月別アーカイブ: 2018年8月

全米が始まりまして

なんだかワクワクしていた、待ちに待った全米が始まりました。

今朝、錦織の初戦がありましたね!6-2・6-2・6-3でしたが、セカンドセットまでしか見ていられませんでした。

ファーストの確率が高いとは言えませんでしたがサーブの使い方が効果的でポイント獲得率が高く、それよりも自信に満ちたパフォーマンスでブレイクされるような気がしない試合だったと思います。

相手のマーテラーはドイツの23才ですが、今年のフレンチでシャポバロフを破って勝ち上がり、ベスト16でナダルと激しい試合をしたことから、今年躍進を果たした選手として認知され始めた選手でした。左利きでビッグサーブを持っていますし、油断ならない相手なんじゃないかなと思っていましたが、いきなり第一セットのファーストゲームで強烈な錦織のリターンや展開の速さに驚いている?うちに0-4になりプレッシャーは半端なかったと思います。

 

さてさて、とはいえこれまでのビッグネームもまだ元気で、ディミトロフは復活途上のワウリンカに負けたりなどのシードダウン、ハレプは去年のシャラポワに苦杯をなめさせられたのに続き今年も初戦敗退など、若干のシードダウンがありましたが、上位シードはそれなりに初戦をこなしてきています。

そんななか、やはり世代交代の波は勢いをましてきているんだなぁと思わざるを得ませんね。

西岡はフェデラーに、杉田はガスケにそれぞれ破れましたが、ダニエル太郎はオーストラリアのデミナーに完敗でした。デミナーは去年の暮れくらいから名前を聞くようになっていて、よく走ってテンポのいいテニスを展開しており、精神的にもタフで簡単にあきらめないファイターでもあります。

若い奴が出てきたなぁー、と記事を読んだ後の、デミナーの2回戦はアメリカのティアフォーとだとか。黒人で背が高くてどこかキリオスに重ねてみちゃうことがあるティアフォーですが、プレーの間にかわいげのあるリアクションなんかがあって、大きな勝ちは期待ほどないような感じではありますが、それは期待が大きい選手という意味かなぁなんて感じてしまう若い世代のひとです。

30歳オーバーの復活劇を演じている選手たちも、実力を発揮し始めているし、20代前半や10代の選手、初日には19歳のシャポバロフ対17歳のアリアシムの試合という、カナダの若手同士の試合もありました。

シャポバロフの2セット先取のあと、第3セット途中、4-1でシャラポワがリードしているところで熱中症?だかで棄権してしまいましたが、このアリアシムという選手は全米の前哨戦の期間に初めて名前を聞いた選手です。カナダにもまだこうして次期スター候補が出てくるんですね。スケールの大きいテニスを感じさせる選手でした。

 

試合はショットで見るよりもプレッシャーのかかる場面や、ラリーカーの駆け引きなどを見るようになって、それがすごくスリリングで面白いと思っているんですが、「すっげえなぁ、強いぞこの選手!」って思っていた選手でも錦織と対戦するとするっと錦織が勝っちゃったりするんですよね。

トッププレーヤーの底力ってどれくらいなのか、やっぱり図りきれないもんだなぁと思います。

 

 

 

 

そうそう、錦織のサービスゲームでバモスわたなべさんが3回もカメラに抜かれて笑っちゃいました!

カテゴリー: プロ選手オタク | 投稿者ナガキヤスヒロ 10:56 | コメントをどうぞ

手の中のラケットの動きを感じる

「硬式」テニスでは、手首は固定!と教わったのは中学生のころ。(昭和60年かちょっと前)。公園の広場でチャリンコのサドルの高さをネットにして軟式のボールを打ち合って初めてテニスラケットに触れたころの話です。

なんとなく、高校に入った夏?だかに兄貴にテニスに誘われて、Dマートっていうスーパーで買ってもらった3000円の「american ace」というアルミのラケットが最初の自分のラケットでした。

野球で遊んでいた小学生の時代から、グリップを握った棒状の道具でボールを打つという動きは経験があり、テニスのラケットってなんて軽いんだ、って思っていました。

そのラケットを一年くらい使って、テニス部の友達から譲ってもらった「staff mid」というウイルソンのラケットに持ち替え、とうとうテニスにハマったことを自認する形に。

当時はトップスピンをかける、といえばレンドルかヴィランデルっていうイメージがあったんですが、見よう見まねでかけようと思えばスピンがかかるんですが、どうしても当たりそこねが増えたり、気持ちよくアウトしちゃったりとかで「できることはできるけど使わないショット」みたいなものにしちゃっていました。

まあ部活にも入らないでやっていたんですから、そんなもんなんでしょうけど。

それが大学生になってテニスコーチのアルバイトを始めてからも変わらず、最初に教わった手首をしっかり固定するのとスライスがよくコントロールできるイメージだったので、その時に女性にモテる超かっこいい先輩や、遊びでワンセット戦ってもらったら一点ももらえなかったバイト先の校長先生がスライスオンリーの戦い方で、とてもスタイリッシュでスマートなかっこいいテニスに見えたので、そこから10年くらいはワングリップのスライスのテニスで頑張っていました。

 

今になって改めて知ることになったのは、フェデラーやナダルのように振り抜きよく強打して自由にコントロールできる人は「手首ゆるゆる」で、サーブ&ボレーで繊細なタッチは到底まねできないように見えたマッケンローやエドバーグは「がっちり握って固定」という事実。

硬軟織り交ぜてボールをコントロールできるのは両者ともですが、ストロークで威力のある人って「豪打」なイメージがあるからパワーショットを打つナダルなんか握力が100くらいあるんじゃないの、って普通に思ったりしますがそうでもないらしい。

というわけで(?)スライスメインだった私はがっちり固定の一派で、とくに小指側をしっかり握ることがラケットを握るコツだと思っていました。

トップスピンが扱えるようになったのは35歳過ぎ。ある日突然、なんか「思い切って打っちゃったほうが」いいような気がして打ってみたら感覚よく入ったんですね。

感覚よくっていうのは、しっかり振るのがまるで野球のころのように腕も振っているけどラケットも野球のバットのように加速して、なおかつしっかりスピンがかかって狙ったとおりの弾道で入った、ということなんです。

