月別アーカイブ: 2014年11月

五十歩 百歩

先日、地下鉄に乗っていた時の事。

私の前の席に一組のカップルが座っていて、その隣の席が二つ空いていた。

かなりのイケメンとお似合いの女性。

 

そこへ一人の青年が乗車してきた。

残念ながら彼はお世辞にもイケメンとは程遠い感じ。

特に気になったわけではないが、無意識に彼に眼がいった。

席につこうとする彼が椅子に置いてあるコンビニの袋に気付いた。

 

どうみてもゴミ

 

彼はそのコンビニ袋を触った感触だけでゴミだと判断し、なんのためらいもなく自分のポケットに入れて座った。

あまりの素早さに私とイケメンは一瞬、唖然とした。

席は二つ空いていたのだからそのゴミを何とかしなくても席に座ることは十分出来たはず。

 

彼は次の駅ですぐに降りた。

きっと下車のついでに駅のゴミ箱に捨てたのだろう。

 

イケメンの男が立ち去った彼と椅子のあたりを何度も指さしながら隣の彼女に説明している。

二人はクスクスと笑いながら内緒話し・・・

話の内容は聞こえないが大体察しがついた。

私には立ち去った彼がやたらかっこよく見え、カップルはかなり残念にみえた。

誇らしげな気持ちとムカつく気持ちが微妙に入り混じった。

 

が、

 

私がもし彼の立場だったら同じようにゴミを拾ってゴミ箱に入れる事が出来ただろうか?

きっとゴミのおいていない方の席に座っておしまいだったと思う。

青年にとってゴミは邪魔だったわけではないと思う。

「ゴミを拾う」と「座る為にどける」の違いだろう。

 

となるとイケメンと私は五十歩百歩、むなしい気持ちまで入り混じってきた。

 

名古屋テニススクール  茨木テニス

カテゴリー: 未分類 | 投稿者楢木コーチ 11:26 | コメントをどうぞ

やらかした・・・

「お前 昔話ばっかりして!」

とお叱りを頂いたり

「おもろい!」

とお褒めを頂いたり

まあまわりの事はあんまり気にせず、自己満の世界でこれからも気ままに書こうと思っています。

先に言っておきますが相変わらずくだらない話ですよ(笑)

 

今回は「応援」について

 

「テニスの世界では応援は拍手のみ」

これが今では常識になっていますが、団体戦だけは特別、みんな必死に声を枯らして応援をしています。

茨木でも「月例レディース 団体戦」を行なっていますが、選手とベンチコーチが心を一つにして戦っていてとても楽しそうです。

 

 

学生テニスの世界では、最近ちょっと応援の仕方が変わってきて各学校が独自の応援歌や選手の個人バージョンまで作って歌いながら応援をしているのをよく見かけます。

 

「行け~! 行け!行け!〇〇♪♪  〇〇の良いトコ見てみたい!♬♬」てな感じで

 

聞いているとなんかサッカーの応援?だったり、飲み会の一気コール?みたいで私はちょっと ???って感じです(笑)。

まあ時代の流れなのでしょうがないのかもしれませんね。

 

昔は個人戦でもかなり応援をする風潮がありました。(ちょっとやり過ぎだったかもしれません)

 

ポイントとポイントの間に

 

「さっきっ リードで~す!」

 「さっきっ リードで~す!」

 

「ドンマイで~す!」

「ドンマイで~す!」

 

「ポイントで~す!」

「ポイントで~す!」

などが定番で、一人コール役がいて その後に部員全員が続く応援の仕方が多かったですね。(まあうるさい うるさい)

男子校はダミ声で、まあ昭和のアイドル歌手のファンの声援に似た感じですね。

 

 

ある日

私が中学生の時、高校の試合、決勝直前

「センターのボールボーイは楢木!  おまえやれ!」

といきなり大役を命ぜられました。

我校のセンター(ネット際)のボールボーイの使命はボール拾いとコール役を意味して大変重要なポストで、粗相は絶対にあってはなりませんでした。

完璧なボール拾い、タイミングの良い応援のコール、これで試合はグッとしまります。

もちろん試合後、毎回ダメ出し。

当時のボールボーイは学生服と決まっていて、ガクランを砂まるけにして力の限りでっかい声を出して頑張っていました。

 

さすがは決勝戦

 

双方一歩も譲らず大事な場面で先輩のサービスゲーム

カウントは「15-15」

 

「先 リードで~す!」を最高のタイミングで入れるのが私の任務

 

会場はシ~ンと静まりかえり、聞こえるのは先輩のつくボールの音だけ・・・

・・

(今だ!)

