ワールドツアーファイナルズ 圭、バブリンカを一蹴してマレーを迎える

火曜日 晴れ 暖かい

たくまコートの練習会に久しぶり顔を出した。石黒修の大学のテニス部で一年後輩だったというT氏のもとに集まっている。
お悔やみをいうには少しはばかれたが、何か一言いたかった。皆がコートに入った後少し遅れてやってきた。彼も以前ほど元気はないが全日本ベテランのダブルスで優勝を果たしていたし、マイペースでテニスを楽しんでいるようすにみえた。

その頃の仲間の三分の一は亡くなったり痴ほう症になったりしていると人ごとではない話をしてくれた。大学時代は天と地の差があっただろうが、ベテランの世界に入ってからは互角に戦っていた時期もあったという。彼に一矢報いてやろう気持ちが強かったようだ。

なにせ石黒修は二枚目で絶頂期にはコマーシャルなんかにたびたび登場していたように記憶している。文芸春秋誌で時計のロレックスの宣伝はカラーで二ページわたって、石黒修が写真付きで毎号載っていた。天下の名品ロレックス、ぼくには手の届かない逸品。あるときテニスに関する懸賞付きの手記の募集があった。内容はさだかでないが、ぼくは初めてそんなものに応募してみようと思った。文才のないぼくをその気にさせた理由は思い出せないが、審査員のメインの一人は石黒修であった。ぼくはそれをコピーしていた。
読み返せば走馬灯のように当時がよみがった。甘酸っぱい、なつかしくもやるせない思い出の一つになっている。

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グラスコート選手権 2回戦敗退の記

日曜日 絶好のテニス日和だった

NB12時だったので9時過ぎ車で出かける。やはり二時間くらいはかかった。11時過ぎについたが試合が始まったのは13時をこえていた。センターコート際の13番コートだった。

相手はランキング3位、2シードのT氏だった。三度目の正直、今回が三回目の対戦で勝ったこともセットを取ったこともない。何とかしたいという気持ちは強かった、しかし、おもいのサービスが打てなくなって、この二三日体を休めたりして今日を迎えていた。

彼とは6年前、全日本ローンテニス選手権と言われていた頃、グレードも全日本に次ぐBで全日本に出場していた選手が大半を占めていた。ぼくも挑戦すること数年かけてようやく出場が出来た。その時の1シードがT氏だった。その下で1回戦を戦ったのが今回デフォーした選手だった。同じパターンの再現にしり込みしたのかな、と思ったりもした。彼と1回戦を戦い芝のコートに慣れていれば、2回戦からのT氏に少しはハンデイとなり優位に戦えるかもしれないともくろんでいたが、背中を痛めその上ハンディもなくなっていた。

2回目は今年、小田原で行われた関東選手権だった。エントリー74名でT氏はここでも2シードだった。真横から強い風が吹いておりボールのコントロールが出来なかったし、そんな状況でも彼は徐々にペースをつかんでゆき、流れを変えることは出来なかった。

今日は無風状態で午後の日ざしはサウスポーのぼくにはサービスのときの眩しさはなく有利といえばこれくらいだが、相手が日ざしを気にかけているようすは定かではない。

ファーストはいきなり相手のサービスをブレーク、お互いコートに翻弄され、ぼくのフレームショットなどで取った気はするがコートチェンジしてすぐにブレークされた。ミスの差だね、36とワンブレークで負けていた。
セカンドはぼくのサービスからで10 20とブレークくしてさい先良かったがブレークされて21、それからキープしあって44までいってぼくのサービス、最初のポイントを相手に取られると焦ってしまった。2本のダブルフォールトが致命傷になって45、相手にキープされて46、ぼくの頑張りはそこまでだった。肝心なところでふんばっえくる相手に、対応しきれない自分がいた。粘り強さはぼくよりずっと上手だった。

三度目の正直にはほど遠かった。

・石黒賢「すごいおやじだった」父修さんをしのぶ

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グラスコートの下見に出かける 石黒修氏逝去

金曜日 晴れ

秋日和、背中の痛みは湿布薬などで治療しているが、こんなの二三日で完治しないことは分かっている。この状態でも練習もままならぬ。そうだ佐賀に行ってみようと急に思い立った。毎年の事なのに車でのルートがぼやけている、確認して良かった。八女インターからのルートは良かったと記憶にあったが大変な思いをした。今日は当日でなかったからよかったもののヒヤッとした。