学生時代からコーチをやっていたわけですし、スライスって多様なショットですからフラットっぽく強い当たりをするところから、ネット際にふわっと落とすようなタッチショットまで感覚さえつけばできるようになるわけです。そりゃあ10数年もそうやって生活していてうまくならないわけがない。

トップスピンは恐怖症というか、どうせ安定しない、と思ってはいたものの、単発でなら打てたんです。だけどゲームの中でそういうショットが欲しいときにやっても緊張もあってたいてい失敗するのでやらなかった、ということ。

ちゃんと練習を積んでおけばよかったし、そういう方向に指導してくれる人に出会ったほうがよかったのかもしれませんね。

ラケットって、振りぬくほどボールのコントロールをリニアに感じられるものだと思います。

あるときに気づいたのは、スピンが十分にかからないと思って動画に取った時のこと。

私のフォアハンドは、いまだにそういう部分がありますがヘッドが落ちないんですね。

薄い握りの経験が長くて、どうしても小指側でヘッドの動きを抑えて真ん中に当てるときの不安を除こうとしている節がありました。

人間、それぞれに「感覚」があるわけで、慣れ親しんだものが使いやすいもの。グリップが太いほうが好きという人もいれば、細くなきゃダメ、という人がいるのもそういう理由だと思います。

ボールとラケットとのコーディネーションが合うところ、というのも体のどこかの物差しを基準にして測っているんだと思います。

今日ではその時よりもスピン量は増やせるし、ラケットの違いもあるかと思いますが、手の中のラケットの存在感も変わりました。

いまは、親指と中指が接するところを中心に、ラケットヘッドが打点付近では走っているような感覚を得ることができます。

手の中では、グリップ側とヘッド側とで相反した方向へ動くのを感じたり、力を加減して助長したりしています。

もちろん、ラケットの動きのためにやっているという感覚ではなく、ネットもアウトもしないボール軌道を生むためにやっています。だからボールをうまくつかんだような感覚を得るためには、という感じでそういうことになっちゃっている、というほうが速いかもしれませんね。

私のラケットは、スイングとラケットの動きがうまく合っていないなぁ、とか無理やりに手首とか指先の動きでラケットをどうにかコントロールさせようとしている人に渡すととても自然な振りになって、貸した人が「!」という顔になることがあります。

そういうチューニングにしている、というのは自分のテニスがコントロールの感覚を持っていてくれるようにしているんですが、すごく腕力がある人とかでなければ女性でも効果があることがちょくちょくあります。

そういうのも、自分のテニスを考えるにしても、他人のテニスを観察するにしても、コーチとしてテニスを毎日やっている私にとっては興味深いことなんです。

カテゴリー: 打ち方オタク, 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 10:52 | コメントをどうぞ

いや暑いだろう

日曜日はジュニアのイベントレッスンをするようになっていて、毎週ではないんですが、テーマレッスンをして、ジュニアで試合に出始めているくらいのレベルの子が多いですが、サーブだったり、フットワークだったり、コントロール(ストローク)だったりと2時間レッスンを2コマ、やるようにしています。

主催は、「すくすくのっぽ君」という大会で全国的に展開している「すぽ人」さんに協力する形でやらせていただいています。

とくに、サーブは毎回満員になる人気企画。基礎力を見て、段階的に要素を追って出来ていること、出来るようになるべきことを見極められるようなレッスンをしています。

2時間サーブだけで持つ、というのも我ながらなかなか。。。なんて思いますが、現場では個々に8人くらいの子たちを見ながらなので、もう1時間あってもいいくらい。

大人でもサーブを課題にしている方はけっこういそうですが、ジュニア選手たちは形にはなっているけどなかなかサービスボックスに安定して入らない、というまだフォームが固まっていない状態の子が多いですよね。

そういうところのニーズにはあっているんじゃないかと思います。

 

さて、昨日は残暑というにはあまりにも暑い一日で、晴れて風も穏やか、というだけでなく風も南風なので湿気もあるし風自体の温度も高い、という「不快指数」が高い日でした。

午前中から、運動量といえばそんなでもないサーブの練習会で、暑さに耐えられなくなる子が続出。こりゃあ午後の部も考えないとな。。。

ということで、30分ごとにテーマをつくり、段階的にステージを上げることにして、一つ終わるごとに10分間の休憩をはさむようにしました。幸いにもクラブハウスがしっかり冷房の効いたロビーがあり、そこで24時間テレビを眺めながらすこし落ち着くまで休むようにしていました。

今年の夏は本当に暑くて、いままでそういう措置を考えておいても実際にはみんな元気でやり切っちゃうようなことが多かったんですが、昨日のような暑さは今年になって何度もありました。

もっともっと気を付けて、帰宅してから具合が悪くなるような子がでないようにもしていかなければなぁと思った今日この頃です。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 08:34 | コメントをどうぞ

リズム

テニスって、「時間と空間のゲーム」と言われます。

・・・というようなことを、結構若いときに聞いたことがあって、その時にもなぜか納得はしたように記憶しています。だけど、それを自分のテニスの中でどういう風に意識すればいいのかは全くわかっていなかった。

自分が思い描く「理想のテニス」って・・・皆さんはどうですか?

私はですね。。。例えば若いころは、憧れのプロ選手のイメージをもってコートに立ってる、みたいなことしかできなかった。若いころだから、コナーズとかベッカーとかエドバーグとか好きでしたね。

当時はサーブ&ボレーのような、サーブが返ってきたところを決めに行く、というようなラリーをポイントに使っても有効だったりしたものですから、プレイスタイルをそういう「だれか」と似たパターンにしたりそうでなくてもそう見えたりするようになったりしたものです。

ただしストロークのラリーっていうのがどうにもわからなかった。自分が打てると思ったボールは打てると思った方向に打つ、っていうことをやっていて、サーブ&ボレーのイメージがあったりするもんだからベースラインからでもすごく「積極的な」ショットを打っては自滅していたかも。

 

