パリでのマスターズ 圭初戦シャルデイに苦しむが・・・

水曜日 曇り 晴れ

夜テレビのチャンネルをいじっていると、ライブと表示された画面でテニスの試合が行われていた。すっかり忘れていた錦織が出場している1000の大会マスターズはNHKBS放映されるのだ。

ファースト前半の場面だった。長身のシャルディはビッグサーバーの一人、互いにキープで進んでいたが、終盤65と圭はブレークしてサービスフォーセットの場面を迎えるが、誰もがプレッシャーを感じるシーンで圭はブレークを返されて66タイブレーク、ここでは前半のリードをキープしてファーストは76で圭、セカンドは又もタイブレークとなって今度はシャルデイが奮闘して取り返してセット11のファイナルへと持ち越された。

セカンド頑張りすぎたのかシャルデイにミスが目立ちサービスも思わしく入っていなくて61で圭の勝利となった。76 67 61


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最後の砦のコーチも去るという  悲しいそしてさびしい

月曜日 曇り

唯一パフォーマンスのできる残されたコーチが、シャワーを終えて着替えているとM氏が僕に言うのだ。Nコーチがすぐにでも辞めるという。13時からレッスンコーチを受けたばかり、その後のレッスンでコーチの口から出たらしい、こらえきれずの涙があふれていたというのを聞いてショックを受けてた。

急いで階下へ行くとクラブハウスの裏口でコーチのまわりに人が集まっていた。天に唾することなのでこれ以上はかけないが、目まぐるしい不可思議なできごとの山積にただただ驚くばかり、経営者の責任でやっていると言えばそれまでだが、ことここに及んでは会員の堪忍袋の緒も限度にちかいだろう。
31歳の若者に突如と襲った出来事に目はうつろにそして子供ぽく見えた。

今年最後のJOPの大会も目の前に迫った。それに向かって頑張っているつもりだが、気持ちだけで日一日と近づいている。どのラケット、ガットの種類、そしてテンションをどうするかとか、基本的なことにまだ迷っていいるからどうしょうもないが、全日本ベテランでの1,2シードがドローに名前を刻んでいるので、頑張って対戦したい。

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(たそがれのテニスクラブ)







 


カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 21:37 | コメントは受け付けていません。

楽しい一日

蛇がたに公園でねんりん選手をメインで練習会をおこなうのでよかったら参加してほしいとラインがH氏からあっていた。

今年のねんりんに関係のないぼくに何故と思ったがどうやらM氏も参加するとわかって素直にオーケーを出した。

久しぶりお出かけてのテニスも気分転換になるだろう。

今日はその日、9時前の高速バスにラケット二本差し込んだリックを背負い、乗り込むと20分あまりで菊水インターに到着、待ち合わせてもらったH氏の車で蛇がたに公園へ。

今にも降りだしそうな空のもと男女十数人が集まっていた。

13時までダブルス4試合和気あいあいの中で楽しんだ。

本降りのあまおとが近付いていた。

近くの大きなTホテルでそろって昼食、ステーキと一人飲んだビールは喉を潤した。

食後の広くゆったりとした湯船の温泉は、人影もまばらて仲間たちとゆったりと肩をを沈めた。

見知らぬ人影の多いところはつとめて敬遠しているのに、のこのこと出かけが、テニスも食事も温泉にも満足してロビーのソファーでゆったりくつろぎ雑談していると近付いてくるがっしりとした人影があった。

見上げるとまさかの北九州のT氏がいたのでびっくり、テニスコートならいざ知らず、今日はこれも設定されていたのかと思わざるをえなかった。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 21:09 | コメントは受け付けていません。

ティンクナ ペンションで  南阿蘇

金曜日 晴れ

プレミアム旅行券「くまもっと楽しむ券」の情報を新聞で知ってから発売日を待って申し込んだ。単価2500円を5000円とし利用できるというのだ。パソコンでようやくつながりメイいっぱい申し込む。
28枚券が確保できたが、使う期間が半年間と分かって慌てて10枚だけに変更してもらった。それでも半分5枚残っていた。有効期限は10月19日チェクインまでが有効で、期限過ぎたものは払い戻しは出来ませんと、一か月前にメールが届いていた。

使わないともったいないので、二人で一泊して25000円くらい「VISIT」が紹介している近郊の宿を探した。そしてペンションもそこにはあった。「ペンション 北海道の輝き ティンクナ」。北海道の輝きという文言に魅せられいた。

