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活動状況をリアルタイム?にちかく報告するとこです

可能性を感じること

まだ自分の思ったレベルに到達していないということもありますが、2月に46歳の誕生日を迎えて、まだ上手くなれると思っているワタシでありますが、それというのも可能性がありそうだと思えるから。

見て、真似をする。

それがワタシの場合の練習法ですが、テニスを始めて以来、「うわあ、この人上手いな!」と思うとじっと観察して、自分だったらこうやっているはずのところがこんな風に出来るもんなのか、と驚きつつ出来るものなのかどうかを試す。出来なくても、やってみることでどんな感覚なのかは自分なりにわかりそうな気がして、難しくてしょうがないことも、こうやれば出来るじゃん!と発見することもありました。

そうやって要素だけでも自分の中で得ておくと、難しかったことでもある日思い出したら出来るようになってみちゃったりすることもあるんです。

新しい自分に挑戦することは、楽しいことなんですけど、反面、常に変化しても良いような気がしているので、まるで自分のフォームが無いような感じで自信につながらない、なんてこともありました。

レッスンでは、ボールが上手く飛ばない人にはよく注意します。ラケットは動いてボールにぶつかればちゃんと飛ばしてくれる道具なので、振ってもあまり飛んでいかない、という人は腕力が無いのではなくてどっかが合っていないんですね。

で、一方では良く飛んでいくんだけどよくアウトする人もいます。力があっても不安定なので、抑えていい打てばいいのか、力を抜けばいいのか、力を入れて打てばいいのかが分からなくなりそうですが、そもそも飛ぶんだから、その力の事は考えなくていい。

うまく打てているんです。ラケットの面が不安定か、打つ位置が不安定かのどちらかですから、ボールに合わせてしっかり面を合わせていられるかどうかが問題になるわけです。

ちゃんと動く、ということを面倒にしなければ、器用か不器用かはあまり問題にならないです。時間のかかり方は器用な人の方が早いかもしれませんが、出来るようになるってことはほとんど差がありません。

 

ちゃんと動けない、ということが大きな問題になります。太っているとか、あるいは筋力がなくて反応が遅くなってしまうなどの身体的な問題がある人には最上級クラスは無理かもしれませんが、走れるのなら速い球が飛んできても反応したりしながら状況に慣れてくるほどに出来るようになってきます。

見ていれば可能性のある人はいっぱいいますし、目先の負けやミスなどはそれがあってこその上達ですから、それを乗り越えるための努力はすべきで、悔やんだりしている場合ではないんだろうなと思います。

年齢とかじゃないとも思いますね。

ただジュニアを見ていると、こいつら可能性のカタマリだなぁとおもってにやけてしまいますけどね。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 09:52 | コメントをどうぞ

不安定

ワタシのテニス人生は、「不安定」と向き合い、戦う日々でした。

・・・ちょっとカッコいい?

まあでも本当にヘタクソだったので、どうやったら上手くなるのか、それは、凄いショットを手に入れるという旅ではなく、難しい相手のショットをいかに平然と返せるようになるか、というのが命題でした。

素振りや球出し練習では一生懸命にドライブ系のボールを打てるようにしたかったのですが、ラリーになると直ぐに不安定になるので、学生時代はずっとスライスばっかり打っていました。

不安定な要素は、いちどに全部を消せるような感じもしますが、それを目指してまじめにやりすぎると失敗した時のショックが大きくて取り組みをやめてしまいかねない。

出来て見れば、もう簡単なボールではミスしないか、ミスらないはず、という自信に満ちた打点への入り方が分かるようになっているものなんですが、上手い人が出来ているからと言って、そうでない人が全ての要素を満たすのには段階的に取り組む必要がある場合の方が多いものです。

たとえば、本当に不安定な場合。

バックハンドをどう打っていいかわからない人、として、ネットすることもアウトすることも、右にそれたり左にそれたりして、ボールをよくみて打とうとすればするほど、「いったい打点てどこ?」という悩みにぶち当たります。

相手がいてくれるのなら、ネット以外のミスには目をつぶってもらうことにして、どうやったらネットにかからないようにできるかをイメージしましょう。

 

おそらく、「良い球」を打って自分で満足したいので「ここだ!」という感覚を得たいと思うのですが、もともとその感覚が無いためにコントロールが悪いので、『少なくともネットには当たらない』ようにするにはラケットでボールをどうやって扱うのか、手の感触に約束を持たせられるようにしましょう。

左右が不安定なら、「もう右にしか打たない」と決めて、左にだけは行かないようにしてみるとか。

要するに、どこをどういじれば何が起きて狙った通りの「範囲」が出せるようになれば、それは少しずつでも『自信』になっていくと思います。

それってラケットがボールのどこに触るのか、ということの作り方ですから、自ずと必要なことが出来てきます。たとえば、都合の合わない握り方の場合。

ネットにもかけなくて、バックハンドをクロスには打てるようになったけど、ストレートとか逆クロスに移ってどうやればいいんだろう、って欲張ってみれば、体の向きを変えたり、握りを変えてラケットが向きやすくしてみたりをやってみればいいわけで、そこに取り組まないと「クセ」として残ります。