そんな私でも、最近はレッスン生のかたに「ボールのスピードはあんまり見ないほうがいいよ!」なんて声をかけたりするようになりました。

自分が打てるところにボールが来ていても、「うわっこのボール速っ!」なんて思ったりすると身構えちゃってうまく打てなくなったりするものです。

私も経験上、例えばそのクラスで3列のラリーとかをしていて、自分の列を守るようなコントロールができる日とできない日があったりしました。ローテーションで、その前の生徒さんとは丁寧につなぎあうようなコントロールができていたのに、その次の生徒さんのボールが速いとか深いとかっていう要素が私(コーチのくせに)のコントロールを狂わせてきます。それで隣の列に「ゴメンなさーい!」とか声をかけることになる。

それがなんかいつのころからか、どんなボールが来てもそこそこ自分の列は普通に守れるようになってくるものなんですね。

何の話かっていうと、さっきのスピードをあんまり見るな、っていう話につながります。

相手のショットを評価するのに自分の動作を基準に作れるようになった、ということなんです。

要するに「よし、間に合いそうだ」と思ったのなら落ち着いて打点を合わせよう、ということ。

ボールの軌道が見えて、自分の動けるスピードもわかっていて、ラケットを動かし始めて打点までに間に合うのなら、間に合う打点が狙ったところへ打つための打点だったらいいわけです。

どうせ一回スイングするときには一回しか打点のチャンスはなく(当たり前ですが)、そして失敗するわけにもいかないんですから、ボールに合わせて自分のスイングのリズムに乗せるしかないわけですね。

 

以前にもどこかで書いたかもしれませんが、テニスコーチをしていて、例えば初心者のクラスを担当している。テニスの楽しさって、ラリーがつながった時の喜びからですよね。

だから、コーチが上手くて(笑)、そのおかげででもラリーが10回でもつながると喜んでもらえると思っています。そこから「よし、テニスを続けよう」って思ってもらえるように担当すると思うんです。

そういう時に使う秘策があって、同じリズムのボールを打ち続ける、ということなんです。相手次第でもあるので、いつもいつも成功するわけではないですが、成功するときは必ず私のほうが一定のバウンドのリズムを作ってあげて、打点にボールを入れてあげるようなことができるとき。

ちなみにですが、相手のリズムがバラバラすぎると、コーチの私のほうがリズムを守れなくなったりすることもあるんです(汗)。

そうすると、生徒さんのほうに持っていてほしい要素を練習する、ということがそのクラスの当面のテーマになったりもする。

ボールを打つ方法ももちろん皆さん知りたいでしょうが、同時に「打った後の動き」も覚えてもらいます。打ったら戻り、また次のボールへの反応をしっかりしてもらう。

そもそもラリーってこうやって成立しているんだなぁ、と思います。初心忘るべからず。

一般のスクール生の人たちが打つボールを計ってみたことがありまして、インパクトから相手のベースラインに届くショットでツーバウンドするまでの時間は約2.5秒かかります。

ラリーで使う、自分側のインパクトまでの時間は、最大でも2秒半ですから、1.5~2秒の間に準備からインパクトをこなせればいい。

逆に言えば、たいして多くのことはできません。でも決まったことを決まった順番でこなして「間に合わせる」ことができると思うんです。

相手のショットがバウンドの位置がよくなかったり、回転がきつくてリズムが狂ったりします。そういうのも、相手のショットに「ミスをさせられた」という経験がまたあるものだから、打つ前に緊張します。

そしてその平均値よりも速いと思われるショットを打たれると、「間に合わないかも」というプレッシャーを感じ、動きが固くなります。

 

そこいら辺の悪循環をなくせるようにするのが練習だし、世の中のコーチたちが「早く準備すること」「ボールをよく見ること」とかいうし、さらに言えば「もっと足を動かせ」と「打ったら戻れ」ということが言えるようになるわけですね。

打って戻っても、反対側に打たれるかどうかはわからないわけですし、プロの試合を見ていると必ずしも打った後は必ずセンターに、というわけでもないですね。特に相手側がチャンスになったようなショットを打ってしまった後は、先読みしてどちらかにシフトしたポジショニングを取ったりすることもある。

だけど、「戻って(リセットして)」はいるわけです。自分の左右にそれぞれ守備範囲を設定して、相手のショットに間に合うだけの空間を確保しておく。

そこを守ることにして、取れないところがあることも理解しているはずなんですね。

打ち方の中では、軸足側にしっかり踏ん張ることができれば、例えば走りながらでもラケットのスイングをしっかり始めることができます。試合中のプレーヤーが走り抜けるようにしながらカウンターを打つようにするのは、その要素を合わせられれば「止まって打つ」ことができないながらも一矢報いることができるっていうことですよね。

それが、「脚→スイング」のリズム。自分側ではこれをまず確立しておかないと、相手のショットに合わせる基準を持ち合わせないことになります。

球出しのボールだけを打ち続けていると、バウンドにテイクバックを合わせると腕の動きがボールのリズムに合わせやすいものになってしまうので、足を動かす練習をしなくなりがちです。

実践的、という練習は足の動きにリズムを担当させて、腕は打点のためにたった一回のスイングを、適切なインパクトのために合わせられるようにしておきたい、ということになりますね。

だから、練習では決め急ぐような練習をすることがあっても、アップの時には一級のボールで長くつながるように意識して「打ち返す」という動きに自信がつくようにする必要がある、ということにつながっていきます。

カテゴリー: 打ち方オタク | 投稿者ナガキヤスヒロ 09:55 | コメントをどうぞ

ポイントへの集中のしかた

40代になってからのほうが試合をしているような気がします。といっても年に数回。

マッチ練はコーチ仲間はよくやりますから、ゲームはしています。もともとそんなにガチの試合には出ていませんでした。

とはいえ、負けて悔しい試合は散々あるし、よくこの人に勝ったなぁという試合もあるし、目標にしていた相手から期待以上にゲームをとれた(負けてるけど)、なんていう試合もありました。

自分のスイッチを自分で入れられない、というジレンマも抱えていることはありますが、他人からは「ナガキさんてメンタルが安定していますよね」と見ていて言われるようになりました。

