不安定

ワタシのテニス人生は、「不安定」と向き合い、戦う日々でした。

・・・ちょっとカッコいい?

まあでも本当にヘタクソだったので、どうやったら上手くなるのか、それは、凄いショットを手に入れるという旅ではなく、難しい相手のショットをいかに平然と返せるようになるか、というのが命題でした。

素振りや球出し練習では一生懸命にドライブ系のボールを打てるようにしたかったのですが、ラリーになると直ぐに不安定になるので、学生時代はずっとスライスばっかり打っていました。

不安定な要素は、いちどに全部を消せるような感じもしますが、それを目指してまじめにやりすぎると失敗した時のショックが大きくて取り組みをやめてしまいかねない。

出来て見れば、もう簡単なボールではミスしないか、ミスらないはず、という自信に満ちた打点への入り方が分かるようになっているものなんですが、上手い人が出来ているからと言って、そうでない人が全ての要素を満たすのには段階的に取り組む必要がある場合の方が多いものです。

たとえば、本当に不安定な場合。

バックハンドをどう打っていいかわからない人、として、ネットすることもアウトすることも、右にそれたり左にそれたりして、ボールをよくみて打とうとすればするほど、「いったい打点てどこ?」という悩みにぶち当たります。

相手がいてくれるのなら、ネット以外のミスには目をつぶってもらうことにして、どうやったらネットにかからないようにできるかをイメージしましょう。

 

おそらく、「良い球」を打って自分で満足したいので「ここだ!」という感覚を得たいと思うのですが、もともとその感覚が無いためにコントロールが悪いので、『少なくともネットには当たらない』ようにするにはラケットでボールをどうやって扱うのか、手の感触に約束を持たせられるようにしましょう。

左右が不安定なら、「もう右にしか打たない」と決めて、左にだけは行かないようにしてみるとか。

要するに、どこをどういじれば何が起きて狙った通りの「範囲」が出せるようになれば、それは少しずつでも『自信』になっていくと思います。

それってラケットがボールのどこに触るのか、ということの作り方ですから、自ずと必要なことが出来てきます。たとえば、都合の合わない握り方の場合。

ネットにもかけなくて、バックハンドをクロスには打てるようになったけど、ストレートとか逆クロスに移ってどうやればいいんだろう、って欲張ってみれば、体の向きを変えたり、握りを変えてラケットが向きやすくしてみたりをやってみればいいわけで、そこに取り組まないと「クセ」として残ります。

狙うことのできないコース

返球の難しいバウンドの種類

ある程度以上のスピードに対応できない

・・・など、自分の苦手と得意がハッキリしてくれば、どこに取り組めばいいのかは、一つ一つ出来るようになることを考えながら課題をクリアしていけばいのです。

テニスを生涯楽しむつもりなら、ですよ。

来週の試合にどうしても勝たなければならないとしたら、そんなことをやっている時間は無いと思います。そういう場合は、今できることをどうやって武器のように見せられるかを考えればいいわけで、一つか二つでも、確実に出来ることがあれば、そっちを狙われても一本やり過ごせて次のラリーにかければいいわけですから、武器?防具?としてのアイテムとして使えれば戦いには十分じゃないでしょうか。

 

そのうえで負けてしまうのなら、相手の実力の方が上だってことを認めるしかないですし、自分が戦い方を考えれば勝てそうな相手なら考えなかったことを悔やむべきです。

身に付けるには、それ相応の努力は必要です。

それと、よいアドバイス。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 10:51 | コメントをどうぞ

「手打ち」を定義してみたいと思います

よく、「手打ちになった」といいますが、手だけで打てるショットもあるし、悪くない場合もある。

身体が入って邪魔になることだってあるし、じゃあ「手打ち」の基準てなんだ?と思いまして、考えてみようと思います。

こういう試み、2年も前だったらやってなかったな。。。基本「打ち方オタク」ですから、いろいろな生徒さんを見させてもらいながら考えたり、グリップの神様に目をかけてもらったりしたので、さすがに勉強しましたね。

で、、一つの答えとしては、「体の軸が折れたら」、手打ちです。

腕しか動いていないような形ってかえってむつかしいですし、自然にできることじゃない。手打ちになりやすい人の原因は、足の動きが悪くて、ボール慣れしていないとかの理由で相手ショットの飛んでくる軌道の予測と実際が合わせられなくて打点に腕力でラケットをコントロールするような動きのことをいう、のだと思います。

「あぶない刑事」の舘ひろしが、走ってるバイクの上でショットガンをぶっ放しても転ばないのと同じで、走っている人間も、走っているときには転べません。両足を交互に動かしていることでバランスが中心に来るからです。だから、足が急に止まるような、躓いたり、滑ったりしないと転ばない。

で、テニスは動きながらボールを打つことが多いスポーツですから、基本、姿勢はよくないといけないものです。背筋は伸びていた方がいいと思いますが、足から見て腕を回す回転運動ができる軸が確保されていれば、猫背でも大丈夫ですが。

だから、崩されて打つ状況だったら、手打ちになるけどそれでも打ち返さなきゃならない。

ちょっとやってみればわかると思いますが、

背中をまっすぐにしてラケットを振ってみる。で、それから頭を下げて、腰が折れた状態で同じところまでスイングできるかやってみる。

ぜんぜん体が回らなくなると思います。で、腕を振るのに、けっこう身体って回してるんだなってことがわかると思います。

腕とともに、肩も回転する。で、両肩の中心が背骨になるわけです。

腕が片方になることが多い、フォアハンドではそこそこ対応できますが、両手打ちの人が多くなるバックハンドでは、姿勢が崩れてスイング量が確保できず、ショットに威力が出せない人も結構見かけます。

両手打ちで打ち方の形だけは普通に見えても、妙にリーチがなくて、届かないような格好になって頑張っている人、いませんか?