狙うことのできないコース

返球の難しいバウンドの種類

ある程度以上のスピードに対応できない

・・・など、自分の苦手と得意がハッキリしてくれば、どこに取り組めばいいのかは、一つ一つ出来るようになることを考えながら課題をクリアしていけばいのです。

テニスを生涯楽しむつもりなら、ですよ。

来週の試合にどうしても勝たなければならないとしたら、そんなことをやっている時間は無いと思います。そういう場合は、今できることをどうやって武器のように見せられるかを考えればいいわけで、一つか二つでも、確実に出来ることがあれば、そっちを狙われても一本やり過ごせて次のラリーにかければいいわけですから、武器?防具?としてのアイテムとして使えれば戦いには十分じゃないでしょうか。

 

そのうえで負けてしまうのなら、相手の実力の方が上だってことを認めるしかないですし、自分が戦い方を考えれば勝てそうな相手なら考えなかったことを悔やむべきです。

身に付けるには、それ相応の努力は必要です。

それと、よいアドバイス。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 10:51 | コメントをどうぞ

ポジショニングにある四次元

一次元・直線

二次元・平面

三次元・立体

四次元=時間軸をプラス

ここが三次元ですから、時間は存在し感じるものであるが固定や可視化はできないものです。

なんか難しい話が出てきましたが、こうやって書いていたってちゃんとそういう定義を教わったわけではないのでドキドキもんですが(汗)。

テニスコートのポジショニングについてです。

ネットをとるときに、どこまで上がるのがいいのか?という質問をよくいただきます。

コート図A-Cポジション

 

こんな風に考えてみましょう。コート上に、だいたいでいいので目盛りを振るようにA・B・Cという線を引きます。

Aはネットの近く

Bはサービスラインより少し前

Cはサービスラインのすこし後ろ

という概念的なもので大丈夫です。こういうのを正確に知ろうとしてもわかるもんじゃありません。

で、これを任意の位置からパッシングショットを打つとして、たとえばわかりやすいようにこんな

コート図合理的待機位置

右利きの相手だったら、フォア側のコーナーからパッシングショットを打つ可能性があるのは、大体ですが水色の破線のエリア。

それで、水色の破線がクロス側とストレート側に範囲を持つのですが、それを二等分する線が黒の矢印。

だいたい、このラインに沿ってポジションをイメージすれば、両方の真ん中になりますよ、という一般的な説明です。

おそらく、水色の破線は狙って打てる、可能な限りの最大値といっていいと思います。とくにショートクロス側の狭い三角のエリアには入ることがあるかもしれませんが、ミラクルっぽいので無視します。

 

プレーヤーには、まずAのラインから立ってもらって、図の位置から実際にランダムにパッシングショットを打ってもらいます。球出しでやれば正確にできると思います。

それを、Bのラインから、また、Cのラインから、それぞれボールを追ってやっていただきます。

球出しの条件は、Cのラインをノーバウンドで超えられる程度の強さのボールを出すこと。

Aは、反応というよりも予測があてずっぽうでも当たれば取れますが、逆を突かれるとかタイミングを外すとすぐに抜かれるようになります。

Bは、ちょっと反応を間違えてもラケットを出して届けば大丈夫、という時間的なゆとりができますが、走っていけるほどではないかもしれません。

Cでは、おそらく相手のショットを空中に発見してすぐに走りだせば、こちらから走って行ってほとんど抜かれないような形になると思います。

ショットのスピードや、走っていける範囲を考えれば、

 

コート図実際のケア範囲

と、オレンジの破線を足してみました。実際にはこれ以上外側にくるボールは、どちら側からを捨てなければならないか、見て動ける範囲とします。

じっさいにコートに立ってやってみればわかると思いますが、Aではかなり反応が早いか、予測が当たらないとうまく取れないくらいの距離です。

Cでは自分が取れる範囲かどうか、見てからすぐにスタートすれば、よほど遠いとか、速い球でなければ抜けません。

パッシングショットが高くなってロブになっても、Aは放物線の頂点の真下あたりですが、Cの位置で取れないロブはかなり深いかアウトになるかくらいだと思います。

逆の考えから言えば、

Aで取れるなら決定打になるくらいだと思いますが、Cからは攻撃的なショットだとは相手が思わないかもしれません。

ここで一生懸命説明しているのは、

距離は時間を伴う、ということです。具体的に体験した方がわかりやすいと思います。

ボールに向かって走っていけるくらいの距離があって、相手が打って、コースや高さを発見してから間に合うだけ詰めて打てるようになれば守備に問題はなく、攻撃性をあげられる、というものになります。

先に前に出すぎれば、抜かれるかもしれないというリスクを負うことになり、

後ろのポジションからは、広く守らなければならないという位置であると同時に、決め球にしづらいショットを打たされる可能性が高くなります。

概念的なものですが、ポジションとは

そこにいれば大体取れる位置

だと思われがちですが、本当は

そこからスタートすればうまく攻撃に間に合う位置

として守備範囲を特定できるようになる場所のことです。

もちろん、打点の位置や、追いつき方によっては「抜かれない」だけになる可能性もありますが、それは相手のショットのクオリティが高いほど、ということになります。それがわかれば前にはいかない、という選択肢も出るわけです。

なにしろ、自分が走って間に合うかどうか、という位置とそれを見れる深さの関係があるということになります。

BとCの間であることと、ショットが先に自分の後ろに行こうとするのではなく、じぶんから相手のショットに向かって走れるような風景かどうかがカギになると思います。

 

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 00:34 | コメントをどうぞ

試合でないメンタルの件

テニスの上達にも、細かく言えば技術の習得にも、メンタルは介在します。

難しいと思ったことは、難しくてなかなかできるようにならない。

できるようになったことは、かつて難しかったと思ったかもしれないけど、もう使いこなせる。

テニスに限らず、そういうものではないでしょうか?

