パークドームで応援

月曜日 曇り小雨。

パークドームでシニア連盟の九州各県対抗戦、団体戦が行われ、佐賀の親父さんが出るというので、応援に出かける。グラスコートベテラン大会では単複とも応援に来てくれていたのだ。北九州トーナメントで戦った選手も北九州市代表で参加しており、県外の顔なじみの方と会話を楽しんだ。

http://youtu.be/zrGVoG49c3I

 

 

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 21:13 | 2件のコメント

三度目の正直 八代オープンテニス

日曜日、曇り。少し小雨あり。あーちゃんの宇佐神宮行きバス旅行を近くまで送って、8時半八代スポーツコミュニティ広場へナビの案内で出発した。11時集合とケイタイがあったので1時間前到着と予想していたが、30分早く着き、待つこと待つこと、なんと13時大きく過ぎてコートに入るはめとなった。

ベテラン50歳以上は6名のエントリーで3名ずつ二つのパートに別れてパートの1位同士での決勝戦。 ぼくは過去2回この大会に参加した。2007.10.21のときは3位で、翌2008.10.5の折は決勝で敗れたほろ苦い思い出がる。

来週から始まる全日本ベテランがだめになったとき、急きょこの大会に申し込んだ。あれから5年が経過している。としふり体力はまさったとは思わないが、テニスは上手になっているかもと、それを確かめることにした。

ぼくの初戦は1試合目を61で勝利していた66歳の佐賀の選手。ぼくは最初負けた人かと勘違いしていた。なにせ佐賀の対戦相手の選手はミスはあるものの、52歳の若さがプレーに現れかっこよくガンガンと決めていたからだ。負けた人にしては球がいきているなあと不安がやどっていた。あの二人は強かったのだ。

1ゲーム目の相手のサービス、ジュースノーアドをネットインでブレーク。キープして20。キープを許して21 31 41 51 52 62で勝利はしたが、大事なノーアド2本にネットイン等の運があり、大事な場面でぼくに女神が輝いていた。

2試合目の相手は52歳という、ナダルのイメージでやっているという、チャンボールはジャンピングショットで一発で決める。序盤にワンブレークして後は互いにサービスキープであったが気持ちの上では思い切りのショットに不安を感じていた。何度一発で仕留められたことか、ぼくが62で勝利した佐賀の選手が61でやっつけたのが信じられなかった。相性だけでは済まないものを感じていた。43でぼくのサービスをブレークされ44。やっぱりきたのだ。ナイスショットもある反面、イージミスに助けられて何とか接戦に見えた。勝を意識したのか相手はミスを多発して54とブレークしてぼくのサービングマッチ、必死で頑張り物にして64で勝利したが、逆転されてもおかしくなかった。

決勝は2008年の決勝戦で負けていたTOK氏、ぼくからのサービスで10 11ブレークして21 31くらいまでおぼえている。相手がいつものように粘ってきだした。攻撃しないと5年前の再現となる。バックを攻めて前に出るとスライス気味のボールでストレートを何度も抜かれてヤバイ時間帯もあったが、52から53となってぼくのサービスを必死でキープして63で勝利した。リベンジを果たした。もうこの会場に足を運ぶことはないだろうと思った。

 

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終日喪に服す

土曜日、晴れ。 あーちゃんは朝から歩こう会に出かけて、夕方までひとりだった。今日はコートへ行く気にならなかった。 さだちゃんの急逝の報にはじくじたる思いもあった。今日は夕方の通夜まで家で喪にふくそう。 新聞の報告欄に「都山流尺八演奏会 日時・9月29日13時開演 場所・市男女共同参画センター、主催 日本尺八連盟熊本支部 入場料 無料」をスクラップしてから「日本尺八連盟」のパソコンで調べた。 こんな団体があったとは知らなかった。中尾都山の宗家が牛耳っていると思っていたが、改革開放の波があったのだろうか。

久しぶり一週間ほど前尺八取り出してよく見ると、かすかにひび割れているのに気がついた。あーぼくと同じようによる齢に竹もかなわないのだ。けしていい音色は出してくれなかったけど、尺八はこれ1本しかない。音が少しは悪かろうとたまには吹いて見たい。ぼくはビニールテープで二か所力一杯巻き付けていた。

