今日もテニス日和。
テニスできない立場からすると、微妙なお天気・・・(雨ならこの状況も納得できたりしてるので)
昨日はフライパンを新調しました。
テフロン・・・交換時が難しく無いっすか?
食器用スポンジと同じくらい、替え時が微妙ーです。
しかし、こんな事があったので、その辺は、ガンガン強気でいこう! と気持ちを切り替えてます。 食器を洗う時の洗剤も、けちらずがっつりプッシュしてます。
自炊はしてる方ですが、朝昼晩全て・・・という事はありませんでした。 大変ですね。
構想から買い物、準備・・・それにかかる時間に比べて、食べてる時間の短いこと・・・。
そして、洗い物。
その洗い物しながら、次の食事の構想を練る。
子供たちはお母さんに感謝しないとね~。
フライパンと共に、プレートも購入。
目にするまで思いつきませんでした。
これなら洗い物が減るな・・・と。
いろいろ迷いました。 プラスチック製の方が割れないから良いかな? と思いましたが、病院食を思い出すので・・・木製にしました。
トマトは切るだけなので、出来るだけ毎食入れてます。 トマトは値段で甘みが違う事も発見! 特売に釣られちゃダメですね(+_+)
カジキはおふくろが作って冷凍にしておいたのが美味しかったので、自分でも作ってみました。 クックパッドで目についたレシピ・・・醤油とお酒みりん、スライスしたニンニク1かけ、このタレに3時間くらい漬け込んでから焼きます。 焼き終えたら、残ったタレにごま油やねぎを加えて、更にタレを作るように書いてありましたが、これは濃すぎるかと思い止めておきました。 大根おろしは大事ですね。
ただ、ちょっと面倒くさいので調べてみると、“おろしちゃん 楽々” という自動おろし器がありました(^^)/ ・・・検討中です。
大好きなナスのシギ焼きは・・・素人には難しかったです。
もっと焼かないといけなかったよう・・・皮むきに5分、食べるのに3秒・・・という時間のアンバランスさに涙。 見た目も痩せほそってますね(>_<)
サラダに関しては、スーパーでの取り合わせを参考にしてます。 いろいろな組み合わせが勉強になります。 スーパー自体も、ちょっと足を延ばして普段いかないお店にも行ってます。 大きなところ行くと楽しいです。 テーマは、“減塩” ですけどね。
昨夜は退院後初めての夜の外食。
昭和な方たち(^^)と和食を頂きました。
久しぶりの、“人と会話しながらの食事” やはりひとりで食べるよりおいしいですね。
アルコールは無し。 冷たい緑茶とお水で凌ぎました。
こういう会が増えていくのでしょうか・・・
この僕が・・・信じられませんよねー
“あと1杯” と、みんなを足止めしてきた僕の半生。
もう酔っぱらう事もないのかな・・・
お酒抜きでも、3時間ちょっとがあっという間でした。
飲まなくても時間が過ぎていくのですね。
普通のしょうゆと普通のお塩で作られた料理を堪能。
“減塩生活” で頑張ってるので、たまには良いでしょう(^^♪
さてさて・・・
パンツ星人に戻った僕は、翌日の金曜日には、術後初の洗髪。
ベートーベンみたいな上部の盛り上がりが気になってるとこでした。
看護士さんにその旨を伝え、予約してもらう(完全予約制 おひとりさま30分)。
その3日後にはシャワーも解禁。
こちらも要予約。
そして、シャワー前後に心電図と血圧を測る・・・という念の入れよう。
心臓と言うのはやはりいろいろと大変なんだな・・・と改めて痛感する。
僕が入った一般病棟は、扇状に4床あるお部屋でした。 結構な広さがあったと思います。
僕は左から2番目、扇のかなめに向かって足が向いてる感じです。
僕が4人目として入りました、新人ですね。
カーテンがきっちりしまってるので、お互い顔を合わせることもなく、当然会話もしません。 それぞれの方のお見舞いの方との会話で声が分かるくらい。
僕は、いびきはかかない(自称ですけど、かいてないと思います)ので、こういった相部屋時に迷惑はかけてないと思うのですが・・・
みなさん、すごかった。
僕以外の全員、です。 もう、合唱です。
いや、輪唱・・・か・・・?
