感慨にふける十年ひと昔 九州毎日テニス選手権

金曜日雨

久しぶり朝から雨、明日は寒くなるというが、九州毎日の1回戦、高速バスで久しぶりの博多の森だ。
一心行の桜の件でいつか仲間と出かけたことを思いだしてブログを捜してみると2008年の四月だった。四月といえばぼくには年度初のJOP大会九州毎日テニス選手権。あれから10年もたっているのだと感慨にふける。十年ひと昔、もうひと昔過ぎていることが無情に思えるが、あの幼かった孫娘が高校最終学年になっている現実がそれを証明している。いたし方ない事実がある。

そしてJOPに挑戦し始めて2年目のとしだった。何もわからず、がむしゃらに練習して張り切っていたころだった。1回戦の日、シューズを忘れて車に乗っていた。試合はファーストを46で落としセカンドは足に痙攣がきて35で棄権というなさけない結果だった。試合の駆け引きや体調管理など、スリーセットを戦うノウハウや戦術も技も持ち合わしていず、ただただ何かを忘れるために猪突猛進、むぼうにも立ち向かっていた。
そのとき仲間のM氏は3シードでベスト4、練習をお願いしているF氏は一つ上の世代で優勝していた。

あれから10年、丁度同じパターンの歳だと理解した。そのときが65歳代の最後の歳で、今年は75歳代の最後の歳なのだ。

10年経過して何も進歩していないような現実が目の前にある。ノーシードの障壁、今回もよしんば1回戦勝ったとしても次は1シードが待っている。シードが付いている頃は23回戦は悪くてもいけるチャンスはあったが現状は厳しい。1シードに挑戦できるように頑張って戦おう。

10年前のプログラムをなつかしむ。選手たちのの変遷、ドロー数の変遷に時代の変化を感ぜざるを得ない。ドロー数65才54→62 75才14→32 10年前と比較すれば65歳は若干、75歳は倍以上に増えている。

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一心行大桜 十年の変遷

水曜日 晴れ

桜も散り若葉の季節に移ろうとしているが、山間の一心行の山桜は見ごろだとテレビで伝えているこの頃。

一心行の桜、ぼくは有名になる前から見ていた一人だと自負している。確か地元の友達に聞いたのかもしれない。尋ね行くと小高い畑の中にポツンと一本の大桜が満開を迎えていて感動したことを覚えている。
それからしばらくしてテレビの放映などで見物客が増え始めて、そして急速に増加してまわりの畑はつぶされて駐車場になり、屋台が出たり、そして夜にはライトアップというところまでの観光地となった。県内の車までは良かったが、そのうち九州管内の観光バスまで狭い道をせっかんして渋滞して大変だと耳にしたことがある。

台風でバギッと折れ曲がり左右に別れたが、手厚い保護で何とか昔を取り戻しつつある。たった一本の山桜で村の観光の目玉として今年も脚光を浴びているようだ。めでたしめでたし。

F氏とのシングルスの練習は旧クラブ、試合もまじかに控えての最後の練習。肩の痛みは完全に癒えていないし、足にも不安を抱えている。肩と足にテーピングをして漢方薬を飲んで万全の態勢でのぞんだ。本番と同じ気持ちでやっていた。肩と足に負担をかけないように、でもここぞという場面では頑張って行く。2セット、体にはかなりハードに感じたが何とか乗り切っていた。しかしサービスは期待にほど遠かった。このサービスで通用するのだろうかと不安はよぎった。帰りクラブに立ち寄りサービスの練習。すこし要領はつかめたが、肩には不安はあった。

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マイアミOP 32才イズナーの初優勝(1000)

月曜日 晴れ

朝テレビを入れると加山雄三の文字がぼんやり火災の映像が遠くに見えた。まさか加山の豪華クルーザーが燃えているとあって不思議な気落がしていた。

午前中はあーちゃんの買い物に付き合って車を運転。まず東バイパス沿いの「ダイキ」それからすぐ裏にある「みやはら」へ初めて連れて行くとさすがにびっくりしていた。それから車をとばして菊用バイパスのハンズマンへ、地震で破損していた傘立てバケツで代用していたので買いかえたいという。適当な物を見つけて、帰りに念のためにと「ドンキホーテ」によるとテニスボールが30缶入りケースが運よく売っていた。4ケースもあった。しかしぼくは買う元気はなかった。昼からコートへ行きそのことをTA氏へその旨伝えた。30分ほど練習していると彼がコートサイドに姿を現して行ってきましたと言ったのにはさすがに驚いた。二ケースしか残っていませんでしたと言う。