やはり南関インターからの方が分かりやすいと思う。順調に行けば1時間半ほどで行けそうだ。

石黒 修が亡くなっていたと今日の新聞に載っていた。彼の試合はこのグラスコートで見たのが初めてだった。その後関西選手権でのダブルスの試合を見たことがある。

オーソドックスなテニススタイルで齢を重ねていても若々しくてかっこがよかった。日本の名選手でありながら、ベテランJOPテニスに出続けていたのにはえらいと感心していた。体調がすぐれないと耳にしていたのは数年前からだった。

石黒選手の母校、慶應大学のテニスクラブで一緒だったという人が、我々の仲間にいる。彼のボールボーイをさせてもらうのがうれしかったと、信じがたいことをコメントしたのを思い出す。合掌

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歴史的な朝を迎えたのであろうか世界は

10日木曜日 昼過ぎから雨

歴史的な朝を迎えたに違いない。アメリカにおんぶにだっこの時代からの決別の時を迎えたようだ。フィリッピンの新たな大統領も国益のために東奔西走して頑張っている。日本も目を覚まさないと。「太平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠れず」

疲労していた上にサービスの練習をし過ぎたらしい。一昨日壁打ちをして、それからワンバンドさせてスマッシュの練習をかなりやった気がする。サービスの練習を10球ぐらいすると背中の違和感にようよう気が付いた。しばらく上から打つのは止めようと思っていたのに、忘れていた。忘れていたぐらいだからだいしたことはと、しかし1時間ほどで引き上げていた。

疲労でくたくたなのは間違いなさそうだ。木金と休めば土曜日の1回戦は何とかなるかもしれない。そこで芝のコートになれて勝ち上がれば2シードの初戦の選手に少しのハンデイをもらえるかもしれないとか思いめぐらしていたら、めずらしく携帯がなった。

誰だろうと耳に当てるとグラスコートからだというので緊張した。何か間違いをしでかしたのか、まさか今日が初戦だったりとか、疑心暗鬼が一瞬よぎる。1回戦の相手からデフォーするとの連絡だった。

ドローを見た時そんなことも思わないでもなかった。彼とはグラスコート選手権が全日本ローンテニス選手権と言われていた頃、数年の挑戦の末、ようやく出場権を手にして対戦したのか彼だった。二年前も彼と対戦して、その時は運よく決勝戦まで勝進み、ランキングもトップテンになり、自信過剰は、その後のつるべ落としにつながっていた。

そして今のぼくは6年前のそのときと、ほぼ同じ状況にある。2回戦はその時の第一シードのT氏、よくどと思うほど同じ人と当る、摩訶不思議としか言いようがない。ドロー作成者はルールにのっとってやっているのだろうから。
この体でとこまで通用するか、楽しみながら三度目の挑戦をすることにしよう。

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米国大統領 トランプマジックで大統領に選ばるトランプ氏

水曜日 テニス日和

家に戻り一息入れるとやはり左背中の痛みがひどくなっていた。できるだけ無理をしないようにサービスを試みて練習試合を進めた。相手も寝ていて首を痛めたとこぼしていた。どちらも言い訳は整っていた。

サービスは体の捻転を極力抑えて、トスもできるだけ前にあがての省エネサービスでいった。背中の痛みを感じないように気を付けていた。K氏はけっこう打ちづらかったと言ってくれたのには、えーっと思っていた。トスは低く前でとらえようとした分、ボールは上がらづスピードを感じたようだ。

土曜日から佐賀のグラスコート選手権が待っている。二日間安静にして背中の回復を祈るばかりだ。

昼飯をすませてテレビの前に座る。アメリカ大統領の開票結果がリアルタイムに画面に映し出されていた。トランプ氏が優位になっていたが、いつのまにかクリントンさんが逆転していた。やはりそうかと思っていると、いつのまにかトランプ氏が肉薄して、これは大変な戦いになっているのだとテレビ画面に釘づけ状態になっていた。

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秋たけなわ、仲間の応援で終日過ごす

土曜日 晴れ

この何週間、シングルスの大会にエントリしていたB氏と何度も練習を重ねていた。

今日がその日、テニス日和の晴天にめぐまれていた。ぼくは朝かチャリの空気圧を点検したりしてその気になっていた。運動公園ABコートで11時30からとあったので11時に出かける、白川にかかる急坂の橋をいっきに下って近道の野道を通り中ほどの駐車場に駐輪して、久しぶりに運動公園へと足を踏み入れた。銀杏並木は少しだけ秋を思わせた。

