コートへ ハンブルグop500ウイナーバシラシビリ

月曜日曇り 晴れ

今日は朝からコートへ出かける、まだ少しタンが出ていたが1時間ほどで体の様子を見ようとというつもりでいた。雲が厚く太陽が雲に隠れるときもあったりでのまずまずの陽気で影での壁打ち少しと右手でのサービスの練習しばらく、日がさすと厳しく感じたが、休憩を入れたりしていると、O氏がやって来た。屋内を借りています、ワンセットやりますかというので、お願いする。

何とか耐えて終えることが出来た。もう限界だなと判断してシャワー室へ行くと12時、体は何とか大丈夫そうだった。

昨夜、テレビの番組をチェックしているとBS朝日で深夜のテニス。「ハンブルグOP 決勝戦」とあった。録画をセットして朝見ることにした。ルブレフ(ロシア)VSバシラシビリ(ジョージア)、この大会は調べると500でトップ3人を除く知名度のある選手が出ていた。チーム、ズベレフ、フォーニイニ等。そして決勝の舞台に立っていた二人、ルブレフ49位はチームを、バシラシビリ16位はズベレフを破っての決勝戦だった。

ルブレフはロシア若手の期待の一人と知っていた。バシラシビリはどこかの大会の決勝戦で、デルポトロと対戦していた。デルポトロの圧勝かと見ていると、強打のデルポトロに対して強打で打ち勝ったのには正直驚いた。ぼくの知らないこんな選手がまだいるのだと。

この試合も強打の打ち合い、ファイナルでサービスのまさっていたバシラシビリが勝利した。バシラシビリは2連覇だという。この大会で2連覇していたのはフェデラーだけだという。

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一人二人と落葉のように欠けて逝く

日曜日 晴れ

急に酷暑となるから玄関から外に出ただけで、たまらぬ暑さに急いで家の中へと戻り冷房の涼しさの有難味を感じる日々が続いている。

小学校の同級会の世話役から訃報のはがきが届いていた。何年か前、関西在住の同級生が体調を崩して調べてもらうとがんと分かり、心情とかを綴った内奥の手紙が世話役の処に届いていた。

昨年5月に同級会が行われたときは、北九州選手権と重なって欠席の通知を出していた。日程がずれて急きょ参加したことで、ぼく以上の遠路から参加していた彼に会うことが出来ていた。痩せてもいず元気そうだったので、治療がうまくいっているのだと思っていた。一人二人と落葉のように欠けて逝く。

鬼籍に入るということは、閻魔大王(えんま)が持っている戸籍台帳。

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デジカメのデーター整理 宮之浦岳

土曜日 晴れ

日本列島にはいろんなものが飛び交っている。豪雨が収まるかと思えば台風接近の風雨で右往左往、北朝鮮がミサイル発射で右往左往、韓国との意地の張合いで右往左往、しているように思える。

ぼくは暑さから身を守るために家に閉じこもる。あの炎天下でこれでもかとやっていたのが信じられないくらいに。コートへ出かけるのを日一日と伸ばしていいる。病後のタンは時々出てまだ完治していないと言っているようだ。左の肩はガタガタ、右でと思っていたが携帯の腱鞘炎で親指がままならないのだ。今はもう、すっかり諦めの気分になってパソコンをいじる日々が続いている。

2000年くらいから撮りためているカメラのデーターを昔はMOやフロッピー、その後はハードデスクに蓄積していのを、パソコンに落と込んだりして整理しょうと試みているが、どうしたものかとなかなかうまくいかない。テニス仲間でデーターの多い人にはCDに落とし込んで何人か渡した。接する機会が遠のいて今年大学に行った孫娘には、景品でもらったUSBメモリー32GBに生誕から今日までの膨大なデーターの落とし込みが何とか終わった。秋には会えそうなので渡そうと思う。走馬灯のようにめぐる過去の出来事に一喜一憂することもありながら、遅々として整理している。

NHKBSで屋久島の宮之浦岳登山の案内があった。屋久島に魅せられて大坂から来て15年というガイドさんの案内だった。木材を運んだというレールの方から、宮之浦の目指す。ウイルソン株から縄文杉へ、それから山小屋へ一泊して宮之浦岳へと登る。