山に登っている時は、目指す頂までの時間や体力的なきつさなどは経験していないからわかりませんし、やみくもにしんどい中を歩くのでしょうが、その山頂から下りたきた人は、登っている途中の人にアドバイスをあげることができます。

ここの上りはきついから、その前に休憩したほうがいいよ、とか、ここを歩く時は岩場がもろくなっているから気をつけて、とか、こういうところまで出たら後何分で山頂だからね、とか、具体的に教えてあげられます。

「経験したから」ですね。

とてもシンプルなことなんです。

テニスのうまい人が、下手な人の気持ちがわからない…?

確かにそういうことも、あるかもしれません。だけど、うまい人だって、最初からうまかったわけじゃないかもしれませんよね。だから、聞いてみたくなる。

さっきの、山登りのアドバイスみたいなものをもらって、心理的に「知っている」つもりになって不安から逃れたいわけです。

ただ、テニスの上達は、現実の山とは違って、歩いていればたどり着くものではないのかもしれません。

ただ、続けていることが歩いていることと一緒なら、です。

知らなければいけないこともきっとあると思いますし、自分が間違った方向に向かっている可能性だってある。

どんなスポーツも、感覚的なことを体で覚えて、その中で知っていかないときちんと上達しないものです。

初心者と、上級者では、相手の打ったショットの見え方は違っているはずです。

例えば、相手が時速120キロのサーブを打ってきたとします。

初心者の人には、そのサーブはとても返球の難しい、すごく速いサーブに見えるはずです。

しかし、上級者なら、たとえ数本はミスをしたとしても、返せないものではないと思います。

テニスの動作に不慣れなうちは、ショットを見て判断することと、自分の体が反応することと、そのショットを返球するために必要な要素(技術)とが整理されていないかもともとインプットされていないために、時間が足りずに処理ができないうちにボールが通り過ぎていきます。

繰り返しそういうショットを返球したことがある人なら、どう反応すれば、そのショットを返球する技術に直結するかがわかっているはずですし、そのためにはどうやって構えていればいいのかも既に知っています。要するにやるべきことは整理されているわけですね。

「わかっている」には段階があって、ちゃんとわかっている場合はその人の中で理解できるだけでも「言語化」されています。

ちゃんとできるかは不安な人は、言語化されていないから、とっさに反応する自分の体が頼りになります。もう一回、もう一回…今度こそ、と練習するうちに、なんとなくでもやり方がわかってきたような状態です。それでも、動きに迷いがなければ言語化されている人と変わらないような返球もできるはずです。

例えば、早いサーブを返球するには、「テイクバックをコンパクトに」なんてよく言われますね。

自分なりに、その「コンパクト」の定義を見つけるわけです。

なるべく、あっという間に準備すること(=スイングをスタートさせられること)をコンパクトにする、ということにします。そのために必要なことが、人によって違っていてもいいのではないでしょうか。

もう一つ、目が慣れる、ということも外せない条件です。

テニスのサーブで、ワタシの見たことのあるのは、180キロくらいまで。バウンド付近が速すぎて消えたように見えます。

そんなワタシが、サッカーを遊びでやって、ゴールを守った時に、テニスコーチの仲間が蹴ったアシストを、もう一人がヘディングで合わせたボールが、これまたワタシの目からは消えました。

ワタシの周りにいたのはサッカー選手ではなくて、テニスコーチの仲間で、素人です。アシストになったセンタリングが、ヘディングで軌道が変わったのに目がついていかなかったんですね。

ボールのスピードなんて、本当にたいしたことなかったと思いますし、ボールだってあんなにデカいんですから、見えなくなるなんてことはないはずなんですが、ワタシの脳みそが処理できなかったんですね。

インカレでベスト8まで行った風早くんは、200キロのサーブとかリターンできるんでしょ、って聞いた時に「あーさすがに慣れましたね」とまだ大学生の頃には言っていました。

ワタシには見えないサーブなんですけど、プロは見えてるんですね。

で、どうすればいいのかを知っている。

それがメンタルに大きく影響しますよね。。。

 

 

さて、そろそろ今回の言いたいことにいかないとですね。

練習するときは、失敗していいんだってことを知っておきましょう。

新しいことにトライするときには、もしかしたら自分の今までのテニスが壊れてしまうかも、なんていう不安にかられることもあります。

それが怖かったら、挑戦しなければいいだけの話で、今までどおりのことをきちんとやって感覚を磨けば精度が上がるのが期待できるわけですし、その中でもっとこうしたらいいんじゃないだろうか、挑戦する価値があるんじゃなかろうか、って思えるようになってみたらやればいいんです。

ラケットを使う感覚、それでボールが当たった(ボールを打った)感覚も練習では大事です。

もっと言えば、ボールをどうやって見ているかも変わります。その時にどうやって見ているかの「姿勢」や「目線」にも注意した方がいいこともあります。

どれも一緒に一気にうまくなることはありませんから、球出しのボールをうまく打てるようになることから始めて、乱打でそのチェックを自分のものにできるように「合わせ方」を知りましょう。