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思っていた通り試合は進んでいなかった。学生らしいCクラスがコートを占有していて、それが区切りを付けないと50歳代のシングルスは駄目なようだった。まだ小学生とおもえし小さな選手が次々と大きな高校生をやっつけていて注視していた。聞いてみると中学1年というのでびっくり、どう見てもまだ小学生に見えた。

Cクラスの中高生の中にはきちっとホームが出来上がった上手な選手を何人も見かけた。90人のエントリ、三人の総当たりをしてそれからトーナメント、午後の日が傾いたときにベテランと思えし選手がまだ勝ち残っている風情で近くにいたので聞いてみると65と言った。トーナメントのどこまで駆け上ったかは分からなかったが、帰ろうとしていると負けましたと横を通って行った。

ぼくが応援に来た仲間は、やはり体調不良で負けていた。金曜日練習する予定だったが、下半身に痛みがしょうじたとメールが入っていた。ぼくとの練習で頑張りすぎての結果に思えて複雑な気持がよぎる。

もう一人仲間、G氏も頑張っていた。接戦はしていたがリードは出来ず負けていた。試合になるとなかなか練習のようにはいかないことを、今更ながらおもいかえしていた。

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錦織 60でファースト取るも ツオンガに押し切られた パリ1000

金曜日 晴れ

一人ぽっちのコートで、見上げる空には雲一つ見いだせなかった。ひんやりとした風、つるべ落としの夕暮れに一抹の寂しさを感じるのなぜだろう。

パリ1000の大会、5シード2回戦から登場の錦織、セルビアのトロイキには貫録のストレートで勝利していた。四五年前の出来ごと、ジャパンオープンの確か初戦、トロイキと対戦した錦織は強烈なサービスに押されてストレーを負けを喫していた。こんな強い選手もいるのだと、圭の早々の敗退にがっくりしていたのを思い出す。トロイキは勝進んでナダルと対戦、あと一歩までおいて詰めたのも記憶に残る。

三回戦の昨夜の相手はツオンガだった。サービス、バックに不安定のあったファーストは赤子の手をひねるように60で取っていた。ダンゴ、ベーグルで取った時は心配なんだよねと心の中でつぶやいていた。

セカンドは心配が的中した、的中し過ぎるほどに。ツオンガのサービスが息を吹き返していた。フォアは強烈、バックをこれでもかとせめてファーストはミスを誘っていたが、それが球出しの練習にもなったかと思えるぐらいに、ツオンガのバックがよくなっていた。フォアは怖いくらいに強烈、バックも厳しく返ってきだしたので、圭は一瞬どちらに打とうかと迷っていると、甘くなったりミスが出たりしていた。35で落とす。

ファイナルは苦しみながらもサービスキープで進み、ブレークして53としサービングマッチとなるも、地元フランスの大声援にツオンガは奮起してブレークを返して54、キープされて55、互いにキープして66タイブレークへと突入した。

サービスにまさるツオンガは会場の声援に燃え上っているかに見えた。26 36そして37で圭は力尽きたのであった。

全仏のときも同じような環境で声援に後押しされツオンガが圭を倒したのを思い出す。

・錦織敗退のパリ、8強出揃う

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カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 20:43 | コメントをどうぞ

圭 優勝は逸したがランキング4位に上昇

月曜日 晴れ

背中が痛いので休養している。先週の月曜日コートへ出かけるとテニスが出来ない状態に管理人がしていた。前触れもなく、だから今日は背中の事もあったし休んだ。原因はなんだろう、思い当たるようでも不確かだ。

昨夜遅く、スイスバーゼルでの室内決勝戦を見終ると零時を大きく回っていた。相手は錦織の宿敵の一人チリッチだった。この頃チリッチは圭とするときはなぜか強い。こいつには負けられないと意地があるように。

圭は前のセミファイナルのミュラー戦でセカンドでマッチポイント二回握られ、誰もが負けたと思ったらしが、そこをしのいで決勝戦へと駒を進めたらしいのだ。テレビでやっているのが分からず、民放のBSでやっているわかり、今大会初めて試合を見たのだった。

チリッチは得意のサービスはもちろんの事、ストロークもすばらしかった。圭はファースト16で落とす、セカンドはチリッチのファーストの確立が落ちて接戦となってタイブレークとなった。ここでも競り合っていたが最後はチリッチのサービスがものをいって振り切られた。ファイナルまでいっていたら圭にもチャンスはあったろうに、タラレバではどうしようもないが。

でも圭は試合後にランキング二つ上げて4位となっていたのは立派だった。

・マレー猛追 王者ジョコに危機

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カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 21:32 | コメントをどうぞ

