ささやかなイブ

火曜日、穏やかな冬の日曇り  クリスマスイブという。
体調いまだはかばかしくあらず。朝いちばん近くの掛りつけの医院へ出かけた。やはり汗をかいて着替えなかったのがまづかったようだ。午後のレッスンもキャンセルを入れた。軽くやろうかなと思ってもみたが気力がなかった。
パソコンに向かって年賀状の案を考える。年賀状はへらし続けているが喪中の案内が9枚もあり50枚を大きく下回った。やれやれ。夕餉は孫娘たちとささやかなクリスマスイブとなった。

マイブログアーカイブ2007.12.24(三日ぶりコートへ)









カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 20:25 | 2件のコメント

戦争の傷跡は遥かかなた消え去ってゆく

月曜日、晴れ 天皇誕生日
天皇陛下は傘寿の祝でテレビで会見をしているのかと思ったら、今日の休みが天皇誕生日だった。80年の中で一番印象にあるには先の戦争だと「夢を持って生きていた多くの人々が若くして命を失ったことを思うと本当に痛ましい限りです」と述べられた。12月に三菱A6M 零式艦上戦闘機(ゼロ戦)のテレビ番組をあらためて2本見る機会があった。痛ましさを通り越すできごとだらけ、同じようなことが陸軍、海軍でも行われ、最後には無謀いうべきゼロ戦の体当たり作戦になって4000名が海原に散ったのだ。若くて正義感に満ち満ちていた若者たちであった。彼らの生き残りはよわい90歳代、語り部として口から出る言葉にはむなしくさびしくうつろいでいた。

クラブはミックスダブルスのイベントで結果的によかった。ぼくの体調は回復せず、回復を期待しての一日を過ごしたが腰痛もひどくなっている。あの時シングルスを2セット終えてシャッを着替えなかったのが頭をよぎっていた。朝いちばん近くのユニクロに出かけてウルトラライトダウンベストを購入、東バイパスへガソリン入れて洗車して、帰り道ダブルスの試合が行われているクラブへ立ち寄ってみた。ほとんど見知らぬ若者がメインで、若いとおぼしき女性とのミックスを楽しんでいるように見えた。
マイブログアーカイブ2007.12.23(孫孫のふれあい)









カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 21:57 | コメントをどうぞ

高校駅伝とフィギュア全日本

日曜日、晴れ
夜M氏よりケイタイあり。明朝9時からダブルの誘いだった。ひさしぶりの誘いに応えたいとしたが、喉の様子がおかしくなっていた。いつもの風邪の前兆なのだ。これを無理をして長引かせたことが何度あることを思い出し、断ることのした。
今朝目を覚ますと喉がらがらで声もまともでなかった。終日テレビを見ながら過ごす。午後の男子高校駅伝は白熱の戦いで目が離せなかった。女子と異なり楽しませてくれた。最後は4校の争いで、勝敗は競技場まで持ち越された。
その中にかっての名門、九州勢の大牟田がいた。大牟田のアンカーは1年生、競技場での勝負には自信をのぞかせていたので期待したが、ゴール直前山梨学院大付属スパートについていこうとしたが最後には力尽き2位に終わった。

全日本男女のスケート選手権は、それぞれに興味を抱かせてくれた。女子のショートプログラム、浅田真央は相変わらずの安定で1位、久しぶりの 安藤美姫、 そして村上佳菜子 は自分の演技に満足の涙、 鈴木明子 も完璧で2位につけ、それぞれ自分の力を出していた。
男子フリーは高橋大輔、怪我の影響か不調で5位に終わり涙にくれる。先日、福岡の大会でのショートで出遅れ歯ぎしりしていた福岡出身の町田樹は会心の演技で2位となってオリンピックを引きよせた。
マイブログアーカイブ20071222(今日の天気は)







カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 23:32 | コメントをどうぞ

西岡良仁選手の活躍

土曜日、曇り 寒い。寒波日本列島を襲う。
今日もコートへ行くと壁打ちにまっしぐら、スイングをいじくってまたおかしくなっている。近くに来ていたSI氏がぼくがシングルスを断るとこぼす。レベルとラベルの違う人とはちょつとと言葉を濁していたが、ダブルスをワンセットして、6番コートが空いていたので、シングルスをお願いしますと言った。
フォアーがめっぽー強い。あまかったり、浅かったりすると得意のフォアーで一発で決められる。36 16とやはりレベルが違う。できるだけサービスアンドボレーを試みたのもスコアーに表れていた。
しばらくして壁打ちをしていた上手そうな人とストロークを20分、上手な人で練習になった。おばさんたちとダブルスワンセット敗退して帰途についた。