8月の下旬北海道テニス選手権に勇躍出かけた。1シードで初戦で負けるとは夢にも思っていなかったので、ショックは大きくそしてみじめであった。北海道で小旅行でもと考えていたが、そんな考えは吹っ飛んでいた。とんぼ返りで九州に戻っていた。

「北海道の輝きとは」なんだろう、はたせなかったものを少しでも感じることができるかもしれないと申しこんだ。

昨日、3時半過ぎに家を出ると40分くらいでで南阿蘇の「メルヘン村」に到着していた。オーナーが迎えてくれた、もの静かで話にようると、ぼくたち二人の貸切であった。建物は道路わきの傾斜を利用して1階の玄関からの突き当りが応接間で右側奥に食堂にキッチン、階下が2階になって一番下に宿泊の部屋があり上の階に軟水の気持ちのいい風呂が設置されていた。

ぼくは先に軟水のやわらかい湯船にゆったりと身をゆだねた。夕食は6時から、その前に部屋から素晴らしい日没と夕焼けを見ることができた。こんな夕焼けは久しぶりだとオーナーはあとでビデオの動画をパソコンで見せてくれた。

フランス料理風の食材は北海道から取り寄せたそうで、オーナーと雑談しながら1時間半かけて赤のクラスワインを、もてあましながら夕食を終えた。満足の料理でした。テニスの話をするとライブのスコアをパソコン見ながら教えてくれた。錦織圭VSアンダーソン、ファーストタイブレークに突入を場面で1011とか言っていた。ファーストは圭が落としたようだ。朝からipadで確認すると圭はセカンドも接戦で敗れていた。

ペール、アンダーソンと立て続けにビッグサーバーに土を付けられた錦織、大変だなあと同情するが何とか8位までには留まってファイナルのステージに立ってほしい。

翌朝8時からの朝食も満足のものでした。そして精算すると、赤ワインを含めて券5枚でピッタシですとおっしゃった。
ぼくたちはお礼を言って「ティンクナ」
に別れをつげて、メルヘン村を後にした。

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カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 20:26 | コメントは受け付けていません。

ジャパンオープン 仲良しの夢実現させ幕おりる

日曜日 曇り

木曜日に帰ってきたがテニスに行く元気は沸いてこない。体調もいまいちのようだ。一昨日金曜日はジャパンオープンベスト8の4試合をテレビの前で過ごし、昨日今日の午前中は家の周りの片付けをしてそれからテレビの前に座った。

まさかの錦織圭は逆転を許しファイナルでは思う壺にペールに痛めつけられた。ちょっくらヤンキーぽいペールに全米に続いて連敗したショックは大きく、顔をこわばらせてマイクを握った手もさだまらず上ずった声の解説の面々。

決勝戦はそういう訳で、だいの仲良しと自称するスイスのワウリンカとフランスのペールとの間で行われた。本来なら圭がいて当然の決勝戦なのに、にやにやした二人の姿、いつか二人で決勝を戦いたいと酒を交わしながら対話した二人のかなわぬはずのお膳立てをジャパンオープンは提供していた。

髙いフィーを払っての満員の観衆は、そこには圭が絶対いるはずだと思っていただろうから、落胆はいかばかりか、想像するに難くない。

1シードランキング4位のワウリンカはノーシードのペールを6264で危なげなく勝ちきった。本来ならば圭が勝っておかなければいけなかったスコアーだった。

「戦いたくない相手」と圭はコメントしていたが、本音であった。ファーストはペールの強烈なバックサイドを避けてフォアを責めると容易にミスの山をきずいてくれて16、全米の反省ありきで、セカンドで借りを返すだろうと思えた。

誰もがそう思ったに違いないセカンド、そして期待に応えてブレークチャンス何度も来るがことごとに失敗すると相手にチャンスがやってきた。ピンチの後にチャンスあり、子供野球で良く使っていた言葉どおり、ペールは果敢に攻めてブレークすると得意のファーストサービスを決めてセカンドを64でペールがものにした。

その瞬間ヤバイと思った。残酷なファイナルであった。火に油のペールの勢いをとめようとすればするほど、圭のあせりとミスが重なり、ペールは得意のバックハンドがさく裂、フォアーは良くなり、そしてサービス一発の展開が満員の観衆の中で繰り広げられ、ためいきといきで館内は真冬の寒気が漂っていたに相違ない。まさかの26で錦織圭はそそくさとコートを去って行き、ジャパンオープンの会場は通夜の席のような雰囲気と想像たくましくした。

