日別アーカイブ: 2017年3月29日

「ひらめき」を練習する

ラリーの中にあるもので、最も重要なものなんじゃないかと最近思っているのが、「時間」です。

 

テニスのゲームは「時間と空間」の取り合いだ、ということはよく言われていますし、そのことを意識して自分でも取り組み、自分のテニスだけでなくレッスンでも説明に使っていた言葉です。

ですが、よくわかっていなかったな、と反省しました。

テクニック的に説明がきく部分もあり、断片的にその使い方を説明できるようになってきていましたが、そういった要素をまとめて考えてみたらひとつの大きな要素として「時間」が浮き彫りになり、自分で「なるほど!」と膝を叩いた次第です。

 

ショットの優劣でテニスのゲームは決まらないものですね。

強いショットが入れば返ってこない、だから先に強いショットを放ったほうが試合に勝つ、というレベルは、すぐに終わります。レベルアップとは、そのショットをいかに連続で入れるかとか、逆にそのショットをいかにうまく返すか、というような勝負をしていくうちに上がっていくものです。

初心者から中級者までの間は、そういう技術的な勝負で完結するようなところで試合をしていたんじゃないかなと思います。

それで、技術的にそれ以上に上がっていくってのが難しい人たちが我々「一般テニスプレーヤー」なんだと思うんですが・・・

より難しい技術にトライしていくのも、今できる技術のアベレージを上げていくのも、より相手のショットへの対応を磨いていくのも上達の道だと思いますし、挑戦する楽しみこそがスポーツを愛する心の大きな部分だと思います。

一方で、ある程度までできるようになったらそれが武器のような感じもするし、試合すること自体が楽しいようにもなってくるし、どんどん挑戦して目標も上がっていく中、自分の技術の上達が徐々に鈍化していきます。

それはそうです。走るのを1秒速くするのがどれだけ大変なことか、それと同じように自分の感覚の中で相手のショットを見て、反応しながらできることを増やしていったりするのって、そうそう簡単なことではありません。

一人の感覚を急激に変えることってすごく難しいことです。

ジュニアとかで、成長に合わせて新しいステージを用意していけば、短期間で急成長するようなことがあっていいと思いますが、それって本人が気づいていないであろう要素に気づかせてあげさえすれば「なるほど!」ってできるようになるようなものです。ポテンシャルがある中にできていないことは、足し算ができる子に「掛け算って足し算をまとめたものなんだよ」って教えてあげることと同じで、慣れてしまえばもうできるようになるってことだと思います。

 

ある程度できるようになって、というのは同じようにお勉強の例で考えれば、算数はそこそこできたとしても、中学生程度の数学力で微分積分をやれっていってもにわかには何のことやらわからないし、何に役立つのかもわからないからやる気にすらならない、ってことと同じなんじゃないかなと思います。

高等技術、というのがテニスの打球技術にあるとして、ある程度基礎ができていて、使う意義がわかるレベルじゃないと教わったとしても自分の基礎が揺らぐようなことになるくらいで、役立たない場合すらあるんじゃないかと思います。

 

 

 

そこで、できることを極力素早くできるようになる訓練と、対応の幅を広げる訓練をしていったほうが試合とかには使えるんじゃないかってことなんですね。

 

できることを極力素早く、というのが時間的なアドバンテージを得るってことです。

割とほとんどのプレーヤーが、相手のショットが勢いが強かったりスピードが速かったりすると動きも早くなりますが、ロブなどの遅い球を見ると急に走るのが遅くなったり、準備がゆっくりになったりする傾向を持っています。

よく訓練された人は、さっと「打つには十分な準備」をして、それからゆったりと正確に打点に入ります。そこが差だなぁと思っています。

「何をすればいいかよくわかっている人」はそこで油断や単純なミスをしません。

逆に言えば、そんなに「完璧にはなかなかうまくできない人」も、自分の打ち方を持っているはずです。なぜなら、筋肉は記憶していて、突然隣の人と同じフォームになったりはしないからです。

だから、飛んでくるボールと自分のフォームとをぴったり同調させることで、当たり損ねやコートに入らないようなミスをしないように注意するような打ち方になります。

「何をすればいいかわかっている人」の感覚では、狙いはすでにイメージの中にあって、その上で何をすればいいかわかっているので、インパクトの瞬間にミスをしていなければ、狙ったところ以外には打てないくらいちゃんとコントロールできた形で打球します。

 

相手が打ったショットを、打ち返すまでの時間の使い方が違うわけですね。

 

だから、全身が調和のとれたフォームになる必要があるわけですし、できる人にはそれは自然にできることであり、自分のテニスをする上では必然でなければならないものでもあるんでしょう。

その一方では、相手が打ってから自分が打つまでの短い時間で、出来なさそうなことはしないってことも判断しているんだと思います。

 

反応して、動作に入りながらの時間で考える。時間にしては1秒もないでしょうから、他人から見れば「ひらめき」に近い速度で考えている・・・?

相手のショットを自分が捉えた時にどんな感触か、というイメージがさっと浮かび、そのイメージをトレースして実現させる。

ラケットがボールを感じているのを握っているてから確認しながら、狙ったコースの先に相手が返そうとしているイメージを重ねます。

コートの広さを背景に、相手が返球するショットをイメージして、その上でさらに自分が動いてとれる範囲が何となく見えています。

その間に、一往復分の時間があって、どのくらいの運動量なのか、相手が打つ前にしておく準備、相手が打った瞬間の見極めと反応の準備、次の打点への移動速度やショットの準備など、言葉で書けば複雑ですが、次に見えた展開への準備は一発でできるってことでしょう。

 

想定内の範囲であれば、自分が相手を追い込んだ後にはさらに攻めたり、あるいは止めのショットへ素早く動くでしょうし、追い込まれながら拾ったショットの後は、ポジションを下げて視野を広くし、守備範囲を広げる努力とかをすることでしょう。

想定外の範囲には、想定していないショットが飛んでいるわけですから反応は遅れます。そのせいで諦めなきゃいけないとか、むしろアウトしてくれ、って願ったりするだけで身体活動はしなくなるか、明らかに取らされた状態にしかならなくて苦しい状況であることがすぐにわかります。

要するに、これから勝てる、という状況も、負けるかも、という状況も、納得済みでゲームをすることになります。

その上で試合には勝ちたい、というのが理由や目標になって次のプレーを考えることになります。

練習の中でも、漫然とラリーすることが目的になるレベルから、勝負に使える一本と、その次のプレーにどう移るかを考えて行うレベルへ、意識しながらやってみるのもいいのではないでしょうか

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 14:39 | コメントをどうぞ