 

と力の限りに私が叫んだのは

 

 

 

 

 

「フィフティーン オール!!」

・・

・・・

・・・・

 

張り詰めた空気が一変

 

誰も何も言わない(触れない)

 

何事もなかったかのように先輩はサーブを打つ・・・

 

 

もし負けたら自分のせい・・・

頭の中はそれでいっぱい

 

 

さて、試合結果は?

 

 

 

みごと勝利・・・

 

 

ちょっとも喜べません・・・

これほどホッとした勝利は他にはありません・・・

もちろんダメ出しはいつもより大盛りでしたが、むしろその方が気が楽だった気がします。

まあそれだけ必死になって応援していたって事かな?

(まとまりのない文章ですみません・・・)
カテゴリー: 未分類 | 投稿者楢木コーチ 17:03 | コメントをどうぞ

ビッグ ニュースです!

名古屋工業大学硬式テニス部(男子)が今期 見事一部昇格を果たしました。

まずは現役の部員の皆様、OBの皆様、関係者の皆様、おめでとうございます。

一緒に働いている者として本当にうれしく思っています。

私の記憶では、東海学生において国公立の一部リーグ在籍は、たしか名古屋大学 静岡大学に続くものだと思います。(もし間違っていたら申し訳ありません)

この快挙は多くの大学に勇気を与える結果となったと思います。

大学リーグ戦は全国を8地区に分け、東海リーグではさらに全体を1部から6部に分割し、1リーグ6校編成にしています。

 

学生テニスの最大の目標のひとつに王座(全日本大学対抗王座決定戦)があります。

 

それに出場をするには各地区を勝ち上がらなければなりません。東海地区では一部リーグ優勝校のみに出場権が与えられす。

名工大もチャレンジする権利を得たことになります。

夢は大きく、 楽しみが更に広がりますね。

 

 

大学リーグ戦を簡単に説明すると、男子、シングルス6本、ダブルス3本の計9ポイントで先に5勝した方が勝ちとなります。(女子は3本、2本の5ポイントの3勝)

選手を6人揃えなければならない為、選手層の厚さが重要になり、一人や二人 スーパープレーヤーがいても勝てません。

また、オーダーの組み方で勝敗が大きく変わったり、複数面(通常、3面同時進行)で行なわれる為、他のコートの進行状況が大きく影響したりして駆け引きや心理作戦もかなり重要となってきます。

 

 

茨木テニスクラブにとって名工大さんとのお付き合いはとても長く、私の8代上の井上さんがコーチで在籍していたり、また元名工大監督の横田さんは当クラブのメンバーになって頂いていました。

毎年、横田さんはリーグ戦に関して

「今年は何位だった」とか

「来年は楽しみだ!」とか

私にいつも楽しそうに報告してくれました。

たしか当時は3部リーグでなかなか昇格できないとおっしゃっていたのを記憶しています。

 

それからしばらく間が空いて、元木君が茨木でコーチをする事になり、その後 沖田コーチ、森川コーチ、楠本コーチ、寺田コーチ、坂下コーチと歴代途切れることなく後輩達がバトンを繋いでくれています。

また、茨木のジュニアチームに所属していた稲熊君も名工大さんの戦力に加わり何か不思議な縁を感じています。

 

元木コーチが現役の頃は5部、6部あたりから始まったと記憶しています。

現役時代はリーグ昇格に燃え、先頭に立ってよく頑張っていました。

その後、沖田コーチ 森川コーチ 楠本コーチへとそのスピリッツは確実に継承され、

4部、3部、2部へと一歩ずつ上がり、今の現役 寺田コーチ 坂下コーチたちの快挙に繋がりました。

年に一つずつしか昇格できないのでとんとん拍子で行ったとしても6部から1部には5年かかる計算になります。

実際はそう簡単には行くはずもなく夢は後輩に託すことになります。

まさにタスキを渡すと言う事でしょうね。

今回も現役の皆さんの頑張りで勝ち得たことは事実ですが、OBや関係者の方々の地道な努力の上に成り立っていて、さぞかし皆様もお慶びだと思います。

 

テニスは個人競技と思われがちですが、団体も個人もレギュラー、補欠、レギュラー以外の部員、マネージャー、監督、コーチ、OB、父兄、その他の方々の想いが一つになって戦っていると思います。

この想いはどの学校でもきっと同じでしょう。

夏には岐阜メモリアルでインカレ(全日本学生テニス選手権)が行われ、今年も会場でおそらくOBと思われる年配の方が暑い中、母校の後輩の活躍を熱心に観戦されていました。

 

学生テニスには、世界のトッププロのゲームとは一味も二味も違った感動、ドラマ、思い入れがあり、私は大好きです。

 

来期の名工大さんの戦いが今から楽しみです。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者楢木コーチ 13:33 | コメントをどうぞ

影響

私には兄が3人います。

男4兄弟、全員がヒゲ。

まあそれは良いとして

一番下の兄の影響でテニスを始めたのは前回お話ししました。

真ん中の兄も私に大きな影響を与えました。

彼は元ミュージシャン、その彼に小さい頃からアメリカンロックを

聞かされ、そのおかげで私も大好きになりました。

とは言っても才能がなかった私はミュージシャンにはなれず、もっぱら聞くだけ。

兄貴仕込みで60年代から70年代のアメリカンロックがお気に入りです。

今となってはもう「懐メロ」もいいとこで、なかなか趣味の合う方とお会いできませんが、

スクール生のT中さんとだけは意気投合!