圭には次の試合、上海が待っている。この反省を踏まえてのきっと活躍してくれるだろう。








 


カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 20:50 | コメントは受け付けていません。

全日本ベテラン2回戦敗退して横浜へ

金曜日 雨

ジャパンオープン、ベスト8の試合を4試合、昼前から夕方までテレビの前で観戦した。錦織圭VSチリッチ戦、ファーストはチリッチのサービスショットとも好調で落とし、全米のことが頭をよぎり不安にかられたが、セカンド、圭は徐々に調子を上げてサービスもよくなり終盤ブレークしてセットカウント11、雌雄はファイナルへと持ち越された。

ストロークの精度が圭がチリッチを上回り始めると、サービスだよりのチリッチは苦戦を強いられおたおた。前半フレークするとワンブレークをキープして64とし、全米決勝戦のかりを日本人の前でかえした。

二十歳のやんちゃ坊主キリオスは、今年の全米で錦織圭に初戦で土を付けたペールに敗れた。明日の準決勝戦、圭はそのペールと戦うことになった。バイキングのような顎鬚をはやして、受けが強くて、両手打ちバックハンドが強烈だ。一回はウオーニング行為を平然と行い、やる気がなさそうでそれでいて満々なの
だ。でもチリッチと同じように日本人の前で料理してくれるだろう。

全日本ベテラン、2回戦敗退。甲子園のように1回戦は是が非でも勝ちたいと思っていたので、目標は達成していたが心の中では2回戦、3回戦そしてという風呂敷は広げていた。

帰りは是非にと乞われていたので横浜の娘の所まで足をのばす。初日は昨年東北選手権でお世話になったK氏とシングルス、全日本で彼は初戦敗退、ぼくは2回戦、46 64の大熱戦で遠く離れていることを悔やんだ。

二日目は孫娘と二人で東京の街中をうろつき、三日目は三人で箱根湯本の温泉郷を散策して楽しい時間を過ごす。

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月がとっても青いから

日曜日 晴れ

昨日は昼から仲間の見舞いに出かけた。簡単に終わる予定の心臓の手術でトラブル、心臓が停止して大騒ぎになったと話していた。電気ショックを与えて心臓は蘇生して一命は取りとめらしいが、ショックは顔の片隅に残っていた。

大なり小なり歳ふる世代のぼくたちには、何時病魔に襲われるか、また足腰がダメになりテニスを奪われるかもしれない。元気なうちに、テニスを堪能して悔いの残らないように楽しまなくては、そのうちでは時間は待ってくれない。

佐賀のグラスコートベテランのドローがオンされていて、60歳代の仲間の名前があったとぼくに笑顔を見せたのは二三日前の事。

ぼくも早速車からipadをコートに持ざしチェックしてみた。下の方の2シードの山にぼくの名前を見つけた。1,2シードの名前は全日本ベレランと全く同じ名前、よくみると全日本の3シードを除いてすべてのシード選手名があった。ドローも同じ32ドローで、ぼくは同じようなドロー位置にいる。

運よく勝ち進め両方とも2シードと対戦することになる。彼とはグラスコートでの対戦が初戦で、思い出がある。指折り数えれば6年前のできごと、目指していた「全日本グラスコートベレランテニス選手権」に4年目にしてようやく出場することができていた

1回戦はファイナルまでいってようよう勝ち取り、1シードT氏に挑戦した。6年ぶりの対戦が出来るように頑張りたい。

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ダニエル太郎後継者たるか

水曜日 秋分の日曇り

シルバーウイーク今日で終わり、ホームコートのイベントなしで朝から出かけてみた。コートは十分余裕はあったがダブルス2セットしてサービスの練習をしているといっぱいになったので帰途につく。

コロンビアとのデ杯戦、日本選手は若返りをはかりあやういと思っていたが、ダニエル太郎の大活躍で日本に勝利をもたらした。

日本、2勝1敗で迎えた最終日、まず錦織がシングルスでコロンビアのナンバーワン、ヒラルドを破り2勝2敗としてワールドリーグ残留をかけて最後の檜舞台に立たされたのは22歳のダニエル太郎選手だった。

コロンビアのファージャはベテランの左利き選手でどこかナダルを思わせる打ち方。二三年前のウインブルドン初戦でフェデラーを2セットダウンに追い込み、金星を挙げるかときたしてみていたが、3セット目取られると流れはフェデラーに戻り金星は遠のくがその存在を世界に知らしめたことで記憶にある。

