女子プロゴルファー 野村敏京(はるきょう)

日曜日 曇り 晴れ

熊本城マラソン9時スタート、民放テレビはゴールの昼過ぎまで放映するらしく、番組の変更を興奮気味に伝えていた。あまり興味なし。

wowowでオーストラリア女子オープンゴルフの最終日が朝から全日程が放映されるのは朝のニュースで分かっていた。昨日の時点でトップは混戦、その中の一人に野村敏京がいた。インタビューに優勝はしたいけど、一番楽しんだ人が優勝するでしょうとたんたんの答えていた。

昼を回ってテレビをつけると野村は14アンダーでトップに立っていたので、最後まで釘づけになっていた。断トツかと見ているとランク1位のリデアコという選手が13アンダーで追っていた。
アメリカツアーで優勝経験のない野村は終盤逆転の憂き目にあうのだろうとハラドキで見守っていた。白いパンツのボーイッシュな野村、どう見てもかわいいという感じではないが、物おじしない堂々とした戦いぶりだった。

15番で野村がバーデイを取り二打差にしたので何とかしのいでほしいと願っていると、1ホール前を行っていたリデアコは長いパットを決めて当たり前のような顔つきを見せていた。

だが野村は16番そして17番ではロングパットを決めて17アンダーとして安全圏と思えるリードをしたのだ。リデアコは1打落として13アンダーにしていた。

最終18番ホール、冴えわたっていたアイアンが初めてぶれてバンカーへ。無表情に見えた野村にも初優勝のプレッシャーがあったのだ。人間味が感じられてよかった。ボギーとして16アンダーの文句なしの優勝だった。

その瞬間、仲間が駆け寄ってビールか何かを洗礼とばかり駆け寄ると、グリーン場を逃げ回るが最後は観念して立ち止まり頭からどっぷりとかけてもらって、そして抱擁しあってよろこびと祝福の輪がひろがっていた。

宮里藍やさくら等の日本選手にはいい刺激になったはず、今後の活躍を注視しょう。

・リオ五輪代表争いに急浮上!野村敏京の歩み

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カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 23:41 | コメントをどうぞ

十年ひと昔

土曜日雨

久しぶりにまとまった慈雨があった。全国的に荒れた天気になると報道がなされていたが、昼過ぎには雨は止んでその気になればコートは使えそうに思えたが遠慮していた。

夜、北九州の仲間から携帯が鳴る。ぼくと対戦してまた膝が悪くなったといつもの泣き言から始まった。病み上がりでありながらぼくを窮地に追い込んだ。もうやりたくないが九州毎日に申し込んだというから怖い。

四国大会の結果の話やらどこそこの大会に出る予定とかの会話の最後に、Y氏の奥さんが亡くなったとさりげなく言った。初旬に行われた福岡ベテランの会場で奥さんのようすを尋ねて半月もたっていない。入院していると話していた。それから数日後に亡くなったようだ。

福岡ベテランで1勝上げたのがY氏だった。それは2007年9月7日秋大会の1回戦、無我夢中で戦い勝つことが出来てうれしかったのは忘れない。それからもY氏とは何回も対戦して顔見知りのテニス仲間の一人となっていた。ブログを初めて翌日のできごとでした。

それからほぼ10年間、10年ひと昔こりもせずに続けてきたが、これがぼくの人生だったのだろう。

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カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 21:31 | コメントをどうぞ

バイオリズム

木曜日晴れ

昨日は愚痴っぽくなった。バイオリズムが最低でうつ的症状が出ていたのかもしれない。あと45日あまり頑張ってみようと思う。

それで天気も良さそうなので10時にコートへ、籠ボールで練習すること1時間余、Sさんがいつもの手さげ袋を提げて笑顔を添て戸を開いた。いつもクラブ内を取り仕切っていただいている一人だから、たまには耳を貸さなければいけない。彼女も左右両手打ちでバックでのスライスボールが打てないとこぼすので、スライスでの球出しをしたが、こぼす必要は感じられないくらい上手。

