カテゴリー別アーカイブ: 日記

負けて兜の緒を締めよ

水曜日 曇り
午前中確定申告作成、申告するような所得はないが、若干異なることが分かり、また始めている。昼から近くの公民館であーちゃんを降ろしコートへ向かう。駐車場でHR氏とばったり、福岡ベレランを尋ねると初戦で敗退と無念の表情、1セット取ったというから、大差ないと思うよと励ました。クラブで唯一のJOP仲間、頑張ってほしい。
壁打ち、サービスの練習、男性ダブルス2セットこなす。疲労のせいか、左目がかすんでボールが見にくいので、距離間悪るいし目が疲れるやらでおたおたしてのダブルスだった。

昨年の2月はどうだったか気になってブログを開いてみると、左ふくらはぎを痛めて、ランキングは70余位、最悪の日々を過ごしていたのをあらためて思いだした。それに比べれば今年は順風満帆といえる。おまけにひょんなことから沖縄参戦というストーリーが生まれた。

ドローを拝見して楽観視していたところ、直前になって初戦相手のキャリアーを知っておたおた、61 63という思わぬ勝ち方をしたが、翌日コートで尻の筋肉に痛みがあるのが分かり、スコア以上にぼくは必至で走り回り飛び跳ねていたのだと理解した。セミファイナルの相手はそんなことを意識して対戦してきたに違いない。相手の良さが目立ち、ぼくの持ち味は生かされていなかった。34 46で敗れた。相手の頑張りを認めざるをえなかった。あとで仲間が言った。昨日のように体が動いていなかったよ。

おかげで沖縄観光ができたと強がりの言い訳をしたが、結果的には負けてよかったと今は思っている。優勝でもしていたら、テングになって自己満足に溺れていたかもしれない。

◆「マッサン」エリーはブロードウェーへ…色気武器に名作主演
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Be it ever so humble, there’s no place like home.

火曜日曇り 晴れ

ようよう家にたどり着いた。我が家が落ち着く、屋に入れば外へ出かけたくなるけど、コートと家の往復で平々凡々の日々が一番平和で幸せだと気付かされる。

沖縄で購入した一冊《錦織圭 マイケルちゃんに学んだ勝者の思考》(児玉光雄著)抜粋

・優勝するのはお前でない!俺だ!いう気持ちがなければ戦う前に負けている。過去の実績なんか目の前の試合には関係ないんだ。

・スコアじゃない。すべてのポイントに意味がある。

・テニスは精神的な強さと頭の使い方が重要なんだ。ゲーム中、どう受けるか、どう返すか、どう攻めるか、そんことに頭を巡らしながらプレーすることで、体格の不利をカできるんだ。

・勝っていても気を抜いてはいけない。逆にドンナ点差でリードされていても、諦めなければ何かの拍子で流れが変わるものだ。

・チャンスは巡ってきたときにつかまなくてはならない。

・勝てると思い込むことが、重要になると思います。

◆ 安倍首相中東訪問 外務省は時期悪いと指摘も首相の反応は逆
◆ 「遼太頑張れ」横断幕で送った 中1殺害、故郷の島悲痛









 


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沖縄南部半日観光バスツアー

月曜日曇り

深夜少し開いた窓から土砂降りの雨音で目を覚ます、しまった天気は確認していない、慌ててアイパッドを取り出した。どうやら雨雲は朝方までには去って行くのを確認して、また横たわる。
8時出発のバスツアーは小雨の中だった。前途が思いやられたが、徐々に回復に向かった。
最初に向かったのは世界文化遺産 斎場御嶽 (せいふぁーうたき)→おきなわワールド文化王国玉泉洞→ひめゆりの塔→空港というコースだった。

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13時半には予定通り那覇空港へ到着するとANAカウンターへ直行して有無を確認するとOKだったのでほっとした。バスガイド嬢によると二月は石川遼が別荘にやって来てトレーニングをはじめる、サッカーも野球もと大賑わいになるという。それに連れて観光客も殺到するのだからホテルは超満員ということ改めて理解した。

おかげでぼくはテニスも楽しみめぼしい観光も満足して一挙両得の沖縄行きを締めくくることが出来た。

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折角だから観光を・・・天の声?