1人が終わると次の人が・・・と言う感じでした。
基本、消灯は22時で、部屋の電気はそこで消えます。
そのあとも個人的に頭上の小さな明かりを付けて本を読んだりしてもよいのですが、皆さん、もう、その前から寝てる感じです。
けっこう年配の方が多かったようです(声からの推測)
その輪唱も、深夜2時過ぎるくらい? になるとみなさんピタッと終わるのです。
いざ終わると、今度は、“いつまた始まるんだ?” と言う感じで寝付けず・・・
結局、明け方寝付くような感じに・・・
ただ、ちょうどそんな感じの時に、鳥のさえずりと共に、“採血”・・・
と言う感じで一般病棟へ移った直後はなかなか寝られませんでした。
8時の朝食後、羽鳥さんを見ながらうとうとするのですが、10時からの “春のワルツ” は見逃せないので、頑張って起きてると・・・今度は昼食がやってくる、という感じでした。
合唱隊のひとりが30日の土曜日に退院。 この方は輪唱に加え、“プップー” もすごく、これにも参りました。 本人は気持ちよく出したいようで、容赦なく、躊躇なく、ぶちかまします(>_<) もう、ほんとにカーテンが揺れるくらい・・・ちょっとデリカシーが無かったかな。
翌日にまた一人退院・・・で、僕から見ると右隣にに当たる、“なおさん” と二人きりになってしまいました。
なおさん、は奥様の呼び方から判断しました。
この方は、唯一、お顔を拝見できた方です。
食事を運んできた方が開けたお互いのカーテンが少し開いてので目にした感じです。
多分、70歳前半から半ばくらいでしょうか?
この方は、夜、おトイレに行く際に2日連続で転んでしまい、おでこの右端と左端を縫う事態に・・・(*_*;
2度目の方が結構深く切ったらしく、“倒れた音聞きました?” と、看護士さんに “事情聴取” されました。
深夜3時くらいの出来事だったようです。 起きてたと思うんですが・・・そんな大きな音はしなかったんだよなー
滑りやすい靴だったらしく、2度目のけがの翌日、きちんと足が固定できるサンダルを息子さんが買ってあげてました。
看護士さんが、“よかったねー” と。
看護士さんは、年齢に関係なく、あまり敬語は使いませんね。
対象の方の多くが仕事をリタイアした様子の年齢が高い方が多いからでしょうか?
僕まで、“まだお仕事しててるんですか?” と聞かれた始末。
リタイアした歳には見えないだろー と、驚きましたよ。
そして日曜日。 入院から1週間です。
だいぶ様子も分かってきました。
世の中はゴールデン真っ最中。
テレビからは各地のイベント、そして渋滞情報なんかをやってます。
まさか、なぁー と言う感じで過ごしたGWでした。
この頃には、点滴類はすべて外され、心電図の送信機のみとなりました。 胸に貼られていたぺったんも、6つから3つへ。
この送信機は、高価な為、20台しかないらしく“厳選された方” のみ使用できるんですよ、と言われました。
2度目の手術が6日の金曜日になることを知らされたのが、2日の月曜日。
この日の夜、初めて “コードブルー” がアナウンスされたのでした。
夜0時くらいだったでしょうか?
“6階の○○号室、コードブルー” と。
その後5分くらい経った後、
“○○号室、コードブルー解除” と。
その後聞いたところ、心肺停止になるとアナウンスされるようです。
これはその後も、もう1回ありました。
ちょっと、ビビりますよねー テレビじゃないっすもんねー
4日は “台北に舞う雪” を見ました。
入院期間中の、こうした衛星放送での映画はとても貴重でした。
初めてだはなかったので、流しながらも見れるし、新しい発見もあったり・・・ちょっと切ない内容なんですよけどね。
初めの手術明けの水曜日だったか?