朝からマイアミOPの決勝戦イズナーVSズベレフの録画を時間の合間に見ていた。ファイナルは買い物から戻って昼食をしながら見ていた。

ファーストはタイブレークに突入、終盤イズナーはリードして54、そしてイズナーのサービス、誰もがビッグサーバイーズナーのファーストゲットを予感したに違いない。ところが2本のサービスを落して56、苦境を脱したズベレフの目は輝いていた。ファーストはズベレフが運よくゲットしたと思った。運も実力の内だろう。76。
32歳のイズナーは20歳のズベレフに3連敗している、その辺の影響もあったのだろうか。ぼくはイズナーを応援していた。ズベレフは若くして1000の大会に3勝もしているらしいのだ。

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セカンド、出だしはズベレフの勢いを感じていたが、しだいに膠着して行き終盤イズナーがブレークして、そのまま乗り切っていた。46。本来ならこの時点でイズナーの優勝が決まってもおかしくはなかったのだと思いながら観ていた。

ファイナル、22でイズナーはラブフォーテイのブレークチャンスを逃して23。ピンチの裏のチャンスでイズきはナーは相当に危なかった。落とせば24で負けはほぼ決まりだが、何とかキープしたのが大きかった。33。振出しに戻り44から再びイズナーにブレークのチャンスが訪れた。22からの逸した経験から粘って相手のミスを誘いブレークするとズベレフはラケットをコートに叩きつけた、一度二度とラケットは醜く折れ曲がり、嫌な雰囲気がコートに広がった。ズベレフの負けを認める行為だった。54。

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イズナーは勝ち誇ったように両腕で観客をあおるしぐさをして、自分のサービスゲームを4本のサービスエースでとどめを刺した。32歳にしてようやく1000の大会に優勝を飾ったイズナー、こみ上げるものを我慢している姿、歓びを噛みしめているしぐさに風雪を感じていた。

歴代優勝者の名前はベストエイトに見当たらない。今年はグランドスラムを征する新たな選手が現れそうな予感がする。

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・32歳イズナー マスターズ初V

・ズベレフ 敗北も「嬉しい」

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九州毎日テニス選手権は始まっているらしいが・・・

日曜日 晴れ

四月一日、エイプリルフールとか言うけど、近年はあまり話題にならない気がする。

桜も散りかけ葉桜にうつりかけている中を、体験2回目のレッスンに出かける。今日のメインのコーチがクラブを運営しているとか、ちらっと耳にした。上手で人気があるというので、そのコーチのレッスンを受けてみた。

明日からここのフリーコート会員になるのだが、レッスンを受けてみてしばらくレッスンを受けてようという気持ちになっていた。フリーコートだけでは二年ぶりの復帰、浦島太郎とは言わないが、経営者が変わり練習相手や、もろもろ慣れるまでは周一90分のレッスンは良いかもしれない思う。考えてみればもう老体、筋力は劣り故障だらけの体を思うにつけしみじみ考える。90分のレッスンもアップアップするが、それでもちょうどいいかもしれない。

もう九州毎日テニス選手権は始まっているのだ。50歳に出ていた横浜の選手から初戦勝利して、仕事の都合で帰りますとメールが入っていた。頑張って下さいとあった。

ぼくは7日が1回戦、それまでに何とか戦える体になってほしいと願っている。

彼は夫婦で14日(土曜日)の当県の選手権大会にもエントリーしている。二年前の大会は丁度熊本大震災が勃発した日で遭遇していた。ご夫婦は前日か乗り込んでいたらしく大変な目にあったと聞かされたことを思いだされる。

・脱帽デルポトロ「家に帰りたい」

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クラブへ別れの挨拶  マイアミOP イズナー、ズベレフ決勝へ   

土曜日 晴れ

マイアミOPの録画を見終ると昼から新しいクラブの入会者サービスレッスンを受けに行く。皆から声がかかって面はゆい感じがしたが、歓迎してくれていると思うことにした。レッスンは心配していた左足のふくらはぎに痛みを感じ、今のぼくにはハードな90分だった。
それが終わると今日までのクラブに出かけて、とりあえずはコートにいる人に挨拶をして、お世話になりましたと頭をたれた。ちょうど2年間だった。

朝からマイアミOPの準決勝イズナーVSデルポトロ戦の録画を見る。その時間帯はもう一つの準決勝ズベレフVSカレーニョブスタ戦のライブが中継されていたが、それも録画して最初の試合を見ることにする。

テニス界を代表すると言っても過言ではない長身でビッグサーバーの二人、イズナーとデルポトロ。デルポトロは15連勝の快進撃中で、イズナーは6大会1~2回戦の不調でここにきてセミファイナルの舞台に立っていた。

15連勝と快進撃を続けてきたデルポトロはここにきてサービス、ストロークに本来の切れが見られず、イズナーは元気いっぱい最初からぐんぐん飛ばしていた。出だしにバックのフラットの打球が要所要所に決まりブレークして調子に乗りファースト61、セカンドは気を取り直したデルポトロが頑張り接戦となってタイブレークまでもつれたが、勢いのあったイズナーが勝利した。76。

