱらぱら目についた。
ワウリンカ(スイス)の腕の入れ墨は何度か目にしたことがあった。それがどういう内容なのか知って感激してから、しばらく経過している。
Ever tried. Ever failed. No matter.
Try Again. Fail again. Fail better.
『やることなすこと、何もかもうまく行かなかったとしても、気にすることはない。 またやって、また失敗すればいい。前より上手に失敗すればいい。』 ― 劇作家サミュエル・ベケットの言葉(1906-1989)
今までトライして失敗してきた。そんなことは大切なことではない。またトライしてまた失敗してみよう。そしてもっとうまく失敗してみよう。(サミュエル・ベケット)
月曜日
昨日と同じくぬけるような青空から日ざしが部屋に入ってくる。ぼくは着ぶくれてテレビの前に座っていた。
煖房も止めたがこの寒がりやが寒くない。まさにテニス日和なのに元気がわいてこない。昼飯を食べなががレッスン休みの電話を入れていた。過去に無理をして長期休みを強いられている、辛抱しんぼうと心を鬼にしていた。
昨日は体調悪しきを自覚しながらK壮会に出が小春日和のおかげか、そこそこのテニスは出来てビールを久しぶりゲットして、機嫌よく運動公園を後にした。欲を出してホームコートに立ち寄り壁打ちすると、ハードに疲れているのが分かって早々に退散したのだが。
ランキングのメールが届くのも気になっていた。11月佐賀で行われたグラスコートベテランでの初戦負けはランキングに大きく影響するはずだ。昨年準優勝のポイント400余りは消えている。20位から40~50位くらいになるだろう、それ以下かもしれないと思い巡らしていた。
ランキングは月末締めて翌10日の発表だが、土日を挟んだので今日だろうと携帯メールを開くと確かに届いていた。おそるおそる下げて行くと30位後半に止まっていたので正直ほっとした。来年、初めての博多の森で開催される全日本ベテランには何とか出場したい。
正月にはニューフェイスが繰り上がってくるのを思い出した。やはり40~50位が来年の出発点になりそうだ。いばらの道のりが待っている。
ランキング表を見ていると昨年東北選手権での山形でお世話になり、今年の全日本ベテランで再会して、東京でシングルスのお手合わせして楽しんだ彼の名前をトップテンに見出した時はうれしかった。
彼も頑張っている、ぼくも頑張らなければ・・。
・74歳 2013.11.30 104位 331P
・74歳 2014.1.1 72位 331p
・75歳 2014.11.30 7位 1471p
・75歳 2015.1.1 9位 1471p
・76歳 2015.11.30 38位 641p
・76歳 2016.1.1 ・・・・?位 641p
日曜日
運動公園は小春日和だった。冬支度を整え、ラケット5本入れた一番大きなバックを背負ったのは、この大会では初めてのできごとだった。今日は年一回の年齢別K壮会、日頃は実力でパートを割り振っているが、実力関係なしに年齢で行くのだからチャンス到来と、この二年間期待していたが棒に振っていた。
欠席届をと思ったくらい体調は悪かったが、5本のラケットを使いこなして何とかしのいでみようと、日頃はリックにラケット2本差し込んでのいでたちであったが、今日は万全の体制で臨んでいた。
初戦は60。出だしの好調はパートナーがライバルと思えしOK氏だったことにもよる。2回戦は62、そして3回戦はOK氏との対戦だった。ok氏の上達は目を見張るものを感じる。最初の頃は素早いポーチで感心していたがミスを多くて自滅シーンが多かった。教えを乞う行脚をなしてメキメキと腕を上げてきた。思い切りのよいライジングショットにいつもの素早い動きに翻弄される。バレーでセッタをやっていたと聞いたがさもありなんと思う。
さて、OK氏はパートナーに近づき作戦を授けると、いつもの機敏な動きと思い切りの良いショットでぼくたちを振り回していた。オタオタして気がつくと15となっていた。外野席は逆を想像していたに違いない。まさかのスコアーに頭は真っ白になっていた。ねばりまくって何とか55に追いついて6ゲーム先取のぼくのサービス、サービスフォーマッチと奇跡的なばん回をなしたが・・・・弱虫のぼくにもどっていた。
意識せざるを得ない、さっきはキープしたのでと思っていたが15 40と土俵際に追い詰められていた。30 40。そしてこれでジュースだとネットに詰めての両手打ちのフォアボレーはまさかのネットに阻まれて、万事休していた。よくあるケース、追いついてほっとしやられること。
準優勝350ccのスーパドライ半ダース。優勝は500だ。今回はこれで良しとしょう。久しぶりのゲットだ。
月曜日
朝から暖かな日差し部屋に差し込んでいる。ぼくはパソコンに向かって昨深夜に及んだテニス仲間の忘年会を振り返っていた。昨年は何とか断り切れたが、今年は彼女の熱心な誘いについに負けていた。孤独人ごみは好きでないし、お酒は飲めないと来ているから、お酌もできないし、話題をつくるのも苦労しなければならない。
締めの挨拶をお願いと後日。では欠席ですと言うと彼女はわてて踵を返した。あきらめて他を探していたらしいが、苦労している彼女を見ているとかわいそうになっていた。隣町からレクサスで遠路を往復、すぐ近くにでもいるように笑顔で通い続けている。そのうちリタイアするかと思いきや、誰よりも熱心で早くから遅くまでクラブハウスに陣取って人脈を築いていたらしい。