ぼくは反対ルートから登ったことがことがあったから、なつかしく見入っていた。見終ってから写真のアルバムを捜した。50の半ばごろに、会社の連中5人で行った。年中雨が降っているという、聴ききしはしていたが登りだしてすぐに雨が降りだした。灌木を抜けて開けると雨は止んでいて、森林限界というか草原の中に大きな石が点々とあるのに目を見張っていた。当時はやっていたソニーのハンディ8の動画を撮っていたと思いだし、テープを捜すと出てきた。再生方法を思いだすのに時間を要したが、なつかし動画がテレビ画面に写しだされた。

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気持ちはあるが老にはかてない

木曜日 晴れ

そろそろ梅雨も空けそうだ。空いているのかもしれない。MRIのコピーをもらっていたので、それを今日持って行った。先生は画面に写しだされたコピーをじっくりと見たあと、やはり言われていたように棘上筋の断裂はないようですねと言った。

ぼくのは上腕二頭筋長頭腱炎で肩から直角におりて上腕骨の溝に収まっている腱が損傷しているようだ、それで痛みが出る。かえって断裂してしまった方がいい場合があるという。その場合力こぶは下方に下がるが、他の腱が保護ない、痛みもなくなり問題が解決することがあるという。直角に曲がるというのは、分るでしょう、崖などでロープが直角に曲がるところがどうなるか、言われてみれば言うことなし。

手術は年齢的に問題がありそうだと、言わんとすることは頭にあったので、ぼくは分りましたとゴリゴリ鳴る音のことは聞き忘れて、退出した。

炎天下の街中を歩きながら、もうむずかしいのかなと思ったりした。肩はあれからゴキゴキ、ゴキゴキと骨の音、痛いと思い腕を動かすとカクッとおさまる。今までなかったことが起きているのは、上腕骨の上部で何か起きているのかもしれないと思ったりした。

夕方、近くの眼科医院へ車で視野の検査に行く。少し進んでいるようなので目薬変えてみましょうと言われた。

昨夜、庭でセミのふ化をキャッチする。

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水曜日あれから1週間たつも・・・

水曜日 曇り 晴れ

先週の水曜日、I氏とシングルスの練習をしていただいてから、まる1週間が過ぎた。ものすごく長かった気がしている。今日も行って練習できるかもしれないと思っていたが、とんでもなかった。

博多の森から戻り、翌日掛りつけに行き薬をもらって飲んだが、それがぼくにはあまり合わなかったような気がしている。

それから咳が頻繁になり止まらず、無理をしてタンを出そうとするから喉も痛くなり大変な目に合っていた。

そんな状態が二日間半続き、ぼくはよくよく考えてもらった薬を止めることにした。それからしだいにおさまり今日で二日目、まだ時々タンが出ているので完治には至っていない。なにせテニスしょうという気持ちが起こらない、まだ病人である。

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体調ままならず 終日家で過ごす

土曜日 曇り

負けたのは正解だった、頑張って勝っていたら翌日は1シード、頑張って体調もっと悪くしていたに違いないと思うとぞっとする。2012.5月初めから6月にかけて、こんな状態から端を発して長引いたのを思いだしていた。

ぼくの場合、病は喉の痛みから始まり、悪くすると咳が出始め体がだるくなり、だんだんと悪化する。

今回はウインブルドン、深夜の2時3時まで数日間眠らずにしていたりなどで、疲れがたまっていたのかもしれない。

終日咳は止まらずだが、少し回復に向かっている。しかし油断大敵。結果次第では8月末の中国選手権を考えようと思っていたが、これでやめる決心がついた。

肩も痛いし、右手の親指の腱鞘炎で両手打ち、サービスも、ままならぬ状態に陥っている。しばらくは治療に専念するべきだろうとようやく悟った。

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試合途中で握手するとそこでゲームセットって、ほんと?

