土曜日
全日本ベテランに合わせて9時からお願いしたが、タイブレークで何とか逃げ切ったが、内容は負け戦であった。
あとでO氏とストローク、サービスからのストロークの練習をして終えた。12時を過ぎ、万歩計は予定の1万を超えていた。
マレーシア・オープンの決勝戦は錦織vsベネトー(仏)、ベテランでテニスのうまい選手、一度、どこかのグランドスラム大会での大接戦を記憶しているが、最後には錦織が振り切った。あなぞられないが優勝は掌中にあり。
土曜日
全日本ベテランに合わせて9時からお願いしたが、タイブレークで何とか逃げ切ったが、内容は負け戦であった。
あとでO氏とストローク、サービスからのストロークの練習をして終えた。12時を過ぎ、万歩計は予定の1万を超えていた。
マレーシア・オープンの決勝戦は錦織vsベネトー(仏)、ベテランでテニスのうまい選手、一度、どこかのグランドスラム大会での大接戦を記憶しているが、最後には錦織が振り切った。あなぞられないが優勝は掌中にあり。
金曜日
午前中パソコン修理に来てもらったが、昼過ぎまで掛っても完治せず。「システムinntel Rapid Start Techinology」有効になってないようです。このコメントの解決は出来なかった。メールは何とかなったが、autlook2010ではだめで、ライブドアーメールでとりあえずはOKとなった。
夕方、街での壮行会にN夫妻に乗せてもらって一緒に出掛けた。Kさんが音頭とってもらっての開催、二階からメイン通りの華やかさが一望できる場所だった。
東北選手権優勝したおり、そんな話を耳にしていたが音沙汰がないので、N夫妻に昼、焼き肉のごちそうになり自分としてはケリを付けていた。しばらくぶりKさんがそんな話をするので、それはもう時効とたたみかけると、いや全日本ベテランの壮行会ですという。彼女の熱意に勝てず、せっかくの好意にぐずぐず言うのも大変失礼になると了承した。ぼくを入れての十人はKさんの人選、結果的にはピッタシの人選で、多からず少なからず会話対話するのにちょうどよかったと思う。
仲間内でこんなふうに飲食共にすることはまれ、話題は絶えず永いと思っていた時間はいつのまにかラストオーダになっていた。本当に楽しくうれしかった。全日本ベテラン、少しでも期待に応えられるように、仲間に頑張ったねと言われるような成績を持って帰りたい。
木曜日
9時半過ぎコートへ、全日本ベテランの試合開始は9時からなのでそれに順応すべくしばらく早めにコートへ行くことにする。
ストロークの練習、サービスの練習そしてダブルス1セットが今日の練習内容、昼過ぎ帰途につく。
甲子園と同じくまずは1勝を目標にしょう。
・錦織圭 自らアタック「一目惚れした」 助手席に乗せたい人は…
・錦織圭 全米オープン準Vに導いた“マイケル・チャン式”特訓方法
・パソコン調子悪し。outolookメール受信20日以降できてない。
・システムでIntel Rapid Start Technologyが有効になっていないようです。とデスクトップに現れ、そのために初期起動がなどが遅くなっている。
火曜日 秋分の日
ホームコートではミックスの団体戦でテニスは休み、午後からKA氏と宝の湯への約束で昼過ぎに迎えに来てくれた。久しぶりの温泉、久しぶりのKA氏との♨、外湯のぬるい湯に一時間近く積もる話しに瞬く間に過ぎていた。
道路際の畔を、まさに季節の彼岸花が競うように赤く帯のように染めていた。「赤い花なら曼珠沙華、オランダ屋敷に雨が降る 濡れて泣いている・・・・・」つい口ずさみたくなる、幼いころよく流行っていたのだ、このぼくが覚えているから。毒花と言われてあまり近寄らなかった記憶がある。持っていこうと玄関先に置いていたカメラを忘れたのが悔やまれた。
アジア大会、テニスは男女とも銅メダルとか、男子は錦織を除くトップが出場していたにもかかわらず3位とは、錦織の圭の活躍に水を差す。東レ、日本女子選手のそうそうの敗退に水を差されていたのに、残念至極。
月曜日
