カテゴリー別アーカイブ: むかしオタク

コナーズが好きでした。で、いまはマッケンローもベッカーもチャンも尊敬しています!レジェンドとして活躍している人も、その頃にしか聞かなかった選手とか、また道具とか、その話題になると興奮するー!

テニスの歴史②日本のテニスの始まり

近代テニスは、イギリスのウイングフィールド氏が発案した「統一ルール」をもとに、ヨーロッパ各地域にあった様々なテニスのローカルルールをまとめて「ローンテニス」または「スファイリスティック」として紹介し、コートや道具、ルールについて定めているのが現在の流れを作ったもとになっているとされています。

前回は書かなかったのですが、ジュ・ド・ポームという遊びからテニスという名称が生まれるまでのことですね。

ポームは手のひらやグローブから、道具としてラケットが生まれてきて、最初はおしゃもじのような板で、そのうちフェイスに網が張られ、現在のラケットのような形になってきているようです。14世紀頃?にはフランス生まれのポームはイギリス・スペイン・ドイツなど各地に広まったそうです。

14世紀のイギリスの詩人が記した詩の中に「TENETZ」というスペルが出ていて語源になったのではないかと言われている、という説明があるのですが、どんな詩だったのかはちょっとわかりませんでした。

17世紀にあのシェイクスピアが戯曲の中にテニスボールなどの言葉が用いられていることがあるなど、その当時にはイギリスで「テニス」という言葉でこの遊びが定着していたという説があるそうです。

貴族階級は室内で短い距離(狭い空間)で壁などを利用したゲームをしていて、一般の人々は屋外の公園や野原で現在のテニスのように打ち合っていたそうで、この屋外のものが主流のものとなっていき、ローンテニスへと発展していったそうです。屋外のテニスを、類似の他の打球戯と区別するために「リアル・テニス」と呼んでいて、国際大会などの催しもあった中、先に書いたように選手の住んでいる地域の独特のルールに隔たりがあり、大会中に何度も問題が起きたことがあったことから、ウイングフィールド少佐がローンテニスの発案に至ったとか。

 

さてそんな、ローンテニスの発案は1873年の事。

日本は既に開国していて、神戸の外国人居留区には、1875年頃には既にテニス・コートがあったとされていますから、欧州ではかなり人気のあるスポーツだったのでしょう。

正式に日本に紹介されたのは1878年、となっています。この時にはアメリカ人教師リーランド氏が供してしてテニス用具を取り寄せて学校体育の一環として指導したとあります。

横浜に「日本テニス発祥の地」として未だに存在するテニスコート(横浜山手公園)がありますから、そこがそうだったのでしょうか。おそらく先に書いた神戸と同時期に、横浜に住んでいた外国人が公園の土地に自力でコートを作成した、というのとがあったのでしょう。いずれにしても、イギリスで発案されてすぐに日本にもやってきていたんですね。

当時は本国からボールなどの道具を取り寄せていたそうですから、かなり高額なものだったに違いありません。

日本国内でそれらを製作する力はまだなく、玩具用ゴムまりを作っていた三田土ゴムという会社にボール製作が依頼され、そこで作られたボールから普及していったのが軟式テニスになっていったそうです。

軟式テニスは当時の高等師範学校で体育の授業に取り入れられていたために、そこで習った学生たちが各地の学校に赴任して軟式テニスを指導する形になったために急速に全国に伝播していったということです。

日本では「軟式」と区別して「硬式」とされるテニスは、道具が高価で一般の人に普及しづらかったので、横浜のレディースクラブや、東京ローンテニスクラブ・軽井沢会などで細々と続けられていました。

慶應義塾大学が1913年になって硬式テニスの採用に踏み切ったことが、普及の加速に繋がりました。国際ルールでない軟式から、外国人との交流が増えている中で硬式を取り入れた第一歩は慶応大学が初めだったのですね。

