月別アーカイブ: 2016年1月

ヘッドのextreme(MP)ラケットのうんちく

日曜日曇り

午前中コートへ、壁打ちとストローク30分、ダブルス2セットして終えた。

ヘッドのextreme(MP)というラケットを壁打ちをしてストロークで使い、ダブルスでも使ってみた。イメージ通りボールが飛んでゆかなかった。ガットが強くはられているのでぼくのパワーでは無理みたいだといろいろ使って決心した。張り替えよう。

アガシが強いころは、アガシの使用するヘッドのラケットを追っていた。アガシがダメになり引退するとナダルのバボラとなったが、ナダルのバボラには抵抗があって使うまでには時間を要した。

今はジョコビッチがナンバーワンでゆるぎない。又もどこかの大会でナダルをストレートで下したとのニュース。もうナダルがNO1に帰り咲くことはありえない。フェデラーも最後の線香花火で頑張っているが限度というものがあるはず。

ブリスベン國際(250)で錦織圭はトミックに敗退、勝ち上がればラオニチと対戦するはずだった。ラオニチはトミックを一蹴してフェデラーと決勝戦を行い優勝していた。

年末遊びまわっていたかに見えた錦織圭は大丈夫かと注視していたが、勝ちパターンを勝ちきれてない選手に後退している感が垣間見えた。巨人のビッグサーバーを相手に挑むには研ぎ澄まされた機敏性が要求される。それを維持して行くのは生半可ではないはずだ。

話がそれてしまった。それでぼくはジョコビッチのラケットの購入を考えたが、財布が許さなかったし、それが最後の砦であると思うと怖くもあった。それでとりあえず、ジョコビッチが張っているガットを割り出して、たいまい払ってガットはすでに購入していた。ハイブリッド(縦ナチュラル、横ポリ)。

コートから帰ると早速張り替えに取り掛かっていた。








 


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ヘッドのextreme (MIDPRUS)というラケット

土曜日 曇り

家の中で一日を過ごした孫たちは3時過ぎ別れを惜しみながら帰途に付いた。迷っていたけど壁打ちでも少しするかとコートへ車を走らせると、4時というのに車の止めるスペースは見つからず、玄関前のアプローチに置いた。
三々五々と家路をたどっているかと思ったが、あてが外れていた。

ヘッドのextreme (MIDPRUS)というラケットを数年前元デ杯選手から交換に頂いていた。

ぼくはナダル使用のバボラアエロプロドライブの中古をJOPに挑戦始めた頃から使っている。ナダルのエッグと言われた強烈なスピンにテニス界が唖然としていた頃、ナダルにあこがれ、非力だけれども両手で打てば近づくかもと頑張って見たがそんなに甘いものではなかった。それでもナダルのすべてにこだわり負け続けていた。

50ポンド以上ではっていたので、パワー不足でボールは浅くなりがちで打ちごろになっていただろうし、足はたびたび痙攣を起こし、技術も体力もスリーセットの大会で勝進むにはに程遠い世界に、怖さ知らずに踏み込んでいたのだっだ。

一昨年東北選手権で優勝した時、大事なシーンでは頂いたヘッドのラケットに持ち替えて勝進み、優勝していたので、終わった後、まあ一本揃えようとネットで探していたが、途中で止めていた。手ごろなのが見つからなかったと思う。

迷いあぐんでいた頃、ひょんなことからアガシ専用ラジカルツアーに興味を抱いていた。バボラのラケットには自信をなくしていて、どのラケットを使ったらいいのか分からなくなっていた。そしてぼくはそのアガシのヘッドのラケットを使って7月の福岡県ベテランと北海道選手権で敗退していた。

だから最後のよりどころは東北で活躍したヘッドのextremeを再認識せざるをえなかった。今年はこれにかけてみようと決心してネットで探し注文していたのが、今朝その新古ラケットが届いていたのだ。

壁でためし打ちがしたかった。強めのガットが張っていた。50ポンド以上はありそうだ。さてさて、この先どうなることやら・・・・。








 


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圭、開幕戦をつまずく・・・不安克服あるか否か

金曜日曇り  冬らしく気温下ル

昨夜、入れ替わって二男の孫娘二人やって来た。あーちゃんに逢いたくて逢いたくて一日半を過ごすために強行軍を行なっている。

午前中テニス、籠ボールで30分、ストロークとサービスを1時間弱、ダブルスを1セット。タイブレークの大接戦を征すと寒さは一段と厳しく感じた。シャワーは止めて帰途に就く。