姿勢が悪くないんだったら、軸足からラケットが多い形になってしまているので、全体に軸が傾いているせいなんです。

たとえば、ラケットを持った姿勢から、打つ前に両腕を高く上げてみれるかどうかやってみましょう。

いつものフォームの中に、それをやって間に合うかどうか。

テイクバックしながら腕を高くすると、どうしても肩が回ります。上げられないとしたら、最初っから折れてますよ(笑)。打ち方が変わっちゃうので、ボールコントロールのことは気にしないでください。

肩が回るような動きができると、ボールは楽に飛んでいくので、飛ばせるゆとりを感じるようになったら、インパクトのラケット面にすこし気を遣う余裕ができるはずです。コントロールはそこからで大丈夫。

腰が折れても、軸をのこすことはできます。それって腰を意識するよりも、膝を使ってバランスをとれるようにすればいいんです。

スイングをしながら膝を柔らかく保つと、身体が倒れてしまわないように、両ひざの間を締めつけるような動きになるはずです。スライドフットワークを使うような感じの時ですね。プロはハードコートでも滑るようですが、ここいらへんではオムニコートで簡単に滑れますからね。

あるいは、モーグルステップのとき。空中でバランスをとるのに、腰の位置がきまるように軽く飛びながら姿勢を安定させるのに膝を使います。

頭で考えながらの作業ではないですね。同時進行でスイングの動作をしながら一方ではバランスを保とうとしている、っていうことでしょうから。

肩と腰はひねりこみがあると、そういった間接群は動き出しをスムースにしてくれたり、可動域を広げてくれたりします。

ボールが飛んでくると初心者のうちは必ず緊張しますから、最初のうちにそこいらへんの動きが固くなる傾向があります。慣れてくるごとに動かせるようにしていくには、反復練習の際に意識してリズムをとることです。

腕の位置を低いところで回すよりも、高いところで回す方が自然と肩と腰は大きく動くようですから、テイクバックで腕を上げるようにする(上から引く、という意味ではありません)と、重心が上がってしまいますが、そこで膝がそういう体を制御するようになると、腰をひねるような動きが入るようになります。

 

・・・言葉で書くのはむつかしいですね。

足の動きの悪い人に、インパクトの前に一瞬わざとラケットを高く上げてみて、というようにやってみると、足が動かざるを得ないような形になり、リズムの取り方がわかると、きゅうにスムースに動けるようになったりします。

そういったところは意識して動かせない人もいる(ボールが飛んでくるプレッシャーで固くなるとか)のですが、失敗ショットになってもいいから、という練習の際に軽い気持ちでやってもらえれば、すすすっと足が軽くなるのがわかる…というか、つい動いちゃう?ようになります。

基本形が手打ちの人はボールを飛ばすのに腕力を使わなくてはならなくなる分、インパクトが不安定になりやすく、身体が突っ込んだりして力んだ形になりやすいものです。

腰の動きとスイングやインパクトの関連が薄くなるスライスやボレーの時にはそうでもないでしょうけど、トップスピンのスイングの時には安定させて強いボールを打ち続けられるようにするには必要なことだと思います。

で、スライスやボレーの時ほど足のうごきがあるので、バランスを保つための動きはしちゃってることになると思いますが。。。

 

ま、ラリーを続ける以上、動いていられるような状態を作れていないとならないわけですが。

 

カテゴリー: 打ち方オタク | 投稿者ナガキヤスヒロ 07:55 | コメントをどうぞ

ポジショニングにある四次元

一次元・直線

二次元・平面

三次元・立体

四次元=時間軸をプラス

ここが三次元ですから、時間は存在し感じるものであるが固定や可視化はできないものです。

なんか難しい話が出てきましたが、こうやって書いていたってちゃんとそういう定義を教わったわけではないのでドキドキもんですが(汗)。

テニスコートのポジショニングについてです。

ネットをとるときに、どこまで上がるのがいいのか?という質問をよくいただきます。

コート図A-Cポジション

 

こんな風に考えてみましょう。コート上に、だいたいでいいので目盛りを振るようにA・B・Cという線を引きます。

Aはネットの近く

Bはサービスラインより少し前

Cはサービスラインのすこし後ろ

という概念的なもので大丈夫です。こういうのを正確に知ろうとしてもわかるもんじゃありません。

で、これを任意の位置からパッシングショットを打つとして、たとえばわかりやすいようにこんな

コート図合理的待機位置

右利きの相手だったら、フォア側のコーナーからパッシングショットを打つ可能性があるのは、大体ですが水色の破線のエリア。

それで、水色の破線がクロス側とストレート側に範囲を持つのですが、それを二等分する線が黒の矢印。

だいたい、このラインに沿ってポジションをイメージすれば、両方の真ん中になりますよ、という一般的な説明です。

おそらく、水色の破線は狙って打てる、可能な限りの最大値といっていいと思います。とくにショートクロス側の狭い三角のエリアには入ることがあるかもしれませんが、ミラクルっぽいので無視します。

 

プレーヤーには、まずAのラインから立ってもらって、図の位置から実際にランダムにパッシングショットを打ってもらいます。球出しでやれば正確にできると思います。

それを、Bのラインから、また、Cのラインから、それぞれボールを追ってやっていただきます。

球出しの条件は、Cのラインをノーバウンドで超えられる程度の強さのボールを出すこと。

Aは、反応というよりも予測があてずっぽうでも当たれば取れますが、逆を突かれるとかタイミングを外すとすぐに抜かれるようになります。

Bは、ちょっと反応を間違えてもラケットを出して届けば大丈夫、という時間的なゆとりができますが、走っていけるほどではないかもしれません。

Cでは、おそらく相手のショットを空中に発見してすぐに走りだせば、こちらから走って行ってほとんど抜かれないような形になると思います。

ショットのスピードや、走っていける範囲を考えれば、

 