そして、100点満点を目指さないこと。

その中の要素ができたら自分の中に可能性があることの証拠ですから、自信を持ちましょう。

それで、その新しい感覚が自分のものになるまで育てていくべきです。

試合でよく、メンタルが弱いんで、なんてよく聞きますが、それはプロのレベルで言われるものと、似ているようでだいぶ差があると思います。

そりゃあ、錦織だってフェデラーに初めて勝てた時はマッチポイントで硬くなったかもしれませんし、フェデラーだって、フレンチを初優勝した時のコメントで、「頼むからミスしてくれ」と願いながら打っていた、なんて言っていましたからね。不安な中でもやるべきことはしっかりやらないと勝てないことを知っているんです。

そこでビビって負けた経験なんかも、ジュニアから若い頃まで、ずいぶん経験していてのことなんじゃないでしょうか。

経験の浅い我々一般プレーヤーも、同じように不安になるので、緊張して硬くなったりするのは同じですが、自分が不安に押しつぶされていつも通りに打てなくなることよりも、いつも通りに確率の悪いショットに頼まなければならないことがより一層不安を大きくしていることを知っておくべきです。

とはいえ、プロじゃないんだから、それが当たり前で、ネットの向こうにいる相手だって同じ条件のアマチュアな訳ですから、自分の不安と必死に闘いながらショットをねじ込んで行って勝つまでやる訳です。

マッチポイントまで行くのにどれだけ緊張の山を越えてきたかを思えば、あと一本踏ん張ろう、って思えると思いますが、試合の最初っから緊張で打てなくなることもありますよね。

これもまたよくわかる話で、最初が一番緊張するものです。

そのせいでノレないうちに試合が終わっちゃう、なんてこともありますし、そういう試合をするともったいないって思っちゃいますよね。

まあ今回はそっちの話じゃないのでアレですが、緊張するものなんだってわかっていないと対処も何もできないでしょう。

 

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 00:02 | コメントをどうぞ

「こうしなければならないこと」の逆

ボールをよく見るんじゃない!

と、最近よく生徒さんに言いますが、それは暴論かなと思い、ちゃんと注釈をつけます。ボールをよく見ると上手く打てるんじゃない。見えてるんだからちゃんとラケットを動かそうってことなんですよ。って。

ワタシも何か目新しい作業をしている時に、「えーと、これがこうなってるんだからこのパーツをこうして、ん、こうかな…?」みたいなじっくりよーく見ないとわかんないぞ的なことがあります。

おそらく、テニスをやってるのにボールをよく見ないで打つのは初心者の人が「ラケットを振れば、当然当てられるはず」という前提で自分の打った結果を期待して目標の方向へ目線を先に動かしちゃったりするっていうこととかでしょう。

で、テニスを習っている人がよく陥るのが、習ったとおりのことをうまくできるか期待しているときに、飛んでくるボールを見ながら、どの段階でアクションすればいいのか決めかねているんでしょう。

要するに、きちんと習ったイメージを追いかけているわけですから、作業手順を確認するまで不用意に動けなくなっているような状態?だと思っています。

作業に慣れている人っていうのは、幾つかの段取りを、効率よくこなすために作業手順の同時進行なんかがよくあります。

ハンバーグの用意をしながら味噌汁も段取りしてる、みたいなことですよね。

ラケット振るときにもボール見ながら同時進行する体のアクションがあるってことなんです。

 

 

ラケットをもっと早く引いて!

 

って、よく言われますね。

じゃあ、うんと遅く引くことにしてみましょう。

一つには、打ちづらくなります。または、打てるんだけどちゃんとは狙えないような感じになると思います。

しかしもう一方では、気楽になるかもしれません。

乱暴な言い方なので注意しますが、プレーヤーの質がそれによって分かります。

ボールが飛んできていても、ギリギリまで反応しないでおいて、最後の最後にやっと間に合うようにスイングする。

これで打てなくなる人は、単純にボールを打つ回数が少ない。もっと言えば、打った数ではなくて成功体験の数。空振りやノーコンをいくら繰り返し打っても、感覚なしでテキトウにラケットを振り回していればコントロールは身につきませんから、上達したような感覚にはならないと思います。

逆に、これで上手く打てる人は、打点から逆算が上手くできる人です。

ボールが当たるときにはラケットの位置はこの辺で、こんな風に力が入っていて、面がこっち向くようにしとけばいいだろう・・・ってことがわかっているから、逆算していつラケットを引いて間に合わせるかを余裕をもって用意できるってことです。

早く引かなくても間に合うってことは、遅くはないってことですし、間に合うことで自分のイメージはできているんでしょうから、フォームをちゃんとしなきゃ、っていうプレッシャーには縛られない。

そうそう、この、「ちゃんとしなきゃ」のプレッシャーがかかって硬くなっている人、結構いると思うんです。

だから、早く引かない。

それか、相手が打ってから、実際に打球するまで何度か素振りする。しっかりテイクバックからスイングだとできても一回でしょうが、手首でラケットを回すだけだったら、何回かできるかも。その上で間に合うようにするわけですから、ボール見ながらの同時進行で体内リズムと実際の飛来するボールのリズムが同時進行で合うようにしているってことにもなります。

