火曜日
元旦は終日家で過ごす。小3の孫娘とバトミントン、玄関先の道で風があるとむずかしいが、それでも熱心にがんばる。うまくいけば二三回続けたりすることがある。来年の正月には持ったうまくなっているに違いない。将棋遊びも教える。山崩し、はさみ将棋、回り将棋。将棋の並べ方から囲碁も少し教える。どんよくに覚えようとするので頼もしく感じていた。
他の孫にも教えておけば良かったかなあと思ったりもしている。
囲碁将棋は興味があるのでNHK日曜日の囲碁将棋は録画して楽しんでいる。14歳藤井翔太の29連勝、マスメディアがその過程を取り上げて一気に将棋ブームを巻き起こした。初戦に対戦したのが加藤一二三、引退将棋の相手が藤井翔太であった。それからあれよあれよと勝進み列島をフィーバーした。
そして終わってみれば、翔太に変わってヒフミンという紅白の審査員までなるタレントが誕生したことも驚きだった。
ぼくとほぼ同じ年の加藤一二三は15歳でプロとなって大活躍をした。名人にもなっていた。凛々しい少年、若者との印象が強かったが晩年の容貌は同世代としては少しさびしかったが、しかし駒音高く背をのりだして果敢に攻撃する将棋見ごたえがあった。前歯が抜け落ちまさにじじい臭いが入れると将棋指しの思考に影響があるという。
竜王のタイトルを取り永世七冠の金字塔を打ち立てた羽生善治との対戦でも印象深く記憶に残るものがある。ずいぶん前のこと、羽生にらみうんぬん言われるころかな、中盤に差し掛かっていた、羽生の指した一手の捨て駒で、ヒフミンがいきなり投了したのには分けがわからなかった。才能の怖さを垣間見た一瞬だった。
彼をなぜ印象深く注視していたかといえば、同世代はさることながら出身が筑豊、飯塚の近くの合併でできた嘉麻市の出身だったことがある。
ぼくもその近辺の町で生を受けたことが大きい。戦後、復興もままならない頃少年棋士として脚光を浴び、引退するとそれまでとかと見ていると、メディアはタレントとして担ぎ上げていた。キリスト教に改宗したというヒフミンには神の手があったのだ。
孫三人遊びに来ているので、元のテニスクラブの仲間の誘いは気が引けたが、2時ぐらいから出かけてダブルス3試合楽しんだ。
今日は天気が良かった。戻ってから帳面けしにバトミントンをすると3歳の男の孫にまとわりつかれていたので、終わるとかけっこしょうと言うとどんどん走りだした。
走るはしる、ついて行くのが精一杯、家の近くをぐるりぐるりと1キロはあったに違いない。ケロッとしていたので明日は公園に連れて行こう。
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