レッスンを終えたwさんが昼食をしていたので、さっそく昨日のリベンジを申し入れた。昨日は3セット目だったが、wさんがものすごく上手に見えて仕方なかった。ぼくの調子は普通だと思っていたのにベーグルで負けた時は正直ショックだったが、wさんが上達したのだと拍手を送りたい気持もあったりした。

やっぱり僕が疲労していたのだと今日の結果で理解した。スリーセットを戦う体力がないことが昨日証明されていたことになる。残された日々で体力を付けるのは何をどうすべきかが問題なのだ。

あとでシングルスの取り持つ縁で親しくなった二人さんと久しぶりダブルスを楽しむ。対話と笑顔をもらい、バイオリズム好転に向かったかもしれない。

家に戻ると封書が届いていた。働いていた会社のK県出張所長の名前が目についた。

やはり退職の知らせ、定年退職と書いていなかったので、想像できた。親バカチャンリキで息子を社長にするのはよくある出来事だが、どこかの大会社のように経営のことだろう親子喧嘩、口も利かないと言うから、社員の手前それはまずいと話したことがある。
あの小心者のその後生きざまは、もう関係ないことだけど、生きがいとは幸せとは・・・・・・山のあなたの空遠く幸い住むとひとのいう。
因果応報って深く考えなかったが、あるとぼくは信じるようになっている。

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カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 23:01 | コメントをどうぞ

平々凡々の続き

水曜日曇り

光陰矢のごとし、小学校の時学んで理解できなかったが、意味する年月は経過している。
2007年ごろからJOPに挑戦を始めいつのまにか10年も経過しているのに身震いする思いだ。そのうちその内と思いながら嫌なことを忘れるために打ち込んできたテニスも、そろそろ限界を感じ始めている。

今日も体調が悪いというI氏とのシングルスでオタオタしていた。その後レッスンを終えたwさんとシングルスをお願いしたのはいいが、ダンゴを付けられた。セカンドをお願いしてようやく勝たせてもらったが、肩の調子がよくない彼女に変わってサービスをやり続けたのだから、負けなのである。

65歳代で宮崎の熊谷杯に何度か、雲仙国際テニスにも何度か別府の正月テニスにも挑戦したがシングルス優勝はなくダブルスはK氏と組んでK氏が69歳のときに優勝して喜んでくれた。70歳になった頃K氏と別府でダブルスに優勝、西日本新聞に顔写真付きでで大きく掲載されていたのに驚いた。これを最後に三つ大会から遠ざかっている。

それからはJOPの大会に絞り、四国、山口、大阪、名古屋、関東、松本、山形などに無謀な挑戦を繰り返して今は矢尽き刀折れという心境だ。


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平々凡々の日々

火曜日 曇り

昨日より少しだけ気温は上がっていたが凍れる寒さには違いなかった。

昼前コートへ、籠ボールの練習とwさんとシングルス形式での練習、錦織ではないけど完全に負けていた。試合をしていれば危なかったはず。

・ウォズニアキ 裸体披露

・ディミトロフ 公の場でキス


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カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 21:27 | コメントをどうぞ

メンフィス・オープン 錦織圭 四連覇達成

月曜日 雪

寒い寒い冷蔵庫の中を思わせる一日だった。

早朝行われていたメンフィス・オープン(アメリカ)シングルス決勝戦の録画を午前中見る。

錦織VSフリッツ。若干18歳のフリッツ(アメリカ)は主催者推薦(WC)で出場していた。第2シードのジョンソンを破って勢いに乗るアメリカ期待のニューウエーブに思えた。身長も十分にありエースを量産するサービスを持ち、ストロークも安定していた。練習では勝ったことがないと圭に言わしめるほどの急成長の若者に対して錦織圭がどんなテニスをするか興味津々で見つめていた。

1ゲーム目の圭のサービスはいきなりブレークされた。若者は最初からトップギアに入っていたのに対して圭は動きもぎこちなくミスを連発していた。03 13 33と徐々に調子を取り戻し後半ワンブレークすると64で圭が取る。

