水曜日
NHKの朝ドラ「花子とアン」をはじめとして毎回、テレビの前に座って楽しませてもらっている。
初めの頃はおもしろく思わなかったが「アン」が赤毛のアンで「花子」がその翻訳者と知ってから興味が湧いてきた。ぼくもブログを始めてから、なんらかのきっかけで読んだことがある「赤毛のアン」。いつ読んだか思いださないが、ブログをめくれば分かるはずだとページをめくるように根気よくたどってみた。
二男の二番目の子どもを身ごもったとき男だったら名づけ親に付けてくれと頼まれ、本を買ったりして真剣に取り組んだ。生まれたのは女の子、あいりちゃんだったのでぼくの努力は無駄に終わっていた。そのとき考えた名前が「真 秀」(ましゅう)、「赤毛のアン」を読んだ後だったに違いない。アンを引き取って育てたマシュウとマリラの老兄妹の朴訥な兄「マシュウ」に字画などを検討して「真 秀」とした。
あいりちゃんの誕生は2011.01.31日、その前のブログをたどればいいのだ、2010 2009を見逃すまいとたどるも見つけ出さず、2008にはいっても現れない。あとはほとんどないあきらめかけていると、2008 04 18にようやく見つけた。6年前に読んだ記憶はほとんど薄れている。
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赤毛のアン シリーズ Ⅰをやっと読み終える。特に終わり近くは涙腺が緩みぱなしだった。
(クイーン学院入学のために家を出るときの会話の一部)
「マリラ。」
アンはマリラのひざにすわると、両手にマリラのしわのよった顔をはさんで、まじめな目つきで、やさしくマリラの目をのぞきこんだ。
「あたしは、ちっともかわっていないわーほんとうに、いつもと同じアンよ。ただ、かりこみしたり、えだをひろげたりしただけなの。ほんとうのわたしはーーそのうしろにいてーーおなじなのよ。あたしがどこへ行こうと、外側がどんなにかわろうと、ちっともちがわないのよ。毎日毎日、日一日とマリラとマシュウおじさんと、このなつかしいグリンゲイブルスがすきになる一方なのよ。」
アンはわかわかしいほおを、マリラのしぼんだほおにすりつけ、手をのばしマシュウの肩をなでた。
マリラは、そのときの自分の気持ちを、アンのように、ことばにあらわせるなら、なにをおいてもそうしたかっただろうが性質と習慣がゆるさなかったので、ただ、自分のむすめを、かたく、やさしくだきしめて、はなさないですむものならと思うばかりあった。
目にどうやらなみだらしいものがうかんできたマシュウは、立ちあがると、家の外へで出て、星空の下をポプラの木の下の木戸のところへ歩いていった。
「そうさな、あの子は、たいしてあまやかされもしなかったようだ。」とかれは得意そうにつぶやいた。
「わしが、ときたまおせっかいをやいても、あまりじゃまにならなかったというものさ。
あの子はりこうできれいで、なりよりいいことに愛情がる。あの子は、わしらにとっては祝福だ。
まったく、あのスペンサーのおくさんは、ありがたいまちがいをしでかしてくれたものさーー運がよかったんだな。
いや、そんなものじゃない、神さまのおぼしめしだ。あの子がわしらにいるということを、神さまはごらんになったからだと思うよ。」
ついに、アンが町へ行く日が来た。・・・・・・・
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先日、二男に長男が生まれた。今回もぼくに名前の依頼があった、しかしぼくは丁寧に断っていた。
大事な長男が生まれるのだから二人で考えた方がいいと思うと諭した。なぜならばぼくは二男が生まれたとき名前を付けたかった。長女、長男はお袋が自分に付けさせてくれと言ってきかなかったので、最後の二男はぼくにとせがんだがお袋から聞きいれてもらえなかった。そんなこともあったので、遠慮の気持ちがあった。
しかし、今思えばお袋は三人の子どもに立派な名前を付けてくれていたと感謝している。