デビスカップ(国別対抗戦)に参加するために必要だった、国が持つ条件として、1922年に日本庭球協会が創立されました。実はデビスカップ初参加はその前年の1921年に、熊谷、清水、柏尾の3選手が参加していて、条件を満たすために協会があることにしていたので、実際の創立式典の方が後になったそうです。

日本ではテニスブームは何度か訪れ、学校に普及していく段階や、試合が多く組まれるようになった頃から、ボルグの登場でファッショナブルなスポーツとして注目され、その後松岡修造さんや伊達公子選手の登場で再び火がつき、現在は錦織の大ブレイクでまた人気が出ています。

 

まあ、テニスうまいとかっこいいですからね。私もそこに憧れていまだに続けていますけど(笑)。

カテゴリー: むかしオタク | 投稿者ナガキヤスヒロ 09:05 | コメントをどうぞ

テニスの歴史①近代テニスの始まり

ワタシたちがこれだけ親しんでいるテニスは、ボールを打ち合うところから紐解いてみればフランス貴族の遊びであった「ジュ・ド・ポーム(Jeu de paume)」を起源とする、という説で教わってきました。11世紀頃に修道院で始まって、その後貴族の遊びになったとか。

ポームは英語なら「Palm」で、手のひら、ですね。皮のボールを手袋をつけて打ち合う遊びだったとか。(ちなみに、Jeuは英語でGame。手のひらのゲーム、っていう訳でしょうか。フレンチオープンでゲームを取った時の審判のコールは”ジュー”・ニシコリって言いますね)

その、ポームの遊びが、手のひらから発展してラケットを持つようになっていって続いてくる、ということも歴史上はちゃんとわかっているらしいので、ジュ・ド・ポームが正しい起源とする「説」と言われても、もう我々としてはそれ以外ないんじゃないかな、と信じるほかありません。

 

さて、そんな貴族の遊びがテニスに変わる、というか、画一的なルールのもとで行う「スポーツ」として制定されたのは、提案者のウイングフィールド大佐という人が「lawn tennis(ローンテニス)」を発案してから。

世界的に似たようなゲームとして存在しながらローカルルールが優先されがちだったテニスを、特許をとることで統一し、地域間での差に悩まずに大会を催せるようになったとのことです。

それが1873年。ウインブルドンの第一回大会が1877年ですから、制定されて割と早くからあるんだなぁと思います。

ウインブルドンの最初の参加者は22人。優勝者はアーサー・ゴア。すごいですよね。歴史の第一歩を記した人になっているわけです。

最初のテニスコートは現在のものとは形も違うしネットの高さも違っていたそうです。

変更を重ねながら、現在のコートの姿になったのは、広さの面ではこのウインブルドンの最初の大会の時にはできていたそうです。

ネットの高さは1880年までに落ち着き(それまではかなり高かった=センターで0.99m,両サイドは1.54mもあったそうです)

サービスラインの位置もネットから6.4mになったのはこの頃です。

ウイングフィールド大佐の最初の考案でのコートはオリオン座のように中央が絞られた形状をしており、ネットの高さもセンターで1.42mもあったそうですから、ウインブルドンのおかげでコートの規格が決まった?のか?という感じに聞こえます。

サーブを上から打つようになったのは1878年の第二回大会から、ということでしたから、もっと後かなと思っていましたが勝つために上から打つようになったということなんでしょうか。(当時はスピードではなく回転をかけた変化球、という使い方だったとのことです)

1903年まではサーブを打つときはベースラインをまたいでなければならない、とされていたそうで、それを両足をベースラインの外側に置くように、と変更されたそうです。

サーブを打つときにジャンプして両足が地面から離れても良い、とルールに明記されたのは1960年となっているそうですから、そこから飛躍的にスピードのあるサーブを使えるようになったのではないでしょうか。

その後、道具はウッドからカーボンへ。さらに技術が上がってゲームは多様化し、その後またラリーがあることが重要なゲームになってきました。

 

カテゴリー: むかしオタク | 投稿者ナガキヤスヒロ 22:36 | コメントをどうぞ

むかしテニスばなし

アルドールが休校日で、月曜日は久しぶりにテニスの予定のない、ワタシにとっても珍しい休みの日になりました。火曜日はアルドールに行かない日なので、頭の中はまるで連休!