30代半ばまでは、本当に勝てなかった。

自分はメンタルなんて弱くてどうしようもない、と思っていたんですが、どこかのタイミングで何かが変わったと思います。

実生活では、相変わらず「意識しい」で、根本の自分は何にも変わっていないと思います。意識しい、っていうのは、もともと私は目立ちたがりのカッコつけな性格で、人前に出たがる性質があり、それを認めさせようとして何かしらカッコつけて何かを納得させたがるというところがあります。このブログでもそうでしょ?子供のころからなんだと思います。

だから、テニスのゲーム中でもポイントを取れたらうれしくて次のポイントを意識してしまったりして、そんなにうまくないのにもう一回、さっきみたいに気持ちよくポイントを取りたくて(取れるとも思っていて)でミスする。

欲しかったポイントが取れていないとがっかりするだけではなく、それこそ30-15が30-30になっちゃうんですね。気持ち的にはサーブの調子もよくて入る手ごたえがよかったから、同じにやればなんとかなる、と思ってフォルトして、セカンドが甘く入っていきなり防戦になり、守り切れずに決められる、という相手を乗せるようなポイントの取られ方とかします。

そういう時に、ああ、自分はメンタル弱いなぁ、ってつくづく思っていました。

なんにもわかっていなかった頃の話です。

いま、何かが分かっているような話になっていますが、気持ちの切り替えが少しできるようになっただけで、とくに何かが分かったようなことって程でもありません。

でも、当時はなんにもわかってなかった、ということが言えます。

次のポイントは次のポイント。新しいポイントですからその前の結果がよかろうが悪かろうが、きちんと切り替えるべきなんです。

私のテニスはとくに、トータルバランスを求めるところがありますが、実際のポイントはけっこうキラーショット的な、ほんの一球の「いい球」が相手を崩したところを見逃さなければチャンスは結構やってきます。

慎重に、だけど慎重になりすぎないようにしながら

また、リスクを負わなければならないシーンもありますが、できればリスクは低くて勝てる道が欲しい。

そういった相反する事柄をうまいことやりくりできる時には勝てます。

ショットの良し悪しでは結構勝負への影響が少ないと思っています。

ショットがいいときは積極的に相手にプレッシャーをかける、ができなければ自分にプレッシャーをかけることになる(調子がいいぞ、狙ったとおりに打てるぞ、と自分で思っていても、全部がオンラインで狙えるほど上手じゃないから決め球とかをミスする→そして凹む)

ショットが悪くってもひたすら走って走ってポイントをもぎ取ることもできる(コート上を視野を広くしてぜったい取る!という気迫を出す)

 

マイナスに思考することも、プラスに思考することもコート上ではありますね。

どちらからでもプラスに持っていくことができるものですが、要素としてはあってもよい材料がなければ結局自分がノレなくて「いい試合」をしたけれども勝てなかった、なんていう試合もよくあります。そういう時には落ち込まないですけど。だってしょうがないですよ。相手がよかったときとかあるし。

私が試合の時に欲しい材料は、

・リターンが入ること(できればクリーンヒットできる機会が多いか、やっと合わせるようなことがあっても相手がすぐに決めてこないような場合)

・サーブの後の3球目を自分のイメージで打てること

その二つができているときは、確実に勝てる可能性があると自分を信じてプレーできます。

常に自分を評価しながらやっていることは、

・打点に適切に入れるように足がちゃんと動いているか

・打点の感覚はボールをつかんだような感じが残っているか

・ポジションから積極的に動いて取ろうとしているか

というようなことを常に意識しています。

攻めることだけを考えてはいませんし、守ることだけを考えてもいません。

相手が打つ時には、基本守備の構えと範囲の設定。

相手が打ったショットに少しでもゆとりがあれば、踏み込んでいって狙ったコントロールにしてショットを打つ。

相手を崩したり、自分のリズムでネットが取れるときには、すぐさま勝負。

「ちゃんとゲームができている」と感じているときには、相手のテニスに対して上記のようなことができているので、自分にも自信があります。要するに相手をそんなに恐れなくていい。

ちなみに、ポイントのイメージは、毎ポイント最初の一球から自分が勝つイメージで流れを考えます。

当たり前ですが、そんなに具体的には考えない。相手がどこに打つかなんて知らないし、自分がその時に選択を変えるかもしれない。

だけど、サーブをバックハンドに入れたら、つぎにできることはある程度決めておくほうがいいし、相手のサーブを受けるとしたら、リターンを確実に返した後に相手をどっちに行かせるかは考えておきます。

例えば相手のバックハンドを狙いたいと思っていても、バックハンドの方向が開いていなかったり、自分の打ち方がそっちを狙うとすごく狭く感じたり無理っぽく感じることもあります。そういう時には大胆にフォアを狙う。そうすればその次には相手のバックハンド側が大きくあくことになるので、予定よりも一本多く消費しますけど、そこから自分のプランに乗るんだと思って相手のフォアに向けて勝負を仕掛けつつその次にバックを狙えるようなチャンスをうかがいます。

ラリー中に多くのことを考えたり、あるいは迷ったりする時間はありません。あると思っていると結局は真ん中に意思のないボールを打っていたりするものです。

ポイントの前に、相手のバックに低いスライスを打ちたい、と考えていたとしたら、自分ショットを見ながらどうなるか、それで相手が打つとすぐ、「できる?」瞬間的に「いまはムリ!」じゃあ単純にクロスにしっかり打つ!

みたいな感じで考えてはいますけど、それがいいかどうかを評価せずに「ハイ決定!」って言いながら打っている感じです。

それで、低いスライスを打てそうで、相手のバックを狙うゆとりさえあれば「はいチャンス!」っていう感じでまず相手を前のめりにさせて、その次のショットを反対側にできるだけ深く、大きく弾むように強く打ちます。

そうすると届かないか、届いても私のボレーでフィニッシュまで行ける、とかっていうプランが動き始めます。

頭の中にやりたいこと、というか相手にこうさせたい、というプランがあるときにはそれの実行に向けて頭がフル回転しながら連続した動作をしているので、凹んでいるとかそういう暇はありません。

 

 

 

私がこの辺まで来れた最初のきっかけは、「真面目に打つ」ということに気づいた時からです。

それまでは「勝ちたい」だけが頭にあって、ポイントを取った後の自分がどうなるか、または取られた後の自分はどうなるか、それともう一つポイントを「落とした」ときの自分がどうなるかを全く想定しないでコートに立っていました。

ポイントを落とした、というのは相手にとられたのではなくて、自分の簡単なミスや、決めたいところでリスクが高すぎて失敗した、などという自分側の要因による失点です。いわゆるアンフォーストエラー。

プロじゃないので狙ったら外さない、というほど上手くはないです。

かといって、相手のショットをコートに入れられないほど下手でもない。

じゃあなんでいまコートにも入らないショットを打ったんだ!