ぼくはその尺八を取り出して、うん十年前の確か「吾子恋慕」(あこれいぼ)?の薄汚れた譜面を取り出し、さだちゃんを頭に置いて吹いていた。まともな音はでなかった。ひび割れのせいにしたかったが、長いこと手にしてなかったから当然のことだった。でも吹き続けた。親が子を慕うのも、子が親を慕うのも同じだろう。

その内少し音が出だしたが、吹けば吹くほどかすれ出し曲の大事なよくようはなくなっていた。音は満足に出なくてもおかげで暗譜するほどになっていた。

会社に遅刻すまいと電車の前を走って横切り、車と衝突して死んでしまった同好会の会長の愛息。東大卒の入社まもない将来を約束された御曹司だったかもしれない。その会長の思いを察して作られたのが「吾子恋慕」だった。九州では、いや全国区だったかもしれない九州在住で親交のあった筝曲の先生の作曲だった。

 

002-130928家族を見守ってくれて

 

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テニス仲間の訃報

金曜日、晴れ。風穏やかで、陽ざしもまあまあ秋の気配。

HG氏から四五日前メールが届いてよかったら9時からお願いしますとあった。低血圧のぼく、早朝は動きが鈍く苦手なのだが、いたし方なく出かけた。エルボーで左ひじは痛いし腰痛などで満身創痍なのだがテーピングなどで何とか持ちこたえている。いつもは苦戦しているのに、2セット運よく何とか勝たせてもらった、ラッキーといえよう。終わって久しぶり屋内で好敵手と男ダブルスを一つしてシャワーを浴びた。昼は例のラーメン屋でキムチをしこたまバリバリと食べ、それから近くの整体で体を癒す。

横浜のTUCHI氏から「祝優勝」と遅まきながらメールが届いた。自分らも11月から始まるグラスコートベテラン(35歳から55)に出場するとあつた。

訃報あり。さだちゃん(さだこさん)が亡くなったと携帯が鳴ったのでびっくり。聞き間違いかと再確認した。昨日もクラブハウスで姿を見かけた気がしている。体調が悪いらしくテニスも控えめにしていたのは散見していた。大きな病院、日赤なんかで見てもらったらと話したのは2か月なるだろうか。そのつもりでいたようなのでフォローはしていないが、診てもらったのは間違いないはず、それなのに唐突のこの知らせには、もっとやさしい言葉をかけてやっていればと、後悔がのこる。自慢の息子が東京で工藤なんとかという歌手のバックバンドのドラマーでテレビ放送があるときは知らせてくれたりした。旦那とは早く死に別れて、人のいいやさしい人だったと語っていたのを思い出す。今頃は旦那さんと逢っているのだろうか。合掌。

 

 

 

 

 

 

 

 

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田舎での墓参り

水曜日、晴れ。明日からちょっぴり気温が下がるそうだ。

次男が墓参りに行きたいという。8月の盆にその話を持ち出したので、お盆にはお墓はからっぽだから、気候が良くなってからでどうかと、忘れることを期待したのだが、彼岸になると日にちを指定してどうですかと言う、それが今日だった。 みずから墓参りしたいというのは殊勝な心がけで、親としては感心すべきことであろうとじくじたる思いもあった。

周防灘に面した片田舎。車で7時半に出発して墓地に到着すると12時になっていた。父親と息子とは無口なもので、車の中でもしばらく沈黙が続いていがその内息子がいろいろ質問してきた。そういえばぼくのルーツなどはほとんど話していないことにようやく気がついた。厄年になろうとする息子、子供も二人出来てそんなことを考えていたのかもしれない。

ぼくはいつの間にか饒舌になって一生懸命話し出していた。 とりあえず通りすがりにあるぼくの生誕地、むかし石炭とセメントで栄えた町、香春岳のふもとの屋敷跡に案内した。なぜぼくの父親がこんな田舎町で写真館を営んだのか、その父が終戦の年に亡くなり、追い立てられるようにして墓のある田舎に戻り、そこで祖父の持っていた土地の一角に小さな家を建て、2反ほどの畑と、見よう見まねの写真を写して、親子4人生き延びてきたことなど、時間は十分にあったので知る限りを車の中で話していた。

