自分は一個の人間で、毎日何をやってどう考えているかを把握しているのは、自分だから自分のことを一番わかっている…はずだと思います。
だけど、自分のことって自分の見ている面からしか見ていないってことを考えれば、わかっているようでわかっていない、というのも自分なのかなと思います。
中学生くらいのころに、だいぶ一人で考えるオタクで、人生観みたいなこととか、死生観みたいなこととか、子供っぽかっただろうけど、そのころにずいぶんいろんなことを考えていたような気がします。
以前に武田鉄矢さんのラジオ番組で、「人間は13歳までにいちどは『死』と向き合う。そこを乗り越えられないでいる子は自殺してしまうこともしばしばある」と書いてある本を読んだ、ということを聞いて、自分もそのくらい若いころに、必死に自分が死んだらどうなるのか、死ぬってどういうことなのか、全く現実的でないながらもそこにきちんと恐怖を抱けるくらいに悩んだと思います。
書いていったらものっすごく重たいテーマな感じになってしまいましたが、自分のことを自分で分かっているつもりで、考え方にはもうぶれなくてもいいくらい自分なりにですけど勉強してきたつもりです。勉強はもちろん続いていくんでしょうが、あっちを広いこっちで悩み、自分の進む方向についてはもう悩まないとは思います。
それが40代のころに出来上がったので、40代は「不惑」といいますが、そういう時代でもあったのかなと。
そこでまた話題が飛ぶわけなんですが、このCOVID-19のウイルス感染防止の時期に、自分としては自宅で撮れるなら動画を撮ってYouTubeのコンテンツを増やしていこうと思っていたんです。だけどなぜか撮れなかった。正確にはいくつかのクリップを撮ったんですが、なんか投稿するどころか、撮ったものを見返す気にすらならないほど、テンションが上がらなかったんです。
言いたいことがなくなっちゃったのか、ネタが尽きたのか?って自分で自問してみたりしたんです。
過去の動画をみてみる、ということにやっと気づきまして、見返してみております。
楽しそうにもやってるし、必要なことを言えているようなかんじもします。テーマも対象も最近よりもはっきりしていたような気がするなぁ、って思ってしまいました。
動画の中の自分も自分なんだし、今それを見ているのも自分なんですが、なんか中身が違う人みたいな?それで過去の動画を撮っているときの自分の記憶もあるわけでして。
でこれ面白い(興味深いのほう)なぁって思ったわけです。もしかしたらそのころの気分とか考え方に戻れるのかも。
というわけで、いくつか撮ってあるクリップはあったんですが、やっぱりあいつらはボツ。
だけどモチベーションを少しそこからもらって、また動画を撮ってみたいと思います。
ちゃんと蟄居してるんですが、家の中でできることを増やしていってみたりして心の健康を保つことはできてると思ってましたが、もしかしたらこれに気づかないうちに病み始めていたのかもしれませんね。。。
前向きに前向きに。