テニスに限らず、今できるレベルを上げること=上達することって、なんでも難しいんじゃないでしょうか?
ジュニアが選手になるまで、あまり時間を要しないのは、最初に設定した到達レベルが高いから。そこへ到達するまでの過程を、踊り場のない階段を上るようにグイグイいけるからなんじゃないでしょうか。
だから、一流の場が一流を育てるんだと思っています。強い選手を輩出したクラブに入って、強い学校に入って、周りの刺激やそのメソッドに従った環境があって、そこに乗っかれば、そこに素質のある人が入れば一流のコピーのようなうまい人もできるし、その上にはその先が見えてもっと良い選手が出たりするものなのかもしれません。
しかし、誰もが一流の指導を受けられるわけでもありませんし、ジュニアから選手を目指していないとテニスが上達しないわけでもありません。
ただまあ思うのは、インカレとか全日本とか出ている選手と、30年テニスが上手くなりたくて自分で考えながらやってきた自分との差は追いつきようのないもの(自分はまたどんどん年を取っていくものですし。。。)だなあと。
かといって自分がどの時代からテニスを始めて、どの段階で本格的に競技として関わっていればあんなになれたかなぁと思うと、やっぱり大したことはないんじゃないかとも思います。
今自分にできているレベルには満足はしていないとしても納得はできているし、それよりも少しずつでも上達していると思い続けていられる30年間のテニス歴には誇りを感じてもいます。
身体の使い方に気づくこと
ボールの見方に気づくこと
動きながら考えられると気づくこと
ボールばかりじゃなく相手を見る必要に気づくこと
ラケットの動きや、力の方向に気づくこと
体とボールの間の「間」に気づくこと
精度を上げる入り方ができるようになること
その入り方ができない時にできることは何かわかること
自分のショットが相手にどのくらいの影響力があるのか測ること
攻め方や守り方は一つでないとわかること・常に打った後の次の展開を考えること
「安定」と「変化」を使い分けること
・・・・テニスをやっていてわかるようになったことは、一気に書き出してもこれだけあります。よく考えたらまだあるんじゃないかな。
一足飛びに上手くなろうとしても、それらを順々に満足させることはできますか?っていう問題が発生する。
常に、取り組んで、慣れるまでの時間が必要で、それが練習です。反復練習とは、訓練することであって、訓練とは、「考えずにできるようになるまでやること」です。
考えずにできるように=型を作るってことです。
上手くできないのは、上手く対応しようとして、型を作らないことからかもしれません。
上手な人、かっこいいプレーの人のイメージを追うのは誰でもそうだと思います。だからコーチはデモンストレーションをする。生徒さんの見方は様々です。飛んでいくボールを見ちゃってフォームを見てくれない人も(笑)。スローモーションでもう一回やってくれって言われても、ボール飛んできて打って飛ばさなきゃいけないから、これ以上遅く動けないし(笑)。
スローで再現することができるのは自分の動きの理解に役立ちますから、ボールなしでやってみることはワタシ自身練習していますし、多分どのショットでもできますが、だいぶ前の段階で、生徒さんにやって見せることの意味はないんじゃないかと思うようになりました。
あるのは、自分ができていないところを発見できて、理解できるようになることなんですが、そのスローでしか出てこないようなところを、実際の打球シーンで気にしていられない。
むしろ、スイングする前に型を作っておいて、そのままインパクトまで一気に振って、結果を見て修正するやり方のほうが、実際のプレーに許される時間でできるようになるコツみたいなもんだと思います。
スローでやって、そこで理解したとしても、型を教えて、それでできるようになったとしても、どちらも到達するイメージが同じところなら、スローでやるのは一段階増やしただけのこと。無駄な時間でしかない。
頭の中でイメージした自分と、実際に動いている自分の形が同じってこともないものです。どこかがずれていて、そこに気づいて修正するのに、コーチっていう職業は必要だと思います。客観的に見て、要素を抜き出して、必要なことができていないのなら、その原因を修正して生徒さんの動きのリズムや基本フォームの中に埋めてあげる。
自分がやってきたテニスが否定されないように、簡単な間違いを修正すれば、あるいは他に着目して気にしていなかったことを今できているフォームの上に乗っけてあげれば、できるようになることが多いものです。
みんなボールをよく見ていて、ラケットにボールを当てられる。
なんならそのショットはちゃんとコートに入って、ラリーもゲームもできる。
だけど、ここ一発、っていう大事なショットや、やばい!っていう守りのシーンでラケットに当たってもコートに入らなくなる。
そしてよく考えたら、コートが広いから入っているだけで自分が思った通りの気持ちいいショットは普段からあまり打てていないことに気づく。
だから、ここ一番の大事なショットの精度が悪いことに悩んだり、確実なショットをしっかり打てれば強くなれるとか、楽しいだろうなと思う。
それで、テニスが上手くなりたい!と思うんだと思います。
けどまあ、レベルを上げればそれよりも上は必ずいるわけで、テニスに必要なのはラリーを続ける能力と、そこから自分の勝機を作る「勝負の力」=展開力が必要なことに気づいてくると思います。
常にベストのショットを打ち続けているわけじゃない。だけど、緩慢なプレーをしていても勝機はやってこない。
ミスにならないけど、相手を常に優位に立たせないとか、隙あらば追い込んでいけるようなプレッシャーのかかった状況で、常にある程度以上の精度と球威を保ちながら油断なくプレーすることが必要です。
スクールで見ていれば、そうは思っていない人が多いというのもわかりますけど。でもまず一般プレーヤーは(ワタシも含めて)、気持ち良く打てればいいですからね。それでも十分だと思います。
いいショットで勝てれば、またそのイメージを追っていきます。それは誰でもそうです。プロでも。トッププロでもそうだと思います。
しかし一度やられたことは、相手は次こそ!と思って臨んでくるでしょうから、いいショットの次のいいショットかいい策が必要になります。自信があれば、ゆとりを持ってそのプレーが出せるでしょうが、拮抗した試合でやらかしちゃったりしたら大変です。
永遠にミスらない、ってわけにもいかないし(ミスらないからって強いわけじゃないと思うし)、ミスをすることで修正ができるから上達できるわけだし、テニスの楽しみ方の本質もそこなんじゃないかと。