テニスの上達にも、細かく言えば技術の習得にも、メンタルは介在します。
難しいと思ったことは、難しくてなかなかできるようにならない。
できるようになったことは、かつて難しかったと思ったかもしれないけど、もう使いこなせる。
テニスに限らず、そういうものではないでしょうか?
山に登っている時は、目指す頂までの時間や体力的なきつさなどは経験していないからわかりませんし、やみくもにしんどい中を歩くのでしょうが、その山頂から下りたきた人は、登っている途中の人にアドバイスをあげることができます。
ここの上りはきついから、その前に休憩したほうがいいよ、とか、ここを歩く時は岩場がもろくなっているから気をつけて、とか、こういうところまで出たら後何分で山頂だからね、とか、具体的に教えてあげられます。
「経験したから」ですね。
とてもシンプルなことなんです。
テニスのうまい人が、下手な人の気持ちがわからない…?
確かにそういうことも、あるかもしれません。だけど、うまい人だって、最初からうまかったわけじゃないかもしれませんよね。だから、聞いてみたくなる。
さっきの、山登りのアドバイスみたいなものをもらって、心理的に「知っている」つもりになって不安から逃れたいわけです。
ただ、テニスの上達は、現実の山とは違って、歩いていればたどり着くものではないのかもしれません。
ただ、続けていることが歩いていることと一緒なら、です。
知らなければいけないこともきっとあると思いますし、自分が間違った方向に向かっている可能性だってある。
どんなスポーツも、感覚的なことを体で覚えて、その中で知っていかないときちんと上達しないものです。
初心者と、上級者では、相手の打ったショットの見え方は違っているはずです。
例えば、相手が時速120キロのサーブを打ってきたとします。
初心者の人には、そのサーブはとても返球の難しい、すごく速いサーブに見えるはずです。
しかし、上級者なら、たとえ数本はミスをしたとしても、返せないものではないと思います。
テニスの動作に不慣れなうちは、ショットを見て判断することと、自分の体が反応することと、そのショットを返球するために必要な要素(技術)とが整理されていないかもともとインプットされていないために、時間が足りずに処理ができないうちにボールが通り過ぎていきます。
繰り返しそういうショットを返球したことがある人なら、どう反応すれば、そのショットを返球する技術に直結するかがわかっているはずですし、そのためにはどうやって構えていればいいのかも既に知っています。要するにやるべきことは整理されているわけですね。
「わかっている」には段階があって、ちゃんとわかっている場合はその人の中で理解できるだけでも「言語化」されています。
ちゃんとできるかは不安な人は、言語化されていないから、とっさに反応する自分の体が頼りになります。もう一回、もう一回…今度こそ、と練習するうちに、なんとなくでもやり方がわかってきたような状態です。それでも、動きに迷いがなければ言語化されている人と変わらないような返球もできるはずです。
例えば、早いサーブを返球するには、「テイクバックをコンパクトに」なんてよく言われますね。
自分なりに、その「コンパクト」の定義を見つけるわけです。
なるべく、あっという間に準備すること(=スイングをスタートさせられること)をコンパクトにする、ということにします。そのために必要なことが、人によって違っていてもいいのではないでしょうか。
もう一つ、目が慣れる、ということも外せない条件です。
テニスのサーブで、ワタシの見たことのあるのは、180キロくらいまで。バウンド付近が速すぎて消えたように見えます。
そんなワタシが、サッカーを遊びでやって、ゴールを守った時に、テニスコーチの仲間が蹴ったアシストを、もう一人がヘディングで合わせたボールが、これまたワタシの目からは消えました。
ワタシの周りにいたのはサッカー選手ではなくて、テニスコーチの仲間で、素人です。アシストになったセンタリングが、ヘディングで軌道が変わったのに目がついていかなかったんですね。
ボールのスピードなんて、本当にたいしたことなかったと思いますし、ボールだってあんなにデカいんですから、見えなくなるなんてことはないはずなんですが、ワタシの脳みそが処理できなかったんですね。
インカレでベスト8まで行った風早くんは、200キロのサーブとかリターンできるんでしょ、って聞いた時に「あーさすがに慣れましたね」とまだ大学生の頃には言っていました。
ワタシには見えないサーブなんですけど、プロは見えてるんですね。
で、どうすればいいのかを知っている。
それがメンタルに大きく影響しますよね。。。
さて、そろそろ今回の言いたいことにいかないとですね。
練習するときは、失敗していいんだってことを知っておきましょう。
新しいことにトライするときには、もしかしたら自分の今までのテニスが壊れてしまうかも、なんていう不安にかられることもあります。
それが怖かったら、挑戦しなければいいだけの話で、今までどおりのことをきちんとやって感覚を磨けば精度が上がるのが期待できるわけですし、その中でもっとこうしたらいいんじゃないだろうか、挑戦する価値があるんじゃなかろうか、って思えるようになってみたらやればいいんです。
ラケットを使う感覚、それでボールが当たった(ボールを打った)感覚も練習では大事です。
もっと言えば、ボールをどうやって見ているかも変わります。その時にどうやって見ているかの「姿勢」や「目線」にも注意した方がいいこともあります。
どれも一緒に一気にうまくなることはありませんから、球出しのボールをうまく打てるようになることから始めて、乱打でそのチェックを自分のものにできるように「合わせ方」を知りましょう。
そして、100点満点を目指さないこと。
その中の要素ができたら自分の中に可能性があることの証拠ですから、自信を持ちましょう。
それで、その新しい感覚が自分のものになるまで育てていくべきです。
試合でよく、メンタルが弱いんで、なんてよく聞きますが、それはプロのレベルで言われるものと、似ているようでだいぶ差があると思います。
そりゃあ、錦織だってフェデラーに初めて勝てた時はマッチポイントで硬くなったかもしれませんし、フェデラーだって、フレンチを初優勝した時のコメントで、「頼むからミスしてくれ」と願いながら打っていた、なんて言っていましたからね。不安な中でもやるべきことはしっかりやらないと勝てないことを知っているんです。
そこでビビって負けた経験なんかも、ジュニアから若い頃まで、ずいぶん経験していてのことなんじゃないでしょうか。
経験の浅い我々一般プレーヤーも、同じように不安になるので、緊張して硬くなったりするのは同じですが、自分が不安に押しつぶされていつも通りに打てなくなることよりも、いつも通りに確率の悪いショットに頼まなければならないことがより一層不安を大きくしていることを知っておくべきです。
とはいえ、プロじゃないんだから、それが当たり前で、ネットの向こうにいる相手だって同じ条件のアマチュアな訳ですから、自分の不安と必死に闘いながらショットをねじ込んで行って勝つまでやる訳です。
マッチポイントまで行くのにどれだけ緊張の山を越えてきたかを思えば、あと一本踏ん張ろう、って思えると思いますが、試合の最初っから緊張で打てなくなることもありますよね。
これもまたよくわかる話で、最初が一番緊張するものです。
そのせいでノレないうちに試合が終わっちゃう、なんてこともありますし、そういう試合をするともったいないって思っちゃいますよね。
まあ今回はそっちの話じゃないのでアレですが、緊張するものなんだってわかっていないと対処も何もできないでしょう。