幼児の時何度か連れて行ってはいたが、記憶は朧のようで様変わりした風景と、むかしのたたずまいを残している場所を案内したりして、何軒かの親戚にも訪れた。

帰りは有料道路、高速を最大限に利用したつもりだが3時間かかっていた。

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アスパラ

火曜日、晴れ真夏日。

H氏と9時半から2セット、取れそうなゲームを全て落として、ネットインは相手に有利となり、あがいても流れは変わらなかった。セットカウント02。

13時からレッスン、左ひじのエルボーが痛みテニスはすべてすっきりしない。

両手打ちしているのに原因はなんだろうと首をかしげている。

デポーの帰り、田んぼの中道をチャリで行くとハウスの道際に無人の販売小屋がりアスパラが置いてあった。束ねて100円、3束、かけてあったビニール袋に入れて300円を筒の中に落としこんだ。

パソコンで調べたレピシの一つ。フライパンでゆっくりとアスパラに焦げ目がつく位焼いてから皿に移して、オリーブオイルと塩をかけて食すとビールのつまみにピッタシと思えた。

 

 

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テスト

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送信。

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最初と最後で

月曜日、秋分の日。ホームコートイベントの為出来ず。

昨年、全日本ベテランが終わった時、こんなブログを投稿していた。
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お疲れさまでした。
今、Kさんと反省会をしています。
一年間本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
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昨夜、ぼくが夜行バスで熟睡しているころ、M氏から上記のメールが届いていた。ぼくは夜行バスに飛び乗ってとりあえずM氏に携帯した。「何とか間に合いました。」と伝えると安堵の声が聞こえた。それから二人で遅くまで飲みあかしたらしい。ぼくは昼ごろ気づいて返信した。
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こちらこそ大変お世話になりました。
4月から組んでいただき3試合(大会)に出ただけで
全日本ベテラン出場の栄誉を獲得、感謝しています。
その上待望の一勝を勝ち取り言うことはありません。
ありがとうございました。
来年はシングルスでの出場を目指して頑張ってみます。
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その通りに今年はシングルスでの全日本出場を目指そうと心に決めていた。
九州でしょっぱなにあるDの大会、九州毎日はシングルスのみにエントリーした。
1回戦はダブルスで対戦したことのある広島のT氏に641676(5)と3時間半におよぶ激戦を何とか必死でものにすることが出来た。2回戦はB4まで勝あがった、今年から70の関西のU氏だった。キャリアーは詳しくなかったが、ネットで調べると
コンスタントに上位に顔を出しているのを確認していた。
フォアーが得意らしくバックも確実にスライスでつないできた。
ぼくはついて行けずにミスが多かったに違いない。1636のストレートで敗れていた。シングルスで頑張ろうなんて、毎年70歳のニューフェイスが誕生するのだ。ニューフェイスには上手な人がいそうだし、実際たくさんいた。もう70での全日本ベテランシングルスは手の届かない遠くに思えていた。

6月の九州選手権にはお願いしてまたM氏とダブルにもエントリーしていた。昨年のグラスベテランで得た178P、全日本ベテランの240Pの計418Pは今年の全日本ベテランにまるまる適用されるのだ。どこかのD以上の大会で優勝でもすればダブルスは全日本につながるとお願いした。
九州選手権、シングルス1回戦は新顔の勝てそうな相手に576446で負け、ダブルス、昨年病でぶざまな負け方をしていたが、今年も運がなくファイナルの末、際どく敗退していた。

どじょうを探し求めて中国選手権に出かけたが、ここでは決勝戦でまたも際どく負けて、全日本ベテランの出場は微妙になっていた。

9月初旬に発表された新しいランキングでダブルスは絶望的であることを悟っていた。
そこでグラスコートベテランにその思いをぶっつけようと誓っていたが、それが果たされたのだ。
思い起こせば昨春初めてのダブルスで優勝、M氏はシングルスでも優勝。

そして最後となったグラスコートベテランでも同じ単複優勝で終わった。

 

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ダブルスの足跡(全日本ベテラン)

日曜日、晴れ。昨日どうよう暑い。
今日も昼前にコートへ出かけてダブルス2セット楽しんで昼過ぎ帰途。暑さのせいか空きコート普段より多し。

さて、昨年の全日本ベテラン大会ではダブルスにエントリーすることができた。10月1日、近くの高速バス停から名古屋へ向かう。翌早朝には名古屋駅に到着して東山公園テニスセンターには朝から行われるシングルスに十分間に合う時間に到着できる。

