森田あゆみの再出発

水曜日 晴れ 昭和の日

今日からしばらく独身生活だが、現実として突入するかもしれないと考える日々でもある。最後とおもえる小学校同級会の案内が届いていた、たそがれも現実として目の前にある。覚悟はできているのかと問われれば、なんとしょう。

新聞折り込み広告にさがしていた朝顔の苗が載っていたので、さっそくチャリで出かけた。片道20分余りのハンズマン。ウイークデイなのにえらくごった返していた。4個苗を買って長い行列に並んだ。その後コートへ出かけた時も車の多さに首をかしげながら、コートの中を覗き込むと現役の人たちがたむろしていたので、ようやく祭日らしいと気がついた。祭日だった。毎日が日曜日だとこうなるし、ましてや一人でいるとこうなるのだ。

壁打ちをして、奥ちゃんにねんりん方式のシングルス2セット、リハビリとしてお願いした。動きは足をかばって、あいかわらずダメだったが少しだけ回復の感触はあった。

森田あゆみ、故障から復帰して大会に参加しているのを見聞する。2005年4月12日15歳1か月でプロに転向、11月19日、全日本テニス選手権の女子シングルスで米村知子を 4-6, 6-4, 6-3 の逆転で破り、「15歳8ヶ月8日」で初優勝。シングルス最高ランキング40位と期待されていた森田あゆみだが、そのご伸び悩んでいる。まだ25歳、錦織と同じ世代なのだ。頑張ってほしい。

左右両手打ち、中村藍子と森田あゆみにはずっと注視して応援していたが、あと一歩の千里とというか、は歯がゆい思いをし続けていた。中村は2012年に引退したという。

左右両手打ち、フランス人バルトルの存在を知ったのは2006年ジャパンオープンの決勝戦、相手は中村藍子、当時期待されたトッププレヤだった。ファースト62でものにして、行けると思ってが太陽を気にしたのか大事なところでダブルフォールトを何度もおかして自滅したという残念な印象がある。あそこでの勝敗がその後の中村を象徴していたように思えてならない。

その後のバルトリは変化を続けていた。そこには苦難の努力があったに相違ない。努力は報われて、ウインブルドンで優勝を果たすと自分の目標は達成したと、世間を唖然とさせてコートを去って行った。

森田が2回戦へ、クルム伊達は初戦敗退 [カンガルーカップ/女子テニス]


カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 23:50 | コメントをどうぞ

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