朝からケイタイ、持ち主はKさんで声はN氏だった。9時開門と同時に練習に来ているのだ。言わんとすることは分かっていた、準備に30分かかるよと言ってケイタイを切った。
4人でボレーとストロークを回しでやる、たしかに練習にはなった。仕上げにダブルス2セット男子組に軍配あがる。
Kさんとシングルス1セット、K壮会で自信無くしたのでと前口上して勝たせてもらう。
バックの両手打ちグリップ、利き腕左手、ナダルのアップ画面、両手打ちにグリップをチェンジするとき、左手を内側に、手前に絞っている。それを今日は目いっぱいやって打ってみるといいボールが打てた。これだこれだと思ったが今まで何度もためしたはず、明日になるとまたダメだと元にもどっえいるかもしれないが、今日の朗報。左右両手打ちは試行錯誤の毎日です。
夜kA氏からケイタイ、佐賀のグラスコートベテランテニス選手権大会のドローがオンされています。よろしくとあった。
・錦織圭、テニス全米で準優勝 松岡修造の助言は「俳優になれ」
日曜日
K壮会、運動公園CDコート。
2勝2敗、前半は60 63と今日はいけるかとおもいきや、後半の2試合16 46で万事休す。いつもの力が出せなかった気がしている。悪いなりにもっと粘りづよく戦う姿勢に問題がありそう。
全日本ベテランまでのこすところ12日、こんなテニスをしていたのでは全日本も心もとない。
土曜日 台風の影響で風強
昼からコートへでかける。土曜日にしてはえらく少ない、県体育祭が行われていると知って納得した。
壁打ちをしてIW氏と強風の中ストロークとサービスからのストロークの練習をしばらく行った。独特のフォームからバックもフォアーもキレのあるボールを打ってくる。短いボールのアングルショットには目を見張る。
あとでok氏がやってきたので同じような練習をして、最後はねんりん方式のシングルスで締めた。目標の1万歩は達成していた。思いの両手打ちバック相変わらず、素振りの感触はいいのだがボールかくるとだめになる。
全日本ベレランまで残り13日。
・好調のウォズニアツキ、ムグルサ下し決勝へ パンパシフィック・オープン。相手はイワノビッチ(セルビア)。
金曜日
フィリッピン沖の台風の影響か終日雨。三角形の2畳ほどのマイルームはごった返し、物の置き場もなくなってきたので片付けに取り掛かる。その中に2010の古びたドローが出てきた。70歳代になって2年目。年末にはランキング17位と最高を付けた、ぼくにとっては節目のかけがえのない年だった。
春の九州毎日ではノーシードながら2シードを破る快挙をなしたが、ベスト8で終わりアップダウンの激しい、不安定な成績の一年にもかかわらず最終的にはランキング17位に少し慢心した気持ちがあったと思う。この年全日本ベレランに出場資格があったにもかかわらず、石川県開催のねんりんピックを優先させてしまっていた。友人からの忠告にもかかわらず、いつでもでられると高をくっていた自分がいた。翌年は予選第一位ながらも予選敗退で本戦出場はかなわなかった。それから3年間つるべ落としにランキングは下がり、全日本からも見放されていつしか振出しに戻っていた。
75歳代になって奮起したものの思いの成績は残せず、最後にかけた大会の一つ、東北選手権で思わぬ優勝、ようやくランキングも躍進11位となって全日本ベレランにダイレクトインすることができた。
2010年代技術的、体力的に未熟な自分がいたのを、もがいている自分をブログを通してなつかしく振り返った。
八事日赤(はちじにっせき)と思っていたら通り越してしまった。(やごとにっせき)と構内放送。
出ざしが悪いと思っていたら案の定大変な目にあった。PCグーグルの地図をコピーして慎重に用意万端していた。15分でたどり着く道のりを迷いに迷って1時間以上かかってようやくたどり着いたのは、昼近くになっていた。
