わけのわからない

寒いく強風が吹き荒れる中、
天保山にあるサントリーミュージアムまで、クリムト作品に会輕便嬰兒推車いに行った。

19世紀末ウィーンでは、保守的な芸術の流れを打ち破ろうとする芸術家たちが、
新しい芸術を確立した。
19世紀末といえば、日本は明治維新の後、新生日本の立ち上げで、芸術どころではなかった頃。
というか、西洋文化がどっと入ってきて、
芸術界も、西洋芸術系人材を育てるための基礎皇室纖形 電話を築いている頃?
日清戦争など、新しい日本は、どんどん力をつけている頃。
1-130R6092015
ヨーロッパでは、それまでの王政政治から、大きく時代が激変して1世紀近くが経っていた。
私がウィーンを訪れたのは、折しもモーツァルト生誕250年祭を半年後に控え、
街はイベント準備の最中だった、今から4年前のこと。
伝統的な建物の多い中、モダンな建物にも目を奪われた。
印象的だったなかでも、もっとも目を引いた、かなりユニークな外観の建物が、
クリムトなどが参加する分離派が1898年に建てた、「分離派会館」だっ皇室纖形 電話た。

クリムトの絵画は、宿泊したウィーンのホテルの室内装飾にデカデカと施されていたので、
まだ何の心づもりもしていない自分の体や頭に、
否応なく、肌感覚で、クリムトの洗礼を受けたような経緯を持つ。
ナプキンや、紅茶缶も、クリムト模様のものをお土産に買って帰った。
金ぴか、クリムトだらけ、
その強烈なイメージが、旅から年月が経つ今も、私にはまだ残っている。

今回の展覧では、クリムト作品は少なかったが、同時代の作家の作品が多く紹介されていた。
こういう時代、なぜか、私は、わくわく、ぞくぞくする。
一つ一つの絵画の制作年代を、日本の時代、年号に照らし合わせて、じっくり観て行った。
観ているうちに、「ワタシ、絵画が、とても好き!!」、と、突然、今更ながら感じた。
自分の目や心から、自分のアタマに発するシグナルを自分で感じた。

当時の風景、情景、人々の暮らし、表情、服装、いろんなモチーフを題材に、描かれている。
作者の目を通して、それぞれの感性で、時代の息吹が表現されている。
旧態依然とした古いものから、それを打ち破り、新しいものへと移る、
新しい胎動により、それまでの価値観の殻が壊される、
その時代、その実践した人々、彼らの作品に、とても心動かされるものを感じる。

グラフィックデザインのポスターの色は、抑え気味で、少ない色彩、シックだ。
赤が、効く。
今、現在、世の中に氾濫しているデザインの素、根源、お手本みたい。
この時代のここから発生し、今日に引き継がれているんだと思うと、感慨深いものがある。

絵画の前で、しばし、時代や空間を超えて、うっとり時空旅行をしているような気分。
こういうことは、展覧会に足を運び始めた初期の頃は、感じなかったこと。
なにかが、私のなかで、動き始めたのだろうか。

また、ウィーンに、ぜひ行かなくっちゃ。
パリもいいけれど、ウィーンもいい。
その道の専門家から見れば、私はなんと浅い、無知で、恥ずかしい人だろう。
所詮、芸術ミーハーの域は超えていないとは思うけれど、
あれもこれもと、欲張りな私は、
一つ一つに専門性を追及するほどの、時間も、体力も、頭も、持ち合わせていない。
ちょっぴり明るい、アタマの弱い「偽オタク」かも知れない。
でも、うっとり素敵な時間を過ごせて、心が、きゅきゅっと躍った。


カテゴリー: 未分類 | 投稿者blankgut 17:22 | コメントをどうぞ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">