パークドームでの練習

木曜日晴れ

あーちゃんの老人会や歩こう会などの仲間の一人から、自分たちのグループへも参加してくださいと言われていることは聞いていた。隣近所人だし無下に断ってばかりでは失礼だと思って、何時でもいいですよと伝えてもらっていた。

その日が今日だった。体調も峠を越えたようだしジャストタイミング、会場はパークドームで12時から週一回6名前後で楽しんでいるらしい。
今日はぼくを入れて4名、しっかりしたストロークの出来る女性一人、日赤近くの元鉄工所の経営者の人と知らされていた男性、ぼくもあの近くにいたが、まさかと思っていたらその人だったのでびっくりポン、長い年月が流れていた。面影はほとんど変わらず、ぼくの顔を穴のあくほど見つめていたので、ほくがよっぽど変わっていたに違いない。軟式上がりで近くのクラブでレッスンを受けていたというのでまずまずのテニス、ぼくを引っ張りだした人がひどかった。自分が一番下手だと話してはいたが、ラケットを振りまわしすぎて、狙った方向には飛んでこなかった。ペアを変えながら2時間遊んだ。

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土日月火水 病に臥せる

木曜日 晴れ

今日から春めき暖かい日が続くという。

1週間前の金曜日テニスを終えて家に戻ると、小さな咳がコンコンと出始め止まる気配なし。疲労も蓄積しておりいつもの体調異変の前兆なのだ判断。幸い明日は土曜日、休もうと決めて市販の風邪の錠剤を飲んで床に付いた。

土曜日は寒かったので正解だったとテレビ三昧で終日を過ごして錠剤を飲み小康状態、これなら月曜日からOKだと思っていた。
日曜日は燦々と陽光が降り注いで、絶好のテニス日和だった。少しだけ庭に出て垣根の剪定をしたりして時間を過ごした。
錠剤をのみそして早めに床に付いた、がどうしたことか一晩中寝付けなかった。片頭痛のような痛みが走っていた。寝返りを必要に繰り替えして痛みを紛らわし朝を待ったが、時計の針は回らず気が遠くなるほど朝は訪れなかった。

月曜日の朝、よろめきながら階段を下りて行った。ふらふらして足もとがおぼつかない。朝食を済ませると、急いでかかりつけのクリニックへ出向いた。
はやりの流感かもしれないとはなの粘膜から採取して調べてもらったが大丈夫だった。普通の風邪でしょうと、風邪薬一式処方してもらって、ほっとして家路につく。

その薬を2回分飲んで床に付いたがまたも寝られなかった。きりきりと痛みがこめかみあたり刺すようにやってくる。寝返り何度も繰り返して痛みをやわらげよう、忘れようとしたが効果はなくもがいていた。そうだこんな時に痛み止めを使うんだなとやっと思いついた。とんぷくももらっていた。ふらふらしながらベットから起き上がり時計を見ると4時だった。よろよろと手すりをつかまり階下へと降りると薬袋から痛み止めを見つけ出して飲み、またベッドにもぐりこんだ。

その火曜日の朝は、痛み止め効果があったらしく8時過ぎまで寝ていた。あーちゃんが心配して二階へ様子を見に来た。睡眠のおかげか少し気分は良かったが体力は一か月休んだような不安があった。
日曜日の囲碁将棋を見たり、昔のテニスの録画を見たり、第88回アカデミー賞授賞式を見たりして終日過ごす。
風呂に入って床に付くと血のめぐりが良くなっているのか痛みがくるのを遠ざけることができた。痛み止めは枕元に置いて睡眠。

水曜日の朝、普通に睡眠はとれていた気はするが、ふらつきは残っていた。この先を思いめぐらしながら終日家で過ごす。

木曜日朝は普通に近い目覚め。
夕方、あーちゃんから小言を言われながらコートへ出かけて軽く壁打ちしたつもりだが、体が付いて行かず、慌てて家路についた。

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春は名のみの風の寒さや

金曜日晴れ

11時コートへ、ハウスに一人さびしげなM氏を見かけたのでストロークをお願いする。時間の経過とおもに押され出し、力の差が現れ始めていた。

そこでシングルス教えてくださいとお願いすると、普通でいいですかというから、ダンゴでも構いません、思い切りお願いしますとのたまったのは良かったけれど、パワーには手の打ちようがなく、頑張って見たけれど、2ゲーム取るのが精一杯で終わっていた。

この二三日、シングルスの成績果々しからず、残された日々はひと月あまり、焦らず体調管理だけは注意して行こう。

・ATP(男子ツアー) 2016.02.25 第2シードの錦織が2回戦でクエリーにストレートで敗退 [アビエルト・メキシカーノ・テルセル]
・ATP(男子ツアー) 2016.02.26 ジョコビッチが両目の感染症による異常で棄権 [ドバイ・デューティフリー・テニス選手権]