左へ行くところを右へ右へと行ってしまったのだ。ナイターの照明塔が見え出したのでもう直ぐかと思ったら中京大のグランドだった。仲間のN氏もここで励んでいたのかなと思ったりしながら歩いて行くが、どだい反対方向に向かっているのだから着くはずがない。しばらく行くと公園が見えてきた。ここが東山公園の一部かなと思ったら違う。ゲートボールをしているおじいさんに尋ねると、車ですかと言う。そこから車で行くに十分な距離をテクテクと右往左往しながらやっと、たどり着いたのだ。
テニスコートは広い敷地にゆったりとつくられている。駐車の整理をしているおばさんに、そのことを話したら、「バスも有りますよ、便数が少ないでが」と言って、クラブハウスに走って行って時間表をもってきてのはいいのだが、「もうバスが着ます今なら間に合います」とせき立てる。クラブハウスでいろいろ見たり聞いたりしたかったのだが、けん幕に押されて近くのバス停へと向かうと一時間に一本で「八事日赤」には5~6分で着いた。
昼をとうに過ぎており「日赤病院」の食堂で腹ごしらえをして、チェックインまでの時間はあまたなので又東山公園テニスコートへ引返す。
そこでばったりMYさんに出くわす。いまからEBIS・・さんのダブルスがあるから応援に行きますと言う。ebi・・・。顔を拝見したら思い出した。今は名古屋在住らしい。来年は帰ってくるとも言っていた。55歳の女子ダブルスだったが、歯切れのよいテニスをするのが全般の印象だ。惜しくも競りあっていたが最後は負けたと思う。1時間に1本しかないバスのこともあって見届けずに会場を後にした。
20日は朝から雨模様。試合は11時からだ。9時半のバスは早すぎる。10時半はちょっと心配。試合はずれ込むとは分かっていながらも、11時に遅れることは、トラブルの原因となる。傘をさして、バッグには敷物を取り出してバッグに巻きつけ、「八事日赤」から歩いて10時過ぎにコートにたどり着くが、雨はしとしと傘が十分に必要なくらい降っており止む気配はない。
何時中止になるのだろうかと見ていたが、誰一人と文句を言わずに、雨の中を普通どおりに、当たり前のようにたんたんとプレイを続けている。
コートサイドのロービングアンパイヤにそっと尋ねた。やむ気配はないが、中止の判断はなんですかと、「コートに水が溜まれば中止ですが、このコートは水はけが良くて、少々の雨では溜まりません」。このくらいでは大丈夫ですか。「大丈夫だと思います。」
11時過ぎたので本部に行って見た。進行表では4試合目でまだ1試合しか終わってなかったが気になったのだ。受付しなくて言いのですかねと尋ねると、「普段はいいのだけれど、こんな日は受けてけしてもらったほうがいいですね。どなたですか」と言うから70歳のぼくだと言うと「ちょうど良かった。ここからここまでの4試合は室内コートに変更になりました」と言うのだ。
雨にぬれなくてすむ。良かったとまず思ったし、試合も早くなりそうな気配なのだ。室内コートは、敷地の一番奥まった所にあって、かなりの距離を傘をさして階段を避けてエレベーターを利用してやっとたどり着いた。4番コートの後にはいることが分かった。
急いでテニスの身支度をする。
相手は17シードでランキング21だ。九州毎日では4位で2シードのHA氏を破り注目されたようだが4回戦で30位のSU氏に敗れているからランキングも微妙なところがあるし、その通りには行かないが、年間を通してみれば、上位者は上位に納まっているようだ。
FU氏のアドヴァイスによれば本格派のテニスをする人だということだった。ぼくと同じ左りぎきで、くりだすフォアーに自信を持っているようだった。
ファースとは02 12 13 23 33 34 44 45 46リードのチャンスでサービスをキープできずにセットを落とす。
九州毎日の終盤に出てきた太ももに痛みが出始めた。馬の塗り薬を塗りこみ膝の上下の巻いていたテープを両太ももに巻きつけて頑張る。
セカンドは互いにブレーク合戦で終盤まで進み、相手がキープしてぼくも何とかキープして55までなったのだが、ぼくの左太ももの表の表面の筋肉痛は限界になっていた。
よしんばファイナルになってもこれ以上は無理だと感じていた。相手は上手だったし、プレーもフェアーだった。気力も上回っていた。
