火曜日
昨日より少しだけ気温は上がっていたが凍れる寒さには違いなかった。
昼前コートへ、籠ボールの練習とwさんとシングルス形式での練習、錦織ではないけど完全に負けていた。試合をしていれば危なかったはず。
月曜日
寒い寒い冷蔵庫の中を思わせる一日だった。
早朝行われていたメンフィス・オープン(アメリカ)シングルス決勝戦の録画を午前中見る。
錦織VSフリッツ。若干18歳のフリッツ(アメリカ)は主催者推薦(WC)で出場していた。第2シードのジョンソンを破って勢いに乗るアメリカ期待のニューウエーブに思えた。身長も十分にありエースを量産するサービスを持ち、ストロークも安定していた。練習では勝ったことがないと圭に言わしめるほどの急成長の若者に対して錦織圭がどんなテニスをするか興味津々で見つめていた。
1ゲーム目の圭のサービスはいきなりブレークされた。若者は最初からトップギアに入っていたのに対して圭は動きもぎこちなくミスを連発していた。03 13 33と徐々に調子を取り戻し後半ワンブレークすると64で圭が取る。
セカンドは互いにキープして進んだ。若者は昨年全米ジュニアーのチャンピオンとなって頭角を現しているらしく、簡単に圭の軍門に下る気配を感じなかったが、ワンブレークされてから圭の余裕のプレーに脱帽の気配を感じ始めた。53で相手のサービスのブレークチャンスを3度あったが必死の抵抗に遭い54。圭のサービスフォーセットを迎えた。力を抜いたコントロールサービスで労せずウイニングショットはフォアーのエアーケイで恰好よく締め切った。
64 64で危なげなく勝利することができた。そして四連覇を達成した瞬間でもあった。
日曜日
運動公園は終日曇り、薄ら寒く霧雨も時折舞い日が高くなるにつれて寒さを増していた。
男子73名女子31名の104名参加というから、すごいと思った。松Aは14名の満杯でいつものつわものと、新参のつわものがいる。レベルは回を重ねるごとに上がっているので、ビールゲットは手の届かぬ存在と諦め気分になっていた。
諦めかけていたところに、ゲットのチャンスは訪れていた。
1試合目、ペアの小柄なMさんがねばり強く、ぼくの思い切りのいいショットもタイムリーに決まり、パートナーのサービス2回落としたが62で初戦をものにする。初戦の勝敗は一日の気分に大きく反映する。1勝できたことでM氏と喜びを分かち合った。
2試合目は4勝の一人であったA氏とのペアー。41とリードしておきながらぼくの2回のサービスを落して44と追いつかれ55で勝敗を決めるぼくサービスゲームとなっていた。自信がなかった。相手の一人は軟式あがりで強烈なスピンのフォアーを武器としていてそれにやられていた。強い向かい風が吹いていた、意識して相手のバックサイトにスライスのサービスを浅く入れた。フォアーをに回り込んでスピンをかけたが、 微妙にバックアウト、相手を惑わせながら何とかキープして65で勝つ。このペアが最後まで優勝に絡むとは思いもしなかった。
3試合目、今回の相手の一人も軟式テニスの強烈なショットももっていたが、単発に終わり、パートナーのN氏の老獪なテクニックで何とか63で勝利した。
4試合目。始まる前に1試合目に組んだM氏が4勝目をかけて戦っていた。そこで41とリードしたので今日はM氏にチャンス到来の日かと拍手を送っていた。相手の一人は2試合目に組んだA氏彼も4勝目がかかっていたのだった。賞金でもかかっているのではと思わせるような必死の戦いが繰り広げられた。自力にまさると思えしAペアーはそこから44 55そして激戦を征して65でA氏4勝。ぼくの結果待ちとなっていた。
