月別アーカイブ: 2019年8月

US OPEN’19と、ストレスたまるの件

今日のタイトルですが、US OPENのせいでストレスが溜まっている訳ではありません。

普段は休日を設定していない生活をしているんですが、もう10年ちかくそんな感じなので、べつに忙しい時は疲れていてもストレスを感じながら気持ちが落ちていく、なんてことにはならないみたいなんです。

8月になって暑くなって、というのと、休みモードな中でも一本だけレッスンがあったりしてゆっくりは出来なかったり、なんていう普段のの生活リズムではない感じで過ごしていたら、メニエール病?になりました。

最近、脚の疲れが朝起きたときに残っているかのようなむくみ、それと耳の不調。あとは関係ないけど歯医者、2年前からの肩の故障でたびたび整形外科さんへ。。。なんて、マイナスワードを今日はこぼしておこうっていうつもりでブログ書いています。

YouTubeに当校を始めたのが2月。6月の終わりから2週間くらい、投稿をお休みしちゃった時期があり、そのときは素材を取りながらボツを繰り返す、というフラストレーションの溜まる日々でした。そのときに最初にメニエールを発症したかも。

8月に入って、ジュニアの合宿にいって、その後、一回だけ撮影をしてボツ。そこから今回のパターンが始まっちゃいました。中々撮影の機会がない。頭の中に伝えたい情報が渦巻いちゃっている状態でカメラを出してきて打ちながらしゃべる。

言いたいことがどんどん繋がって出てきちゃって、編集しようとすると「ああ・・・」って落ち込みます。一気にあれもこれもしゃべってるもんなので、主題がはっきりしない。

しゃべってるときは気分がいいんでしょうが、聞いてる立場で見るようになると分かりにくい。

中学生くらいの時に、夜中に悶々として好きな子へお手紙書いちゃった翌朝に見返してみて恥ずかしくなるっていう、あのパターンみたいな感じです。

定期的に撮影と編集の機会を作っていけるようなスケジュールを自分がたてられないと、自分のことを削っていくような気がします。そうしようかな。。。

そのまえに、どんな動画にするか?っていうイメージを自分がちゃんと持っていないと、初心者の頃から何にも進歩の無い投稿者になっちゃいそうで、最初っから上手くしゃべって構成や編集も凄く出来る人ならまだしも、もとがアナログっぽいのでそこは成長しないとですよね。

ボツを3回くらい繰り返すと、ノートをとりだして整理しようとするところは、まだましな方なのかもしれません。しかし、今回の様に時間が経ってしまっていると、自分が浦島太郎状態みたいになって、カメラの前でおかしな感じになってしまいます。

復帰と同時に、何本かまとめて出せるくらいがいいんでしょうけど。。。なかなか。。。

 

こういうのがストレスなんでしょうね。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 09:09 | コメントをどうぞ

ボールの見え方を変えられるかどうか

今になって思い出すことがあるのが、初心者の頃のラリーをしている時に感じたボールの見え方。

もうテニス歴35年になるんですけど、最初の頃の2年目とか3年目あたりの頃のことをよく思い出せるなぁとは、自分でも思います。そのあたりがスクールで同じような悩みを持っている人を見続けて来れた恩恵かなぁとも思います。

そのころ、初めてアルバイトコーチのオーディションを受けて、レベルが低すぎてコーチはまださせられないけど研修生で来てみる?と優しく声をかけて頂いて、全国レベルの人もいるような上手な先輩方に囲まれてコーチになる修行が始まりました。

最初って、ほんと習ってもいなかったので何にも知らなかったんですよね。ボールはそこそこ打てるけど、テニスのゲームってそんな簡単じゃないな、って衝撃を受けた頃でもあります。

ボール打つのに、野球の頃の経験みたいなイメージでボールをよく見てタイミングを計ってるようなところがあったのをよく覚えています。

引いた時のラケット面をこの辺に持っておいて、ボールのバウンドがこの辺に来る頃にスイングを始めればタイミングはピッタリで打てるな、みたいなことを一生懸命やっていました。

要するに「いい当たり」で打てれば「いいショット」になるっていう、そこそこ運動は出来るけど・・・の人が初めて見て、テニスっていうスポーツが競技としてやっていくには、まだ入り口にも立っていない、「打球する」ことを目的としているレベルだったと思います。

相手のコートの中のターゲットを狙う、ということを連続してやるうちに、スイングの出力を調整するようになって、「良い当たり」をするスイングが同時に「ふっ飛ばさないように」気をつけたスイングにもなっている、っていう感じでした。