56 57とあえなく落としてしまった。参りましたと握手した。
痙攣は出なくて太もも表の表面痛、ランナーだったNO氏に原因を尋ねると、前後左右の動きから来ていると言われた。
九州毎日、必死で戦った2シードとの試合を思い出した。
2時過ぎから始まった試合は5時を回り照明が点灯していた。ファイナルはいきなりサービスを落として01.2ゲーム目の相手のサービス、ジュースをえんえんと気が遠くなるくらい繰り返したあげく02となった。
この時点で勝利は遠のいたと思った。まさかの痙攣の前兆が左ふくらはぎに出る。痙攣予防のハイソックスに漢方薬を飲んでいるのに。
3ゲームのサービス両足着地のままのサービス(これは練習していた)に切るかえる。そして軽くつないでいると12となる。4ゲーム目、意識的と思われる浅いサービス。前におびきさしての狙いだ。これをブレークして22。5ゲーム目ブレークされて23となった。ぼくはトイレタイムを要求した。
相手はファイナル始まる前にようをたっしていた。この時点で頑張ってみようという意欲がまだ残っていた。起こりそうな痙攣を靴の紐を緩めてみたり消エネサービス、ストロークでもう少し頑張りたい。
ほれみたことかファイナルを簡単に取られて、と言われたくないとい思いもあった。誰が見ても互角の戦いだったと言ってもらいたい思いだった。相手のサービスをブレークして33。サービスをキープして43。そしてブレーク53となった。
ぼくにもしかしたらと色気がよぎっる。ぼくのサービス、ここで気を入れ直そうとジャンピングサービスに切り替えるとダブルフォールなんかしたりして、ブレークされたしまった。
まさかの勝利が目の前にぶら下がっていたのに。54で相手のサービスだ。ラブサーティからサーティオール。フォーティサーティでマッチポイントがきたがジュースとなった。
またジュースが続く。マッチポイント、ゲームポイントをお互いにクリヤーしながらえいえいと続くのだ。マッチポイントになった時に相手のミスを待ったのがまずかったと、反省して最後のジュースでネットへ出ると相手がミスショット。マッチポイントで強引に又ネットに詰めて相手のボールをネット際に落とすと、相手は走るのを諦めたのだ。
この瞬間ぼくが勝利していた。不思議な気がしてならなかった。
木曜日
車のバッテリーの上がっているのに昨日の朝気が付いた。キーの豆ボタンを押して開錠しようとしたが、うんともすんとも反応しない。鍵のちさな電池の寿命がきてなと思い込み、カギを突込み開けて用事を済ませて、久しぶりチラシに載ったカロリーメイトを買にチャリをとばせた。
オープンは9時半、10時からはI氏との練習の約束、分単位の行動をしなければならない。10個をてにしてレジを2番目に通過、物色しておればレジが鈴なりになるが、うまくすり抜け順調、戻りは急な坂道だが息せき切って40分ごろには帰り着いた。
カロリーメイトは家の中に放り込んで、用具は一式車に積み込んでいたので、いざ出発とキーを突込み右に回す、快適なエンジンの音を期待すると、静寂そのもの、警報が鳴ったりしてバッテリーケアは出来ていたので、なぜなんだと頭を駆け巡る。
車がだめならどうしょう、時間がない電話で事情を話そうか、いやチャリがある、何とか間に合うかもしれない。
チャリでの用意をして最短距離をとばして5分前に何とか滑り込みセーフとなっていた。
今朝、コートへ行くN氏に立ち寄ってもらったのはいいが大きな三菱のジーゼル車だった。放電100%と思われるバッテリーには上手くいかず、練習を終えてミラージュで来てもらった。外の原因でエンジンがかからないのかと心配していたが、1回目はうまくいかず、少し時間を置いて2回目でダメならあきらめよと思っていると、エンジン始動する。ほっとした。ぼろ車だが、ちかごろ愛着が生まれている。
コートではN夫妻と1対2でストローク60分、それからサービスをリターンしてもらうこと20分、さすがに疲れたが、ストロークの練習とサービスの練習には十分だった。
残すところ全日本ベレランまで9日間。