っていうところで気づきました。その時の相手の方にはいまだに感謝しています。誰だかは忘れましたけど。

相手のショットをちゃんとコートに入るように打てるなら、それを使う以外に勝つ方法はないじゃないか、というところで自分の腹の中にすとんと落ちたんですね。

入るんなら、クロスにしっかりとか、前に入って攻めるようにしながらもしっかり入れておくと、相手はちゃんと崩れてくれます。

ラリーが長引くことを、嫌がってはいけないんだと思いました。

けっこう自分のミスが怖いものなんですよね。そこから逃げようとして無理なショットを打つことになる。それが、相手のショットはそうでもないのに自分がミスをする原因なんだろうと思いました。

 

いま思えば、そこいら辺が原点だったかなぁ

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 09:21 | コメントをどうぞ

ラケットの感覚=タッチの調整

久しぶりに技術編を書こうかと思います。

最近はラケットの動かし方というのはある程度形にしておく必要はあっても、可変が利くようにしておかなきゃいけないなんてこともあって、最初から最後までの形をそんなに重視しないことにしています。むしろボールに当たるところは変わらないで済むようにすることで、高さや距離のコントロールを損ねない、打点の感覚がすべてに通じるスイングの仕方になるんじゃないかと思っています。

簡単なことを言えば、ラケットの扱い方も握り方によって変わってくるのだろうと。

特にスクールで見ている生徒さんあてには、厚いグリップと薄いグリップは「握りの位置」を変えることでグリップチェンジを意識しても意味はなく、「握りの用途」を変えないと変わらないでしょう、というような説明をしています。

厚いグリップは力の入りやすさが下から上に持ち上げる形(フォアハンドで)になるのに対し、薄いグリップは上から下に止める形がやりやすくなります。

もちろん、握りの位置を変えることでそれが分かりやすいので、教科書通りに握りの位置を覚えることでそれはわかりやすくなるものです。

ただ、握りの位置を変えても、扱い方が「ボールに当たるときにラケットを後ろから前に押すようにする」という形にしてしまうと結局は力の入りやすい方向が厚いグリップの時と同じなので、握り替えをしないほうがよさそうな(握り替えはしなくてもよさそうな)感じがしてしまうはず。

 

 

ラケットを握る手のひらのほうの都合を考えていったら、ラケットの向きを感じ取る器官は手の中にどうも二つはあるようで、一つは手のひら。もう一つは腕の向き。

よく説明するときに使うのは、ドラゴンボールでおなじみの「かめはめ波」の手つきです。あんなふうに腕を突き出して狙いの方向を定めることもできるわけでして、そうすると厚いグリップの時、インパクトの時の手のひらは上向きになっていていいんですが、ラケットの面は相手コートのほうにむけられているのを体のほうでも感じ取れるようになっています。

一般にスクールで初心者から教わるのはイースタングリップで、かなり薄いグリップの部類に入りますが、これはその腕の向きではなく、手のひらそのものの向きがラケットの向きであるという説明ですよね。

どちらかというとこれはボレーなどでインパクトで面を確定するときに使ったほうが分かりやすい握り方になると思っているのですが、どちらにも(ストロークにもボレーにも)対応が利くような、というイメージで初心者にお勧めしているような雰囲気です。

だからそのまま育っていかなくてもいいんですね。ストロークの強打をできるようになりたければフォアハンドは厚いグリップにしたほうが自然なスイングになると思いますし、サーブやスマッシュをしっかり叩けるようになりたければ薄いグリップになるようにしてあげればいいわけです。

 

そこでその用途が、厚いグリップのほうが「後ろから押す形」でインパクトに合わせるイメージなのに対し、薄いグリップのときは、「しっかり握るとインパクトの形で面を固定できる」ということをイメージすればいいと思います。

つまり、薄いグリップの時にはそこで面を固定してスイングを止めることもできるようにする、ということになります。

ラケットの扱いに慣れる・・・というよりは、狙った方向にボールを飛ばすときに頼りになるのはラケットの向きを固定できることですよね。だから必要に応じてはそういうこともできるようにしておけばいいのかな、と。

テニスを始めてやる人を対象に考えたとして、どの段階で教えるべきか?というようなことにいつも悩むものなんですが、たぶん一番最初のうちに「うまく打てない」からこそいろいろと自分の自由になるラケットの扱い方を体に覚えこませるのがいいと思うんです。

たくさんミスヒットさせて、そのうえで「狙いはあそこに」という指定をし続けてどうにかしてもらう。

結局は自分自身の感覚が「動かしている感覚」と「飛んで行ったボールの”結果”」とを見比べてうまくいったところというか、納得のいったショットを「成功」とみなすと思うんですよね。

だから、感覚がよくなればさらに次のステップも紹介できる。出来るようになったその上がまたさらにあるはずなんです。

レベルが上がればボールのスピードや回転などによるバウンドの仕方もきつくなってくると思いますし、自分のショットに対する要求もシビアになってくるものです。

さらに試合を中心にテニスをされているとすれば、相手からのプレッシャーにも負けない安定した形を求めることになると思いますし、自分に自信さえつけば相手は怖く感じないと思います。

 