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もう一つの準決勝ズベレフVSカレーニョブスタ戦、初顔合わせらしい若者の熾烈な戦いが始まった。ファーストは互角の戦いでタイブレークになだれ込んだが、ズベレフのショットがまさりファースト76で取る。セカンドになると余裕が出来たのかズベレフは落ち着いてランキング上位の力を見せて62で取り決勝の舞台へと駆け上がっていった。

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マイアミOP ベスト4出揃う  小さな庭にも春が

金曜日 晴れ

天気明朗、風雨に遭遇せず順調に葉桜となりつつあり。そして小さな庭にも春はしのびよる。

練習で痛めた左足甲あたりは思った以上に重傷だった。昨日軽く練習して帰ろうとすると、二面で練習していたお姉さんたちの一人が帰るのでと声がかかった。サービスの出来を確かめるに丁度良いと思った。一試合目はまずまずで一安心していると二試合目から左足に違和感があり走るのが億劫になりだした。

そしてそれは今日も同じ状態で心配になる。夜ソファーで仮眠して起きると、ふくらはぎが痛いのだ、原因はここから来ていたのだと理解した。痙攣や肉離れの前兆だったかもしれない、あと一週間で九州毎日、昨年は初戦敗退、今年はそれを突破したいと頑張っていたのに、と思う。

マイアミOPズベレフが頑張っている。若手のナンバーワン、4シードのズベレフはこの頃は苦戦していた。パリバOPも早々と負けていた気がするが、マイアミOPではキリオスをストレートで破りベスト4をかけてまだ勝ったことがないという36シードのチョリッチと戦うのを今日ライブした。

若者らしい素晴らしい試合をしたが、今日はズベレフが安定して戦い、相手のミスを誘って6464と、残った選手の最高シード4のズベレフが勝ちきっていた。36シードに連敗していたというからズベレフはほっとして自信を深めたに違いない。

昨日はデルポトロとラオニッチがこれもまた素晴らしい内容の市債を披露していた。ファーストはラオニッチが75で取るとセカンドファイナルはタイブレークに突入してデルポトロが取りセットカウント21でデルポトロがベスト4に進出していた。

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マイアミOPB8出揃う  2週間ぶりF氏と

水曜日 晴れ

しばらく晴天は続く予報、満開で強風も雨もなく、桜花は目の保養を楽しませてくれている。

水曜日はF氏とのシングルスのお手合わせをお願いしているが2週間のご無沙汰、肩も全治に近いと判断してメールしていた。

今日はまさに春、その上風もなくテニス日和だった。心配していたテニスは何とか互角に対戦できていた。サービスは無理をせずスピンサービスで通したが何とか通用していた。肩は耐えたが今度は足の甲が痛み出した。続行していれば治るケースが多かったが今日は最後まで痛みがあり、家に戻るとビッコを引いていた。一難去ってまた一難、老体にはあちこちにひずみが出始めている。くわらば、くわらば。

マイアミOP、ベスト8が出そろう。シードトップテン選手の3名しか残っていない。女子も男子も下剋上、世代交代の幕開けとなるのは間違いなさそうだ。

エイト決めのシャポバロフ(カナダ)VSチョリッチ(クロアチア)の戦いをBSの録画で見る。両者とも二十歳そこそこの伸び盛り、一足先に注目を浴びていたサウスポー片手打ちのシャポバロフを期待していた。が、聴いたことのある名前チュリッチもパワフルなテニスで、大接戦となってファイナルへ突入、45からシャポバロフ3本のダブルフォールトを犯して自滅、チョリッチが逃げ切っていた。

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ねずみ一匹もなし マイアミOP 圭ポトロに破る

晴れ

ねずみ一匹もでず。証人喚問、官邸は完璧にまもろうとしたが、あとはほとんど訴追を事由に逃げの一手に見えた。守ったつもりが疑惑は混迷を深める結果で終わってしまった気がする。残念。

マイアミオープン三回戦、錦織の相手はパリバオープンでフェデラーを倒して乗り込んだデルポトロに歯が立たず26 26で敗退。

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春はあけぼのようようしろうなりゆく山ぎわ・・

日曜日 晴れ

春はあけぼの ようようしろうなりゆく山際すこし明かりて 紫だちたる雲のほそきたなびきたる

昨日今日と天気に恵まれて桜も満開を迎えている。まさに春爛漫。

水前寺公園まつりが昨日今日と行われているとのこと、行ってみようかと言うので出かけた。我が家からの交通アクセスはすこぶる良い。
電車で新水前寺まで、トントントンと階段を下りるとチンチン電車が待っていた。公園前で下りると5分もかかるまい。30分くらいで行ったかもしれない。

