下剋上受験、懐かしかった!

ここ最近楽しみに見ていたテレビ番組に「下剋上受験」がありました!

20170319

中卒の両親が一人娘に、勉強で人生を変えるを目的に、中学受験させる、しかも塾には通わず、父親が勉強を教えるというものでした。

最初は、コメディぽく、何話か見なかったのですが、娘から非常に面白いと言われ、また見出しだし、先日、最終回が終わり、感激しました!

見終わって、環境は違いますが、私も一人娘を中学受験させたので、その頃のことを懐かしく思い出しました。

人生、いろいろなターミングポイントがありますが、膝故障でテニスが出来なくなり、自分自身は、仕事に関係する資格(社会保険労務士等)を受けましたが、社労士合格直後から、ちょうど、娘の中学受験が始まりました。

ドラマとは違い中学受験塾に通わせましたが、約週3回平日に小学校が終わってから、電車で数駅の塾へいき、授業は8時過ぎまででした。

平日の私の役割は、娘の塾の終了時刻に合わせ、仕事を終え、ちょうど通勤経路でしたので、途中下車して、迎えにいくというものでした。(娘を塾まで送るのは母親の役割で)

休日は、毎回ではありませんが、最初の頃は、学校説明会に県内、都内含めて10校以上に親子で参加し、後半は通っていた塾だけでなく、他校含めた公開模試へ行き、娘が受けている間は、親向けの中学受験情報会に参加していました。(ここは両親揃って)

そして、願書提出も私の役割で、早い受験番号がいいとの噂を半ば信じ、会社へ行く前、始発電車に乗り学校に並び、少しでも早い受験番号を得るようにしました。
(会社は願書提出してから眠い目をこすりながらと)

そのかいもあり、かなり早い番号を得て、娘が実際に進学した中学では、受験番号は一桁台でした。

最後が合格発表です。まだ、ネットでの合格発表がない時代でしたので、掲示板に張り出される番号を目で見るという形式で、ドキドキものです。

1月の県内から2月の都内まで、数校受験でしたので、娘と母親は受験勉強に専念させ、合格発表は私が行くことになりました。

最初が県内の第一志望(実際に進学した学校)を見に行き、合格番号を目にしたときの感激は、自分の社労士試験の合格発表以上でした。

すぐに自宅へ電話し(まだ携帯電話がない頃)、もう受験勉強しなくていいと言って、学校へ呼び、全員で番号を再確認して、そのままお祝い会となりました。

ちなみに、都内の2月の受験は、暗黙の了解で辞退することになりました。県内が第一志望で合格した人が、都内を受験して合格すると、都内第一志望者の枠を狭めるというようなことで?

今から思うと、もしテニスが出来ていたら、娘の中学受験にここまで関われなかったと思います。テニスへ行きたいという思いと中学受験との間で揺れ、家族間もギクシャクしたかもしれません。

結果としては、テニスが出来なくて良い時期だったのかもしれません。

というようなことを思い出させてくれた「下剋上受験」でした。


カテゴリー: 日記 | 投稿者レオ 21:33 | コメントは受け付けていません。