地球の裏側、ITFフューチャーズのチリ大会で西岡良仁選手が活躍している。全日本決勝戦で伊藤竜馬選手と戦って敗れたとはいえ、日本選手権覇者二人を破っての決勝進出で注目を集めた。彼らがくずくずしていると錦織についでの二番手に名乗りを上げるかもしれない。
2007.12/21(賀状の案を)







カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 20:50 | コメントをどうぞ

寒くなる

金曜日、曇り 寒い。
正月用ヘヤ―カットしてもらいに二人で福岡へ行く。
帰り宝の湯で温まって帰る。

マイブログ2007.12.20(二三日)

(ホームコートでの仲間のテニス)






カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 22:28 | コメントをどうぞ

晩節を汚すな

木曜日、寒そう。曇り
あーちゃん嬉野方面の日帰り旅行。コート近くのこってりラーメン店、キムチ食べ放題にも魅かれて元気づけに時々出かけていた。そこのカウンターで何かの応募に書き込んだ記憶をたどったのは、あーちゃんだけに当たっている葉書が届いていたときだった。それがバス2台での嬉野ツアー。

曇天の寒空だったが昼過ぎコートへ。今日は寒さのせいか少ない。バックの両手打ちを重点に壁打ち、それからシングルスワンセットしてそそくさと帰途についた。

PCで探した一つ、晩節を汚す「それまでの人生で高い評価を得てきたにも関わらず、後にそれまでの評価を覆すような振る舞いをし、名誉を失うこと。」
二人だけの話し合いで「晩節を汚すな」といったというが、そこには第三者は入れてないはず、誰かが知ったかぶりをしてマスコミに流したとしか思えない。当たらずしも遠からずだが、石原氏も見る目がなかったことになる。すべて潤沢に引きついだと言っていたにも関わらづこのていたらく。見苦しい、幼稚な言いは耳をふさぎたくなった。副知事を続けておきながら政治家として素人だったとか、選挙を目の前にして、親切な人だなと思って個人的に借用したとか、やましい金と思わなければ貸金庫でなく預金するはず。都知事たる者の人格に情けなくなっていた。もっとはやく素直にかっこよくやめていれば、晩節を汚すなとまで言われなかったかもしれない。
ブログアーカイブ2007.12.19(腰を痛める)







カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 22:53 | コメントをどうぞ

twitterとは

火曜日、雨 のち曇り
朝から冷たい雨が窓を濡らしていた。外へ出てみると結構な雨脚に風もあり寒かった。10時からの約束は無理だとわかったのでパソコンに向かう。ブログとtwitterの設定を昨日からやっているが、老いのせいかなかなかうまくいかない。そのためにはtwitterに入らなければならないことが判明。アカウントが必要だという。アカウントってなに? わからないことだらけ。

『Twitter(ツイッター)は、140文字以内の「ツイート」と称される短文を投稿できる情報サービス[1]で、ツイッター社によって提供されている。「ミニブログ」[3][4] 「マイクロブログ」[5]といったカテゴリーに分類される。
サービス名の「twitter」は英語で「さえずり・興奮」「無駄話」、または「なじる人・嘲る人」の意味である[6]。ツイッターでの発言を指す「tweet」は「鳥のさえずり」の意味で、日本では「つぶやき」と意訳され定着している。』 ウィキペディアより
最初のツイートは「登録やっとおわる」、少し勉強してみよう。
ブログアーカイブ6年前2007年12月18日(ブログを始めた年)







カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 21:40 | コメントをどうぞ

ゼロ戦燃ゆ

火曜日、雨 、終日。
ホームコートは屋内コート3面レッスン用として用意している。詳しくは分からないがしばらく前に雨漏りを意識的に作為したため、少し強い雨が降るとコート半分には雨漏りが発生して中止となる。今日の度合いではOKだと判断して昼からのレッスンに出かけてみたが、クラブハウスにはコーチが一人ガットマシーンの前に立っているだけで、誰一人見出すことができなかった。誰もいない屋内コートへ足を運んでみた。出来そうな雨粒だったが中止と発表したのだからいたしがたないと、コートを後にして久しぶり近くの図書館に車を走らせてみた。