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2013 ウイン マレーVSジョコ 決勝戦録画観賞

木曜日 曇り 晴れ

昼から晴れるらしい。外に出てみると気温低くて少し風もある。コートには日が差しだす昼からにして、久しぶり光の森までチャリをとばして筆ペンのカートリッジと半紙を購入した。戻るとハードにハードデスクに録画している2013年ウインブルドン決勝戦のセカンドから見始めた。

マレーVSジョコビッチ戦でいつものマレーの負けパターンかなと思っていたらマレーがファーストを取りセカンドもものにして3セット目に突入、マレーに勢いを感じていた。はちきれんばかりの大観衆はホームのマレーに大声援の一喜一憂している。マレーが勝利して、長い暗いトンネルをようやく抜け母国に優勝をもたらした試合だと分かってきた。

互いにキープして44まで進んだ。マレーの奇跡的なショットにジョコビッチの凡ミスなどでジョコビッチはサービスを落として54、そしてマレーのサービスフォーチャンピオンシップセットが訪れていた。
マレーはフォーテイラブとスリーマッチポイントを掌中にしていた。奇跡的な瞬間は目前に、大観衆のどよめきざわめき、審判は観衆にプリーズというのかな、観衆を静めてその瞬間を三度待っていたがやって来なかった。

ジュースと審判は告げる。五回ほどジュースを繰り返したかな、マレーのもがき苦しむ悲痛な表情がアップ、ジョコビッチの簡単には渡せないという冷静な表情、すばらしい戦いぶりに観衆は拍手を惜しみなかった。
そして最後はマレーの気力が打ち勝った。55とさせず65でマレーは英国民に念願の優勝をプレゼントしていた。

そして女子の決勝戦ではバルトリ(フランス)がリシツキ(ドイツ)を破って記憶に深く残る優勝を飾っていた。

13時頃コートへ行き7番コートで籠ボールの練習に取り掛かるとB氏が近づいてきた。そしてホーテイにフォートをありますよと言う。それはケース単位で格安のボールがあるということ。あと2ケース残っていたというから、それならもう売れているよねと言うと誰も知らないんじゃないですかねと言うので、急いでボールを拾い集めて
車を走らせた。

迷路のような売場をうろうろするが見つからない。売れたんだろうかと諦めかけていると、目立たないところに2ケース置いてあった。財布には1ケース分しかない、1ケースゲットしてコートへと戻った。
途中、B氏へゲット感謝のケイタイを入れる。

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Ever tried Ever failed.No matter.

水曜日 晴れ 曇り

陽気に誘われ早く出かけると、しばらく休むとメールのあったI氏の車のノーズが駐車場で目についた。あれーと思っていると車から出てきた、軽くストロークならできますと言う。先週もそんな状態でシングルス頑張ったのが良くなかった違いない。で今日はストロークででけで済ませたが、きつそうに見えたし実際そうであった。帰ろうとしたけど女性二人を誘ってダブル1セット楽しむ。

隣2番コートのK氏達もいつもならシングルスををガンガンやっているのに、今日はストロークなどの練習だけで終わっていた。K氏はアキレスけんを痛めていたのでシングルスは止めていたのだ。
それなら僕にもチャンスがあるねと言ったら怪訝な顔のK氏、そしてシングルスをやろうと言うので、チャンス到来と勇んでいた。サービスと動きに自信がなかったはずなのに蓋を開けてみると、昨日のw氏と同じパターンで手も足も出ないでいた。06 26で今日も完敗でがっくり。

x氏がタイミングよく現れた渡りに船、ぼくに自信を付けさせてくれと懇願した。「俺に負けたらどうするんね」と彼は言ったがまさにその通り、ストロークの上手になっている彼とは接戦を最後にもぎ取るというパターンを何度か記憶にある。期待に応えてくれて、いつものように最後に喜ばせてくれた。すこしほっとする。

Ever tried Ever failed.No matter.
(やることなすこと、何もうまくいかなかったとしても、気にすることはない)
Try Again.Fail againn.Fail better.
(またやって、また失敗すればよい。前よりも上手に失敗すればよい)

最後の仕上げのダブルスはsさんと組み男子ダブルスに挑戦するもぼくが足を引っ張りブーイングで敗退。

「今日はシングルス勝つチャンスだよ」Sさんは口を尖らした。「昨日だったか私がかちましたよね。」ふりかえればそうだった。あの時は過去最高の2万4千歩記録していた。言い訳はいくらでもあるが、上記の言葉を胸に秘め行くしかない。