金曜日 曇り

やはりぼくの体調は悪かったのだ。だんだんと喉が痛くなり、小さな咳も少しづつ大きくなり今朝になると声も少ししわがれ声になっていた。ちょっとおかしいので掛りつけの医院へ行き薬をもらう。

昨日博多の森でのこと。1,2,3番コートの横の道を下りてくる同世代の選手に出くわす。久しぶりに顔を合わせたので挨拶して試合のことを話していた。彼はぼくがチェックするほとんどの大会のドローに名前があり、羨望の眼差しで見つめていた選手の一人。

彼が突然変なことを言い出したので目をこらして聞き入った。大接戦で1セット終わって、素晴らしい内容だったので感激して相手と握手を交わしたそうだ。ローピングアンパイヤーがそれをめざとく見ていたのだろうか。握手を交わしたらそこでゲームセットですと言われて、それで自分は負けましたと言うのだ。タイブレークを67で彼は落としていた。

そんなことあるのと、帰ってきて今思う。レフリーを呼んで、事情を話して納得のいく説明を受けたのだろうかと。

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福岡ベテラン初戦敗退 

木曜日 曇り 雨

台風接近とかで、いつ降ってもおかしくな灰色の雲が知ら一面垂れ込めていた。パラパラは降っていたが15時過ぎまでは降雨はほとんどなかった。蒸し暑かったけど風もなくテニス日和と言えたかもしれない。

バスを降りてクラブハウスの前まで来ると、見かけた顔の笑顔が目についた。そうだ彼も出ていたんだと思いだしていた。受付を済まして出てきたようだった。8番コートだという、まだ時間は十分あったけど彼はそちらに向かった。

初めてだから確かめておきたかったんだろう。ぼくは急いで準備をして急ぎ足で123,456、789と斜め三段にに別れている一番下のコート、8番コートへ出かけた。顔見知りの女性のローピングアンパイヤーがいたので、彼は初めてですのでとお願いして、参考になりそうなことを助言して2番コートへ戻った。

2番コートでは、ほぼ定刻に始まった。ファーストはこちらのペースでものにしたが、セカンドになると入らないサービスに嫌気がさし、動きも悪くなり戦意喪失状態になり取られていた。ファイナル、スーパータイブレークも相手のペースで5  10で敗退となった。こんなサービスではどうにもならない。体調も良くないのだと判明していた。

Y市から来たTさんに久しぶりあった。空港の上空で着陸できるか不安があったといい、日程が異なる旦那は明日来るという。話の中で父親が最近亡くなったと言う。尋ねるとぼくと同世代のお父さん。元気にしていたのに急に亡くなったらしく、その声は小さかった。肩が痛いなんて大したことでないですよ、と彼女は言ったのには背筋が伸びる思いがした。父親を亡くした彼女の励ましの声にも思えた。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 23:40 | コメントをどうぞ

久しぶりシングルスの練習

水曜日 曇り 雨 晴れ

曇り予報、昼からI氏とシングルスのお願いしていたので、約束の時間に出かけると雨が降りだした。諦めようかと思うほど降りだしていたがコートが白くなる前に止んでいた。

福岡ベテラン、エントリーはしたものの、何とか打てるようになっていたサービスが打てなくなり、どうしょうかと迷っていたが、右でのサービスとセカンドはアンダーサービスで、負け元どこまで通用するか試そうと考え行くことにした。

左肩の痛みはスイングのときもチクチクと発生する。まだ何とか我慢できるが、前回まではなかった気がするのだ。出ると決めた以上は泣きごとを行っても仕方がない。楽しんでこよう。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 20:48 | コメントをどうぞ

ウイン決勝戦 大接戦の末ジョコビッチに勝利の女神

月曜日 晴れ  海の日

久しぶりの炎天が訪れたが、長くはなさそう。

今回も決着を見届けなければ寝られないだろうと3時半過ぎまでうとうとしながら、テニスの歴史に残りそうな戦いを見届けていた。なにせ長い長い戦いだった。

じっくり見たのはセット22からのファイナルセット。ジョコビッチ32からブレークして42となって、ジョコビッチに戦況は傾いたかと思えしもすぐにブレークされて43、互いにキープして66となったがファイナルセットはタイブレークなしで2セット連取しなければならない。

77からフェデラーはブレークして78、サービングフォーセットを迎えたフェデラー、サーティラブとリードしてフェデラーに凱歌があがるかとかたずをのむとフェデラーらしくないミスを重ねてジュース、そしてブレークを許して88 99 1010 1111 ここでもフェデラーは2度のアドバンテージを落して12 11 1212ここから全英はタイブレークとなっていた。
タイブレークはジョコビッチ先行して42 43 53 63としてジョコビッチが輝くウイナーとなっていた。

ジュニアー16歳の望月新太郎、優勝。

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カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 23:51 | コメントをどうぞ