僕が横浜に来るきっかけになったヤマハインドアテニススクール。
桜木町からすぐの立地で8年間営業後、みなとみらいの開発による立ち退きで閉鎖に。
ダブルスコート2面とシングルスコート2面で、生徒は3,000人を超えていました。
天井は低めで、ロブが抜ければエースになる高さ。
閉鎖後も細々と繋がっており、定期的に飲み会は行われてる。
地元を離れて長いので、この時の仲間は僕にとってとても大切。
気を遣わずに同じ時間を過ごせる貴重な友人である。
そんな中のひとり佐藤が、退院祝いを企画してくれた。
病気後、顔出しておきたかった、“まん天” へ。
君江ちゃん再会の握手が出来ました。 ヤマハ関係の仲間を連れてきたのは初めて。 奥の大きめの、それでも7~8人マックスのテーブルに、無理やり10人詰め込んでのスタートも、お店が好いてきた後半はテーブルを追加。
みんな、まぁ~飲む、飲む。
支払いの8割は飲み代でしたね。
僕は・・・小さな生ビールからスタートし、生グレ、赤ワイン、うすーいウーロンハイで閉めました。 もちろん、退院以来の “飲み” でした。
適度な量・・・
ビール大瓶1本、
日本酒・焼酎1合、
ワイングラスに2杯、位を目安にすると良いらしいです。
特に、積極的には話に加わらず、聞く側に回って貴重な時間を楽しみました。 まぁ、退院祝いにかこつけての飲み会なんすけどね。
久しぶりにあるやつらもいて、楽しかったです。 1番長いやつで、知り合って32年、あっという間っすね。
“生きて戻ったので、飲みたかった会” が、またひとつ開催できました。
19時スタートで盛り上がってきた21時ちょっと前、横に座っていた後輩が、
“電話じゃないっすか?” と教えてくれて出てみると、母親。
最近、家族同士で電話が来ると焦る・・・
声が聞き取れず、外へ。
“佳子が大変なのよ!” と、母。
焦る・・・。
“お腹が激しく痛むので病院に行った” と。
“盲腸らしいんだけど、はっきりしないのでまずは検査みたい・・・”
と言うような内容。
とりあえず、“甥っ子たちと連絡を取ってみる” と電話を切る。
おふくろは僕に続いての事で、軽いパニックに陥ってる感じ。
兄妹揃って73歳に心配かけてしまう結果に・・・(*_*;
スマホを見直すと、19時過ぎに甥っ子からLine。
こういう時に限ってこういうことが起きるんだなぁ~
ここの所、夜外出することは全くなかったのにね。
おふくろが言っていた内容の事と、その後の経緯。
“エコーでは分からず、内視鏡を入れて検査したところ、盲腸のようなので直ぐに手術する” と。
そう、虫垂炎だった。
ただ、ちょっと大変な感じで・・・。
翌日義兄に聞くたところによると、膿が全体に回っていてどこが傷口なのか分からず、その場所を探すのに時間がかかった、と。
“ぎりぎり盲腸を切除するだけで済んだ” と言う説明。
んー、いまいち理解できてないですが、軽い感じではなかったよう。
翌日、母と病院へ。
病院は埼玉の朝霞台中央病院・・・彼女に自宅から歩ける距離なので良かった。
行きは横浜から湘南新宿ラインで池袋、からの東武東上線。
帰りは副都心線から東横線の乗り入れで、馬車道まで乗り換えなし! これは便利(^^)
先月には来てもらっていたのが、今回は逆の立場に・・・。
いやいや。。。参りました。
まさかの兄妹揃っての入院騒ぎ。
この、“緊急入院” と言う響きは、ドキドキするわー
いつも元気な妹が弱ってるのを見て、僕のおふくろもちょっと凹みました。
まだ翌日だったので、傷口が痛むのと、頭痛も酷い、と。
疲れていたようなので、長居せずにお暇(いとま)しました。
痛くても、トイレは自力で歩いて行かないとダメらしいですね、動かないといけないんだって
もう、見ていてもつらそうでした・・・(T_T)
昨日、今日と少しずつ良くなってると連絡があり、一安心。
しかし、手術日を含めて4日間、食事は点滴のみ。
今日の昼からやっと重湯が解禁!
外科的な病気ですから、日毎に回復していくでしょう。
毎月、おふくろと3人で食事会をしようと言っていた矢先で、次回は鰻の予定でした。(鰻の写真は送っておきました(^^♪)
普通に食事できたり、トイレ行けることがいかに幸せか・・・そんな事をしみじみと感じさせられる兄妹になりました。