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確定申告

火曜日 雨 曇り

確定申告書、パソコンのデーター入力画面から入力してみると今年は還付ありと出た。昨年も一昨年も若干の納付と出ていたので少額な人は市の市県民税申告書でOKと知りそれでここしばらくは市に申告。

しかし今年は還付あり、それもクラブ会費の1~2か月分に相当するので、久しぶり税務署に行くことにした。
以前はお城近くの古びた合同庁舎。知らぬ間にK駅舎近くに移転していたので、10:30近くの駅からすいかカードを使って電車に乗ると20分で終点K駅へ、ipadのナビを見ながら霧雨の中をさまようと、すぐに見上げるほど高い立派なビルが視野に入った。

それが合同庁舎だった。ピカピカの新築、確定申告場の案内板も分かりやすく誘導されて行った。車の人は駐車場に入りきれず長い帯をつくっていた。

受付番号をもらって2回へ進むとそこはごった返しの人の群れ、受付順番が来たので、自分でパソコンから打ち出してきましたと説明すると、問題なければ直接提出場に行って下さいと言う、2階の入り口で目についた提出場へ歩を進めた。ぼくはかなり分厚い医療領収書等の書類を含めもろもろの書類を自分で作成しましたと述べ、おそるおそる提出した。

係官はテキパキと書類に目を通していたが、熱心にチェックする様子に不安がよぎっていた。うしろには待っている列が長くなっていた。二三指摘された作り直さなければいけないかなと観念していたら、さっさと書類をまとめだし、医療領収書は返してくれて、1週間後にはこの金額をここに振り込みますと言う、うけ付けてくれたのだ。

楽勝だったのでルンルン。霧雨は上がり曇天の空の下駅へもどる、駅付近はすっかり再開発されて、脳裡のイメージは覆されていいた。周辺を散策して帰りの電車を見ると11:50。30分の待合があったので構内でラーメンを食して改札口に戻り時計を見ると11:49分、すいかカードをかかげて改札口を出ると一目散に零番線のホームへと走った。

電車の警笛が鳴った。ぼくは線路の近くを電車に向けて走った。運転手はミラーでぼくが走っているのを確認していれば待つに違いない、「ドアーが閉まります」のアナウンスとともにぼくは電車に飛び乗っていた。

13時過ぎコートへ、ジョコビッチのバック両手打ちからヒントを得て、2.3日前から籠ボールでその練習をしている。w氏が来ていたので後でシングルスをお願いしたが、16 06の完敗、手も足も出なかった。振り切っているフラット気味のバックとフォアに一発で仕留められて、ストロークの打ち合いには及ばなかった。
特徴のあるドイツ製のラケットが合っていると語っていたが、それは論外で彼のストロークになすすべもなかった。あとでミックスダブルス1セット楽しんだ。

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女子プロゴルファー 野村敏京(はるきょう)

日曜日 曇り 晴れ

熊本城マラソン9時スタート、民放テレビはゴールの昼過ぎまで放映するらしく、番組の変更を興奮気味に伝えていた。あまり興味なし。

wowowでオーストラリア女子オープンゴルフの最終日が朝から全日程が放映されるのは朝のニュースで分かっていた。昨日の時点でトップは混戦、その中の一人に野村敏京がいた。インタビューに優勝はしたいけど、一番楽しんだ人が優勝するでしょうとたんたんの答えていた。

昼を回ってテレビをつけると野村は14アンダーでトップに立っていたので、最後まで釘づけになっていた。断トツかと見ているとランク1位のリデアコという選手が13アンダーで追っていた。
アメリカツアーで優勝経験のない野村は終盤逆転の憂き目にあうのだろうとハラドキで見守っていた。白いパンツのボーイッシュな野村、どう見てもかわいいという感じではないが、物おじしない堂々とした戦いぶりだった。

15番で野村がバーデイを取り二打差にしたので何とかしのいでほしいと願っていると、1ホール前を行っていたリデアコは長いパットを決めて当たり前のような顔つきを見せていた。

だが野村は16番そして17番ではロングパットを決めて17アンダーとして安全圏と思えるリードをしたのだ。リデアコは1打落として13アンダーにしていた。

最終18番ホール、冴えわたっていたアイアンが初めてぶれてバンカーへ。無表情に見えた野村にも初優勝のプレッシャーがあったのだ。人間味が感じられてよかった。ボギーとして16アンダーの文句なしの優勝だった。

その瞬間、仲間が駆け寄ってビールか何かを洗礼とばかり駆け寄ると、グリーン場を逃げ回るが最後は観念して立ち止まり頭からどっぷりとかけてもらって、そして抱擁しあってよろこびと祝福の輪がひろがっていた。