コート図実際のケア範囲

と、オレンジの破線を足してみました。実際にはこれ以上外側にくるボールは、どちら側からを捨てなければならないか、見て動ける範囲とします。

じっさいにコートに立ってやってみればわかると思いますが、Aではかなり反応が早いか、予測が当たらないとうまく取れないくらいの距離です。

Cでは自分が取れる範囲かどうか、見てからすぐにスタートすれば、よほど遠いとか、速い球でなければ抜けません。

パッシングショットが高くなってロブになっても、Aは放物線の頂点の真下あたりですが、Cの位置で取れないロブはかなり深いかアウトになるかくらいだと思います。

逆の考えから言えば、

Aで取れるなら決定打になるくらいだと思いますが、Cからは攻撃的なショットだとは相手が思わないかもしれません。

ここで一生懸命説明しているのは、

距離は時間を伴う、ということです。具体的に体験した方がわかりやすいと思います。

ボールに向かって走っていけるくらいの距離があって、相手が打って、コースや高さを発見してから間に合うだけ詰めて打てるようになれば守備に問題はなく、攻撃性をあげられる、というものになります。

先に前に出すぎれば、抜かれるかもしれないというリスクを負うことになり、

後ろのポジションからは、広く守らなければならないという位置であると同時に、決め球にしづらいショットを打たされる可能性が高くなります。

概念的なものですが、ポジションとは

そこにいれば大体取れる位置

だと思われがちですが、本当は

そこからスタートすればうまく攻撃に間に合う位置

として守備範囲を特定できるようになる場所のことです。

もちろん、打点の位置や、追いつき方によっては「抜かれない」だけになる可能性もありますが、それは相手のショットのクオリティが高いほど、ということになります。それがわかれば前にはいかない、という選択肢も出るわけです。

なにしろ、自分が走って間に合うかどうか、という位置とそれを見れる深さの関係があるということになります。

BとCの間であることと、ショットが先に自分の後ろに行こうとするのではなく、じぶんから相手のショットに向かって走れるような風景かどうかがカギになると思います。

 

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 00:34 | コメントをどうぞ

試合でないメンタルの件

テニスの上達にも、細かく言えば技術の習得にも、メンタルは介在します。

難しいと思ったことは、難しくてなかなかできるようにならない。

できるようになったことは、かつて難しかったと思ったかもしれないけど、もう使いこなせる。

テニスに限らず、そういうものではないでしょうか?

山に登っている時は、目指す頂までの時間や体力的なきつさなどは経験していないからわかりませんし、やみくもにしんどい中を歩くのでしょうが、その山頂から下りたきた人は、登っている途中の人にアドバイスをあげることができます。

ここの上りはきついから、その前に休憩したほうがいいよ、とか、ここを歩く時は岩場がもろくなっているから気をつけて、とか、こういうところまで出たら後何分で山頂だからね、とか、具体的に教えてあげられます。

「経験したから」ですね。

とてもシンプルなことなんです。

テニスのうまい人が、下手な人の気持ちがわからない…?

確かにそういうことも、あるかもしれません。だけど、うまい人だって、最初からうまかったわけじゃないかもしれませんよね。だから、聞いてみたくなる。

さっきの、山登りのアドバイスみたいなものをもらって、心理的に「知っている」つもりになって不安から逃れたいわけです。

ただ、テニスの上達は、現実の山とは違って、歩いていればたどり着くものではないのかもしれません。

ただ、続けていることが歩いていることと一緒なら、です。

知らなければいけないこともきっとあると思いますし、自分が間違った方向に向かっている可能性だってある。

どんなスポーツも、感覚的なことを体で覚えて、その中で知っていかないときちんと上達しないものです。

初心者と、上級者では、相手の打ったショットの見え方は違っているはずです。

例えば、相手が時速120キロのサーブを打ってきたとします。

初心者の人には、そのサーブはとても返球の難しい、すごく速いサーブに見えるはずです。

しかし、上級者なら、たとえ数本はミスをしたとしても、返せないものではないと思います。

テニスの動作に不慣れなうちは、ショットを見て判断することと、自分の体が反応することと、そのショットを返球するために必要な要素(技術)とが整理されていないかもともとインプットされていないために、時間が足りずに処理ができないうちにボールが通り過ぎていきます。

繰り返しそういうショットを返球したことがある人なら、どう反応すれば、そのショットを返球する技術に直結するかがわかっているはずですし、そのためにはどうやって構えていればいいのかも既に知っています。要するにやるべきことは整理されているわけですね。

「わかっている」には段階があって、ちゃんとわかっている場合はその人の中で理解できるだけでも「言語化」されています。

ちゃんとできるかは不安な人は、言語化されていないから、とっさに反応する自分の体が頼りになります。もう一回、もう一回…今度こそ、と練習するうちに、なんとなくでもやり方がわかってきたような状態です。それでも、動きに迷いがなければ言語化されている人と変わらないような返球もできるはずです。

例えば、早いサーブを返球するには、「テイクバックをコンパクトに」なんてよく言われますね。

自分なりに、その「コンパクト」の定義を見つけるわけです。

なるべく、あっという間に準備すること(=スイングをスタートさせられること)をコンパクトにする、ということにします。そのために必要なことが、人によって違っていてもいいのではないでしょうか。