毎週、お互いのCDを貸し借りして二人でニヤニヤしてます。

 

 

先日、YOU TUBEをチェックしていてかっこいいのを発見!

 

 

「ROY ORBISON の A Black&White Night Live」

 

 

といっても

???

ですよね。

 

代表曲は、その後映画の主題歌に使われ、一躍有名になった誰もが知っている曲です。

 

面白いのがそのコンサートはチャリティーで、ロイ自身が自分の為に開いたコンサート。

 

それに賛同した超有名アーティストがごっそり参加。

B,S、 E,C、 T,W、 J,D,S、 J,B、 B,R、 J,W、等々、よだれが出そうなメンバーが勢揃い!!(すいません、きっと僕だけですね)

 

全員のギャラを足すと一体いくらになるのか想像がつかないし、こんなに集まること自体がありえないでしょうね。

 

ところが声を掛けられたメンバーは全員、彼に憧れ多大な影響を受けた大ファン!

 

 

「一緒にやれるだけで幸せ、ノーギャラでOK!」だったそうです。

(もっぱらそういう噂ですよ、本当のところは???です)

 

そこら辺が意気じゃないですか(笑)

 

一度聞いてみて

 

メチャメチャかっこいいから!

カテゴリー: 未分類 | 投稿者楢木コーチ 12:44 | コメントをどうぞ

真意

私がテニスを始めたきっかけは兄貴でした。

すでにテニスに明け暮れている兄貴を見ていて自分も中学生になったらテニスをやるんだと決めていました。

兄貴と同校に入学し、さっそくテニス部に入部届を出し、それを母に伝えると

 

「テニス?あんたもするの?別にええよ、ほんでも条件があるに」

きっと勉強だろうなあと思っていると

「勉強は当たり前、私はあんたのテニスに期待、応援、協力、はせえへんでね」と

当時の自分にはその意味がよく理解出来ずにいました。

 

私の両親は同校の事務で勤務していましたが、一度も練習を見たことがありません。

もちろん試合を見に来ることもありませんでした。

 

初めて買ったゴールデンショット(もちろん自分で)

大事に大事にしていて夜は抱いて寝てた一本

ある日その宝物にひびが入り

「おっかあ、ラケット折れた」

「セメダインならいつもの棚に入っとるに」

「セメダインなんかでくっつかすか」

「だめかあ、じゃあボンドか?」

「ほうじゃないって、直せえへんて」

「ふうん、じゃあこれ以上壊れんようにそおっと使やあ、取り合えずくっつけて 今度折れたら買ったら?」

 

 

我が家の洗濯は一日一回、朝と決まっています。

試合の日、夜帰宅すると当然その日の洗濯は終了している。

たとえ次の日が試合でも洗濯はしてもらえない。

試合用のウェアーは一張羅。

風呂の時自分で洗うしかない。

当然朝までに乾くはずもない。

「うわあ まだ乾いとらん・・・」

そこへ一言

「トロイねえ、着とりゃあ乾くって(笑)」

 

 

高校3年生、念願のインターハイ出場が決まり、母に自慢げに

「俺、インターハイ決まった!福島まで行ってくるわあ!」

「へえぇ、福島?どえりゃあ遠いとこの申し込んだんだなあ?」

「申し込んだ? 誰でも出れるわけじゃないに!」

「抽選?  お前くじ運だけはええでなあ!」

「…  もういいから金くれ!」

 

 

言い出したらキリがありません。

息子たちのテニスには全く興味がなかったんです。

まあそれが普通、当たり前だと思っていました。

 

しかし母の旧友からつい最近教えられました。

 

「お母さんは会うといっつもあなたたち(兄貴も)のテニスの話ばっかり、そりゃあ嬉しそうにやれ優勝したとか全国大会に出るんだとか自慢話ばっかり聞かされたわよ(笑)」

って

 

 

今も昔も誰でもわが子の事を思う気持ちはみんな同じなんだなあって初めて知らされました。

 

これが母のやり方だったんです。

そのおかげで我々はノビノビとやらせてもらってたんです。

今振り返れば、私たちにとっては最高の理解者、指導者だった気がします。

カテゴリー: 未分類 | 投稿者楢木コーチ 13:49 | コメントをどうぞ