セカンドは互いにキープして進んだ。若者は昨年全米ジュニアーのチャンピオンとなって頭角を現しているらしく、簡単に圭の軍門に下る気配を感じなかったが、ワンブレークされてから圭の余裕のプレーに脱帽の気配を感じ始めた。53で相手のサービスのブレークチャンスを3度あったが必死の抵抗に遭い54。圭のサービスフォーセットを迎えた。力を抜いたコントロールサービスで労せずウイニングショットはフォアーのエアーケイで恰好よく締め切った。

64 64で危なげなく勝利することができた。そして四連覇を達成した瞬間でもあった。

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カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 22:13 | コメントをどうぞ

熊壮会 例会久々の4勝

日曜日曇り

運動公園は終日曇り、薄ら寒く霧雨も時折舞い日が高くなるにつれて寒さを増していた。
男子73名女子31名の104名参加というから、すごいと思った。松Aは14名の満杯でいつものつわものと、新参のつわものがいる。レベルは回を重ねるごとに上がっているので、ビールゲットは手の届かぬ存在と諦め気分になっていた。

諦めかけていたところに、ゲットのチャンスは訪れていた。

1試合目、ペアの小柄なMさんがねばり強く、ぼくの思い切りのいいショットもタイムリーに決まり、パートナーのサービス2回落としたが62で初戦をものにする。初戦の勝敗は一日の気分に大きく反映する。1勝できたことでM氏と喜びを分かち合った。

2試合目は4勝の一人であったA氏とのペアー。41とリードしておきながらぼくの2回のサービスを落して44と追いつかれ55で勝敗を決めるぼくサービスゲームとなっていた。自信がなかった。相手の一人は軟式あがりで強烈なスピンのフォアーを武器としていてそれにやられていた。強い向かい風が吹いていた、意識して相手のバックサイトにスライスのサービスを浅く入れた。フォアーをに回り込んでスピンをかけたが、 微妙にバックアウト、相手を惑わせながら何とかキープして65で勝つ。このペアが最後まで優勝に絡むとは思いもしなかった。

3試合目、今回の相手の一人も軟式テニスの強烈なショットももっていたが、単発に終わり、パートナーのN氏の老獪なテクニックで何とか63で勝利した。

4試合目。始まる前に1試合目に組んだM氏が4勝目をかけて戦っていた。そこで41とリードしたので今日はM氏にチャンス到来の日かと拍手を送っていた。相手の一人は2試合目に組んだA氏彼も4勝目がかかっていたのだった。賞金でもかかっているのではと思わせるような必死の戦いが繰り広げられた。自力にまさると思えしAペアーはそこから44 55そして激戦を征して65でA氏4勝。ぼくの結果待ちとなっていた。

やすやすと勝たせてもらえる相手ではなかった。サービスもよくなかったし、何とかしのいでの3勝であったから、優勝できたのは無欲の勝利といえるだろう。パートナは無口であったが、ぼくの4勝目がかかっていることを察していたはず、ほんとうに頑張ってくれたのでぼくもそれに引っ張られて何とかしのいでいた。51でぼくのサービスアンドマッチが訪れていた。ラブ30とまたもあやうくなりかけた。そこで練習していたフラットサービスを一か八か入れると、うまくヒットして効果てきめんで苦境を乗り切ることが出来、まさかの61での勝利に優勝を確信していた。


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012

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 21:32 | コメントをどうぞ

県室内テニス選手権女子40

土曜日 雨 曇り

朝から雨でテニスはお休み。sさん出場の県室内テニスがパークドームで行われているので昼近く出かけた。

ドームの中に入るとkさんと鉢合わせ、彼女も彼女のテニスが気になって出てきたらしい。裏口から入ると正面の奥の左端のコートにTさんを彼女が見つけた。人気があるのだ同じクラブの仲間数名が観覧席に陣取っていた。

