保育士、介護士の待遇なぜ悪いか

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 きわめて専門性が高い職業でありながら、それがなかなか認められていないもののひとつが保育士や介護士だろう。ニーズの高まりとは裏腹に、整わぬ労働環境のため人手不足に陥る保育と介護の現場で働く人たちの本音に、ライターの森鷹久氏が迫った。

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「保育士」といえば、かつては女性に人気の職業であった。未来あるかわいい子供の成長を間近で見つめながら、社会性、人間性の芽生えを手助けするという、実に「やりがい」の大きい仕事だからだ。

 また、同様に「介護士」を志望する若者も、筆者が青年時代、今から10数年前には多数存在した。敬意をもって人生の先輩方の生活を手助けし、場合によってはお年寄りの家族以上の”パートナー”として終生に寄り添う「やりがい」。そして、超高齢化社会に突入する我が国においては「なくてはならない」仕事であるため、資格さえ持っていれば何とかなるだろうという「食いぶち」としての魅力もあったのかもしれない。

 しかし今、保育士や介護士を志望する若者は激減、働いても働いても収入は増えない「ブラック」を象徴する二大仕事などともいわれるまでになった。

「好きでなったのだから文句を言うなと言われます。それはそうですが、すでに最低限の生活もできていない。こんな状態では子供の成長を見守る前に、自分が壊れてしまいそう。もう保育士という仕事に、誇りも何も抱けません」

 千葉県内の私立保育園に勤める保育士の中野美穂さん(仮名・26歳)は、女子大の保育科を卒業後、新卒で常勤保育士として働きだした。現在保育士5年目であるが、月々の手取り給与はわずか12万円。家賃や食費、通信費に奨学金の返済などで手元に残るのは2万円に満たない。服や化粧品はおろか、職場で着用するジャージやトレーナーすら満足に買えず、古着店やネットオークションサイトで購入するなど、涙ぐましい努力をして凌いでいる。

「私が採用されたくらいの時には、すでに保育士は”ブラック”と言われていました。それでも夢だったので、多少のことは我慢しようと頑張ってきました。でも、給料は増えるどころか減り、共働き家庭の増加などで、お子さんを夜遅くまで預かることも多く、残業や休日出勤だって大幅に増えました。憧れの仕事だし残業はある程度覚悟していましたが、公立だし、正直残業代はまともに出るのだと思っていました。でも残業代どころか仕事が増えても給与は据え置きか、減る場合もあるという、意味の分からない状態です。自分の時間はほとんどなく余裕がなくなるため、お子さんの前でも笑顔が作れない。」(中野さん)

 サラリーマンなど、別の仕事に就いた中野さんの同級生、友人らは新人時代を抜け出し「キャリアプラン」の構築だけでなく、交際や結婚について考えだしているというが、その輪の中に中野さんは入れない。入れないどころか、友人らとの食事会、飲み会に参加する時間も金もないから、もはや「住む世界が違う人たち」(中野さん)とまで思わざるを得ないほど、疲弊しきっているのだ。

 東京都下の特別養護老人ホームに勤める介護士・松村美由紀さん(仮名・30代)は、寝たきりになった祖父の介護経験をきっかけに、使命感に燃えて介護業界の門戸を叩いた。介護士歴は12年目のベテランだが、時を重ねるごとに、この業界を選んだのが失敗だったと、後悔の念に駆られている。

「とにかく給与が低い。フルタイムで働いても収入は月に15万円を下回る。私の場合は夫と共働きですので生活はやっていけていますが、若い子がほとんど入ってこない。給与は安いし、きつい汚い危険の3K職場、それに加えて業務時間も長く、休みだってつぶれる日が多いのだから当然でしょう。超高齢化社会で介護施設がどんどんできていますが、一方でつぶれる事業所も多い」

 超高齢化社会に突入する我が国において、今もっとも「必要」とされている職種の一つであるはずなのに、なぜこうも待遇が悪いのか。

「利用者が支払う利用料と、国や自治体から支払われる介護報酬が介護事業者の主な収入で、そこから施設の運営費や私たちの給与が支払われます。年ごとに介護報酬は引き上げられているはずなのに、私たちの収入が増えないのは、そもそも介護事業者がかなりカツカツの状態で運営されているから。私の職場は総合病院を運営する医療法人傘下ですが、介護事業は赤字状態のため、病院運営の黒字分で補填されています」

 かつて、高齢者と言えば「金持ち」イメージが強かったが、今日びそんな高齢者はごく一部で、カネのない老人が大多数。入所費用や利用料が安く設定されている介護事業所には多くの申し込みがあるが、ぎりぎりの状態で運営されているために介護士の待遇は悪く、まさに「安かろう悪かろう」といった環境に陥っている。そうした事業所だからこそ、当然介護士の質は悪く、あくまでも食うための手段として、他にないから仕方なく働いている、といった人々が入ってきては辞め、といった悪循環が続いている。

「一人で10数人の利用者さんを看ることもあります。そうなれば、一人一人に向き合っている余裕などなく、ほとんど流れ作業。食事やお風呂はそれぞれ10分程度で済ませ、おむつだって一日二回しか替えてあげられない、ということがよくあります。最近では職にあぶれた中年男性やチンピラみたいな人でも、職員として採用されますが、みな当たり前のように仕事をしないし、利用者への態度もひどい。介護報酬が僅かに引き上げられても、施設の改修費用の足しにもならず、私たちのところまでは回ってきません。人材確保や待遇改善、事業者の持続可能性の向上などと政府は言っていますが、私たちにとってみればうわ言のようなもの。保育士さんも同じような状態だから、人不足で当然。人が足りないなら、まず出すものを出さないと。お金を払わずにやりがいだのなんだの言っても無意味です」

 保育や介護の仕事を「やりがい」や「夢」で語られていた時代は、もう遠い昔。いずれも国にとって必要不可欠の、人間が社会的、文化的な生活を送るためにはなくてはならない仕事であるはずなのに、なぜか一番疎かにされている現状。ここまで問題視され、社会的に議論されているにもかかわらず、事態が一向に良くならないのはなぜなのか。松村さんは訴える。

「グローバルだなんだと政治家は言いますが、まずは国民が普通に生活していけるようにしてほしい。私たちは奴隷ではありません、国民が弱くなれば国だって弱くなる、こんな当たり前のこともわからないなんて。外国人を介護の現場に呼びよせるといった政策もありますが、次の奴隷を連れてこようとしているとしか思えません」

 労働人口の減少と日本経済の縮小を受け入れなければならない我が国において、政府首脳や財界は声高に「いかに効率よく儲けられるか」ばかりを議論する。日本人以外の「安く使える外国人」を受け入れる体制づくりにしてもそうだ。そこには「人を育てよう」「人を大切にしよう」という当たり前の概念がすっぽり抜け落ちているように思える。本来なら思い入れをしやすい日本人の保育士、介護士に対してさえ、その窮状に理解をみせないのに、外国人ならば解決になるのか。ガス抜きのための「新たな奴隷探しのようだ」という指摘が、現実にならないことを願う。


カテゴリー: 15-0 NEWS, 話題のニュース | 投稿者オールサム | コメントは受け付けていません。