テニスの停滞期ってのもあるだろうとは思いますが、今日は私自身が停滞中っていうもどかしさを吐露します。
テニスの動作については、物理的な動きとして腕を振ってラケットの動きを生む・その腕は身体から生えていて動きの流れを上手く作る必要がある、てことを念頭に勉強を進めてきたので、今やっていることが間違っている様には思わなくなってきたのでそこには自信があります。
分かればわかるほど、出来る人と出来ない人の差がいろんなところに要素として入っていて、コーチとしてそれらを見比べて、足りないところとされる要素が、はたしてできない要素なのか、気づきさえすれば出来るようになることなのか、プレーヤー本人と一緒に考えながらやっていることで、時間はかかっても方向はわかるようになればいいと割り切って取り組みを持たせるようにしてきています。
信頼されているという事が会話からも生徒さんの反応からも、痛いほどにわかるので、こちらも真剣です。それだけにレッスンは楽しい。
一方で、ワタシはこういうことを記事や記録として残しておきたいと思いながら、こうしてブログを書いたり、教科書のようなものを作りたいと思ってそちらの勉強もしてきています。
何度も書くことに挑戦し、3~40ページくらい作ることが出来ますが、そのたびに見返すと新しいアイデアがわいてきたりして、書き直したりしてきました。
問題は、どこから切り口を作っていく事か、なにが一番大切なことなのか、どこまで掘り下げればむつかしいことにはあとから挑戦することにして、もっとも簡単なことからゲームに活かせるようになるか、ということを考えるようになってから、自分の知識の並べ順が代わってしまうという事です。
どんなレベルの人でも、テニスはゲームをして楽しむべきで、打ち方だけにこだわってする練習があってもいいですが、上達したのならゲームをして活かすべきだし、今のレベルで楽しむ為にもゲームをするという事がいやだったり怖かったりしないように「出来る喜び」があるべきだと思うからです。
むつかしいことに挑戦する楽しみもあります。だから、段階を踏んでいけばいい。
初心者にわかりやすいことが、上級者になって通用するものもしないものもあるわけです。
だから、初級技術として感覚がわかるようになったら、どんどん新しいことをむつかしくない方法で紹介できれば、興味がわいてゲームの中で生かしながら新しい感覚を育てられるようになるのではと思っています。
「習っている」せいで上達にブレーキがかかることだってあると、コーチとして自覚しています。
自分で考えながら出来る方が、自分のテニスとして楽しみながら挑戦していける。それこそがテニスが長く続けられるコツなんじゃないかと思っています。
教わらないとできないことがあるのも事実というか、その方がはやく気づけるというだけで、結局は与えられて使うかどうかはプレーヤー本人の問題です。だからこそゲームをする中で発見しやすいようにしたい。
ボールに上手く追いついてちゃんと真ん中に当てられるけど飛んでいくボールが不安定な人とか、かなりいるわけです。その人はゲームを上手くすることが出来ていないかもしれませんが、運動神経はよくて、上手になる要素はかなり持っている訳ですよね。
それをどっち向きに使えばいいかだけわかれば、上手く打っているのならうまくコートに入る、という感覚がわかるようにしてあげたい。
狙ったらそこに打てるのなら、ゲームで困らないわけですよね?
それこそレベルに関係なく、楽しくゲームが出来るんだと思うんですが、そう思えば思うほど、何をどう書けばいいのかが困ってしまって、ブログすら最近は止まりがちです。
もうしばらく、トンネルの中にいると思います。
どうか見捨てずにおいてやってください。