やすやすと勝たせてもらえる相手ではなかった。サービスもよくなかったし、何とかしのいでの3勝であったから、優勝できたのは無欲の勝利といえるだろう。パートナは無口であったが、ぼくの4勝目がかかっていることを察していたはず、ほんとうに頑張ってくれたのでぼくもそれに引っ張られて何とかしのいでいた。51でぼくのサービスアンドマッチが訪れていた。ラブ30とまたもあやうくなりかけた。そこで練習していたフラットサービスを一か八か入れると、うまくヒットして効果てきめんで苦境を乗り切ることが出来、まさかの61での勝利に優勝を確信していた。
土曜日
朝から雨でテニスはお休み。sさん出場の県室内テニスがパークドームで行われているので昼近く出かけた。
ドームの中に入るとkさんと鉢合わせ、彼女も彼女のテニスが気になって出てきたらしい。裏口から入ると正面の奥の左端のコートにTさんを彼女が見つけた。人気があるのだ同じクラブの仲間数名が観覧席に陣取っていた。
今日は12面のコートを貸切一般男女、男子60歳、女子40歳が行われていた。Tさんは40歳代に出場、5名エントリー総当たりで4試合も楽しめるようになっていた。
まだ日の浅い彼女にしては経験を積むに絶好の機会のようにも思えたが、残り4人は経験豊かなつわものと耳にしていた。どこまで通用するのか、そこに挑戦しようとする勇気には感服するものがあった。ぼくだったら二の足を踏んでいたに違いない、それをいうならぼくもなにがしかの年代に出場していなければいけなかったと後で後悔した。
1試合目が始まっていた。相手は福岡の大会でも名前を見かける選手、ストローカーではなかったし、サービスもそこそこ、しかしスライスやショートクロスで相手の弱点を攻めていた。フォアー得意なtさんは小細工には不慣れで、初戦の緊張感もあったかもしれない、終わって戻って来たので尋ねると指で丸を作った。
2試合目はコートにも雰囲気にも慣れたのか、得意のフォアーにエンジンがかかり、相手を追いつめるシーンもたびたび見られ序盤で2ゲームを取っていた。シングルスのテクニックにおいての差は歴然としていたが、彼女のサービスとストロークは引けを取らず堂々と渡り合っていたと思う。
3試合目、4試合目は同じく16だったが内容はそれ以上のもので挑戦する姿には必死さがあった。シングルスはボクシングと同じだと思う。打たれても打たれても4試合最後まで戦い抜いた彼女は輝いて見えたし、晴れやかに見えた。
「続けるの」と尋ねると笑みを浮かべうなずいた。
木曜日 建国記念日
ホームコートではミックスダブルスの大会が行われている。終日家で過ごした。
男子テニスツアーメンフィス・オープン(アメリカ)シングルス2回戦が行われ、初戦の第1シード錦織圭は同124位のR・ハリソン(アメリカ)を62 75のストレートで下し、ベスト8進出を果たした。
水曜日
テニスの準備をしているとケイタイが鳴る。国立病院からですと女性の声、まるまるさんですねと念を押す、国立にはこのごろ縁はないのになぜだろうと一瞬戸惑っていると、電話を繋ぎます、I氏の声で納得、今日は中止ですねと言って電話を切る。折り返しメールが入る。3人で練習していますので良かったら来ませんかとN婦人。
返信はせずに準備をすませてコートへ車を走らせ、久しぶりハードな練習に参加させてもらった。
昼も久しぶりに焼肉店へ、乗せてもらって3人で出かける。つもる会話に時間は打ち過ぎていった。
コートへと戻って2時過ぎに来るというSさんを待ってシングルスの練習、シングルスを教えるのは難しい。ゲームをしながら考えてもらうのがベターだと思ってやっている。セット11でタイブレークはぼくの勝ち。土曜日は頑張って下さい。いや、楽しんでください。
帰りの車に乗りエンジンをかけるとカーナビのようすがおかしい。CDに合わせると佐野元春サムデイが流れてきた。
カーナビも久しぶりに眠りから覚めていた。
・・・・・・・・・・・・・