日曜日 小雨 曇り

滑空するスリムな二両編成のモノレールに乗って国際通りの牧志駅から首里駅終点まで、エレベーターで地上へ降りて首里城を目だす、曇天から小雨がパラつき迷っていたが、目の前にタクシーが止まったので乗り込んでいた。人の良さそうな運ちゃんは隘路すり抜けかなり行って止まった、ここから近道ですと指差す、メーターは五百円表示していた。

傘いるかいらないか迷いそうな灰色の空に古城は似つかわしい、小高いというべきか、小山と言うべきか迷いそうな処に由緒威厳のありそうな門、建物が歩を進め登るごとに散見されて最期に宮殿とおぼしき建物(首里城正殿)現る。(15世紀琉球王国が統一されて、国王の居城として政治、経済、文化の中心であった建物)

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そういえばここで沖縄サミットが行われたのだ。森元首相の満面の笑みを浮かべた写真がめについた。八カ国の首脳、米国のクリントンやプーチン等、森氏を除けば歴史にその名を残すであろう面々に相違あるまい。

駆け足で見て回り12時約束の旭橋を目だした。ヒルトンホテルのバイキングは最高のひとつであった。Kさんからのタナボタのもてなしに、感謝し気分良く沖縄を後にするはずであった。

3時10分の便に余裕を持って行ったのだが満席という、空席待ちにもしたがダメと言われる。

もう一泊することにした。宿に向かう途中に、バカでかい書店がめについた。ぼくは今回の反省を込めてたいまいはたいて、2冊こうにゅうした。錦織圭と長友佑都。

夜食は宿近くで目についたラーメン屋ーー九州ラーメン総選挙第一位ーーと書いているのがめについた店に入ると待つ人56人、日本人ぼく一人、中国、韓国人だろう。麺の大小、麺の茹で加減、ダシの濃淡、もう一つくらい選択項目があった。飽きのこないような味ではあった。

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カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 20:13 | コメントをどうぞ

沖縄国際ベテラン 二回戦敗退

土曜日☀️

昨日今日の宿舎は沖縄の繁華街のチキン宿だが、一歩出ると選り取りの飲食街が軒を連ねている。N旦那と地元の人が行くと言う食堂で乾杯をした。

NB10時、そんなにおくれずに コートに入った。相手kawachishiは初戦だんごだんごで勝ち上がっていた。初戦の相手は対戦したことがあり、そんなに弱いとは思えなかった。

いやな予感は的中していた。36 46で負けていた。強風のなかでめいいっぱい頑張ったつもりだが、相手の執念が優っていた。

待たされた始まった60女子ダブルスも精一杯頑張っていたが負けてしまいぼくらは沖縄国際ベテランテニス大会から姿を消した。

夜、繁華街公設市場の食堂に5人で出かけ沖縄料理で残念会をして盛り上がった。
だがKさんの60Sで第二シードを大逆転で破ったのは、見応えがあり仲間内で語り草になるであろう快挙であった。

そしてぼくは逆の意味で語り草になろうことをしでかしていた。しかも二試合しかしていないのに、からだの節々は悲鳴をあげているのが情けなく前途が思いやられています。

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大10回沖縄オープン国際ベテラン 初戦

金曜日☀️

NB11時だったがKさんの応援に早めに出かけた。自分の相手の試合も見たかった。

ぼくの試合は2番コートの五番目に組まれていたのでNB11時の試合は、3時を回っていたきがする。四人の仲間の応援と期待を背負ってコートに立った。相手がレシーブ選択してぼくのサービスで試合は始まった。ダブルフォールトなどもあり取れそうでおとして01、いやな予感はしたがファーストは際どいゲームをものにし続けて終わってみると61でものにしていた。
あまりの出来過ぎに不安はよぎっていた。セカンドはどんな戦術で巻き返しを はかって

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るのか、不安はかすめたが、先攻されることなく進んでいた。