男子テニスツアー開幕戦ブリスベン国際、シングルス準々決勝で、第2シードの錦織圭は第7シードのB・トミック(オーストラリア)に36 61 36のフルセットで敗れ去った。








 


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孫娘を空港に送って

木曜日曇り

孫の帰る日。2週間ほどあーちゃんに甘えて9時半に家を出て空港へ。夏休みは帰りの便で飛行機に乗ってから2時間ほど待たされ、えらい目にあったので便を早めにしたらしい。あーちゃんは搭乗室まで見送るために、カウンターへ行くともう一人で大丈夫ではありませんかと言われたらしいが、事由を言って懇願、上司に相談してOKがでたという。
ぼくは孫に別れの言葉をかけて、待合の椅子に腰を下ろした。時間はかなりありそうだ、こんな時の時間つぶしにipadは役に立つ。ブログを振りかえることが多い。ブログを始めたばかりの2008年の1月を開いてみた。

小学1年の孫は中旬に高熱を出していた。2歳のときも高熱で日赤に入院、川崎病を疑われてえらい目にあっていたのに又かと深刻であった気がする。その孫も春には高校生となる。勉強に追われているのを見ているとかわいそうにもおもえる。じいちゃんは甘いと又ママに怒られそうだが、高熱を二回を耐えて生きてきた孫にあまり期待しないでね。
個性を伸ばすことそれが大事だと思う。部外者だから言える言葉だけれど・・そう思う。

昼からコートへ、ダブルス2セットとサービスからのストロークの練習。サービス少しは良くなったつもりでいたが、試合になると微妙に自信が揺らいでくるのだ。この辺の克服がむずかしい。








 


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クラブテニスを楽しむ

水曜日 曇り 雨

I氏と10時からシングルス。先日IT氏とねんりん式のシングルスで大苦戦、その前のストロークの練習で彼の両方スライスのストロークを持て余していた。試合になれば経験豊富なぼくが有利だろうとたかを食っていたが、試合も練習の延長で完全に押されていた。ライジングぎみに放つ左右のストレートにはなすすべもなく見送るだけだった。何とかくらいついて33のタイブレークと持ち込んだが、タイブレークも押され気味で終始していたが、とどのつまり相手のミスが続いてなんとかかわしていた。

その辺の反省も頭に入れて、試合を始めたが大接戦となっていた。研ぎ澄まされたフォアに苦戦を強いられていた。相手は楽勝にキープ、ぼくはやっとこさキープで食らいつき何とかタイブレークに持ち込んだ。そしてタイブレークを何とかものにした。セカンド、ぼくが体力勝ちをしていた。

7番コートでサービスの練習している女性。忘年会でシングルスの話になり、試合に出ているけど満足の結果はでず、練習の機会がなかなかないと話していたので、ぼくが壁打ちしていたら声をかけて下さいの人に似ていた。

声をかけるとやはりそうだったので、シングルスを1セット。シングルスを愛する人らしく、左右機敏に動いてボールを追いかけ、油断しているとポイントを取られていた。だが、せっかく作ったチャンスボールをミスするシーンが多くなっていった。まだ若いし、ぼくの好敵手になるのはそう遠くではあるまい。

・錦織「グレートなプレー」シングルス初戦快勝で8強
・錦織圭がダブルスで金星 昨年全米Vペアに勝利

 
・真央 全日本は引退覚悟だった 「辞めると思ってました」








 


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北九州へのバスツアー(肉とカニの食べ比べ)

火曜日曇り 雨 雨

高速バスで天神バスセンターまで、日銀の前でひらってもらい宗像大社へ向かう。

クラブツーリズム、バスの旅12月号を何気なく見ていると「北海道バイキングVS福岡ブランド和牛食べ比べ」タラバ ズワイ 毛ガニと地酒食べ飲み放題と大きく、行く先は小さく書いていたが、一度行ってみたいと思っていた宗像大社、門司港レトロは何度か行ったが孫娘は初めてかも、スペースワールドのイルミネーションは孫娘の興味をそそるかも、そのあたりは青春時代を過ごした範ちゅうなのでどうでもよかったが、食い物に魅かれて、世界遺産になった宗像、旧八幡製鐵所の本事務所は世界遺産に指定されたとかで、孫娘と懐かしむのもいいだろうとおもいたった。