今日は12面のコートを貸切一般男女、男子60歳、女子40歳が行われていた。Tさんは40歳代に出場、5名エントリー総当たりで4試合も楽しめるようになっていた。

まだ日の浅い彼女にしては経験を積むに絶好の機会のようにも思えたが、残り4人は経験豊かなつわものと耳にしていた。どこまで通用するのか、そこに挑戦しようとする勇気には感服するものがあった。ぼくだったら二の足を踏んでいたに違いない、それをいうならぼくもなにがしかの年代に出場していなければいけなかったと後で後悔した。

1試合目が始まっていた。相手は福岡の大会でも名前を見かける選手、ストローカーではなかったし、サービスもそこそこ、しかしスライスやショートクロスで相手の弱点を攻めていた。フォアー得意なtさんは小細工には不慣れで、初戦の緊張感もあったかもしれない、終わって戻って来たので尋ねると指で丸を作った。

2試合目はコートにも雰囲気にも慣れたのか、得意のフォアーにエンジンがかかり、相手を追いつめるシーンもたびたび見られ序盤で2ゲームを取っていた。シングルスのテクニックにおいての差は歴然としていたが、彼女のサービスとストロークは引けを取らず堂々と渡り合っていたと思う。

3試合目、4試合目は同じく16だったが内容はそれ以上のもので挑戦する姿には必死さがあった。シングルスはボクシングと同じだと思う。打たれても打たれても4試合最後まで戦い抜いた彼女は輝いて見えたし、晴れやかに見えた。

「続けるの」と尋ねると笑みを浮かべうなずいた。

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四連覇を目指す圭のメンフィスオープン(250)

木曜日 建国記念日 晴れ

ホームコートではミックスダブルスの大会が行われている。終日家で過ごした。

男子テニスツアーメンフィス・オープン(アメリカ)シングルス2回戦が行われ、初戦の第1シード錦織圭は同124位のR・ハリソン(アメリカ)を62 75のストレートで下し、ベスト8進出を果たした。


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カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 22:35 | コメントをどうぞ

SOMEDAY

水曜日晴れ

テニスの準備をしているとケイタイが鳴る。国立病院からですと女性の声、まるまるさんですねと念を押す、国立にはこのごろ縁はないのになぜだろうと一瞬戸惑っていると、電話を繋ぎます、I氏の声で納得、今日は中止ですねと言って電話を切る。折り返しメールが入る。3人で練習していますので良かったら来ませんかとN婦人。
返信はせずに準備をすませてコートへ車を走らせ、久しぶりハードな練習に参加させてもらった。

昼も久しぶりに焼肉店へ、乗せてもらって3人で出かける。つもる会話に時間は打ち過ぎていった。

コートへと戻って2時過ぎに来るというSさんを待ってシングルスの練習、シングルスを教えるのは難しい。ゲームをしながら考えてもらうのがベターだと思ってやっている。セット11でタイブレークはぼくの勝ち。土曜日は頑張って下さい。いや、楽しんでください。

帰りの車に乗りエンジンをかけるとカーナビのようすがおかしい。CDに合わせると佐野元春サムデイが流れてきた。
カーナビも久しぶりに眠りから覚めていた。
・・・・・・・・・・・・・
「手おくれ」と言われても口笛で答えていた・・・・・・・・・・
いつかは誰でも愛のなどが解けて・・・・・・・・・
こんな気持ちに揺れてしまうのは君のせいかもしれないんだぜ
・・・・・・
15年は過ぎた古ナビは2年ほど前突然プログラム更新中という画面になってもとには修復しなかった、が、ときどき深い眠りから覚めたように機能を部分的に回復したりして喜ばせたが、エンジンをきるとそれまで、また更新中の画面になって眠りにつくのだっだ。

佐野元春、娘が中学生の頃、父兄同伴でないとダメとのことで市民会館のコンサートへ一緒に出かけた。全員立ち上がっているので前が見えなかったという苦い記憶がかすかに残っている。

当時佐野元春がどれほどの人気があったのか知る由もないが、そのなかにサムデイもあったはず、それから年月を経て、佐野元春の歌を一つ覚えたいと言うと進められたのが「SOMEDAY」であった。

ぼくのテニスも「サムデイ」「SOMEDAY」と希望はすてないでいる。


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カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 21:21 | コメントをどうぞ