スクールのヘッドコーチが顔出してくれました。
ちょっと顔を見たかったよう。
過去にダブルスくんだり、飲みに行ったり・・・同じ競馬仲間としてプライベートでも仲良くしてるやつなんすけど。
“びっくりしましたよ!” って。
僕も・・・
“まだまだお手伝いしてもらうことがあるんですからー” と言ってくれました。
彼はこの後、同僚を連れてもう1度顔出してくれました。
前述したとおり、術後は胸の痛みより頭痛がひどくて、連絡してくれた方には、お見舞いはお断りしていました。
連絡なしできた後輩が何人かいましたが、皆、とりあえず心配で顔を見たかったようでした。
2度目の手術前にほかにもお見舞いに来ていて頂きました。
まぁ、正直、気を遣わないと言ったら嘘になりますが、来てもらえて、ちょっと話をするだ、とても気分転換になりました。
もう、悲壮感たっぷりに来て、僕が普通に歩いているのを見て、
“ん? 大丈夫なの?” と、けっこう心配されたりしましたが。
でも、たくさんの人に来てもらいました。
辺鄙なとこにある病院だし、皆さんお忙しいところ、ありがたいですね。
そして2度目の手術前夜・・・母と妹が顔出してくれて、その前で、例の
“手術前点滴準備失敗の巻” が執り行われたのでした。
母と妹は、そのまま僕のうちに泊まり、翌日の手術に立ち会ってくれることに。
9時前には始まるという事で、8時の朝ご飯を終えて、大人しく病室で待つ。
こちらも前述したかもしれませんが・・・
1度目は緊急で、全てが一気に行われ、あっという間でしたが、今回は頭の中で全てシュミレーションできる分、ビビってました。
そうそう、一般病棟へ移ってスマホが使えるようになってから・・・
“心筋梗塞” から始まり、
“心筋梗塞 テニス”、
と言うように、“心筋梗塞” からのひとつワードを足したあらゆる検索をしました。
“手術”、 “原因”、“運動”、“復帰”・・・
後半は、“リハビリ” 等々。
心筋梗塞になった方のブログもけっこう見つかり、いろいろと参考になりました。
食事に関してもけっこう勉強したので、退院前の管理栄養士さんとの話は、すべて知ってることばかりでした。
冠動脈とは、心臓の上を冠のように乗っている血管(動脈)で、心臓を取り囲むようにして走行しています。
その冠動脈は、右冠動脈と左冠動脈に分かれていて、更に左冠動脈は、左冠動脈前下行枝および左冠動脈回旋枝と呼ばれています。
要は、右に1本、左は途中で別れて2本になる、計3本という事っすね。
初めの手術は、右冠動脈の付け根が詰まってしまい、そこを広げてステント留置。
2度目は、左冠動脈の方の左冠動脈前下行枝、要は真ん中?2本目のやつです。
その部分に75%の狭窄が見られたので、その部分を前回と同じように、カテーテルを入れて、ステントを巻いた風船を患部まで持っていき、膨らまし留置する、という手術でした。
歩けるのですが、手術室までは車いすで。
担当はお気に入りの高橋君です。
母と妹の励ましに見送られ、手術室へ。
1000人にひとり・・・と説明されたもしもの時の “誓約書” のサインが頭に浮かびます・・・
こんな時はなかなかポジティブに考えられないもので・・・
宝くじは当たらないんすけどね、こういう確率だけは、もしかしたら・・・なんて想像もしてしまうものです。
手術室到着。 相変わらず寒い・・・ 手術後に聞いたところ、カテーテル手術は、とんでもなく高い電圧を要するので寒くなってるらしい?的なお話を看護士さんよりお伺いしました。
手術開始。
前回同様、目は見えない。
まずは、看護士さんが尿道カテーテルを入れる。これは術後、一時的に排尿できなくなるため。
まぁ、2度目なので感じは分かりますが、前回は半分意識ないままだったので、今
今回の方がまともにきました(*_*;
“う”っ、う~” と言う感じです。
“う” に、点々がつくやつです。
入れ終わると、“あ”-、これこれ、この感覚だー” と “あ” に点々の感じを思い出しました。 まぁ、楽と言えば楽ですが・・・ もう、やりてくないですね。
この入れた感じを説明すると・・・ずっと、少し尿を催した感じが続いてるかんじ? っつう感じです。 残尿感ありながらも、でも、出てる・・と言う感じ。
そして、右足付け根に麻酔。 思ったより痛くなかった。
その後、カテーテルで造影剤が入る。
胸の上を逐一移動してるのは画像をモニターするためのカメラのよう。
うっすらと左には大画面に映る僕の心臓君。
これでテレビ見たら迫力あるであろう、大きな画面です(上村さんちくらいか?)
その画面を見ながら、かちゃかちゃとカテーテルをコントローラー音。
部分麻酔なので、もちろん音はすべて聞こえてる。
そしてステント挿入。
ステントが心臓に到着、そして膨らむ風船・・・
ここで、胸が熱くなったのです。
じわーっと。
そして押されるような痛み。
・・・ん??