昨夏休みの長崎旅行と同じく今回も福岡県の補助金が6000円でて一人6480円の日帰りバツツアーだった。

宗像大社では参拝してからすぐ左手に方向にある神宝館を訪れた。大きな建物で入館料500円、海の正倉院と言われる沖ノ島?の秘宝が展示されているのではと興味をいだいていた。一見する価値はあったと思う。

門司港レトロに近づくころから今にも泣きそうな空からバスの窓を濡らし始めていた。小雨だったが・・・。
シートレビアンで「福岡ブランド和牛食べ比べ」が1時過ぎ、5時から北海道バイキング、カニの食べ放題とガイドの説明はあった、その間隔が狭いので、腹加減をどうしたものかと、考えたりしていたが、出された肉を満足いくまで焼いてほうばっていた。近くの門司港レトロは小雨、31階展望台に上がって曇り空の周囲を見渡し時間を過ごした。

夕やみ迫るスペースワールドに引き返して北海道バイキングとあいなった。カニも十分に用意されていたし、腹膨れるほど頑張って食べた、満足のいく内容であったと思う。食べて飲むこと1時間、そとにでるとそこにはイルミネーションの世界が広がっていた。

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まぼろしの東京オリンピック 昭和15年

月曜日晴れ 大気汚染レッドマーク

今年の4日は仕事始めらしくて、午前中のコートは空いていた。今日からクラブハウスはオープンしてトイレもシャワーもokだったので助かる。が、空を見ると霞がかかっているみたいで、鼻がもぞもぞした。

夜BSをいれると昭和15年開催予定の東京オリンピックは日中事変の勃発などで日本が開催を返上してまぼろしにおわっていたストーリだった。
当時、10000メーター出場に情熱を燃やしていた選手のノンフィクションにまぼろしの挿話を交えた物語に引きつけられ、話は途中まで進んでいたが見入っていた。村社講平(むらこし こうへい)(中大~全川崎)は昭和9~14年まで全日本を6連覇しており1936のベルリン(ドイツ)に出場して北欧勢に敗れて4位にあまんじる。悔し涙で四年後にかけるが、6連覇を阻んだ男が現れる。くしくも東京オリンピックまぼろしの昭和15年だった。山下勝(専大)だ。

東京オリンピックにかこつけ、まぼろしのオリンピックで涙をのんだ人を若い記者が取材した形でストーリは進んでいるようにみえた。若い記者と山下勝は夕闇の競技場でまばろしの面会を果して、いろんな対話を交わす。

もしもオリンピックが中止になったらどうしますが、えー、中止になるんですか?いや、オリンピックがなかったとしたら・・・・。私は走っていると思います。・・・・・・・・・。

まぼろしの大きなスタジアムはいつのまにかこうこうとライトが照らされて、山下は記者にタイムトライをお願いする。山下勝の走るグランドにはいつのまにか、オリンピックの会場に変わり外人選手と一緒に競走、そこには村社講平の姿も映しだされ、無人の観覧席が満員の日の丸の旗をてにした歓喜の観衆に変わる。

一人黙々と走る会場変わり、山下勝は薄暗い会場に白のランニングシャツとパンツで消えていった。昭和17年山下は中国戦線で名誉の戦死、もし生きていれば名を残す選手となっただろうにと記者はつぶやいた。

テレビを見終わるやいなや、ぼくは外にうち出でて夜の街中を走った。足腰鍛えると言うばかりで何もしていない自分に火を付けられた思いだった。

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高校サッカー 東福岡PK戦せいしてB8

日曜日 曇り

午前中テニスコートへ、壁打ちとダブルス2試合でトイレの限界がきたので昼前には家に戻っていた。

箱根駅伝を垣間見る、今にも倒れそうな選手が画面に写っていた。よろめきながようようたどりつこうとする中継所にはタスキを渡す選手はもういなかった。青春の一コマ、彼らは忘れることができない貴重な体験をしていた。青春をかけている本望に違いない。

高校サッカー、東福岡というので見ようと思った。昨日だったか地元の大津が23で負けるのを見守った。残りの九州勢を応援したいという思いだった。相手の市立船橋とはインターハイで決勝を争い東福岡がPK戦を制したという。三回戦で因縁の対戦ということで大観衆が集まっていたらしい。