そのとっかかりには、攻撃的なショットも守備的なショットも、あるいは下限を調整しやすいタッチの仕方もラケットから得られるようにしておかなければならないと思います。

その要素として握り方=ボールの扱い方というイメージを持てるようにしておいてあげられるといいだろうな、と思っています。

カテゴリー: 打ち方オタク | 投稿者ナガキヤスヒロ 08:50 | コメントをどうぞ

フェデラーの老い?と凄み

自称、フェデラーファンです。これも毎度毎度よく言っていることなんですけど。

だから、錦織のテニスにも魅了されます。プレースタイルというか、スピード感のある展開はこの二人は近いと思っています。

ツアーの中では、じつはフェデラーっぽい人ってあんまりいない。攻撃に特化したプレースタイル。守りも決してレベルは低くないし、なんであんなに積極的にできるのか、プレーを見ている間はしびれちゃって納得しながら「やっぱりフェデラーは強いなぁ」って見ているんですが、相手が有利になる展開になかなかならないんですよね。

だから、フェデラーの試合って見たくなる。

フェデラーがまだ引退しない理由ってのも、過去のチャンピオンからは聞いたことのないセリフが。

「世界中の人が僕を待っていてくれているから」

。。。泣いちゃいますよね。また日本に来てプレーを見せてほしいです。ホント、待ってる。

 

 

 

さて、そんなテニスの神に愛された…いや、神になった男、ロジャー・フェデラーも36歳です。

高校生の頃に私の大好きだったジミー・コナーズも40歳までプレーしていました。

しかし、どう考えてもテニスの世界トップレベルを維持するフィジカルの強度は、30年前と現代ではやっぱり大きく違うと思います。

コナーズの40歳の全米オープンでの活躍もいまだに語り草になるほどですが、フェデラーの2017年、去年のカムバックは到底信じられないものでした。

同時に、ラファエル・ナダルにも。

けがで戦列を離れ、ランキングを落として復活した二人がグランドスラムの決勝に上がってくる。あの全豪は見なきゃいけない試合でしたし、その年の全豪のオフィシャルサイトで生配信があったので、私もパソコンに張り付いて泣きながら見ていました。

マジで、あのファイナルセット3-3からは今思い出しても泣けます。

今年の全豪もフェデラーがなんと連覇を達成し、去年のスタートダッシュがみられるかと思いきや、出場している試合も若干少なくなっているし、もちろん勝っているけど3勝です。

そして今年のウインブルドンでは、一回戦から見ていましたが(今年になって初めてwowowに加入できた)、ボールとのコンタクトが思い通りにいっていないようなシーンが頻繁にあります。

相手をネットに誘うようにしての、狙いすましたようなパスは、ネットに当たったりサイドアウトしたり、オーバーしたり。

昨日は3年ぶりのジョコビッチとの決勝戦。シンシナティも朝から見ていました。

ジョコビッチはクレーコートシーズンで錦織と当たって調子を取り戻し、ウインブルドンであの比類なき強さを取り戻しました。

私は歴代最高のプレーヤーこそロジャー・フェデラーだと信じていますが、歴代最強のテニスをしているのはノバク・ジョコビッチなんじゃないかと思っています。

ジョコビッチには得意なリズムがあって、フェデラーや錦織とのラリーでは攻めてくるボールに対してばっちりなカウンターを合わせながら自分のリズムに持っていくようなところがあります。

対してワウリンカやシモンのように、ジョコビッチのショットに対して大きく下がってそこから鋭いショットを打ち込んでくるプレーヤーにはやや、のびのびした感じが薄くなることがあります。

なので、決勝の舞台で相手がロジャー・フェデラーであることは、ジョコビッチはもちろん序盤に相手をペースに乗せてはいけないという大きな試練がありますが、そこをうまくキープし続けていくと勝てちゃう、というような雰囲気があると思っています。

この試合、フェデラーはリターンから攻め込んでプレッシャーを与えたいところでしたが、ジョコビッチのサーブもよく、ブレイクは1ゲームできたもののその次をセーブすることができずに逆にプレッシャーをかけられたような形になってしまいました。

流れを引き戻すことができず、セービングフォーザマッチのジョコビッチのサーブでは最初のチャンピオンシップポイントでフォアハンドのサイドアウトを犯し、ゲームセットとなってしまいました。

フェデラーの魅力は相手のマッチポイントでもリスクの高いと思われるショットを成功させて観客も私もうなる、ということがよくあったのですが、もちろんそこでそんなに厳しいところを狙う勇気もすごいし失敗することも覚悟したうえで放ったショットだとは思いますが、その日のそのラストショットは、試合の中でも目立ったミスヒットでした。

ジョコビッチのショットに対してタッチが弱くなった?ようなオーバーも多かったし、反応が一瞬遅れるようなシーンもそこここに見られました。

なんとなく、フェデラーも年齢がプレーに表れ始めたのか、肉体的な衰えがこうして出てくるようになったのか、と想像してしまいました。

今までは軽々と振って思い通りに打てていたショットに意識して力を入れないと再現できなかったり、その意識のせいで打点の精度が落ちているのかと。

 

・・・と、そこで考えました。

身体の老いというのは無言で未来からやってきて、気づかないうちに身体に入り込んでしまうもの、だと私は思っていたのですが、フェデラーのようにオフィシャルで見えるところでは懸命に鍛えるところを見せないプレーヤーでも、大会をスキップしたりしている間に厳しいトレーニングを積んでいるはずなんです。

その時に、自分の体が徐々に「落ちて」いっているのは感じるのではないかと。

それもわかっている中でウインブルドンは準々決勝のファイナルセットが11-13でしたっけ?そこまで戦っていける力と、今回のマスターズ1000でも決勝まで勝ち上がっていく強さ。

以前からフェデラーはショットメイクの達人だと思っていましたが、2007年くらいからは「この人はゲームの仕方が異常にうまいんだ」と思い直したことを思い出しました。

なにしろ試合に負けない。

このシンシナティの大会でも準決勝までのすべての試合で自分のサーブはすべてキープしていました。それがどれだけすごいことか。

キープに対する自信。それに対する相手へのプレッシャー。リターンゲームへの集中のしやすさ。そういった試合に対する自分に有利なサイクルを本当にうまく回してこれる、理想のプレーヤーなんだなぁと思いました。

BIG4のトップを走る(戦績的にも、年齢的にも)フェデラーがいつまでもプレーを続けたいと望み、また世界中のテニスファンがそれを望み、というなかで、ほかのBIG4はいつまでプレーを見せてくれ、またほかのプレーヤーがどこで台頭してきてくっきりと差をつけられるようなテニスができるようになるんでしょうか。

それって、フェデラーが進化させたテニス界がまた大きく進歩する機会なんじゃないかと思います。

その瞬間を私もみたい!と思ってしまいます!