もう一つ、目が慣れる、ということも外せない条件です。

テニスのサーブで、ワタシの見たことのあるのは、180キロくらいまで。バウンド付近が速すぎて消えたように見えます。

そんなワタシが、サッカーを遊びでやって、ゴールを守った時に、テニスコーチの仲間が蹴ったアシストを、もう一人がヘディングで合わせたボールが、これまたワタシの目からは消えました。

ワタシの周りにいたのはサッカー選手ではなくて、テニスコーチの仲間で、素人です。アシストになったセンタリングが、ヘディングで軌道が変わったのに目がついていかなかったんですね。

ボールのスピードなんて、本当にたいしたことなかったと思いますし、ボールだってあんなにデカいんですから、見えなくなるなんてことはないはずなんですが、ワタシの脳みそが処理できなかったんですね。

インカレでベスト8まで行った風早くんは、200キロのサーブとかリターンできるんでしょ、って聞いた時に「あーさすがに慣れましたね」とまだ大学生の頃には言っていました。

ワタシには見えないサーブなんですけど、プロは見えてるんですね。

で、どうすればいいのかを知っている。

それがメンタルに大きく影響しますよね。。。

 

 

さて、そろそろ今回の言いたいことにいかないとですね。

練習するときは、失敗していいんだってことを知っておきましょう。

新しいことにトライするときには、もしかしたら自分の今までのテニスが壊れてしまうかも、なんていう不安にかられることもあります。

それが怖かったら、挑戦しなければいいだけの話で、今までどおりのことをきちんとやって感覚を磨けば精度が上がるのが期待できるわけですし、その中でもっとこうしたらいいんじゃないだろうか、挑戦する価値があるんじゃなかろうか、って思えるようになってみたらやればいいんです。

ラケットを使う感覚、それでボールが当たった(ボールを打った)感覚も練習では大事です。

もっと言えば、ボールをどうやって見ているかも変わります。その時にどうやって見ているかの「姿勢」や「目線」にも注意した方がいいこともあります。

どれも一緒に一気にうまくなることはありませんから、球出しのボールをうまく打てるようになることから始めて、乱打でそのチェックを自分のものにできるように「合わせ方」を知りましょう。

そして、100点満点を目指さないこと。

その中の要素ができたら自分の中に可能性があることの証拠ですから、自信を持ちましょう。

それで、その新しい感覚が自分のものになるまで育てていくべきです。

試合でよく、メンタルが弱いんで、なんてよく聞きますが、それはプロのレベルで言われるものと、似ているようでだいぶ差があると思います。

そりゃあ、錦織だってフェデラーに初めて勝てた時はマッチポイントで硬くなったかもしれませんし、フェデラーだって、フレンチを初優勝した時のコメントで、「頼むからミスしてくれ」と願いながら打っていた、なんて言っていましたからね。不安な中でもやるべきことはしっかりやらないと勝てないことを知っているんです。

そこでビビって負けた経験なんかも、ジュニアから若い頃まで、ずいぶん経験していてのことなんじゃないでしょうか。

経験の浅い我々一般プレーヤーも、同じように不安になるので、緊張して硬くなったりするのは同じですが、自分が不安に押しつぶされていつも通りに打てなくなることよりも、いつも通りに確率の悪いショットに頼まなければならないことがより一層不安を大きくしていることを知っておくべきです。

とはいえ、プロじゃないんだから、それが当たり前で、ネットの向こうにいる相手だって同じ条件のアマチュアな訳ですから、自分の不安と必死に闘いながらショットをねじ込んで行って勝つまでやる訳です。

マッチポイントまで行くのにどれだけ緊張の山を越えてきたかを思えば、あと一本踏ん張ろう、って思えると思いますが、試合の最初っから緊張で打てなくなることもありますよね。

これもまたよくわかる話で、最初が一番緊張するものです。

そのせいでノレないうちに試合が終わっちゃう、なんてこともありますし、そういう試合をするともったいないって思っちゃいますよね。

まあ今回はそっちの話じゃないのでアレですが、緊張するものなんだってわかっていないと対処も何もできないでしょう。

 

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 00:02 | コメントをどうぞ

「こうしなければならないこと」の逆

ボールをよく見るんじゃない!

と、最近よく生徒さんに言いますが、それは暴論かなと思い、ちゃんと注釈をつけます。ボールをよく見ると上手く打てるんじゃない。見えてるんだからちゃんとラケットを動かそうってことなんですよ。って。

ワタシも何か目新しい作業をしている時に、「えーと、これがこうなってるんだからこのパーツをこうして、ん、こうかな…?」みたいなじっくりよーく見ないとわかんないぞ的なことがあります。

おそらく、テニスをやってるのにボールをよく見ないで打つのは初心者の人が「ラケットを振れば、当然当てられるはず」という前提で自分の打った結果を期待して目標の方向へ目線を先に動かしちゃったりするっていうこととかでしょう。

で、テニスを習っている人がよく陥るのが、習ったとおりのことをうまくできるか期待しているときに、飛んでくるボールを見ながら、どの段階でアクションすればいいのか決めかねているんでしょう。

要するに、きちんと習ったイメージを追いかけているわけですから、作業手順を確認するまで不用意に動けなくなっているような状態?だと思っています。

作業に慣れている人っていうのは、幾つかの段取りを、効率よくこなすために作業手順の同時進行なんかがよくあります。

ハンバーグの用意をしながら味噌汁も段取りしてる、みたいなことですよね。

ラケット振るときにもボール見ながら同時進行する体のアクションがあるってことなんです。

 

 

ラケットをもっと早く引いて!