テニスの腕はいまいちだったが、すきあらばラケット一本と手提げを携えめぼしいコートに笑顔でお願いするとノーと言う人はぼくくらいで、ほとんど仲間入りして楽しんでいた。気がつくといつのまにかメキメキと上手になって行く、練習の虫の成果が窺えほほえましく見守っている自分になっていた。
アイパットと最新の腕用の機器を装着、最先端の装備を身に着け人脈金脈?もあるというから人をまとめるのは最適任と思えたし、気がつけば幹事長として忘年会を取り仕切っていて、そして準備万端で当日を迎えていた。
sosyuubiruというから昔はキャバレーだったに違いない5階のワンフロアーを、6時開演から夜中の1時まで借り切っていたのには流石にびっくりした。幹事の手腕みせどころ、会費も安く料理もそこそこ、誕生会等の仕掛けも随所にあっありで飽きずに会場は盛り上がっていた。テニスコートの覆面おばちゃんから変身してドレスアップした姿に誰が誰やら戸惑い驚きながら愉快な気持ちになっていた。にこやかな笑顔の真顔にようやく接することができ、どこもかしこも会話は弾んでいた。
仲間の練習の成果のバンドにフラダンス、飽きることなく時間は過ぎて行き気がつくとシンデレラの時間は近づいていた。一人二人と姿は消えて行ったが、午前様になってもたくさんの人盛りは続いていた。
https://www.youtube.com/watch?v=-mVBSOFaJpk
木曜日
いつものテニスで過ごす。帰りに整骨院へ、佐賀のグラスコート選手権の前の日、勝ったらまた明日お願いしますと話したが、まさかの敗退、足は遠のいていた。塗装の腰痛が残っている気がしたので思い切って出かけた、よかつた。
帰りにガソリン3000円入れる、来週の福岡行まではもつはずだ。wowowでプロテニスの見世物みたいな催しが日本でも開催されているが、客席も空きが目立ち、満足しているのはやってい選手どものように思えた。
出来れば日本選手が出るシーンだけ見ることしょう。
今日も喪中のはがき1枚届く。小学校同級会の女性の世話役の弟さん72歳でなくなっていた。利発そうだった弟さんの記憶は残っていた。彼女の落胆の気持ちが伝わってくるようだ。
地元の優良企業代表がしらと思えし化血研の不祥事には只々驚くばかり。
水曜日
いつのまにか師走に突入している。一年の早いこと、大河ドラマ「花燃ゆ」始まったころ視聴率悪かったらしいがぼくは興味津々で欠かさづ見つづけていた。山口県(長州)が維新にどれほどかかわっていたか、どれほど貢献したか。吉田松陰がどれほどの人物だったのか、死しても尚その影響力の大きさに感銘していた。もう「花燃ゆ」終わりになるのという思い。
喪ちゅう案内をいただく。5月末に行われた小学校の同級会の中から二人がなくなったと知らされて、戸惑うばかり。昭和25年の敗戦翌年に小学校の校門をくぐったわけだが、ほとんど記憶がない。どんな格好をしていたのだろう。行く年月、あのはなたれ小僧もいつしか浦島太郎になっている。そして親父に先立たれて三人の子供を抱え、必死に生き抜いてきたおふくろのことを思うと胸が痛む。どれほど孝行をしただろうか。
今日は久しぶりにI氏とじっくりと真剣2セット対戦した。ペンキ塗りの疲れはそんなに残っているとは思わなかっが、全く歯が立たなかった。ラケットをあれこれと変えて見たりしたが、流れは変わらずワンサイドの展開が最後まで続いた。九州毎日B4で対戦して歯が立たなかったヘッダーの選手の事を重ねて思い出していた。
あの時は前の試合で2連敗していた選手を一方的に破って、意気揚々としていたが、ふがいない敗戦に肩を落とした。それからしばらくしてコーチとの練習でふくらはぎを痛め、一年間棒に振ってしまった。
火曜日
待ちに待っていた晴天日。準備万端整えていたが後は日和を待つだけになっていた。庭周りの塀の塗装は先日玄関周りは終わった時点で考えていた。ちょっと大変だが、同じ塗料でこの際塗っておけばしばらくはもつだろう。朝飯終えてから新聞紙を横半分にカットして目地テープをはって塀の下部に貼り付け作業から始めた。
慣れない作業でもたもたしたが昼までには何とか終わることができた。ぎっくり腰にならないように腰ベルトをし、テニスに差し障る事態はないようにと最初から心がけていた。
中食をすませて2時間ほどテレビ映画の「彼岸花」(あの頃の松竹映画は)を見てから、止めようと思いながらも立ち上がりテニスの準備を始めていた。足腰はたしかに重かったので壁打ちだけと思っていたが、こわれてダブルス一つ、サービスの練習をして終えた。
土曜日
冬がそこまでやっていている。阿蘇山で初冠雪、暖房が恋しくなっている今日この頃。コートにも着ぶくれして出かけ脱いだり着たりしながらコートにたって体調管理に気を配っている。来年こそは風邪をひかないように、それから今年はふくらはぎを痛めて、一年棒に振ったのでそれがないようにトレーニングに励もう。
夕方からフィギュアスケートGPシリーズ最終戦NHK杯を観戦、羽生の322.40点には歴代とかけ離れた得点にびっくり仰天した。羽生の喜びの表現にもそれが現れていた。昔を思えばよくどここまでというかん強し。テニスのジョコビッチのようにしばらくは羽生の天下が続くだろう。
「血のにじむような練習をしてきた」と羽生は胸を張った。トップの人がそれをやるのだから何おかいわんや。