基礎は怠りなく…

身体操作上の基礎(体全体のリズム・動作法)

打球感覚上の基礎(手の感覚)

待球感覚上の基礎(目で見たものとの判断・対応)

ラリーをするときの基礎(打つ、構える、見る、判断する、動く)

ゲームをするときの基礎(状況判断、コートの使い方、ショットの使い方)

など、基礎ってひとつじゃありません。

打球法だけをとれば、自分の体の中でどうやっているかというイメージと、実際に自分ができたパフォーマンスとにギャップがあれば、修正するのか、そのギャップを理解した上でゆとりを持たせた結果に期待するのかはプレーヤーのものです。

 

この項で書こうと思っているのは、打球法(その他は説明するっていうか、プレーしながら身をもって覚えていくこと)についてのことです。

手でボールを持って、目標に向かって投げる時、手から先の感覚の方が強いはずです。コントロールがちゃんとできる人ほどそう。

手の中に対象(ボール)があるわけですし、手って神経が繊細な器官ですから、手がボールを感じていることが最も重要なことで、それをどうやってスイングしてリリースするかってことは、簡単な内容だったら説明はいらない。

専門的な野球のピッチャーの技術といえば、そりゃあ奥が深いのは、何の道でもそうでしょうから、そこは論じません。

ティッシュを丸めてゴミ箱へ投げ入れる、なんてことをするときも手がそのティッシュをどう感じているかが大事だったりしますよね。

大きさや重さが違うわけです。ボールと同じ投げ方じゃないかもしれませんね。

でも、基礎はいっしょ。

急に左手で投げたりしないでしょうし、小指の方に持ったりもしないでしょう。肘を伸ばしっぱなしってこともないでしょうし、突然ティッシュの時だけカーブかけちゃったりすることもしないでしょう。

ラケットを扱い慣れてくると、それと近い感覚になってきます。

ワタシの場合、そうやって「慣れた」と感じるまで30年近くかかってるわけですが。。。正しく指導してくれる人さえいてくれればな、と思いました。

テニスの場合は、ラケットにボールが当たるとどんな感じがしてどうやってボールが飛んでいくか、ということを見比べながら、体の感覚を磨いていきます。

そんな、何年もかける必要はありません。

ワタシの場合は、見た目から真似をする、という勉強の仕方をしていたせいで、ああでもないこうでもないの時間が異常に長かっただけです。

感覚のための要素の練習をしっかりやっておけば、自分のフォームの中にその感覚を落とし込めればいいわけです。

できれば、実践的な練習まで、結果にとらわれずに要素の練習をしておいて、ラリーやゲームのシチュエーションになっても練習の成果を試せるくらいの「度胸」が必要です。

度胸ってのは、覚えたてのことが確実にミスなくできるわけがない、ということに基づきます。それでもやってみよう!という意欲がなければ、自分がもうひとつ上のステージに上がるなんてことはないですから。

コーチについて、引き上げてもらう、ってことは申し訳ないけどできません。最終的には、その麓まで連れて行くことができても、上がるかどうかは本人なんです。

練習でやった内容を、ゲームの中で自分が動かす風景の中で使えるかどうか、使えるまでやってみる、ってことができないと、時間がいくらあっても進みません。

時間がいくらでもあるのでしたら、強制的に毎回コーチがその動きをやらせて、慣れさせて行っていつ間にかできるようになってる、なんてこともあるかもしれませんが、ワタシだったら言いますよ。

「ほーらできるんだから、最初からやっときゃあもっと楽だったのに!」

基礎って面白いもので、何度も「あーやっぱり大事なものなんだなぁ」って思うものなんです。

もし、そういう項目がみなさん一人ひとりにあるのなら、それ、基礎です。

いつでもそこに戻って確認すると、「忘れてたわ…やっぱ大事」って気付くと思います。

大事なものは、大事にしましょう。

忘れても、思い出せればいいんですから、調子に乗ったり、勘違いしたりして、自分以上のレベルのプレーをしていっていいんです。

そのプレーは、ちょっと気をつければちゃんとできるプレーなはずです。雑に扱うとミスになるかもしれないってこと。

そして、雑になっているものほど「基礎」のことが多いものなんです。


カテゴリー: 打ち方オタク | 投稿者ナガキヤスヒロ 07:41 | コメントをどうぞ