日別アーカイブ: 2015年12月31日

私の心の中で反乱

私にはない、ピュアなもの。
いつ、どこで、失ったのだろう???
純粋さは、年とともに失われる。
そもそも、そんなものは生まれたときから持ち合わせてい皇室纖形 旺角なかったのかも知れない。

無垢などでなく、ただ無知なだけの若い時代だった。
生き方そのものが、不純と打算と保身、矛盾と欺瞞、マヤカシで成り立っている。
自分に正直な心、その心さえ、渇いている。
だからあんなに純粋な少年を見ると、頭を通過せずに、涙がこぼれる。
私には昔も今も、まったく純粋さのカケラも無い、そんな自分が情けなくもあり、
もともと無いものを取り返すことも当然できない、無力感。
いまさらながら、再認識した。
自分には、一生、ありえない、手に入れることのできな優纖美容い美しいピュアなもの、
例え、映画の中であっても、それに出会うと、切なく哀しい。

ストーリー展開から感じるのか、全編の美しい映像を通して感じるのか、
監督のワザで感じさせられているのか、俳優の卓越した演技のスゴサなのか???
あの映画を単なる日常の恋愛映画にしてしまっていないのは、
そのテーマ、手法によるものが大きい。
戦争という重い歴史を抱えたドイツの戦後の苦悩、歩みと、主人公たちの人生とを
巧みにオーバーラップさせている。
快楽的な、俗物的恋愛、というテ高鼻ィストが全く排除され、
静かに深く、苦悩しながら、思いを醸成させている。
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少年役のダフィット?クロスは、キャスティング決定時は15歳、撮影開始は16歳だったが、
SEXシーンは18歳になるまで待ったそうだ。
ケイト?ウィンスレットの、ぶっきらぼうな骨太ドイツ女性っぽい役作りも、とてもよかった。
その愛想のないキャラクターには、とても深い背景が隠されているのだが、
映画を観終えた後、それぞれの表情にはそれぞれの理由があるのに、あれこれ気付いた???。
(気付くのが、かなり遅い???)

男女の純粋な愛への不信感、永遠の愛を全面否定している私には、
衝撃的なメッセージとなった。

その後悔とも、懺悔ともとれるものが、を起こしたのか、
涙は一向に止まらない。
上映中はずっと、映画終了後も、家路に着く途中の電車の中でも、
電車を降りてから家までの徒歩の間も、涙があふれ出る。

私はピュアなものだけの中では、生きていけない。
きっとハンナと同じように、せっかく社会に戻れるという日が来るというのに、
その直前に自殺してしまうのではないかと、思った。
雑菌、細菌がウヨウヨいる世界でしか、私は生きていけないのだろう。
もう、戻ることができない世界に触れ、心が悲鳴をあげているのか。
それとも、いつまでも頑なに固い殻を被ってないで、暖かい心を持つには年齢はない、
今からでも遅くないというシグナルを読み取ったのか。

あふれ出る涙の訳は、とても深いところにあるようだ。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者awkwardgut 11:52 | コメントをどうぞ