 

って、よく言われますね。

じゃあ、うんと遅く引くことにしてみましょう。

一つには、打ちづらくなります。または、打てるんだけどちゃんとは狙えないような感じになると思います。

しかしもう一方では、気楽になるかもしれません。

乱暴な言い方なので注意しますが、プレーヤーの質がそれによって分かります。

ボールが飛んできていても、ギリギリまで反応しないでおいて、最後の最後にやっと間に合うようにスイングする。

これで打てなくなる人は、単純にボールを打つ回数が少ない。もっと言えば、打った数ではなくて成功体験の数。空振りやノーコンをいくら繰り返し打っても、感覚なしでテキトウにラケットを振り回していればコントロールは身につきませんから、上達したような感覚にはならないと思います。

逆に、これで上手く打てる人は、打点から逆算が上手くできる人です。

ボールが当たるときにはラケットの位置はこの辺で、こんな風に力が入っていて、面がこっち向くようにしとけばいいだろう・・・ってことがわかっているから、逆算していつラケットを引いて間に合わせるかを余裕をもって用意できるってことです。

早く引かなくても間に合うってことは、遅くはないってことですし、間に合うことで自分のイメージはできているんでしょうから、フォームをちゃんとしなきゃ、っていうプレッシャーには縛られない。

そうそう、この、「ちゃんとしなきゃ」のプレッシャーがかかって硬くなっている人、結構いると思うんです。

だから、早く引かない。

それか、相手が打ってから、実際に打球するまで何度か素振りする。しっかりテイクバックからスイングだとできても一回でしょうが、手首でラケットを回すだけだったら、何回かできるかも。その上で間に合うようにするわけですから、ボール見ながらの同時進行で体内リズムと実際の飛来するボールのリズムが同時進行で合うようにしているってことにもなります。

最初に書いた、ボールをよく見ない、かどうかについては、

当たる瞬間に目をつぶる

目をつぶっておいて、急に開いてボールを見る

とを両方試してみると、いつの情報(視覚的情報)が欲しいのかがよくわかります。

危ないので、ハンドトスをしてくれるコーチに相手してもらってくださいね。当たる瞬間目をつぶる、の方はいいとして、目をつぶっておいて…の方は、ハイ!っていう合図とともに目をつぶる約束にしておいて、同時にコーチはスイングの通り道にトスする。で、ワンバウンドくらいのタイミングでもう一度ハイ!と合図したら目を開いて良いことにしておきます。

想像するだけでもわかるかもしれませんが、前者は大概の人がちゃんと打てます。

場合によっては、当たり損ねの多い人がこれをやると当たり損ねが減ったりすることもあります。

後者の方は相当ドキドキします。で、うまく打てない。

要するに、ボールが当たる瞬間に近いところはあんまり見えていないことも多いし、見ていなくても大丈夫ですが、予測するために必要な、まだボールを打たないうちの軌道を見ておかないとどうスイングしていいのかすらわからなくなります。

説明のために短い言葉で言うアドバイスですが、真面目に受け取りすぎると、妙なことになります。

上手くできる人は、そういう大事な部分の要素が自然にできるから最初からできて苦労しないと思いますが、そこで苦労する人には、アドバイスが短かすぎてもうちょっと気楽にできる他の練習から自信をつけることをやるといいと思います。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 00:21 | コメントをどうぞ

サーブ&ボレーヤー

さて、サーブ&ボレーヤーと言えば、試合内容をソリッドにして観客を魅了する、職人芸のようなゲームの達人・・・プロならね。

思い浮かぶ名前をあげれば、マッケンローやエドバーグ、サンプラス・・・古いな。

日本人なら、どうあっても鈴木貴男は外せないし、全日本をみにいけば松井俊英もぜったい見たいコートになります。

プレーが面白くなるのは、研ぎ澄まされた感覚で無ければ届かないようなボールを、その人にしかわからないような感覚できちっとコントロールしてくるのを見ている時。

 

近年では、ティム・ヘンマンの引退以降はそんなに職人気質なサーブ&ボレーヤーがいなくなった、なんて思っていましたが、これも古くなるけどテイラー・デントもいたし、なんならカルロビッチはサーブ&ボレーヤーですよね?サーブがすごすぎてボレーヤーな印象が薄い気もしますが、ストローク戦を粘り強くこなしている印象はさらにない。

 

ビッグ・サーブを活かすにはネット、なんて普通に言われていた時代は、サンプラスがオールラウンダーのように言われたところから一旦終わりになっていったのでしょうか。今では彼のプレースタイルはサーブ&ボレーに分類した方が分かりやすい気もしますが、登場した時にはストロークで相手を圧倒できる力もあり「スーパーオールラウンダー」と言われたと思います。

しかし史上最高とうたわれたサーブを存分に活かすサーブ&ボレーがゲームの主軸だったと思います。

 

 

 

さてさてそんな中、今年の全豪から、ネットプレーが華やかな時代をまた開いたような気になりませんか?

去年はフェデラーが「SABR」を利用して夏ころから新しい戦術で驚異のキープ率をたたき出し、その影響だったんでしょうか?グッドサーブを放り込んだらネットをとって速攻でポイントをとろう、という流れが来ていると思います。

ラオニッチがおおきなブレイクスルーを果たしました。準決勝のマレー戦では、フルセットまで粘ったマレーが試合をものにしましたが、序盤のラオニッチの猛攻はすばらしく、このテニスで決勝のジョコビッチ戦が見たいと思ってしまったのはワタシだけでは無かったでしょう。

ジュニアでも今はボレーも上手くこなすし、こ洒落たドロップショットなんかも打てる子が多くなりました。昔はそんなことしたら「スライスなんかで逃げるな!」とか「そういうのはまだ早い」なんて言われていたかもしれません。でも、戦術を育てるんだから、まだ早いもなにもなかったんでしょうね。

タッチの感覚はスライスやボレーを育てるだけではなく、確実にオーバーヘッドのショットの精度を増す効果があると思います。

ストロークがものすごいけどサーブがそうでもない選手は観たことありますが、ボレーがすごい選手は間違いなくサーブもすごい人でしたしね。

これからまた、ビッグサーバーを中心に、ネットプレーでポイントのパターンを構成する人がふえてくるんでしょうか?

