5日、理化学研究所の笹井氏が自殺された。
ES細胞の実績など、優秀な日本を代表する研究者とのことであるから非常に残念である。
生きておられれば、今後も何らかの研究成果や関連分野の研究者の支援などが容易に想像できる。
だから日本にとっては大きな損失なのだろう。
騒ぐマスコミを背景に、理研内での責任論、部下の行く末など、計り知れないストレスだったのだろう。
遺書に小保方さんを思いやり、「...あなたは悪くない...」との一文。
優しく、真摯な人物像が浮かんでくる。
だから余計に悲しさを感じている。
でも笹井さんにしかできないことが、これからもあったのに、死という悲しい道を選ばれた。
これは納得しかねるところだ。
私も激務の過労とパワハラのストレスで、”死”という影を抱えながら会社に行っていた時期があった。
でも結局、ややこしい部分は自分しかできないところがある。
死んでも、後工程の人が途方に暮れるだけだろう、迷惑をかけたくない...っていう思いが
その影をかき消していた。
うつ病の薬を多量に飲み、心身ともに疲弊しながらも戦っていた。
しかしながら、これも正しい選択だったとは思えない。
その時期、2度倒れた経験があるからだ。
そのときに死んでいたらと思うと、正しい選択では無いのだ。
最低限の正しい選択は、逃げてもいいから”生きる”ということだろう。
生きていれば、もしかしたらリベンジの可能性も0%では無いし
小さな仕事になっても、生きてしっかりやることで、社会に関わり貢献できる。
偉大な業績を持つ笹井さんと私のようなチンケな者とは比べようもないが
”生きる”という最低限の正しい選択をしてほしかったものだ。
笹井さんを思うと...涙が溢れながらブログする。
ps.今日のお昼のチャーハンランチ。(いつもの中華に加え、和風の赤シソチャーハンも…)