カテゴリー: プロ選手オタク, 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 10:08 | コメントをどうぞ

秋空か

8月17日金曜日は、今年の夏がムシムシ暑くて苦しかったところから一転、カラっと気持ちよく晴れた一日でした。

これを書いている18日土曜日も、朝の気温は20度と、もう高原か!っていう爽やかさ。

・・・と思っていたら、すっかり立秋も過ぎていたんですね。じゃあ空きが近づいてきてるんだなぁ、と。

 

やはり、身体の動きがシャープさを取り戻す感がありますね!

とはいえ、絶賛増量中の私の身体…163㎝にして60キロを越えてきています。危険区域に入ってきた感じがします。だってジャンプするとお腹の当たりが揺れる。。。

ちょっと節制してみたり、レッスンの中で動いてみたり、肩、腰、股関節などの大きな関節をしっかりストレッチするようにしてみたりと生活の中で疲労を溜めずに出来ることは少しずつやっているんですが、少しずつじゃあダメなんですかね。

・・・歯止めが利かない。体重は微増を続けています。

30代半ばくらいでいちど、62キロをマークしたことがあるんですが、テニスコーチに復帰したら半年で8キロ痩せました。そのさらに2年後には52キロ台まで落ちて、げっそりして体力がなくなったことを実感したものですが、たぶん私のベストは今の年齢だったら56キロくらいにしておきたいものです。

頭が坊主で日焼けしていて、太って見えないようなんですが、その56キロくらいの頃の写真をフェイスブックで見つけたら、結構違うな、と。

で、50歳も手前の身体としては老いを感じるようなことも頻繁に出てくるようになりまして、抵抗できない衰えもあるかと思うんですが、まず太ってんのはヤバかろうと。

 

。。。でもねー、毎日外でレッスンしていて、帰ってきてからランニングするとか?ちょっといまのところ想像つかないっていうか…(甘え)

動きの硬さも目立ってきているので、縄跳びとかジャンプ系の動きを取り戻す事と、大きな関節の可動域は放っておけばどんどん狭くなって硬くなってくるのでストレッチは欠かさないようにしたいと思います。

痩せたら痩せたで報告します。。。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 08:53 | コメントをどうぞ

動かし方を体になじませる

プライベートレッスンは、見極め方が結構重要だと思っていて、その生徒さんが求めているものをどのくらいできるようにさせるか、という課題に対して基礎や感覚の練習をどのくらい必要としているか、また、その動作を行うリズムにうまく入れるか、というのが練習したことを実践で使えるようになるかどうかというカギを握るところになると思います。

全体的に大体できていること、のほうが多くて、いくら苦手だからと言っても打ったボールがコートに入るくらいのことはあるわけです。

そのなかに、動作が不安定になる要素が見つけられたとしたら、全体の動きの中にその要素を意識して入れてもらったところに結果が出ればそれでよいものなんです。

ただ、話はそう簡単じゃない。

皆さんそれぞれにボールへのアクセス方法があるものですから、それを見極めてあげることが先でもあるし、そこに癖がある場合は、足を止めて動作の練習をしても全体的に動かしてみると元に戻ってしまうことが多いものです。

とくに、ボールに反応する時間や反応する最初の姿勢というのはけっこう無意識に作っていることが多くて、相手がショットを打った時にまだ時間があるうちにできることなんですが、差し迫った状況でもないのでリラックスして形にしていなかったり、単純にリズムだけを取ろうとしていたり、ボールを見て何かを理解するまで動作が始まらなかったりなど人によって様々。

 

 

 

そうかと思って足の動きを決まった順路を通って最後に欲しい動作を要求すると、ほとんどの皆さんが決まった動作に落ち着きます。

2本の足で動いてスイングすることも体重移動などの役割を必要とするものですから、みんなの動きはそれぞれ似てくるらしいです。

だから、プライベートレッスンで発見したことをグループレッスンにも昇華できることがあって、要素だけを要求すると、こちらの欲しい要素に乗っかってそのうえで自分の個性を出せるようになります。

理想的なフォーム、っていうのはただ一つの正解ではなくて、プレーヤー個人の感覚の上にストレスのない動きがあり、そこにテニス特有の約束事が満足させられていればプレーは途端に落ち着きます。

「テニスのやり方が分かった」という発見につながる要素かなと思います。

「テニスのやり方」なんてすごいむつかしいってものじゃないはずなんですけど、初心者の目線と上級者の目線とでは、やはり風景は違ったように見えるものだと思います。

最初から上級者の目線でコートやボールを把握できる人はおらず、やはり経験をしながら育っていくものですが、意識の違いで全員が経験を経れば上級者の目線に自然になっていくものでもないようです。

だから、動き方はとてもいいのにポイントを取るための動きが皆無だったり、そんなに上手にすべてのショットを打てるわけでもないのに勝負にはめっぽう強い、なんて人がいるんだと思います。

だから、コーチとしてはボールを見てショットを打つ人を観察しながら、どのくらい自分のインパクトに目線や集中を持って行っていて、打ったらその次のショットに備える、というイメージを持っていそうかはものすごく見るようにしています。

チャンスがやってきてコートの中に入ってもボレーに上がっていかない人もいますし、球出しでスタートしたボールをすぐにアプローチしてネットを取る人もいます。

ネットをとっても自分のテリトリーを決めずにまっすぐ突っ込んでくる人もいれば、相手に打たせてからショットを見て飛びつくエリアに柔軟に動ける人もいる。

自分の次の動きのために、相手をどうしたらいいのか、ということはラリーができるようになった最初からできるようになるものではないわけです。

相手のショットを打ち返す競技ですが、技術的に習熟する必要もあるので、ゲームとして勝つためにできることを思いつくのが速い人と遅い人がいるのは当然かなと思います。

ということは、たぶんですが、必殺のショットをひとつ、身に着けられるようにしていけば、それを使うことをいろいろ考えて練習するようになる、ってことでしょうかね。

そういうのがうまいコーチになれるように。。。なるかなぁ。。。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 11:45 | コメントをどうぞ