楽しみです。

 

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 09:52 | コメントをどうぞ

試合の入り方

これまで何度も試合には出ましたが、試合の入り方を気にしていて、うまくできたのかどうかはあまり評価していませんでした。

というのは、試合前というのは少なからず緊張するもので、明日の試合のイメージをどうやって持つのか考えたり、自分のプレーを妄想したり、相手がどんなテニスをするのかわからない中、高ぶる気持ちをどこへ持っていいのか、正直言って持て余すようなメンタルの持ち主でした。

千葉県選手権に少しずつ挑戦するようになってきて、40過ぎてからですが、自分がどういうプレーヤーなのか少しずつ理解できるようになってきて、やっぱり「失敗って生きるなぁ」と思うことがありました。

きっと、人によって違うことなんだと思うのですが、ワタシの場合に限って言えば、

試合には、

「ネガティブイメージで入る」

方がいいような感じなんです。

ワタシのことを知っている人はわかると思いますが、基本、ワタシは楽天家。

中学生の頃からですかね。くよくよ悩んでいても、結局自分で答えが出せないってことがわかってからというもの、別の方向から考えればそんなに悩まなくてもいいことが多いってことに気づいてからは、一番最初にネガティブな発想をしても、それを覆すような材料を探して自分のことに当てはめて考えるようになったので、深く悩む前にやってみちゃって結果を見よう、っていう派になっていったんです。

 

だから、親とか、奥さんなどワタシの本質を知る人は、やっぱりマジメくんでネクラくんが元なんだってことがわかるんじゃないかと思いますが。

 

そんなワタシですから、試合にはネガティブで入れるようにドキドキしている方がいいんだと思うようになりました。

そのネガティブって、

「相手がすごい上手い人なんじゃないだろうか」とか

「いつも打ってるコートじゃないから、バウンドに慣れてないから…」

っていうことを考えるわけなんですが、そう思って本当にそうなっちゃって悪夢のような負け試合を経験したことも、もちろんあります。

けどまあ、この年までまがりなりにも毎日ボール打っている私が、それでどうにもならないような試合するようだったらもうどうしようもない、って開き直れるようになったってのが大きいですかね。

自分の苦手なシチュエーションがどんなパターンかわかってきたので、それにも対応がある程度きくようにもなってきてます。

テニスも変わりました。昔は打てなかったトップスピンが打てるようになったおかげで、苦手を克服する方策が立つようにもなってると思います。

そういった要素を持てているというのがかなり大きいので、あとはいつも通りやるしかないじゃん、って思うのが最近の試合の前の日。

それでも、リターンが返せない、とか、速い球に反応しきれない、などの警戒をすることで、必要な緊張をしておいた方がいいと思います。

シングルスの試合で、初日を勝って、翌日の試合の相手を見ちゃったことがあったんです。

いや見ちゃったって、別に普通偵察くらいするでしょうが、そこで考えすぎると自分に余計なプレッシャーをかけることにもなります。

できそうなことを考えて妄想するだけで、緊張が過度になり、翌日にうまく実行できなかった時にイライラしたりして余計にポイントを落としたりします。

集中したい、と思っているのに自分の中にある予備知識みたいなものに邪魔されて、その時にしなきゃいけない判断ができなくなったりするんです。

次の一点を取らなきゃいけないって時に、もっと自分に今できることでどうやって生き残って勝ちを取るか、ミスらずにミスらせるまで自分にかけるブレーキを持ち続けられるか、その辺ときっちり向き合っていかなければよい試合はできません。

大体の戦略を頭に入れておいて、具体的にどうやって戦うかは現場で素早く判断できるのが理想の試合です。

そのためにできることは、自分が最低限どこまでなら確実にできるか、ということを知っておくことです。

過大評価はダメですが、過小評価するくらいで、ワタシの場合はいいんです。

まずは一本しっかりリターンしよう、ってところと、そこには弱気ではなく手応えのいいインパクトと、確実にコートを捉えるタッチさえあれば、まずは上出来、と思っていなければいけません。

相手のショットにきちんと応えていけるなら、まずはじっくり打とう。

緊張して体が動かなくなることもありますから、試合の時は何しろコートを走ろう、って言ってボール拾いもダッシュでやります。

そのうちに自然と体が動くようになってきて、そしてきちんと集中していけるなら、悪くても「いい試合」になるはずです。

 

不甲斐ない結果、というのは避けたいところなので、余計なことや、欲張ったようなポイントでは自分を戒めて、集中を解かないようにしようと思います。

 

嬉しい勝ち

 

を経験させてもらったからこそ、その時のことを振り返ると最初にあまり意気込みすぎて空回りしていなくてよかったと思い出します。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 22:53 | コメントをどうぞ

テニスの歴史②日本のテニスの始まり

近代テニスは、イギリスのウイングフィールド氏が発案した「統一ルール」をもとに、ヨーロッパ各地域にあった様々なテニスのローカルルールをまとめて「ローンテニス」または「スファイリスティック」として紹介し、コートや道具、ルールについて定めているのが現在の流れを作ったもとになっているとされています。

前回は書かなかったのですが、ジュ・ド・ポームという遊びからテニスという名称が生まれるまでのことですね。

ポームは手のひらやグローブから、道具としてラケットが生まれてきて、最初はおしゃもじのような板で、そのうちフェイスに網が張られ、現在のラケットのような形になってきているようです。14世紀頃?にはフランス生まれのポームはイギリス・スペイン・ドイツなど各地に広まったそうです。