決勝戦と思って戦うという監督の談話が紹介されていた。確かに互いに1点も与えず熾烈な戦いが最後まで続いて、またもやPK戦となっていた。

PK戦は東福岡が先攻して、二人目を阻み優位に進んだが4人目を船橋が阻み振出しに戻る。そして5人目東福岡がキックを決めて、船橋がキック決めれば延長戦、阻めば東福岡の勝利となる。東福岡の4人目が失敗してグランドにうつ伏すとキーパーが駆けよった、心配するな俺が阻むからと言ったに違いない。意気盛んなキーパーはその約束を守って5人目のキックをゴールポストの前で見事に阻んだ。九州勢は勝ち残っていた。









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福岡県ベテラン(春)が今年のスタート

土曜日 曇り

今日は早めに出かけると、ジュニアの練習で4面使えなかったが10時になると終わっていた。
サービスの練習をして男子ダブルス、好敵手で行うこと2セットで2勝。楽しくも緊迫した内容を楽しんだ。トイレは今日も使えず、我慢の限界近づいたので帰途つく。

夜、長男立ち寄る1泊するそうだ。2月開催の福岡県ベレラン、九州テニス協会を閲覧してまだ出ていないと安心したのは年末のこと。もう出ていないとはおかしいと開くと福岡県の管轄であるのを思いだし、開いてみると締め切りが7日と迫っていたので少し慌てた。

今年は福岡県ベテラン(春)からのスタートとなる。好敵手は数名上がってくので厳しい戦いが予想されるが、それでもぼくは頑張らなければならい。4月の九州毎日、5月の北九州トーナメント、6月の九州選手権を終えた段階でどれほどの成績を残せるのか、全日本ベテランの道を探ることになる。








 


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初シングルス41から46のお年玉

金曜日 元旦  晴れ

冬とは思えぬ暖かい年末年始が続きそう。温暖化の影響だろうか、地球という星は着実に終末へと歩を進めているのだろう。

だから生を楽しまなければならないが現実はそうもいかぬ。鳴らぬ尺八に文句を並べで、青春時代を振り返りるこの頃。ぼくのくらい青春、友達に誘われて尺八を習いだした。演奏会には琴三味線のうら若き女性もあまたいたが何ごともなく打ち過ごしていた。結ばれたカップルのいたことを思いだす。年一度の大演奏会が市民会館で催していた。国内の指折りの奏者も呼んでいた。会長はそれだけの実力を有していた。今思えば当時としてはすごかった気がしている。だけどぼくは尺八よりギターなどに興味をもち、尺八は付き合いでみたいな程度だった。

年一回個人の発表会が奥まった静かな保養所で開かれていた。これは一人ずつ演奏曲名を決めて会長の前でかしこまって演奏するのだ。琴三味線と演奏するで、その下合わせを琴三味線の先生の所に出かけて練習しなければならなかった。ぼくの共演者はめしいの男の人でけっこう知られたひとらしかった。遠くまで出かけた記憶がある。

昭和39年12月日付のセピア色の表彰状がぼくの人生の一式が詰まっている古ぼけたみかん箱に見つかった。曲名「虫の武蔵野」で努力賞を授与されている。翌年の努力賞で終わっていた。小さな楯もあったはずだ。そして一年後くらいに当地にやってきてている。言い訳すると練習するとすぐに唇に頑固な口内炎ができて泣いていた。

あの頃を懐かしく思うのは歳のせいだが、師範とか大師範とかの先輩はもういないだろうと考えるとさびしい。さびしいからぼくは尺八を吹く。

「人は誰もただ一人旅に出て
 人は誰もふるさとを振りかえる 
ちょっぴりさみしくて 振りかえっても 
そこにはただ風が吹いているだけ 
人は誰も人生に つまずいて
 人は誰も夢破れ 振りかえる」(風)

たまらず2時過ぎにコートへ出かけた。初打ち。コートはガラガラでさすがに少なかった。女子ダブルスに挑戦してあやうく勝利、2勝上げたが相手は女性だから胸を張るわけにはいかない。

初シングルスに挑戦、いつも胸を借りている仲間、14とリードしていたがいつも逆転されていたからいやな雰囲気を感じていた。25になるチャンスを逸すると流れは変わっていた。チャンスはあったのに負けていた。46。これは今のぼくの課題。

(反 省)
・ボールが浅くなっていた。
・サービスに自信が持てなくなっていった。
・前に出る勇気、中途半端に終わっていた。








 


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