いやー、お正月でもなければないですね、連休!

今度の日曜日試合なのに、いいのかテニスしなくて?

朝から、オタク仲間Aさんからメールが来ました。「今日坂本さんのとこ行きますけど?」

ワタシも昨日、師匠のとこ行ったけど、火曜日の夕方はテニスしに行くはずなので、便乗出来るならしたいなと思っていたのですが、天気も、予定も微妙な感じでした。

ほんで夕方、師匠のお店に寄ってみると、「外出中 5時に戻ります」のボードが。でコートに行ってみたんですがおらず。

ワタシはワタシで5時に閉まる前に市役所に行かなきゃならない用事があったので、余計に探すことはやめて帰ることに。

いちおう、誘ってもらったのでAさんに電話。そしたら帰り道途中のセブンイレブンにいるってことだったので、ワタシ的には15分くらいのつもりで寄りました。

でですね。やっぱオタク二人は集まる時は時間がないとダメだわ、ってことがよくわかりました。

楽しすぎて時間ギリギリまでしゃべってました。危うく市役所しまっちゃうとこだった。。。

さて、むかしテニスの話ですが、シニアツアーに出ていたり、GSタイトルホルダーだったりする有名な選手は今でも名前を聞くことがありますが、その他の選手で名前が出てくることのない人を上げてみましょう!

昨日はAさんから

トーマス・スミド

デビッド・ウィートン

という名前が出ましたが、スミドは帰ってからyoutubeでみました。話に出ていたバックハンドスライスがそのままで、微笑みが止まりません。

ウィートンは、「あのアメリカ国旗な人」って振られたんですが、クーリエしか思い浮かばない(ラケットが国旗っぽい時期があった)ワタシだったのですが、ウィートンの名前が出て、

「あー!あの短パンとかハチマキとかがアメリカ国旗だった!」って思い出しました。アメリカ愛が強い選手だったんですね。動きの早い選手だったって印象がありますが、ハチマキがなびくような走っている画像が頭に焼き付いているからなんでしょうか?

他にもムスターとかゴメスとか、カフェルニコフとか、ついつい忘れがちな時代の立役者たちの名前が出てきましたが、有名どころに入りますよね。

今回書こうと思ったのは、資料閲覧なしで、思いつくまま名前を挙げていってみようという試み。

ティム・メイヨット

ロバート・セグーソ(カーリン・バセットの旦那)

ケン・フラック(セグーソのペア)

ビンセント・バンパタン(映画にも出演するほどのイケメン)

ヨハン・クリーク(シニアツアーで人気者)

ケビン・カレン(85年ウインブルドン決勝でベッカーに負けて有名)

ミカエル・ペルンフォルス(86年フレンチ準優勝・ワタシにとっては超有名)

ダメだ、資料なしじゃコアなところ全く出てこない。。。スミドとかウィートンとかのレベルには足りませんな。。。

まあ挙げればクリシュナンとかメチージュとかギルバートとかクリックスタインとかいるっちゃいるけど。

女子!

マレーバ三姉妹(マヌエラ・カテリナ・マグダレーナ)

リサ・ボンダー(かわいかったなぁ)

ベッチナ・バンジ(ふとめ)

ダメだぁ〜〜。。もう頭にない〜

ギブアップです!

いやマンドリコワとかサバチーニとかノボトナ・スコワ組とか、有名どころはすぐわかりますよ?(虚勢)けどそれって今年の全米女子決勝がペネッタvsビンチってほどのパンチ力はないでしょ?

記憶力には自信があったんですけどね。。。勉強不足ですな。

 

カテゴリー: むかしオタク | 投稿者ナガキヤスヒロ 07:48 | コメントをどうぞ