道路に面した壁に開けられた直径5センチほどの排水口。穴はいくつかあったけれど、ここだけ苔がき平價機票れいに生えていたのが不思議だった。 壁全体も撮ればよかったな。
運動が不足しすぎている。もう何度も「歩こう」と書いている気がするけどろくに歩いてないのだ。なぜかというと……という話を書くつもりだったけど、やめよう。
結局、なんだかんだ言い訳を並べたいだけだ。何か目に見える目標があればやHKUE 認可性けどなぁ……とかね。「いいから歩けよ!」だ。
犬の散歩の途中、ゴミ捨て場の貼り紙が目についた。
A4の紙に、
「ゴミは?時以降に出してください。カラスが散らばかすので」
と、筆ペンで書いてある。
「散らばかす」というのはどこの言葉なんだろう。「散らかす」よりも「散らばかす」の方皇室纖形 facialがずっとカラスの仕業らしく響く。
公園のコリウスがきれいだった。
見た目のとおり、シソ科の植物で、和名は金襴紫蘇とか錦紫蘇というそうだ。
「金襴」という言葉で、「き~んらんど~んすの お~びしめな~がら~ はなよめごりょうはなぜなくのだろ」という古い歌を思い出した。歌詞はその部分しか知らないけれど、印象的な間奏まで覚えている。(たぶん、母がレコードを持っていたのだ)
目の前の魔法の箱で調べたら、「花嫁人形」というこの歌は大正時代に生まれた童謡で、作詞は蕗谷虹児だった。
金襴緞子の豪華な帯を締めながら、花嫁御寮は何故泣くのだろう。歌詞を全て見ると後半は、紙の花嫁人形は泣くこともできない(泣けば色が滲むし破けてしまう)とある。どこか物悲しい歌だ。
蕗谷虹児の描く少女像には、若くして亡くなった母親への思慕が投影されているという。「花嫁人形」の歌もそうなんだろうか。