14世紀のイギリスの詩人が記した詩の中に「TENETZ」というスペルが出ていて語源になったのではないかと言われている、という説明があるのですが、どんな詩だったのかはちょっとわかりませんでした。

17世紀にあのシェイクスピアが戯曲の中にテニスボールなどの言葉が用いられていることがあるなど、その当時にはイギリスで「テニス」という言葉でこの遊びが定着していたという説があるそうです。

貴族階級は室内で短い距離(狭い空間)で壁などを利用したゲームをしていて、一般の人々は屋外の公園や野原で現在のテニスのように打ち合っていたそうで、この屋外のものが主流のものとなっていき、ローンテニスへと発展していったそうです。屋外のテニスを、類似の他の打球戯と区別するために「リアル・テニス」と呼んでいて、国際大会などの催しもあった中、先に書いたように選手の住んでいる地域の独特のルールに隔たりがあり、大会中に何度も問題が起きたことがあったことから、ウイングフィールド少佐がローンテニスの発案に至ったとか。

 

さてそんな、ローンテニスの発案は1873年の事。

日本は既に開国していて、神戸の外国人居留区には、1875年頃には既にテニス・コートがあったとされていますから、欧州ではかなり人気のあるスポーツだったのでしょう。

正式に日本に紹介されたのは1878年、となっています。この時にはアメリカ人教師リーランド氏が供してしてテニス用具を取り寄せて学校体育の一環として指導したとあります。

横浜に「日本テニス発祥の地」として未だに存在するテニスコート(横浜山手公園)がありますから、そこがそうだったのでしょうか。おそらく先に書いた神戸と同時期に、横浜に住んでいた外国人が公園の土地に自力でコートを作成した、というのとがあったのでしょう。いずれにしても、イギリスで発案されてすぐに日本にもやってきていたんですね。

当時は本国からボールなどの道具を取り寄せていたそうですから、かなり高額なものだったに違いありません。

日本国内でそれらを製作する力はまだなく、玩具用ゴムまりを作っていた三田土ゴムという会社にボール製作が依頼され、そこで作られたボールから普及していったのが軟式テニスになっていったそうです。

軟式テニスは当時の高等師範学校で体育の授業に取り入れられていたために、そこで習った学生たちが各地の学校に赴任して軟式テニスを指導する形になったために急速に全国に伝播していったということです。

日本では「軟式」と区別して「硬式」とされるテニスは、道具が高価で一般の人に普及しづらかったので、横浜のレディースクラブや、東京ローンテニスクラブ・軽井沢会などで細々と続けられていました。

慶應義塾大学が1913年になって硬式テニスの採用に踏み切ったことが、普及の加速に繋がりました。国際ルールでない軟式から、外国人との交流が増えている中で硬式を取り入れた第一歩は慶応大学が初めだったのですね。

デビスカップ(国別対抗戦)に参加するために必要だった、国が持つ条件として、1922年に日本庭球協会が創立されました。実はデビスカップ初参加はその前年の1921年に、熊谷、清水、柏尾の3選手が参加していて、条件を満たすために協会があることにしていたので、実際の創立式典の方が後になったそうです。

日本ではテニスブームは何度か訪れ、学校に普及していく段階や、試合が多く組まれるようになった頃から、ボルグの登場でファッショナブルなスポーツとして注目され、その後松岡修造さんや伊達公子選手の登場で再び火がつき、現在は錦織の大ブレイクでまた人気が出ています。

 

まあ、テニスうまいとかっこいいですからね。私もそこに憧れていまだに続けていますけど(笑)。

カテゴリー: むかしオタク | 投稿者ナガキヤスヒロ 09:05 | コメントをどうぞ

テニスの歴史①近代テニスの始まり

ワタシたちがこれだけ親しんでいるテニスは、ボールを打ち合うところから紐解いてみればフランス貴族の遊びであった「ジュ・ド・ポーム(Jeu de paume)」を起源とする、という説で教わってきました。11世紀頃に修道院で始まって、その後貴族の遊びになったとか。

ポームは英語なら「Palm」で、手のひら、ですね。皮のボールを手袋をつけて打ち合う遊びだったとか。(ちなみに、Jeuは英語でGame。手のひらのゲーム、っていう訳でしょうか。フレンチオープンでゲームを取った時の審判のコールは”ジュー”・ニシコリって言いますね)

その、ポームの遊びが、手のひらから発展してラケットを持つようになっていって続いてくる、ということも歴史上はちゃんとわかっているらしいので、ジュ・ド・ポームが正しい起源とする「説」と言われても、もう我々としてはそれ以外ないんじゃないかな、と信じるほかありません。

 

さて、そんな貴族の遊びがテニスに変わる、というか、画一的なルールのもとで行う「スポーツ」として制定されたのは、提案者のウイングフィールド大佐という人が「lawn tennis(ローンテニス)」を発案してから。

世界的に似たようなゲームとして存在しながらローカルルールが優先されがちだったテニスを、特許をとることで統一し、地域間での差に悩まずに大会を催せるようになったとのことです。

それが1873年。ウインブルドンの第一回大会が1877年ですから、制定されて割と早くからあるんだなぁと思います。

ウインブルドンの最初の参加者は22人。優勝者はアーサー・ゴア。すごいですよね。歴史の第一歩を記した人になっているわけです。

最初のテニスコートは現在のものとは形も違うしネットの高さも違っていたそうです。

変更を重ねながら、現在のコートの姿になったのは、広さの面ではこのウインブルドンの最初の大会の時にはできていたそうです。

ネットの高さは1880年までに落ち着き(それまではかなり高かった=センターで0.99m,両サイドは1.54mもあったそうです)