男子 全日本テニス選手権 新星現る

日曜日 晴れ

久しぶりの朝焼けをカメラに収める。今日はテレビが忙しい、囲碁将棋に11時からの全日本テニス選手権、15時からの世界ゴルフ選手権、夜はスイス室内錦織の決勝戦が行われる。

全日本では27年ぶり谷澤英彦以来の10代の優勝となった。綿貫陽介vs内山靖崇、内山は昨年添田豪を破っての覇者であり、日本のトップ選手の一人でもある。綿貫は試合前のインタビューで強気の発言をしていたが、そうは簡単に内山に通ずるのだろうかと疑心暗鬼で聞いていた。

昨年内山は先輩格である添田に対して、闘志満々で立ち向かい、ごてごての添田を振り切って優勝をしたが、今年は逆の立場、内山の何となくさえない表情に見て取れた。

綿貫の62 64で圧勝に近かった。セカンド、最初にブレークされた内山は一度ブレークチャンスが来ただけで44と並ぶことは出来ずに綿貫の思い切りの良いテニスに押されぱなしでいた。

身長も180はあり、錦織圭の後を追う、一番手になりそうな予感がした。

・綿貫陽介 全日本V、史上2人目
・スイス バーゼルインドア対戦表

・松山英樹 日本人初WGC制覇

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カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 21:06 | コメントをどうぞ

女子の全日本テニス選手権 かくも厳しい結果とは

土曜日晴れ

午前中、建物の補修、塗り残したところに撥水剤を塗布。20年もたてばコンクリートも劣化が始まっている。打ちっぱなしの打ち方が悪ければ、何おかいわんやだ。その辺を建設中に目を光らせておかなければならなかったと思う。

11時からの女子日本選手権テニスを見るためテレビの前に座る。

3シードの大前 綾希子vs12シードの今西 美晴の決勝戦は同じ所属の仲間だという。やりにくいだろうと思った。
今西は3年前決勝に進み敗れたという、確かみているはずだけど思えていない。インタビューでは今度こそ優勝して恩返しをしたいと、おとなしそうな顔で話した。

恩返しが出来るかなという内容に見えたファーストの出ざし。きゃしゃな体に見えたが、ショットは正確でミスがなくて今西が41とリードしてファーストは今西と思えしが、42と大前がキープすると、思い切りの良い大前のショットが決まりだした。フルスイングでの狙い定めた攻撃に、正確を旨としている今西のショットも押されて微妙にあるいは大きくアウトするシーンが目立ち始めて大前は44と追いつくとブレークキープして64とファーストをものにした。
表情を崩さず淡々ともくもくとプレーしていた今西の表情にかげりを感じていた。

二人は幼児のころからライバルだったらしく、お互いの手の内は分かりすぎるほどわかっての戦いだったと推察した。
トイレブレークを取った今西のセカンドはまたも40とリードしたのだ、ファイナルは間違いあるまいと見ていると、長いながいジュースをキープされて41にされると、大前の猛攻が始まった。ジュースを続けることで自分のテニスを思い出したように。今西の正確なショットは返すのが精一杯のシーンが多くなり、流れはファーストと同じようになってしまったのだった。44からまたも大前はブレークキープして初めての全日本挑戦でタイトルを掌中にしていた。64 64。
涙ぐむ大西、そして座り込んで涙をこらえようとする大前、悲喜こもごも、何とも言えない空気が流れていた。

二人は対照的なテニススタイルだが、豪快な大前の方が世界に通用しそう。全日本を制覇して世界に羽ばたいた土居美咲や奈良くるみの後を追う選手に、久方ぶりになりそうな気がしている。

「土曜日3時から熊本城で無料の復興ライブがあります。一流の日本で超かっこいいアーテイストばかりです」
娘から携帯にメールが入っていた。あーちゃんに見せると、行く気になっていたがぼくは黙っていた。昼過ぎから準備をしているらしかった。全日本女子のテニスが終わってから、ぼくも準備していくよと言うと驚いた顔をしていた。
3時過ぎ会場に近づくと舞台ははるかかなたに、人々が押し寄せていた。若い男女がメインで歌が始まると手拍子をしたり、手を上げて答えたりして、そんなライブ会場のマナーを心得ているように見えた。そこで日頃のストレスを発散しているんだなとかってに思ったりしていた。

見えない舞台を1時間ほど我慢して突っ立って聞いていたが、もうそれが限度だった。熊本城広場を後にしていると、たくさんの人たちがまだ会場を目指していた。

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