ラリーをする相手の前に小さなターゲットを置いて、お互いにそこを狙いあう、というような練習もしました。これをやると、「ボールをよく見る」とか「スイングのタイミングを計る」ようなことをしていると、単発打てても連続して…安定して…っていう風にはならない。上手くいったショットで喜んじゃってリズムは崩れ、その次のショットがもうひどいことになったりしてました。

こういう人、やっぱり良く見かけるので、それで思い出すんでしょうね。「オレも若いころはそうだったなぁ~」って思います。当時は一生懸命やっていたと思うんですけど、そのころに気付いていたりとか、出来る感覚があったりしたら、もっと上手かったんだろうなぁって思います。

ショートでもロングでも、ラリーでターゲットを置くと、ラケットに当たったボールをどうするかに神経を集めておかないと、安定はしませんし、相手のショットが変わるので対応ができにくくなります。

だけど、狙いながらも続けられるようになってくると、ボールをよく見てる、というよりは意識の中にボールの位置や動きと、自分の期待しているイメージと、実際に当たったボールの衝撃となどが総合されて、「当たったモノを狙いの方向へ集めに行く」ような力の入れ方になっていきます。

上手くなってくると、遅い球でゆっくり丁寧、がコントロールの仕方ってわけじゃなくて、スピードもそこそこあっていいからリズムよく打てて、相手にもリズムをとりやすいようなショットがうてればそれでかなり続く、ということがわかってきます。

慣れてきたら、的なしでも同じように自分のショットをどこにコントロールするかをイメージしながら不要に大事に打たずに、リズムよく続けられるようになることが大事です。

 

 

 

それって、ボールへの「タッチ」の仕方を身体が覚える期間。ゲーム中の様に、相手コートのどこへボールを入れるか、とかそのボールで相手がどんな風に動くか、をイメージしながら試合している時に、手元でボールをコントロールできる感覚がついてきます。

飛んでくるボールを見ながらやるのは、自分の打ったショットがどんな風に飛んでいくかを作れるように、ボールを見ながら相手のコートや自分のラケットの動きなどにも意識がうまくいっている状態なんだと思います。

カテゴリー: 打ち方オタク | 投稿者ナガキヤスヒロ 09:03 | コメントをどうぞ

テニスの戦術を考える

テニスボールを打ち合うスポーツですから、ボールのスピードと、テニスコートの広さ、という問題に対して「時間」という要素が入ってきます。

その時間が、打つべきショットをどうするか、ってことを決める大事な大事な要素。

テニスコートの広さも、高さも含めて三次元のものなので、空間、というとらえ方で考えの基になりますね。

例えば、サーブを打つ側であって、どんなふうに組み立てるのか、っていう問題ですが。。。先に脱線しておきますね。

良いショットを狙ったとおりに打てるイメージができてくると、そのショットで決まる、と思いがちです。

当然、そのショットが狙い通りにいけば相手が取れないとか、触っても威力が強くて相手のコントロールを奪う、あるいはミスをさせる、という最も理想的なイメージがわきます。

それって「もしも自分にむかってそれを打たれたら、うまく打ち返せる自信がないな」っていうレベルのボールを打ち込んでいる、ということが自身の源。

だけど相手って自分よりもうまい人もいるだろうし、そうでなくてもポイントがかかれば必死に返そうとするだろうし、返球される確率はゼロではない。

だから、良いショットで勝つってことは考えないほうが良い、なんていう心理にもなってきます。ほんとうはポジティブにつなげていければもっといいんでしょうね。

 

さて、サーブを打つとして、相手はしっかり打つことのできる人。フォアに入れるか、バックを狙うべきか?コースを選択すると思います。

そこで、どっちに打ってもきれいに返ってきそうな、うまい人っていますよね。そんな時にどうしましょうか?