「手おくれ」と言われても口笛で答えていた・・・・・・・・・・
いつかは誰でも愛のなどが解けて・・・・・・・・・
こんな気持ちに揺れてしまうのは君のせいかもしれないんだぜ
・・・・・・
15年は過ぎた古ナビは2年ほど前突然プログラム更新中という画面になってもとには修復しなかった、が、ときどき深い眠りから覚めたように機能を部分的に回復したりして喜ばせたが、エンジンをきるとそれまで、また更新中の画面になって眠りにつくのだっだ。
佐野元春、娘が中学生の頃、父兄同伴でないとダメとのことで市民会館のコンサートへ一緒に出かけた。全員立ち上がっているので前が見えなかったという苦い記憶がかすかに残っている。
当時佐野元春がどれほどの人気があったのか知る由もないが、そのなかにサムデイもあったはず、それから年月を経て、佐野元春の歌を一つ覚えたいと言うと進められたのが「SOMEDAY」であった。
ぼくのテニスも「サムデイ」「SOMEDAY」と希望はすてないでいる。
月曜日
敗戦したときのプロのコメント、落ち込む表情は見せず驚くほどの前向きなコメントに、そんなに簡単に立ち直れぬと怪訝な思いで見ていたときもあったが、立ち直るためにはそうでも言わなければ次のステップへ進めないのだと理解できるようになった。
ぼくもこの敗戦の教訓を4月の九州毎日テニス選手権へ生かさなければと思う。勝てば天狗になり負ければ打ちひしがれるぼくがいた。
今日のレッスンは断らなければと真剣に考えていたがとりこし苦労もいいところ、肩を落として昼ごろ出かけた。こっそり裏口に回ったつもりだったがそこにはぼくのブログを見ている仲間がいた。ぼくの顔を見ると同情の表情で小さな声で慰め励ましてくれた。
レッスンが終わって今週末シングルスの大会に出るというSさんの練習に付き合う。向上心が強くめきめきと上手になっているようすが窺えて楽しみがある。ぼくのドロップショットに泣いていたが、今日の練習ではもう対処する場面が多くなってタジタジさせられた。
甘いボールには一発で仕留める威力あるフォアーを持っている。試合経験の少ない彼女に多くは期待できないが(怒られるかもしれない)、いろんな選手と対戦して自分の長所と短所が判明されて、そこで引くのか進むのかは彼女次第だ。
金曜日まで頑張りましょう。
日曜日
NB10時30分の時は7時半のバスてOK分とわかったが、縁を担いで同じバスにする。
遠く福岡の空だけ薄暗い灰色になっている。PM2,5が福岡に舞い降りているのかと目を凝らす。前を見るとワイパーが動いていた。雨が降っていると思ったらそれは雪だった。それもぼた雪で福岡空港に着く頃は小雨に代わっていた。
博多の森ではミゾレが降っていた。試合は待機中で11時にオーダーを出すと受付に貼り紙。クラブハウスで待機していると雨は止んで11時には出来そうな気配がして、11時過ぎには試合が始まった。
ファーストは61でとるもセカンドは接戦となってしまった。65だったか、マッチポイント二回あったがタイブレーク持ち込まれて、06から56まで挽回したが57で落とす。
ファイルは10ポイントのスーパータイブレーク、ここでも先行を許し68から88と並びマッチポイントもあった気がするが1010から2ポイント失い敗退してしまった。
セカンドどういう分けか、攻めきれてなかった。相手に付き合ってしまった気がしている。(携帯より)
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土曜日
昨日と同じパターンで福岡空港バス停に8時40分に着くと道を隔てたビルの屋上の大きな温度表示には5度、帰りの13時50分のバス停で見た温度も5度、今日は終日冷蔵庫の中での一日だったのだ。