やはり時々くるべきだと館内を一周しておもった。新しい情報や知識教養を吸収できる場所なのだ。

BSで録画していた「零戦燃ゆ」を見る。地元の新聞にもよわい90代の人たちの戦争体験記が連載されているが、それぞれの体験談が胸を打つ。それと照らせ合わせて見ていると、戦争の非情残酷さをあらためて思い起こした。

終戦の年は幼稚園だった。祖父母の田舎に帰り2反ばかりの畑のすみにあばら家を建て、畑の作物と母の父からの見よう見まねの写真でのときどきの現金収入、激貧の生活で近くの小学校へ入学したが、ランドセルなんて空想にもできなかった。もらった優良可とゴム印の押された通信簿は黒っぽいチリシのようなものだった。今取り出すと虫くい状態になっており、ふれるのもこわい。雪が降ると長靴を履いている生徒がうらやましくて仕方なかった。
あれを履いて雪の中を思い切り走ってみたいと・・・。





カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 22:33 | コメントをどうぞ

熊壮会 年齢別でのてん末

月曜日、曇り 晴れ
今年最後の定期大会が運動公園で行われた。銀杏並木はすかっり裸となり冬を迎えんとしていた。
参加者男性73名、女性24名の97名。
年齢別に男子6パート女子2パートに分かれて年一回の年齢別はスタートした。70歳代のぼくたち12名はAコートの3番コートをメインにしての戦いがはじまった。

加齢のせいで今年は賞品ビールゲットの記憶はない。3位までの記憶はあるが3位から賞品出るようになると、3位の座を得ることもできない。年齢別70歳以上では可能性は高いと意気込んで運動公園に車を走らせていた。

初戦61 まずまず。2試合目はまさかのやばい相手に遭遇していた。その通りに13とリードを許してあきらめかけたが、初めて組んだパートナーが力を出しはじめた。失礼ながら軽んじていたのだ。33と追いつきぼくのサービス、キープすれば流れはこちらにくるのに、簡単に落としてヤバくなっていたがパートナーの活躍で64と逆転勝利。この勝利で1位の座はグーンと近づいたと正直思った。3試合目のパートナーとの勝利は間違いないと踏んでいたからだ。そしてその通り60でものにする。

この時点で3勝0敗、まちがっも3位までいや優勝だと、仲間の勝敗は考えもせずに、自分の皮算用だけしていたのだ。最後の4試合目はパートナーもそこそこだと思っていたが、相手のペアーに警戒心が芽生えていた。
一人は初戦61でのパートナー。大きなテニスでチャンスには一発でのショットを持つ。一人は2試合目に頑張ってもらったパートナーだった。

いきなり相手のサービスをキープして01。だがぼくのサービスを落として11。
あとは相手の攻撃にさらされて、もがけばもがくほどアリジゴクのさまだった。食い下がるも1ゲームも取れなかった。16での完敗。ぼくの2回のサービスをキープできていれば負けても2位につけていたのだと、最後の集計で判明していた。だがぼくは力を出し切っていたし、相手を認めざるを得なかった。26で3位、36で2位というきわどい勝負をしていたのだが。対戦相手の、初戦のパートナーが4勝0敗でウイナー、対戦相手の2試合目のパートナーが3位となっていた。出たのはため息だけ。この経験を次回につなげようと、前向きな人はコメントするんだよね。

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カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 21:07 | コメントをどうぞ

師走も折り返し点

日曜日、晴れ
程よい寒さの日々、コートでたまらない寒さにはまだ出くわしていない。昨年の皇帝ダリアは初旬にしおれたが今年はまだ大丈夫。

北では血の粛清が行われたらしが、にわかには信じられない。見方によっては、近代化から取り残され奇しくも生き残った貴重な国のできごと、そんなことがどこの国でも平然と行われていた時代があったことを思いだす。それにしても島国の日本はおんぶにだっこで泰平の夢をむさぼっているようにおもえる。
うちわももめしてずたずたの「みんなの党」は「僕の党」と改名したほうがよさそうだし、自民党はたかみの見物で、一党独裁のにおいがプンプンとしてきた。それにしても長たる者出所進退、さすがだと思わせるように最後はやってほしいと願う。inosesann.

さて。、今日はダブルス2セットと壁打ちで2時間ほどしてコートを後にした。壁打ち練習でバックの両手打ちを何とかしたい。



カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 22:31 | コメントをどうぞ