今日はおまつりで無料で開放されていて、けっこう賑わっていた。異なる言語が飛び交って、久しぶりの公園は国際色豊かになっていた。

・西岡良仁 ベルディヒに敗れる(マイアミOP)
・フェデラー 19年ぶり初戦敗退(マイアミOP)

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マイアミOP西岡錦織初戦勝利  放浪のはてに

土曜日晴れ

昨日はケイ氏と1週間ぶりのシングルス、前回はアンダーサービス一蹴されていたが、サービスを上から打てるまで回復していた。痛みは少し残っていて思い切りとはいかず、ショットも迷える羊で2セットともいいとこなしでやられたが、タイブレークの練習は三回ともものにして、良い気分だった。

・錦織 初戦「難しい試合だった」(マイアミOP)
・大坂 吐き気の体調不良に苦しむ(マイアミOP)
・西岡 マイアミ3年連続初戦突破(マイアミOP)

帰りに以前のクラブに立ち寄り、入会の手続きを済ませた。今のクラブに入ったのは丁度2年前、そしてまもはくあの大地震に見舞われた。

二十代後半新婚まもない頃、高台から見下ろすところにテニスコートを見いだした。嬉しかったに違いない。渡りに船、ラケットを一本持っていたのにチャンスはほとんどなかった。東バイパス予定地だったとは知らず草ぼうぼう中を横切って、そっと門をくぐると駐車広場があり突き当りのコート際に小さなクラブハウスがあった。クレイコートが三面、コートの長さのブロック塀の壁打ち、広場の横の敷地に所有者の家屋敷があった。

早速そこに入会してぼくのテニスは始まった。当時そんなクラブは県内には唯一だろと想像する。メンバーは裁判官、医師、弁護士や公務員がメイン、ぼくのような一般は珍しく、相手もいなく、壁を相手にやっていたに違いない。

まもなくテニスブームがやってる、県かでも雨後のタケノコ、クラブや公営のコートが生まれた。どういうわけか、クレイコート三面のクラブはコートが減るという事態になり、ぼくたち仲間は近くにオープンしたクレイコート6面ハード2面有する真新しいクラブへ移った。しばらくはみんなと和気藹々楽しく過ごした。

しかし、テニスブームが一息つくとクラブ経営は厳しくなり、ぼくたちのクラブも例外ではなかった。隣地に建設予定のショッピングセンターの駐車場用地として身売りすることになり、テニス仲間はまた流浪の民となっていた。
ぼくたちは同じ規模のクラブがひとつ残されていることを知っていた。そのクラブと団体で移るということで交渉した。そのクラブは入会金や会費等で息を吹き返したらしかったが、またもジリ貧となって行く。経営者は地主、クラブをごわさんにして、敷地を真っ平らな更地にして新しいクラブを立ち上げた。その時は感心していた。

屋内3面屋外6面人口芝コートに瀟洒なクラブハウス、こんどこそはうまくいってほしいと、心底思っていた。レッスンのコーチ陣も充実して、順風にスタートしたかに思えたが、しばらくすると会員に人気のあるコーチがやめさせられる、やめるという、会員のひんしゅくをかう事態が出来事が続く。
もんくを腹いっぱい会話したが何せ無勢、経営者がいかに強いかと重々承知していがた言うべきことは述べた。そしてぼくはこんなクラブでは楽しくないと退会して放浪する。

行きついたのが高台から見下ろしたクラブ、初めて手ほどきを染めたテニスクラブだった。3面あってコートは変遷、1面の時、3面のとき、そして今では5面だが、年月には逆らえずそれなりのなりをしたクラブとなって、何とか生きながらえているようにも推察していた。

土日はそこそこ集まっていたがウイークデイはガラガラ、ぼく一人のときもあった。壁打ちをしてかごボールで遊んでサービスの練習などをして2時間くらい過ごす。そして週2回ほどシングルスの練習相手に来てもらって練習。誰からも干渉されることなくシングルスを集中して楽しむことが出来たのは最高だった。

この状態がいつまでも続けばいいなあと思っていたが、そうはいかなかった。孤独を愛するぼくはこれがずっと続けばここにいるだろうと思っていたが、経営者にはそれなりの悩みがあったようだ。

ぼくの思い描いたテニスが出来なくなりそうだと分かると、げんきんなものでぼくは行動を起こしていた。もといたクラブは立ちいかなくなったのか、昨年のある日経営者が変わりこの4月から新ルール―で運営するとの情報もあり、退会したぼくにも入会の案内が2度ほど届いていた。まさかカンバックするなんてと思っていたが、言い合った経営陣はいない。今が潮時なのだと思いいたる。
もどろうというクラブで、戻ってきますのでよろしくと言うと、どこを放浪していたのという。言われればそうかもしれない。心の中ではずっと放浪し続けているのだ。

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