博多の森のテニスコートの一番から九番コートは123-456-789と3コートづつ山を削ったように作られている。今日は7番コート9時半ごろ様子を見に行く。何せ冷蔵庫の中、足踏みをしたり軽いランニングを試みるも体は反応を示さない。昨日の続きの足に来なければいいがとそれが一番の心配だった。
10時過ぎにはコートに入ることができた。相手は北九州トーナメントで対戦した人だと仲間が教えてくれたが記憶力乏しいぼくは情けないくらいほとんど覚えていない。
今日もダメかなと思うくらい上手な相手だった。バックハンドは両手でぼく以上にスピンをかけ、フォアーは強打ではないがアマイボールには逆クロスにスピンをかけたボールで仕留められていた。結構いやなところをついてきた。
弱点はサービス、ぼくは前づめして攻撃を仕掛けた。それがぼくの勝因だったと思う。
ファーストは62だったが、スコア以上に内容は接近していたはず、セカンドは63、セカンドの出だし相手がギアを上げたらしく02となってひやりとさせられたが22と平衡カウントになりほっとするが23と相手はキープ、33となってその頃からぼくのサービスがやっとよくなり容易にキープが出来て相手のサービスに集中出来るようになっていった。
62 63でなんとか勝利することができた。所要時間2時間だから、ちょっとしたことから流れが変わる可能性はあったと思うとドキッとする。ぼくのボールを拾えずぼくの勝利の瞬間には本当にうれしかった。固い握手を交わし、北九州では完敗でしたみたいなことを述べた。自分には決め球がないとも言った。ぼくにとっては必死の厳しい試合でした。
金曜日
7時9分発博多空港行き高速バスへ定刻乗車。早朝はまだ薄暗い、そして寒いと起きてからようやく気づいた。 寒がりは下四枚上に六枚着込んでいた。
バスは順調に8時40分空港着、50分の博多の森行きバスは用足しの為9時10分に乗ると20分には博多の森バス停、1試合目の9時半には無理のようだ。受付してクラブハウスで一息入れていると9時半からの1試合がはじまっていた。ぼくは第二試合のNB10時だ。
9時半過ぎに対戦相手のT氏が向こうからやって来た。クラブハウスの玄関に出迎えると、例の泣き言がはじまっていた。たが今回は本当に思えた。風邪ひいて熱が出てのどがイガイガしてデホしようかと思っが、あんただから無理して出て来たと言うのだ。ティシュ箱取り出して鼻を何度もかむ。確かに顔色は元気がなかった。
先のことを考えれば無理をしなければいいのにとぼくは真剣に心配していた。たが彼がいない時、奥さんが気になる言葉をささやいたが、まさかと聞き流した。
しかし試合がはじまって暫くすると奥さんの言葉が現実を帯、病み上がりの彼に脅威感じ始めていた。
彼の体調を探るべきスタートとしてたやすく30となってサービス、キープすれば40、ベーグルでと思いきや簡単にブレークされた。彼のフォアーの強打が炸裂しだした。あっという間33に追い付かれていた。電話ぐちでは泣き言ばかり言っていたが上手になってミスもなくなっていた。(ここまでは携帯より)
44 54 64とようやくファーストをものにはしたが、内容はいただけなかった。彼とのフォアーの打ち合いは到底勝てず、ドロップを多発して成功させ、スライスで相手のリズムを崩したりしてようやくようやく取ることができた。
セカンドもまともに打ち合っては勝てないので、小細工で相手を崩して51まで行ったが、それから2ゲームを例のパワーで押し切られ53。嫌な予感はしたが相手のサービスを何とかしのいでようやくブレーク63でとり勝利することができた。
病み上がりの人にこれほど苦戦するとは、ぼくの足は限界に来ていたし時計を見ると12時半、試合は丁度10時に始まったので2時間半近く戦っていたのだ。セカンドで二時間半とは接戦を物語っている。
残念ながら勝負に勝ってテニスでは負けていた。反省反省。