最初に書いた、ボールをよく見ない、かどうかについては、

当たる瞬間に目をつぶる

目をつぶっておいて、急に開いてボールを見る

とを両方試してみると、いつの情報(視覚的情報)が欲しいのかがよくわかります。

危ないので、ハンドトスをしてくれるコーチに相手してもらってくださいね。当たる瞬間目をつぶる、の方はいいとして、目をつぶっておいて…の方は、ハイ!っていう合図とともに目をつぶる約束にしておいて、同時にコーチはスイングの通り道にトスする。で、ワンバウンドくらいのタイミングでもう一度ハイ!と合図したら目を開いて良いことにしておきます。

想像するだけでもわかるかもしれませんが、前者は大概の人がちゃんと打てます。

場合によっては、当たり損ねの多い人がこれをやると当たり損ねが減ったりすることもあります。

後者の方は相当ドキドキします。で、うまく打てない。

要するに、ボールが当たる瞬間に近いところはあんまり見えていないことも多いし、見ていなくても大丈夫ですが、予測するために必要な、まだボールを打たないうちの軌道を見ておかないとどうスイングしていいのかすらわからなくなります。

説明のために短い言葉で言うアドバイスですが、真面目に受け取りすぎると、妙なことになります。

上手くできる人は、そういう大事な部分の要素が自然にできるから最初からできて苦労しないと思いますが、そこで苦労する人には、アドバイスが短かすぎてもうちょっと気楽にできる他の練習から自信をつけることをやるといいと思います。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 00:21 | コメントをどうぞ

サーブ&ボレーヤー

さて、サーブ&ボレーヤーと言えば、試合内容をソリッドにして観客を魅了する、職人芸のようなゲームの達人・・・プロならね。

思い浮かぶ名前をあげれば、マッケンローやエドバーグ、サンプラス・・・古いな。

日本人なら、どうあっても鈴木貴男は外せないし、全日本をみにいけば松井俊英もぜったい見たいコートになります。

プレーが面白くなるのは、研ぎ澄まされた感覚で無ければ届かないようなボールを、その人にしかわからないような感覚できちっとコントロールしてくるのを見ている時。

 

近年では、ティム・ヘンマンの引退以降はそんなに職人気質なサーブ&ボレーヤーがいなくなった、なんて思っていましたが、これも古くなるけどテイラー・デントもいたし、なんならカルロビッチはサーブ&ボレーヤーですよね?サーブがすごすぎてボレーヤーな印象が薄い気もしますが、ストローク戦を粘り強くこなしている印象はさらにない。

 

ビッグ・サーブを活かすにはネット、なんて普通に言われていた時代は、サンプラスがオールラウンダーのように言われたところから一旦終わりになっていったのでしょうか。今では彼のプレースタイルはサーブ&ボレーに分類した方が分かりやすい気もしますが、登場した時にはストロークで相手を圧倒できる力もあり「スーパーオールラウンダー」と言われたと思います。

しかし史上最高とうたわれたサーブを存分に活かすサーブ&ボレーがゲームの主軸だったと思います。

 

 

 

さてさてそんな中、今年の全豪から、ネットプレーが華やかな時代をまた開いたような気になりませんか?

去年はフェデラーが「SABR」を利用して夏ころから新しい戦術で驚異のキープ率をたたき出し、その影響だったんでしょうか?グッドサーブを放り込んだらネットをとって速攻でポイントをとろう、という流れが来ていると思います。

ラオニッチがおおきなブレイクスルーを果たしました。準決勝のマレー戦では、フルセットまで粘ったマレーが試合をものにしましたが、序盤のラオニッチの猛攻はすばらしく、このテニスで決勝のジョコビッチ戦が見たいと思ってしまったのはワタシだけでは無かったでしょう。

ジュニアでも今はボレーも上手くこなすし、こ洒落たドロップショットなんかも打てる子が多くなりました。昔はそんなことしたら「スライスなんかで逃げるな!」とか「そういうのはまだ早い」なんて言われていたかもしれません。でも、戦術を育てるんだから、まだ早いもなにもなかったんでしょうね。

タッチの感覚はスライスやボレーを育てるだけではなく、確実にオーバーヘッドのショットの精度を増す効果があると思います。

ストロークがものすごいけどサーブがそうでもない選手は観たことありますが、ボレーがすごい選手は間違いなくサーブもすごい人でしたしね。

これからまた、ビッグサーバーを中心に、ネットプレーでポイントのパターンを構成する人がふえてくるんでしょうか?