確かにサービスもショットもぼくのバックを必要に攻めて来出した。バックの両手うちはこわくて打てなくなっていたと思う。スライスで繋ぐのが精一杯だったが、それでも流れはぼくにあった。42とリードしたところでゆるいガットのラケットに変えるが簡単に落として43、不安を感じながらチェンジの時元のラケットに戻してサービス、キープして53、最後の抵抗をする相手のサービス、マッチポイントはフォアの両手うちのダウンダラインだった。

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沖縄奥武山公園であそぶ

木曜日晴れ

沖縄便は満席だったと昨夜Nさんからの携帯、電車を一便早め八時過ぎの電車に乗ると大津駅経由無料タクシーで40分ほどで空港に到着する。満席で乗れないならば、福岡空港へユウターンだと恐るおそる全日空のカウンター行くと、案内嬢チェックしながら空席はありますと白い歯を覗かせた。

一時間半のフライト、空の旅は天気にも恵まれて快適で、同じ便でK夫妻ものりあわせていた。
機内から見渡す沖縄空港はまぶしく常夏を思わせ異国に舞い下りる、ようにも思えた。

バス移動はかなりの距離、ようやく届いたコロ付きバックを手にすると丁度12時、奥武山公園で3時からの練習にはたっぷりの時間、目の前にあった飲食店で沖縄そばやらを食した。麺に特徴がありボリュームは満足する。食後上から着ているものを三枚脱いでバックに詰め込み、隣接のモノレール駅へと屋外にでると風は強く脱ぎすぎているのだった。

奥武山公園駅で下車すると、待ち合わせていたかのようNさんと鉢合わせに、ビックリ。コートの予約をしてホテルに戻って行くところで、ぼくに付き合って公園に戻ってくれた。しばらく歩くとテニスコートがあってその向こうに野球場が大きく目に飛び込んできた。

ホテル満杯、飛行機満杯の要因の一つであろうプロ野球のキャンプが当地でおこなわれ初めているのだ。しばらく練習コートの前でたむろしてから歓声が響きわたっている野球場へ行って見た。そして3階に上がって内野席から野球場を見下ろした。

遠くから無声映画のように眺めていたが打球音とボールを捕らえたキャッチャーミットの音だけが臨場感だった。中日VS巨人 中盤では中日リード、多分中日が勝利しただろう。

コートに戻り30分練習したが、どいうわけか左脇腹をいためてしまった。

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カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 21:31 | コメントをどうぞ

明日は強敵の沖縄国際へ飛ぶ

水曜日曇り

ちょっとしたきっかけから手にして吹いた竹、二本の尺八、半世紀前の安物だと音色が悪いのはそのせいにしながら、吹いていると何故か何故か一生懸命に取り組んでいたあの青春時代が浮かんできた。凝り性のぼくは人に先んじようとその気になると、いつも唇に口内炎ができて頓挫してしまうのだった。

恥も外見もあまり気にしない恍惚の世界に突入せんとする世代になれば、懐古しても許されるだろうし、知っている人たちも少なくなり許しくれるであろう。
アマゾンから1冊残っていた非売品の会長の追悼録が早速届いていた。70歳を前にして亡くなった23年前のできごと、なぜ急にそんな気持ちになったんだろうと自分でもわからない。会長と特別親しくしてもらったわけではない、ただ遠くからその人のなりと行いを観察していただけだった。
そんなことを知っても分かっても、どうしょうもないのに、だけどなつかしさがこみ上げてきた。
諸行無常の響きあり。

さて、2週間ぶりI氏とのシングルス、もう以前みたいな余裕は全然与えてくれなくなった。ぼくはそんなに変わらない、I氏が昔むかしのI氏に戻っているのではと思う。

こんなことで沖縄国際はどうなるかと不安はよぎったがランキングチェックしていたので楽観はしていた。
ところが帰り際、I氏が気になることを一言発したので、戻るとドローをとりだしてみた。初戦で当たるだろうと思われる選手をパソコンで調べてみたら、鳥肌が立っていた。こんな人が沖縄まで来るんだ、ぼくが新参ものであることが証明された瞬間だった。
ぼくはその人を全く知らなかったし知ろうともしていなかった。近々全日本ベテラン二回もウイナーとなっていた。
何かの事情でここ一年間試合に出ていなかった、それでノーポイントなのだ。勉強不足もいいとこだが、どこまで通用するか挑戦しょう。沖縄国際、エントリーしたのも何かの縁であったかもしれない。