球種を打ち分ける力を持っているなら、バックを狙うにしても高く弾むようにしてスイングの自由度を下げてやることで、3球目に何をするかイメージして起きやすいようになるかもしれません。

スピードがあってもカウンター気味に強く押し込んでくるような人だったとしても、身体から遠い方へ曲がっていくようなサーブが打てれば、その分だけボールが甘くなるようなことを期待してもいいかもしれません。

 

さて、問題はそうさせることの次に、自分の自信があるプレーをつなげたいんですね。フォアを狙ってもバックを狙っても返ってくるっていうんなら、自分はその返球をフォアで打ちたいのか、バックで打ちたいのか?頭の中でシミュレーションしてみて、フォアへの返球が期待できそうなコースと、より影響が大きく出てくれてそのフォアを攻撃的に入れそうな球種やコースを考えればいい。

 

さらに、そこが厳しいコースすぎてフォルトになり、セカンドサーブになった場合にどんな対応をするか、それもいちおう頭に描いておきましょう。

そこで、「いやー、セカンドサーブになったら余裕で打ち込まれちゃうから勝てる確率が相当下がりそうだな」って思うのなら、セカンドサーブにならないようにしっかりファーストとそのあとに起こるラリーに出来るようにイメージすべきです。

 

サーブ頼み、というゲームはプロでもありますが、そこでオンザラインを狙っているのなら、当然外れちゃったときのことも考えていると思います。

サーブのキープが上手にできるっていうことは、リターンゲームをよりリスクを背負って攻撃的にいっても、つぎのゲームはきちんとサービスキープできる、という自信のあるゲームになります。

 

そこがうまくないと、どのポイントも安全に行こうとして単調になってしまったり、あるいは単発のショットでポイントをとってもおもったところで連続でほしいポイントを逃してしまったときに、その先の対応が思いつかなくなっていたりします。

 

ゲームをしているときの脳みそは、そこそこパニック状態に近いか、軽く押されればそこに落っこちてしまうような恐怖をはらんでいます。

ミスるんじゃないか、負けてしまうんじゃないかというプレッシャーって、テニスを大きく変えてしまいます。

自分のテニスがうまい、とは思いすぎないほうがいい。

相手が下手だ、とも思いすぎないほうがいい。そして、相手が何でもできるスーパーマンだとも思わなくていい。

相手のショットが自分のコートに入ってくるとわかった時にドキドキするのは、じつはプロでも少しだけある。だけど一般の人よりかは慣れているはず。その程度で考えておきましょう。

 

ポジティブに考えていくには、最低でも最高でもない、自分でできることはきちんとやり切って、相手よりも先に沈んでしまわないこと。

そのためには、相手が怖い存在にならないことです。

相手のショットに追いつくことができる

相手のコートにショットを入れることができる・・・これで少なくとも「簡単に負ける」恐怖からは解放されます。

その次には「勝ちたい」という呪縛にとらわれすぎないようにすること。

相手との距離が計れている・・・自分の守備範囲や反応速度がイメージできる

それの、自分がコートの内に入る=は、攻撃のチャンス

相手がコートの内に入る=は、一本抑えて取るべき

攻撃に入ったら、相手が遠い=は、相手に走る時間があるので、決まらない確率も高め

相手が戻ろうとしている=とか、一つの動作が始まっている=は、逆を突くチャンス

相手との距離が近い=は、遠めに打てば間に合わない

というそれぞれの判断があるはず。そこでミスをしやすいパターンの人もいますし、決断が遅くて逆襲されることもあります。

決まるのではなく、優勢を取るためにすることは、

相手を動かす

です。

動かしていくと、相手の苦手がわかります。要するに攻撃的にいっても効果がないようなところもあるし、同じ方向に打っても今度はミスしがちだったり、迷ったりするような自分のショットの使い方があるはず。そういう時に三次元で考えられるといいんでしょうね。

三次元のその先にある次元は、「時間」のはいった四次元。三次元を止めなければ、そこには目に見えない時間が入り込みます。取られてしまっても甘くなるには、高く弾ませたり、低く滑らせたり、わざと遅い球にしたりしながら、相手のポジションと自分のポジションを自分に有利なように見せかけましょう。

そのうえで、自分の得意なショットのほうに返球させられたり、うまく回り込む技術があれば、ポイントはとれそう!っていうイメージをシナリオのように使いながらラリーできるかもしれませんね!