楽しみです。

 

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 09:52 | コメントをどうぞ

試合の入り方

これまで何度も試合には出ましたが、試合の入り方を気にしていて、うまくできたのかどうかはあまり評価していませんでした。

というのは、試合前というのは少なからず緊張するもので、明日の試合のイメージをどうやって持つのか考えたり、自分のプレーを妄想したり、相手がどんなテニスをするのかわからない中、高ぶる気持ちをどこへ持っていいのか、正直言って持て余すようなメンタルの持ち主でした。

千葉県選手権に少しずつ挑戦するようになってきて、40過ぎてからですが、自分がどういうプレーヤーなのか少しずつ理解できるようになってきて、やっぱり「失敗って生きるなぁ」と思うことがありました。

きっと、人によって違うことなんだと思うのですが、ワタシの場合に限って言えば、

試合には、

「ネガティブイメージで入る」

方がいいような感じなんです。

ワタシのことを知っている人はわかると思いますが、基本、ワタシは楽天家。

中学生の頃からですかね。くよくよ悩んでいても、結局自分で答えが出せないってことがわかってからというもの、別の方向から考えればそんなに悩まなくてもいいことが多いってことに気づいてからは、一番最初にネガティブな発想をしても、それを覆すような材料を探して自分のことに当てはめて考えるようになったので、深く悩む前にやってみちゃって結果を見よう、っていう派になっていったんです。

 

だから、親とか、奥さんなどワタシの本質を知る人は、やっぱりマジメくんでネクラくんが元なんだってことがわかるんじゃないかと思いますが。

 

そんなワタシですから、試合にはネガティブで入れるようにドキドキしている方がいいんだと思うようになりました。

そのネガティブって、

「相手がすごい上手い人なんじゃないだろうか」とか

「いつも打ってるコートじゃないから、バウンドに慣れてないから…」

っていうことを考えるわけなんですが、そう思って本当にそうなっちゃって悪夢のような負け試合を経験したことも、もちろんあります。

けどまあ、この年までまがりなりにも毎日ボール打っている私が、それでどうにもならないような試合するようだったらもうどうしようもない、って開き直れるようになったってのが大きいですかね。

自分の苦手なシチュエーションがどんなパターンかわかってきたので、それにも対応がある程度きくようにもなってきてます。

テニスも変わりました。昔は打てなかったトップスピンが打てるようになったおかげで、苦手を克服する方策が立つようにもなってると思います。

そういった要素を持てているというのがかなり大きいので、あとはいつも通りやるしかないじゃん、って思うのが最近の試合の前の日。

それでも、リターンが返せない、とか、速い球に反応しきれない、などの警戒をすることで、必要な緊張をしておいた方がいいと思います。

シングルスの試合で、初日を勝って、翌日の試合の相手を見ちゃったことがあったんです。

いや見ちゃったって、別に普通偵察くらいするでしょうが、そこで考えすぎると自分に余計なプレッシャーをかけることにもなります。

できそうなことを考えて妄想するだけで、緊張が過度になり、翌日にうまく実行できなかった時にイライラしたりして余計にポイントを落としたりします。

集中したい、と思っているのに自分の中にある予備知識みたいなものに邪魔されて、その時にしなきゃいけない判断ができなくなったりするんです。

次の一点を取らなきゃいけないって時に、もっと自分に今できることでどうやって生き残って勝ちを取るか、ミスらずにミスらせるまで自分にかけるブレーキを持ち続けられるか、その辺ときっちり向き合っていかなければよい試合はできません。

大体の戦略を頭に入れておいて、具体的にどうやって戦うかは現場で素早く判断できるのが理想の試合です。

そのためにできることは、自分が最低限どこまでなら確実にできるか、ということを知っておくことです。

過大評価はダメですが、過小評価するくらいで、ワタシの場合はいいんです。

まずは一本しっかりリターンしよう、ってところと、そこには弱気ではなく手応えのいいインパクトと、確実にコートを捉えるタッチさえあれば、まずは上出来、と思っていなければいけません。

相手のショットにきちんと応えていけるなら、まずはじっくり打とう。

緊張して体が動かなくなることもありますから、試合の時は何しろコートを走ろう、って言ってボール拾いもダッシュでやります。

そのうちに自然と体が動くようになってきて、そしてきちんと集中していけるなら、悪くても「いい試合」になるはずです。

 

不甲斐ない結果、というのは避けたいところなので、余計なことや、欲張ったようなポイントでは自分を戒めて、集中を解かないようにしようと思います。

 

嬉しい勝ち

 

を経験させてもらったからこそ、その時のことを振り返ると最初にあまり意気込みすぎて空回りしていなくてよかったと思い出します。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 22:53 | コメントをどうぞ

感謝の1年でした!

まだ数日ありますが、個人レッスンの方もすべて予定は終わりましたので、ここいらでこの1年を振り返ってもいいのかなと。

年の瀬にふりかえるといえば、感謝するのは誰でも当たり前のことだと思うんですが、ワタシの場合、わざわざ年末にそれを表に出したりしないタイプ。

だいたいね、人に頼って生きているので、年末だからって改めて感謝ですっていうよりか、つねづね…そうですね…常々、ワタシに関わって下さった皆さんに感謝していない上手く生きていけないと思います。

もともとテニスコーチなんて、なにかを生産する職業じゃないですから、せいぜい一生懸命勉強して、それを人の役にたてられるようにしなければいけないものだと思っています。それも、役立てようとして下さるお客様あってのこと。いつもエラそうにしゃべるのは、そういう性分だから、キャラクターを理解して下さる優しい皆様に支えていただいていると思っています。

というわけで、お客様に感謝。

 

そして、今年は自分がこうやって生きていくこともできるんじゃないか?と思えるような出会いがありました。

オタク会議を始めたのも、自分がため込んだ知識を出したくて仕方ないのに、エラそうに知ってるからって上からしゃべるコーチってだけじゃ、煙たがられるので遠慮もしようって思っちゃうこともあります。

