こんにちは
内藤です
八王子より無事帰還致しました
命懸けでした・・・
えっ?
大げさって?
いやいや
人の行動ってのはですよ
全て人生の一部
人生を使って
命を削ってしているんですよ
テニスだって朝ごはんだって
テニススクールの駐車場での1時間にも及ぶ世間話も
特に理由もなく行く岩盤浴も・・・
全て人生・・命を使って、命を懸けてしてるってことですよね
そういう意味です
二山越えて、高尾まで行き
西東京バスに乗り、国立市と同じ面積ほどある霊園を通り抜け
標高の高い、空気が薄くてキレイな宝生寺団地まで
行って帰ってきたんです
命懸けでしょ?
まあ、そんなことはよくて・・
八王子校でね
レディースの結構上手い方達のレッスンをしてるんです
ギャーギャーうるさいK坂さんがね・・
あ、いえ
貴重なご意見を
何のフィルターも通さず
一つもオブラートに包まず
全力で発信されるK坂様がね
そういうレッスンしてよーってうるさいから・・
あっ・・
まあ、要するにね
K坂さんがうるさいから今期からやってるんですが
いい感じなんです
自分で言うのも何ですが
なかなかいいレッスンです
でもこれは私側の問題ではなくて
受ける側
生徒さん側によってレッスンの質が相当上がっていると感じるんです
まだまだ足りないところもあるものの
学び方が上手なんです
テニスもね
ある程度出来るようになったらそこの差だと思うんです
中級でね
ショットはそこそこ出来る
ダブルスの動きや形も理解している
でも勝てない・・
だからレッスンをたくさん受けて
いろいろ教わって・・・
でも勝てない・・・
こんなにレッスン受けてるのに・・・
学び方なんだと思います
テニスが下手なのではなくて
学び方が下手なんです
昨日、レッスンをしていてつくづくそう思いました
中級の方はね
私たちの教えを受け取る器に問題があるんです
コーチの教えを水に例えた場合にね
コーチが注ぐわけですよ
皆さんの器に
こうですよ、ああですよ
こうしちゃだめですよ って・・・
器に問題がある方は
底に小さな穴が開いてるんです
注いでる時は溜まっていくのですが
ちょっとしたら空っぽに・・・
というだけならいいのですが
話はそう単純ではなく
器の選び方、持ち方、水の注がれ方に
大きな問題があるんです
まずね
ダメな人ほど大きな器をチョイスするんです
それを両手で抱える
それで
はい、どうぞ
どうぞコーチ、ここに水を注いでください
だってお金払ったじゃないですか
さぁ、どうぞ! って・・・
でもね
底に穴が開いてるから
なかなか溜まらない
もっともっとって水(アドバイス)を求めて
いつしか目的がね
その器を満タンにすることになっているんです
その水をどう使うかという
本来の目的などどうでもよくなっているんです
それでちょっとしたら
器の水は漏れてなくなるので
またレッスンに来て水を注いでもらう
・・・
上手い方々はね
そもそもの考え方が違うんです
まずは器ね
綺麗でも豪華でも
そして特に大きくなどないんです
ただしっかり、穴やひびなどがない器を持っているんです
持ち方にも大きな差があります
両手で抱えて、さあどうぞってしていません
片手で持ってるだけです
もう片方の手は
その水をどう使うかの為に空けてあります
注がれる水を
「使う前提」で
注いでもらうのです
いや注いでもらうという意識よりは
コーチに付いている蛇口を自分でひねりに来て
水を注ぐといったイメージです
そしてそれをどう使うかを考えているのです
アウトプットを意識して水を注ぐのです
目的はアウトプット、どう使うかです
先ほどのダメ人間は
目的自体がインプット
インプットのためのインプットをしている感じです
教わることを目的としてレッスンを受講する者と
教わったことをどう活かすか、を明確にビジョンしながら受講する者
差が開くばかりなのは明らかですね
なので、まずは学び方を変えなければなりません
っていうイベントレッスンを来期からする予定です
オンコート1時間
座学1時間
10言われて1受け取る体質から
1言われて10受け取る体質に変えていきます
対象者や詳細はまた案内しまーす
凄っ・・・
何か長々とちゃんとしてる風なこと書いてる・・・
自分のことは棚に上げて・・・
まあ、一緒に成長していきましょーってことですね
では
へばね~