ジュニアテニスとのかかわり

ジュニア選手、という時代は自分にはありません。15歳でテニスに出会いましたが、もっぱら山登りのほうが興味がある時代のことだし、ラケットを買ってくれた兄貴とネットもない公園の広場で打ち合う程度か、壁打ちで激しく乱れ打ちをして汗をかいて帰ってくるくらいのものでした。テニスをやっている、というよりもラケットを持っているよ、という程度しかテニスをしていなかったようなものです。

それが、18歳でテニスコーチのアルバイトをするようになったんですから、いかに当時テニスを知らずにやってきて、へたくそな奴がコーチやってるな、と思われたかはわかると思います。

そんな話はいいとして、ジュニア時代からやっていた先輩などのプレーを見るのは単純に憧れそのものでした。なんであんなに滑らかに動けて、まるで相手がどこに打つか知っているかのようにそこにいるのか、当時は意味が分かりませんでした。

同時に、同じコートで小学生ながらすごいショットを放つジュニア選手にもただただ驚くばかりでした。

いま思えば、当時の私も目覚ましい速度で上達していたはずなんですが(笑)、小さなころからテニスをしているなんて、すごく差がつくんだろうなぁ、と自分が経験していなかったからこそ思っていました。

 

 

もう5年くらいになりますが、知り合いのコーチからジュニアの試合していない子たち向けに大会を様々開催している「スポ人」の主催の方を紹介してもらい、それが縁でジュニア選手向けのイベントレッスンを不定期ながら担当させてもらうようになりました。

お世話になっているスクールの休校日を利用して、指定されたコートに出かけて行って集まってくれたジュニア選手たちにテーマ別にレッスンをしていて、それは今でも続いている…というか今年から私がそちらに積極的にかかわらせていただくように仕事の形をシフトするように変えることに。

 

私は41歳でフリーになったわけなんですが、それまでのテニスコーチのキャリアの中で、試合に出てランキングを上げるためにポイントを稼ぐようなジュニアテニスとはかかわってこなかったんです。もちろんずっとテニススクールにいたわけですから、ジュニアクラスもありましたし、そのクラスを様々なレベルで担当させてもらっていました。

 

そのころは「育成系」とか「アカデミー」なんて自分で勝手に分類して、自分の住む世界とちがうテニスの分野のように思っていましたが、フリーになってすぐ、関東ランキング二けたくらいの中学生の子をみてほしい、という親御さんからのオファーもあり、何度かレッスンさせてもらった中でその子にも気に入られて2年近く続いたりしましたが、毎日が勉強でしたし、私も任されてレッスンを担当させてもらうわけですから、予習復習をしながら成長を見守りました。

残念ながら戦績を上げるようにするまでに至らなかったのですが、よく話をし、レッスン後にもレポートを送るようにして取り組んでいたりしたものです。

数年たってから、いまの状況になるきっかけができた、というわけなんです。

地元千葉で定期的に見させてもらっている選手もいるし、イベントレッスンに毎回来てくれるありがたいリピーターもいてくれる。

いつの間にか、一般向けにもジュニア向けにもテニスの指導を考えるようになってきたんだなぁと思います。

ただし自分自身は、ジュニア選手の試合に帯同したりするほど時間が取れないし、そういう取り組みをメインでやられているコーチとは全然違うんだろうな、なんて思っています。

もちろん試合に出ているジュニア選手たちからは良い練習をしたいというニーズがありますし、それは試合で結果が欲しい彼らのためのもので、一般のスクールや、大人向けのプライベートレッスンとはちょっと目線は違います。

だけどテニスはテニス。本質は全く一緒ですよね。だって相手が打ったショットを打ち返すスポーツなんだから、それが変わるということは全くない。

動くリズムはラリーに即したリズムを保てなければ自分が崩れてしまうし、ショットをコントロールする手の感覚も振れれば振れるほどわかるようになる。

いくら作戦やポイントのパターンを先に教えても、相手次第でうまくいかないことはいくらでもある。だからラリーを作っていくのに必要な、「確かな手ごたえ」と「コートに立つ自信」をつけさせてあげられるかが私の仕事です。

そう思ったら、常に選手たちのそばにいてあげることができて、ジュニア選手を育てるのがうまいコーチたちに自分が引け目を感じるようなことはないな、と思えるようになりました。もちろんそういう経験の長いコーチたちは結果を出せる選手を多く輩出していますし、取り組みは一貫していて強い選手を育てるプロセスを自分なりに作れているコーチたちへの憧れはやみません。彼らがどれだけ苦労して選手たちとともに泣いたり笑ったりしながら日々を過ごしているかは、ステージの高い大会で見れば見るほど私とは遠いところにいるなぁと思ってしまいます。

だけど私がそこに立っても誰かの真似ごとまでしかできないだろうし、それではいくら背伸びをしても大したことにはならないと思います。・・・というか、思えるようになりました。

テニスをしている人がうまくなりたい、強くなりたいと思うその先は、先ほど書いたその本質がしっかり伝えられるかどうかだし、不定期な私のイベントに来てくれていたジュニアたちも、日ごろ教わってきたことをベースに持ちながらほかのヒントを得たくて私のところに来るはず。

だから、私は私に特化することにしようと。

動き方をチェックして、リズムや動きの要素に違和感のある所をチェックして、ミスをするときの特徴や頻度などを練習しながら見ていきます。

同時に得意なショットも想像がつきます。そのショットを軸に戦うということはどういうテニスをしそうかということも想像して、どんなパターンにはめていくことになるのかをシミュレーションしていきながらアドバイスをしていきます。

たぶん世の中のテニスコーチってそういう風にやっていると思いますし、私もそうです。動きをよく観察して、いちど分解して頭の中で今度は理想の形として組みなおす。私の想像する理想と、プレーヤーの理想とは必ずしも一致しないので、会話しながら良いところを探していく。

 

ジュニア選手は私が「SwingBuilder」としてやりたいことをものすごい速さで吸収していくので、どんどん楽しくなっていきます。

上達の早道ってどこにあるのか、彼らがとても教えてくれるのです。すごく楽しい。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 16:44 | コメントをどうぞ