その百戦錬磨の選手に22歳のダニエル太郎が通用するかが、両陣営の賭けでもあったと思う。
ファーストは先行されて落とすかと思いきや、何とかタイブレークに持ち込みものにしてからは日本のダニエル太郎の流れになって行った。

ファージャの奥さんはコートサイドで幼子を抱きかかえ目を吊り上げて、口も尖らしての応援はファージャにとってプラスになったかどうか。焦りが色濃くファージャの表情に現れていた。
76(3)6362のストレートで快勝した。

アメリカで生を受けて日本で育ち、スペインで練習を励んでいるというダニエル太郎は英語、スペイン語の3か国語をあやつり、ロシア語も会話程度ならOKという。
試合後のコートインタビューでスペイン語でジェスチャー豊かにコメントするダニエル太郎は日本人としては稀有な国際人に変身していた。

◆日本の救世主ダニエル太郎

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全日本ベレラン ドロー65に神和住 純の名前

月曜日曇り 雨

午前中庭の一角、ごみのたまり場になっていたところをようやく片付けた。昼からコートへと思っていたが元気のない体にようやく気付いた。明日の天気は崩れるとしって、重い腰を上げて出かけたがM氏と30分ストロークすると体は限界に、これ以上無理をするとヤバイとそうそうに引き上げた。

全日本ベレランテニスのドローがオンされていると知ったのは、クラブハウスの前での出来ごと、うしろからやってきたコーチが声をかける、耳も遠くなっているぼくは立ち止まり何ごとかと耳をそばだてた。

ぼくの名前があったというので、ビックリした。ぼくは首をかしげる。ぼくは少なくとも予選からですよと言うと、ドローに確かに名前を見つけたという、発表は16日と思ってまだ見ていなかった。誰かが欠場してぼくに出番が回って来たのだ。

家に戻ってパソコンを開いた。60歳以上はわりかし丁寧に見るようにしている。65歳代でなんと神和住 純(かみわずみ じゅん)の名前を見つけてため息をついた。

彼は2006年の全日本ベレラン55歳代に出場して優勝を飾っている。当たり前といえば当たり前だがそれなりのプレッシャーはあったと思う。

それから10年近く過ぎてまた自分の力をためそうというのか、楽しもうというのか、どちらにしても立派だと思う。同じ日程なのでぜひ観戦したい。








 


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全米オープン ジョコビッチ フェデラーを振り切る

月曜日 曇り

全米オープン、男子決勝戦ジョコビッチvsフェデラー戦は見る者に感動を与えてくれた。元王者のリベンジの意気込みは注目の的で、決勝までの勝ち上がり方にひしひしと感じとっていた。

全米5連覇の実績を持つフェデラーは6連覇をかけて戦ったデルポトロに敗れて以来、6年間決勝の舞台から遠ざかっていた。

ひさかたの決勝の舞台ではフェデラーの期待に観衆は盛り上がり、二人ともアウエイであるのに、ジョコビッチはひとり孤独に戦っていた。これ以上観衆を敵に回してブーイングでも渦巻くと大変だと孤独な戦いを戦い続けた。それでもフェデラーに勝利の女神は微笑まなかった。

ファーストの出始め、ジュコビッチはボールを追ってコートに派手に倒れ込み、かなりの擦り傷を負って、やばいと思ったがすくっと立ち上がり、何もなかったようにプレーを続行した。すぐにでも治療すべきだと思うくらい血はにじみ出ていたのに。

やはり今日はフェデラーの日かと思いきや、そのゲームを落しただけで、何もなかったように戦い続けてファーストをものにした。

セカンドはフェデラーの新しい武器などを披露してセカンドを取りセット11。
3セット、4セットフェデラーにもチャンスは十分にあったと思われたが、崩れそうで崩れないジョコビッチの守りにフェデラーの攻撃も大事な場面で決まらず、ジョコビッチは逃げ切っていた。

前哨戦の大会でフェデラーがジョコビッチに土を付けていたらしいが、大きなグランドスラムの大会でのジョコビッチの強さは、さすがナンバーワンにふさわしいものであった。

Novak Djokovic - Roger Federer Men's Singles - Final

Novak Djokovic - Roger Federer Men's Singles - Final

Novak Djokovic - Roger Federer Men's Singles - Final

Novak Djokovic - Roger Federer Men's Singles - Final


(ナダルを倒したフォニーニはボーイフレンド)







 


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