サービスラインの位置もネットから6.4mになったのはこの頃です。

ウイングフィールド大佐の最初の考案でのコートはオリオン座のように中央が絞られた形状をしており、ネットの高さもセンターで1.42mもあったそうですから、ウインブルドンのおかげでコートの規格が決まった?のか?という感じに聞こえます。

サーブを上から打つようになったのは1878年の第二回大会から、ということでしたから、もっと後かなと思っていましたが勝つために上から打つようになったということなんでしょうか。(当時はスピードではなく回転をかけた変化球、という使い方だったとのことです)

1903年まではサーブを打つときはベースラインをまたいでなければならない、とされていたそうで、それを両足をベースラインの外側に置くように、と変更されたそうです。

サーブを打つときにジャンプして両足が地面から離れても良い、とルールに明記されたのは1960年となっているそうですから、そこから飛躍的にスピードのあるサーブを使えるようになったのではないでしょうか。

その後、道具はウッドからカーボンへ。さらに技術が上がってゲームは多様化し、その後またラリーがあることが重要なゲームになってきました。

 

カテゴリー: むかしオタク | 投稿者ナガキヤスヒロ 22:36 | コメントをどうぞ

ボレーができないって、握りがわからないんだろう

ラケットはどうぐですから、道具の使い方もマスターする楽しみがあります。

最近、ジュニアの下のレベルのクラスの子たちにネットプレーを教えるドリルをよく使っていて、打ち方を教える前に飛んでくるボールにラケットの使い方をまず考えよう、って感じで速射砲ドリルを行っています。

 

小学生、それも中学年?の3年生とか4年生くらいの子たちの体格で、ボレーをうまくこなせる、というケースを見るのは珍しいことです。

でも、上手い子はいる。

感覚的なものなんでしょうね。うまく打てた経験を自分なりに活かして教わっている以上のことをする。

では、うまくできない方の、大多数の子たちは、教わった通りができていないのか?

まあ、確かにできていませんが、それは彼らが悪いんじゃなくて、コーチが悪いでしょう。

と言って、ワタシが教えれば一発でうまくなるんです、なんてことにはならない。

上達ってのは何事でも、経験を積んでいく上でのことですから、時間がかかるってことを考えて育てていかないといけないんでしょうね。

だって自分だってボレーがうまくなるまでにどれだけ時間がかかったか。。。

ラケットを軽々と扱えるだけの体力がついた15歳から始めて、30キロや40キロの荷物を背負って山登りに青春を燃やしていたワタシが、野球も小さい頃から楽しんでいて、ラケットよりもはるかに重たいバットを振り回していたワタシが?理屈ややり方は教わっても、教わった通りにできなかった時間が何年あったことか。

まず彼らには、ずっと球数を打ち込んでもらいます。フォア・バック・スマッシュの繰り返し。

リズムは一定で、休む間を与えずに、次々と3種類のボールが規則的に飛んできます。

 

不思議なことに、カラーコーンを置いてターゲットにしているのに、彼らのボレーやスマッシュは、ワタシめがけて飛んでくる(笑)。

なので、ワタシの球出しも、いい具合に散ります。(避けながら出してますから)

目的は、飛んでくるボールが見えているという状況で、手の中にあるラケットという「武器」をどうやって認識して扱うか、彼らの体の中の回路がつながるか、つながりそうな感覚が見えるくらいまで、何週間かやり続けようと思っています。

ワタシ、テレビゲームがすっごい苦手なんです。

小学生の頃から、インベーダーゲームで、100点いかない、っていう素質。。。よく笑われましたし、おかげでいまだにゲームは大嫌いです。

玉撃っても当たらないんですよね。ジョイスティックのタイミングと自分の体の反応が全く合っていない気がする…っていうか、動かしながら自分の機体の感覚が全くないので、やりようがないとすら思っちゃうんです。

自分の肉体でラケットを握りしめてコートに立って動いているからこそ、その感覚がわかるし、わかる以上自由に動かしてやろうじゃないか、って気にもなる。

それでテニスはハマったんです。

だから、無理やりっぽいけどそこへ連れて行こうっていう企画なわけですね。

腕を速く振れば、手首は緩みます。そしてラケットの動きは不安定になります。

ボールがラケットに当たれば、勢いでラケットが押されるような感じもしますが、振っているので手首が緩み、コントロールする感覚はないままにボールが飛んで行ってしまいます。

2分くらい、ずっと休みなく打っていれば、そのうち何球かはたまたまでもいいタイミングで力を入れた方に飛んでいきます。

それ待ちです。

ちょっとできたら、本人がわかると思いますから、それを連続で打てるとか、確率が上がるとか、そうなるまでは、ずっと同じようなドリルで、なにしろ考えている間を与えないくらいどんどん打ってもらうことにします。

 

もちろん、最初にはどんな感覚になるか、導入のメニューは入れておきますよ。

ラケットを振る、っていう動作が一つじゃないってことを体が知っていないと、ただの無駄な時間になると思いますから。

転がってくるボールを持ち上げるとか、ラケッティングで両面でボール突きしたり、その2タッチ目で相手のコートに入れるメニューなんかで遊んでおいてから、速射砲ドリルで素早く動いてボールに当てる、っていうつながりで、遊びからテニスになるように段階を経ておくようにしています。

包丁やトンカチだって、シーンによっては力の入れ方や、握り方を工夫して、うまく加減しながら扱っていると思います。

 

ラケットも大事な、感覚を表現してくれる道具です。

 

カテゴリー: 打ち方オタク | 投稿者ナガキヤスヒロ 19:24 | コメントをどうぞ