パートナーM氏の1回戦は6362と楽勝する、しかし13時予定のダブルスが始まったのは15時を大きき回っていた。

相手の一人はシングルス1シードの選手で厳しい。胸を借りてみようという気持ちでコートに立った。ところがファースト63で取りもしやと期待するとセカンドは26で簡単にやられた。
やっぱりさすがだと思ったがファイナルを逆に26で取り勝ってしまっていた。ナイターが点灯していた。

『ファイナルで力の差を見せ付けられるのかと、観念していた。ベンチに座ると2コート先の通路を75才の仲間が勝利の証の名札とボールの入った袋を提げて足取りも軽く本部に向かっているのが見えた、勝ったのだ。
ぼくたちには限りなく遠くの出来事に見えたのを思い出す。』(ブログのコメントより)

翌日のM氏のシングルス2回戦はを4646で落として、二人にはダブルス2回戦が残されていた。昨日と同じ時間帯で行われた2回戦、相手は強敵だとM氏がそれとなくつぶやいたのを耳にした。
スマッシュ、サービスと一人は強かったがファーストは接戦で75で運よく取ったという思いだった。セカンドになると相手は一段とギアを上げた感じで、深いボレーに鋭いスマッシュ、サービスと圧倒されて3626と負けてしまった。肝心なところでのぼくのサービスやミスが主な敗因であった。
相手は結局ファイナルで敗れていた。強かったのだ。

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ダブルへの足跡(九州毎日、中国)

土曜日、晴れ、風もなく真夏日に近し。 午前中コートで1時間半、ストロークとワンセットだったが暑さに閉口、近くのラーメン屋で補給して帰る。
さて、初めてのダブルスが昨春の九州毎日選手権だった。シングルスは二回戦でもろくも破れて、まだダブルスが残されているとほっとしたのを覚えている。ダブルスはその日の午後1回戦が行われ614661で勝利、翌日のセミファイナルも6362で勝利して翌々日がファイナルだった。パートナーのM氏はシングルスも勝残っていた。二人のダブルスは6264優勝を飾り、M氏の力を再認識したのだ。そしてM氏は翌日、シングルスでも優勝して単複のファイナリストになっていた。
6月の初旬に行われた九州選手権では1ケ月以上風邪をこじらせて体調は戻らず、シングルスはデフォしダブルスにかけたが半病人では勝てるはずもなかった。初戦敗退。 そこで8月初旬に行われる中国選手権に単複エントリしていた。
体調が完全にもどっていないぼくには、灼熱の炎天下の周南庭球場だった。シングルスの1回戦、セット11で3セット目に入ってリタイヤーした。今にも痙攣の来そうなふくらはぎ、続行しても体力の消耗といつ襲われるかわからない痙攣の恐怖で、ダブルスのことを考えれなくても適切な判断だった。大会関係者がやって来ていろいろ質問したが、勇気ある決断と褒めてくれた。体を木陰で休めていると、けいれん止めの漢方薬を持ってきてくれた人がいたりした。
しばらくしてダブルスの1回戦が始まった。心配していたがファーストは60と取り、楽勝かと思いきやセカンドになると急に体が動かなくなり26と落として流れは変わっていた。ファイナルは10ポイントのスーパータイブレーク。
(ブログより)
『悪い流れを引きずっての10ポイントのタイブレークに突入、ぼくはここでもゆっくりトイレ休憩を取り少しでも回復を期待していた。 タイブレークは接戦ながら相手優位に進行、66でのぼくの二つミスで68。決めようとしてコントトールができなかった。足がよろけていたに違いない。致命傷に思えた。いろんなことがよぎっていたが、しかしM氏の頑張リで持ち直した。88 98。 だがマッチポイントをぼくがまたミスり99。しかし、そこから 10 9 11 9まさに薄氷を踏む勝利が待っていた。シングルスのリタイアがむくわれたのだ。』(ブログより)
2回戦は1シードを6276(4)で破り、ファイナルでは76(4)62で破り優勝することが出来た。M氏ダブルスB4。
九州毎日と中国選手権の優勝で全日本ベテランのダブルスへ駒を進めることが出来たのだ。もちろんM氏はシングルスでも。
カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 22:54 | コメントをどうぞ