 


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2月のJOPランキング

火曜日曇り 晴れ

気のあった仲間が集まって練習しているたくまのコートへ久しぶり出かけた。ちゃりで丁度よい距離だが沖縄の大会を控えてか、チャリに乗ろうという意欲はなかった。人数が減っているんですよ、よかったら出てきてくださいと先日、肩を手術して休眠中のM氏がぶらりコートへ来た折、世間話の中にその話があった。以前ぼくも何度か行ったことがあるが、1面のコートにたくさんいたので遠慮していた。ぼくにはホームことがあるのでと・・。

お言葉に甘えて気分転換のため出かけた、ぼくもいよいよ本番が始まる、人事を尽くして・・・・・の心境まではいかないが、2時間基本練習に専念しているところがいい。2時間かっきり楽しませていただいた。しばらくお世話になろう。

2月12日JOPランキングのメールが届いていた。1月のとカン違いしていた、もう次のランキングに改定されていた。シングルスには一人割り込んでいた。70歳代でランク1位になった一人のT氏だった。それでぼくはトップテンの二桁になっていた。

ブログの目的になっていた全日本ベテラングラスコートベテラン選手権に、ようやくその切符を手に入れたのは2010年そして2回戦で対戦したのが1シードのT氏だった
さて今年の75歳代は熾烈なトップ争いが繰り広げられそうだ。サバイバルゲーム、ぼくもその中に割り込んでゆけるように頑張ってみたい。

・錦織フィーバーの一方で沈む女子テニスの現状――日本テニス界に起きている男高女低現象

・「錦織記念日」に振り返るツアー初優勝。7年前の真実

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 対戦相手や報道陣を驚かせ、日本のみならず、世界のテニス界が新星登場に沸き立ったあの日から、7年の月日が経った――。ジェームズ・ブレークはツアーを去り、グレン・ワイナーは現在IMGアカデミーのジュニアコーチとして、日本から留学中の中川直樹や福田創楽らの指導にもあたっている。そして、錦織にプレイが似ていると言及されたノバク・ジョコビッチ(セルビア)は、当時の世界3位から1位に上り詰め、今や男子テニス界に君臨する王者だ。

 あの日、フロリダの空の下でトロフィーと日ノ丸を掲げた少年は、その後も幾度かの挫折と、歓喜の瞬間を重ね、ツアータイトルは現在までに8個を数える。

 2015年2月17日――。錦織圭、25歳。

「勝てない相手は、もういないと思う」

 朴訥な口調に静かな矜持を込める青年は、世界のナンバー5である。

内田暁●構成 text by Uchida Akatsuki








 


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3連覇達成  錦織圭 メンフィス・オープン   

月曜日曇り 雨

今日の決勝戦は昨日と同じ10時くらいだろうと推測して、録画も設定せず、決勝戦をゆっくりみてそれからレッスンに行けばよいかと段取りしていた、朝食の後。

パソコンのを起動してヤフーのニュース項目に目を通すと、錦織圭三連覇とある。早とちりしたニースがあるものだと目を疑ったが、慌ててwowowに切り替えるとどうも様子がおかしい、試合がもう終わっているのだった。
wowowの番組表に切り替えると12時まで放映予定になっていた。時間が余って再放送があると確信して待っているとまもなく再放送が始まった。ハラドキのない勝敗の分かった試合は冷めたコヒー、紅茶、張り合いは乏しかったが自信に満ちた圭の戦いぶは堪能できた。

同じタイプだが27歳ランク41位のクエリーに大苦戦して、28歳ランク15位のアンダーソンには楽勝、このギャップはなんだろう。合う合わない、その日のコンディションもあるのだろう。何はともあれめでたしめでたし。

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“I played a few loose games… I had a few too many mistakes,” Anderson says. “He played pretty solid” #MemphisOpen








 


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