そう、この痛みは、例の痛みでした。
あの、苦痛に悶えた24日の夜の、あの痛みです。
胸を熱くする押し込まれたような痛み、あの日の夜と同じ痛みでした。
しばらくそのままその痛みの中で、カチャカチャ・・・。
計1時間半くらい? で終了。
“無事に終わりましたよ。前回、手術したところの血流も順調です” と・・・(感謝と感動の涙(T_T))
そのまま画面を見ながら更に説明してくれようとしましたが、
“視力が悪いので見えませんので・・・” と言うと、そのまま去っていきました。
1度目の手術後一安心も、この2度目の手術がある為、憂鬱な日々を送っていたのですが、この瞬間はとても嬉しかったです。 これで、“退院” の二文字が、現実味を帯びてきました。
その手術後、僕のベットが中々来てくれず、寒い思いをしました。
横にいた看護士さんが、“遅いわねー、迷っちゃったのかしら?” なんてのんきなこと言ってるし(*_*; でも、足元と胸に毛布を掛けてくれました。
まぁまぁ、待ってやっと到着。
そうそう・・・術後15分くらい? 担当医師がカテーテルを入れた足元の動脈をずっと抑えてくれていました。
こんなに長い間? と思っていましたが、あとで聞いたところ、動脈なので、しっかり止血しないとやばいとのこと。
15分後、止まったと見るや、15㎝幅くらいのちょっと固めで粘着力の強いキネシオテープみたいなものをがっつりまかれました。
かなりきつめに・・・ 患部を中心に、右足もも裏からぐるっと前へ、
左胸辺りからも、右足付け根に向かってがっちり、と。
まさに、“固定” とはこういうことを言うのだろう。
手首もこのくらい固めれば、ボレーも安定するかもね。
手術台からベッドへの移動。
3人くらいで、“いっせいの~、せっ!” と言う感じ。
“1,2のー3” だったか?
これが、まー、さすが、と言うか、慣れてる・・・と言うか・・・
移動先のベッドに、ちゃんと手術着が準備されて待ってる。
僕は手を通すだけ・・・伝わるかな?
パンツマンはまたおむつおじさんに・・・厳密にいうと、“十字帯”なるもの。 おむつをもっと簡略化した感じのやつです。 これは事前に用意するよう言われており、病院の1階のコンビニで手に入れておきました。
この後がつらかった・・・。
“絶対動いてはいけない6時間” スタートです。
ご飯は、“串刺し食” と命名された食事でした(ほんとです) こんな名称が存在してるんですね。
動かなくても食べられるように、おかずに串が刺されているのです。
鶏肉(まさに焼き鳥(^^♪)と野菜の煮物、パイナップル、とおにぎりだったかな? 妹に食べさせてもらいましたが・・・。
暫くして家族は退散。
魔の6時間が始まりました。
腕以外、“全く!!” 動かしてはいけないのです!!!
これは苦痛でした。 耐えられない・・・何度もそう思いました。
寝てしまったら寝返りうってしまうかも、とそれもだめ。
大変でした・・・。
でも、時間は通り過ぎるのですね。
1時間、30分、15分、5分、1分・・・
約束の16時~!!!(^◇^)
と言うのに、医者が来ず・・・。
暫くして、高橋君がやってくる。
“担当の先生が帰ってしまったので、他の先生が来ます” と。
“え”っ~~~、なんだとー( 一一)” まさに怒り心頭。
あとで聞いたところ、宿直明けだったらしい。
そうならそうで、きちんと申し送りしておいてよー!! と。
そうこうするうちに高橋君は勤務を終え帰宅。
次の担当の看護士さんが来た時に、約束の時間が過ぎている旨を報告。
“じゃぁ、すぐに探してきますねー” と、まぁまぁ急いでくれた。
結局、若い医者がもろもろ外しに来てくれたのが、約束の1時間後・・・
彼も事情をよく知らず、特に慌てずに来た。
“担当医、誰?” と看護士さんに尋ねる若い医師。
“○○先生です”
“宿直明けで手術したの? よくやったね~” とのお返事。
むむむ・・・?(+_+)
まぁ、いいけど。
カテーテルはその夜⒑時くらいには抜いてもらいました。
“息を吐いてくださ~い” と吐き終わった頃を見計らって、
“ビュンッ!”
前回よりちょっと痛かった・・・と思ったら、案の定、その後の尿には血が混じっていた(*_*;
もう・・・
いろいろあるわな。
こちらからすると、1対1ですが、あちら側から見れば、1対10、とか100ですからね・・・。
家族に接するように、とはよく言ったものです。
気を付けないとね。
この夜、お隣のなおさんがナースセンターの近くへ引っ越していきました。 頭が心配でしたからね、 よかったです。
そして、4人部屋にひとり。
この日は、病院へきて初めて汽笛が聞こえました。
さぁ、いよいよ退院です!
~つづく~