だから、自分がオタクであることを恥ずかしがらないくらいの場を作っちゃおうってことで、自分の周りでオタク談義が出来る人と仲良くなって、オタク会議を楽しもうと。

いつもAさん、と表記している荒張さんとは今年マブダチになり、もういつもいつも絡むのが楽しくて仕方ありません。

そうこうしていれば、夏にはラケットスタジオの坂本師匠がワタシの通勤路にお店を構えてくれて、ごあいさつさせていただいてからは人柄にも魅かれ、本当に師事させて頂けるように、ぐいぐい近づいていきました。何でも教えてくれて、朗らかで趣味の多い、あこがれの師匠です。

ぶら下がってついていくだけじゃなくて、自分の方に加速装置を付けて追いすがらないといったい自分が何者なのかにすら迷うような人だと思い知らされました。新しく興味のあることに勉強の目が向けられることは無上の喜びです。

師匠に紹介して頂いて、ストリングマシンも自宅に来てくれました。これからいろいろ研究したり、お客さんのラケットの張り上げを任せてもらったり、活躍してくれることと思います。

 

 

ワタシのこれまでのテニス人生って、徐々にレベルの高い知り合いが出来るようになってきて、打ち合ってくれる人が凄い球を打つ人になってきています。

それだけじゃなくて、経歴としてすごい人や面白い人がたくさんいて、話を聞いたりすることもとても興味深いものです。

これまでは風早くんがワタシの教科書代わりにお手本のプレーを見せてくれましたが、知り合いになったわけじゃないけど、あんなふうに打てるようになることじゃなくて、あんな球でもしっかり打ち返せるようになるには、という目標を教えてくれた、名前もお聞きしなかったけどお兄さんにも感謝です。

 

自分が気づいてそっち向きになれた、ってこともあるのかもしれませんけど、いつもワタシの生きていく道には、ちょうどいい時期に素晴らしい人が表れてくれて、たくさんのことを教えてくれます。

生徒さんでもそうです。自分ではいつも打ち方のことについて仮説を立てても、それを簡単には証明できないモデルがそこここにいてくれて、ワタシが考えていることはその中でも最も効率の良い、効果の出る方法を導き出してくれます。

 

来年は「ナガキ語」を日本語に変換できるようにすることと同時に、英語を日本語に変換できるように勉強すること、師匠の仕事をこっそり盗むこと、生活の変わるシーンで奥さんをしっかり支えられるように準備することなどを大きな目標に掲げて頑張っていきたいと思います。

 

読者の皆様にも、このブログを続けていく力を与えていただいています。有難うございます!

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 09:55 | コメントをどうぞ

ストリンギングはシンプルがまず第一

若い頃は、山登りに熱中していたんです。

最初の頃は、それこそヒマラヤだって行けるようになりたい!くらいに思って日々トレーニングしてたり、真冬でも半袖を貫き通して耐寒訓練?みたいなことをして、大学では体育会山岳部に入って、岩登りも雪山も経験しました。

先輩はヒマラヤに本当に行ったらしいんですけどねー(エベレストのサウスコルまで=8000m越え)

もちろん、こんな性分ですから、なんでも知りたくなっちゃうわけです。沢登りだとか、渓流釣りだとか、カヌーとかまで興味を持っちゃう。(どれもやったことないけど)

 

テニスを始めて、コーチのアルバイトを始めて、割とすぐにガット張りを教わったんです。自分でガットを張れるってすごいなー!ってその頃は思ってたと思います。もう覚えてないですけど。

 

最初は、いろんな張り方があるなんて知りませんでした。それこそ、2本張りからスタートして、で「1本張り」っていうのがあるんだー、的な(笑)。

それが18歳。のとき。

職業コーチになるか、って思うようになったのは、24歳の時で、この頃にはガット張りはかなりの量をこなす業務形態になっていました。社員(まあバイトの頃から週七日やってましたけど)になるようになってきて、キャンペーンなどで集中して本数が来るのをさばくようにして張っていました。

 

その頃からですかね、まずマシンのちゃんとしたのがあると、やっぱり張り上がりが違うってこと。

その後、結婚してすぐに譲り受けた自分ちにおいたやつは、バネが伸びていてちゃんとテンションが出なかったし、新しい機械はかっちり張り上がるんですね。

張る人の腕前もかなり仕上がりを左右する、っていうことも気になりだしました。それだけに、任せてもらえるっていう責任感を感じるようになりましたし、自分の張りがどんな評価をいただけるのかは聞いてみたくて仕方ありませんでした。

そうしているうちに、「面圧」っていう言葉が気になり始めて、ラケットの面の大きさやストリングパターンなどがそういうのに影響するっていう知識が入りました。

プロのストリンガーという人は、張る前からそのコントロールができるものなのか、という疑念が湧き、いまのところ「それは無理だろう」という結論?を自分では持っています。

あるのは、まず張ってみること。そして、その後も、同じ手順と同じ時間で、仕上がりが揃うようにできるように腕を磨くことが大事なことなんだと思います。

バボラ張り

アラウンド・ザ・ワールド

ゴーセン張り

ウイルソン・プロ張り

アガシ張り

…などなど、聞いたことのある「張り方法」の名前も様々です。

けど、それができることが技術の向上ではないと思います。

マシンの都合も、手順の都合も、張り上がりに影響するものだと思いますし、張り手の技術も人によって差があるものだと認識しています。

そういう中、大切なのは、自分の張りを守ることができれば、まずはひとつの課題をクリアしたことになると思っています。

他人の張り方をコピーできるようになれば、そりゃあプロ選手の前に出て「私にやらせてください」なんていうこともできると思いますし、各々の糸にどのくらいのテンションが掛かって、面全体にどんな影響が出るのかがわかるような素晴らしいことにでもなれば、まさにストリンギングマスターだと思います。