宮里藍やさくら等の日本選手にはいい刺激になったはず、今後の活躍を注視しょう。

・リオ五輪代表争いに急浮上!野村敏京の歩み

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カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 23:41 | コメントをどうぞ

十年ひと昔

土曜日雨

久しぶりにまとまった慈雨があった。全国的に荒れた天気になると報道がなされていたが、昼過ぎには雨は止んでその気になればコートは使えそうに思えたが遠慮していた。

夜、北九州の仲間から携帯が鳴る。ぼくと対戦してまた膝が悪くなったといつもの泣き言から始まった。病み上がりでありながらぼくを窮地に追い込んだ。もうやりたくないが九州毎日に申し込んだというから怖い。

四国大会の結果の話やらどこそこの大会に出る予定とかの会話の最後に、Y氏の奥さんが亡くなったとさりげなく言った。初旬に行われた福岡ベテランの会場で奥さんのようすを尋ねて半月もたっていない。入院していると話していた。それから数日後に亡くなったようだ。

福岡ベテランで1勝上げたのがY氏だった。それは2007年9月7日秋大会の1回戦、無我夢中で戦い勝つことが出来てうれしかったのは忘れない。それからもY氏とは何回も対戦して顔見知りのテニス仲間の一人となっていた。ブログを初めて翌日のできごとでした。

それからほぼ10年間、10年ひと昔こりもせずに続けてきたが、これがぼくの人生だったのだろう。

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カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 21:31 | コメントをどうぞ

バイオリズム

木曜日晴れ

昨日は愚痴っぽくなった。バイオリズムが最低でうつ的症状が出ていたのかもしれない。あと45日あまり頑張ってみようと思う。

それで天気も良さそうなので10時にコートへ、籠ボールで練習すること1時間余、Sさんがいつもの手さげ袋を提げて笑顔を添て戸を開いた。いつもクラブ内を取り仕切っていただいている一人だから、たまには耳を貸さなければいけない。彼女も左右両手打ちでバックでのスライスボールが打てないとこぼすので、スライスでの球出しをしたが、こぼす必要は感じられないくらい上手。

レッスンを終えたwさんが昼食をしていたので、さっそく昨日のリベンジを申し入れた。昨日は3セット目だったが、wさんがものすごく上手に見えて仕方なかった。ぼくの調子は普通だと思っていたのにベーグルで負けた時は正直ショックだったが、wさんが上達したのだと拍手を送りたい気持もあったりした。

やっぱり僕が疲労していたのだと今日の結果で理解した。スリーセットを戦う体力がないことが昨日証明されていたことになる。残された日々で体力を付けるのは何をどうすべきかが問題なのだ。

あとでシングルスの取り持つ縁で親しくなった二人さんと久しぶりダブルスを楽しむ。対話と笑顔をもらい、バイオリズム好転に向かったかもしれない。

家に戻ると封書が届いていた。働いていた会社のK県出張所長の名前が目についた。

やはり退職の知らせ、定年退職と書いていなかったので、想像できた。親バカチャンリキで息子を社長にするのはよくある出来事だが、どこかの大会社のように経営のことだろう親子喧嘩、口も利かないと言うから、社員の手前それはまずいと話したことがある。
あの小心者のその後生きざまは、もう関係ないことだけど、生きがいとは幸せとは・・・・・・山のあなたの空遠く幸い住むとひとのいう。
因果応報って深く考えなかったが、あるとぼくは信じるようになっている。

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平々凡々の続き

水曜日曇り

光陰矢のごとし、小学校の時学んで理解できなかったが、意味する年月は経過している。
2007年ごろからJOPに挑戦を始めいつのまにか10年も経過しているのに身震いする思いだ。そのうちその内と思いながら嫌なことを忘れるために打ち込んできたテニスも、そろそろ限界を感じ始めている。

今日も体調が悪いというI氏とのシングルスでオタオタしていた。その後レッスンを終えたwさんとシングルスをお願いしたのはいいが、ダンゴを付けられた。セカンドをお願いしてようやく勝たせてもらったが、肩の調子がよくない彼女に変わってサービスをやり続けたのだから、負けなのである。

65歳代で宮崎の熊谷杯に何度か、雲仙国際テニスにも何度か別府の正月テニスにも挑戦したがシングルス優勝はなくダブルスはK氏と組んでK氏が69歳のときに優勝して喜んでくれた。70歳になった頃K氏と別府でダブルスに優勝、西日本新聞に顔写真付きでで大きく掲載されていたのに驚いた。これを最後に三つ大会から遠ざかっている。

それからはJOPの大会に絞り、四国、山口、大阪、名古屋、関東、松本、山形などに無謀な挑戦を繰り返して今は矢尽き刀折れという心境だ。


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