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 11:14 | コメントをどうぞ

ゲーム主体で考える

動画もやっているんですが、ここ数年で、私の考え方もだいぶ変わったな、という所のお話。

動画も、っていうのは、あの動画は「ボールの上手な打ち方」を解説している動画なんですが、打点の位置はここですとか、ここの手首はこの角度で、とかっていうようなことは言っていない。→こんなこと言うのは、私がコーチを始めたころ(ギリ昭和)には、こういうことを厳しく指導していた先輩コーチって多かったな、ということです。

時代は変わって来ていて、昭和の頃って、子供たちの遊びの中に飛んだり跳ねたり投げたり捕ったりが備わっていて、狙ったところに入れるゲームとか、単純だったけど運動するっていうことはそのまま競技を始めたときに基礎ができている、っていう要素を盛り込まれていたんですね。要するに外遊びとか、子供達で集まってカンケリやるとか、ドロジュンやるとか、っていう遊び、メンコとかも自然と運動連鎖が出来るように作られている遊び・・・今になって見つめなおせば、ですが。

そんな中で例えばメンコであっても、上手にできる人って強いアイテムを持っているとか、自然にランキングめいたものがあって強い人同士が戦うと観客ができたりしたものです。コマ回しだって、ベーゴマみたいな「戦う」「戦わせる」要素に興奮したりしたものです。

 

くらべて、という対象は、我が家の子供たち。外遊びも積極的に奥さんが連れていってくれましたが、大人しく砂場で遊んでいるとか、自転車乗り回すとかで、そのうちハンディのゲーム機を持ち出してゲーム機で遊んでいました。

そうすると、テニスを習いに来てくれたところで、ボール投げが十分にできない。昭和の頃の人は、男の子だったらボール投げは出来るけど女の子はそうでもないかな、ていう感じが強かった印象ですが、私がコーチのアルバイトを始めた頃には男性でも「苦手でして・・」という人が増えて来ていたように思います。

そうなってくると、テニスを初心者で始める、ということに対して運動の基礎があるかないか、っていう前提条件が変わってきます。

テニスにはテニスコート、という枠や、シングルスとかダブルス、っていう人数の事や、ゲームのカウントとかっていう決められたルールのあるゲームである、という要素があります。

初心者が始めるには、陸上や水泳、またたぶん野球とかサッカーとかよりもその辺がちょっと複雑に思う人もいるかもしれませんが、フェンシングとかアメリカンフットボールとかに比べれば「見てれば何となくわかる」ルールでもあります。親しみにくいって程ではないですね。

もともと、何かやると競技になる、という昭和の時代から、そうでもない世代へと移っていっています。だから、ボールの打ち方だけを最初に教えてしまうと、「うまく打つかどうか」を目標にテニスをする事になっていくんじゃないか、ということもある。

ジュニアを指導する時に、「PLAY&STAY」(楽しく初めて親しんで続けられる)をモットーに要項は大きく書き換えられました。

なるべく自然にこのボールゲームになじんで、試合に出ていくのが自然な流れになるように、テニスをやってます、っていうジュニアは試合に出てるんです、っていうのが自然になるようにしむけていければ、ということなんですね。

プレーをする側にとっては、試合に出ることを前提にしていない人がいても構わない。だけど、テニス業界としてはテニスを始めたらいずれ試合に出て競技として楽しんでもらえる道筋をつくっておければ、レジャーで楽しむことも、試合に出ることで次が出来ることも、またそのなかで仲間が出来て世界が広がっていくことも用意できる。そういう業界であるべきです。

 

海外ではどうやっているか、とか業界の人は研修にもいっているし、ヨーロッパでも、なんならアジアでもしっかりしていたり、素敵なコミュニティが出来上がっていたりしますから、そういうのを参考にしつつ、今の日本人のテニスへのかかわりかたやテニスをする人たちの社会、っていうのをどんなふうにとらえてもらえるか、これってどんな憧れを導けるようになるか、ってことでもあると思うんです。

 

テニスの動作について分析するのは、だいぶ出来るようになってきてみて思うのは、こんどはゲームやポイントってどうやって事象が作られているのか、っていうのに興味がわいてきました。

まだ上手な人が上手に勝つ、と言う時に起こっている事や、相手を策略にはめ込む作業がわかるようになったところまでです。負けている側がどうやって挽回し、流れを引き寄せて逆転に繋げるのか、とか、守備型のプレースタイルでどこかに相手の弱点をっ見つける要素があるのか、とかショットの後の的確なポジションとか前後方向への判断や動きなど、分からないことも多いです。

ラリーの主体は打ち方ではなくてリズム(打ち方は習得している事にしておいて)であるべきで、そのリズムをどう崩して効果が待たれるのか、ということがひとつキーワードになってくると思います。

もちろん、そのなかで有効に使えるのはトップスピンなのかスライスなのか、という打法に関しても突き詰めて説明が出来るようにしておくべきかとは、個人的には思っています。

カテゴリー: 打ち方オタク | 投稿者ナガキヤスヒロ 09:19 | コメントをどうぞ