しかし、どう考えてもそうはならない。

そして、これまで出会った名人たちの技術を見つめていても、非常にシンプルで、それだけに狂いのない技術を持っていることに舌をまくような思いで見させていただいてきました。

 

ワタシはやっぱり、そういう職人魂みたいなものにシビれる性分らしく、そういうのを見せつけられると如何しても目指してみたくなっちゃうんですね。

ワタシが持っているのは、ゴーセンの張人の認定を受けるのに練習した、ゴーセン張りのみです。

しかし、いまのところ同じラケットに張り上げる時間はかなり一定の時間で自然にできるようになってきましたし、仕上がりは見た目だけじゃなくて、自分のラケットでも納得の打感だと思えるようになってきました。

お客さんのラケットを任せてもらう時にも、自分の一番自信の持てるやり方で、毎度同じ仕上がりに信頼を寄せてもらえるようにしているつもりです。

 

クロスストリングを上から行くか下から行くかで仕上がりが違うこともわかっていますし、目直しやテンションロスの取り方なんかも、見た目で変化がわかりづらいですが、いつも通りの手順を守ることで仕上がりが揃うようにしていくこと、余計なことをしないことが、ストリンギングにはすごく大事なんじゃないかな、と思うようになりました。

 

思えば、もう何年?ガットが張れるようになって25年以上が経っているわけですから、ショップの人じゃなくても、このくらいは出来なきゃね、とは思っています。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 22:07 | コメントをどうぞ

ラケットが一本折れました

正確には、「折れ」てはいないです。

でも、ちょっと使うのはもう。。。

先週の、風の強い日のレッスンで、球出ししてラケットが「ビィーン」と、風で流れたボールにフレームトップの方に当たり損ねて「ビィーン」…あれ、このラケット怪しくないか?

手でフェースをポンポンと叩くと、フレームのトップ近く当たりを触るあたりからそのビンビン感が出ます。

ボトム側では、それほどでもなく、トップの方に当たる手が行くとフレームがビビります。うーむ。

前に使っていたMANTIS TOUR305は、今年の2月頃に同じような感じで、ラリーはまだできるものの、球出しを続けていたら肘に来ちゃいました。

肘はその後、完治はせず、かといってプレーが怪しくなるほども痛まない。ただし、肘の骨が出っ張ってきて、お医者さんに行ってレントゲン撮ってもらったんです。

普通は松ヤニみたいなものが出てきて炎症部分を守るようなものになるんだけど、アンタのここはカルシウムみたいなので出来てるから、こりゃあ骨になってるんだなぁ、と他人事のように(まあなってるのはワタシですから、他人なんですけど)言われ、こちらも他人事のように聞いてきました。

そんな経緯もあるので、今回のビビりラケットも、ワタシ的にはもう使用を中止せざるをえない気持ちになってきて、ラケバの奥っ側にしまって極力出さないようにしてしまいました。

 

昨日、ほんのちょっとだけの時間があって、師匠のところにより、この話をしてラケットを見せたところ、「どれちょっと見てあげようか」と。

ワタシも、ラケットのしなり硬度を測る、 RA値を測る機械にのせてみたくて師匠のお店に来たんですが、プロ直々に見てくれることになりました。

最初は、グリップ内部で何か異物(製造時に出るバリとか)が当たって悪さしてるんだよ、とか色々調べてくれましたが、グリップ開けても原因はわからない。

RA値を測定しても、特に変わっていない。だから、まだ折れてはいないみたいなんです。確かに、ラリーでは感じない。球出しが手のひらの骨とか、肘とかに響いてすぐに痛くなるんですが。

ビビリ音を聞き、じっとフレームを仔細に眺め、またビビリ音を聞き。。。何度かやっているうちに、フレーム内側にある、小さな亀裂を見つけてくれました。

「こりゃあ、塗装のヒビじゃないパターンの可能性が高いな」と、本当に小さな亀裂なんですが、フレームの対角に当たった衝撃がここに出たりするもんなんだよ、などと教えてくれました。

他に外傷も見当たらないので、ちゃんとした原因かどうかは特定できませんでしたが、やっぱりこのフレームはもう「お疲れさん」てことにしとこうと。

エンドキャップもつけ、元グリップも元に戻しましたが、固定はせず、使わないラケットにしました。

本格的なチューニングをプロの師匠にお願いし、重たいけど使い勝手のいい、理想のラケットに極限まで近づいたと喜んでいたラケットだけに、とても残念です。

マンティスは安く買えるので、まだ助かりますが、ワタシ、ラケットって8ヶ月くらいしかもたない。

ヘッドの頃もそうだったし、マンティスは2本持ちを2世代に渡って8〜10ヶ月で中折れっていうか、腰抜けになります。

まあね、今テニスしすぎなんでしょうね。ボール打ってる回数とか時間とか、一般プレーヤーの比じゃないですから。。。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 07:39 | コメントをどうぞ