8月16日 月曜日 雨
日本列島が豪雨に覆われている。それにコロナの感染ときているから、どうなることやら。医療崩壊が始まっているという現実に、オリンピックはする、パラリンピックもやるだろうが、決定的なダメージを受けるのではなかろうかと気になる。
手術して丁度2か月になる。近くの整形でリハビリを行っている。体力、気力、後退に手術の良し悪しを思わざるを得ないこの頃です。すべてに自信消失しかけている。ブログもやめようかとも考えたが、ぼくがどこまで、何時頃まで回復するかの記録も、誰かの役に立つかもしれないのでもう少し頑張ってみたい。
7月20日火曜日 晴れ
「退院の日」
いろいろあったけど退院の日が来た。もう限界だったのでほっとしていた。
昼から妻と長女が来るというので、昼食をお願いして、終えてからみんなに挨拶して、中型のスーツケースに荷物を押し込んで一階に降りる。コロナの関係で患者は往復は出来ない。もう二人は来ていた。送ってくれた看護師に妻が紙袋を渡していた。同部屋の患者にそのことを尋ねると、そんなことはしないという返事だったが、黙って受け取ってくれたので良かった。受付で清算を済ませてタクシーを呼び、高速基山から高速バスに乗る。
7月12日火曜日 晴れ
「退院の日決まる」
そろそろひと月になるので看護師に退院について尋ねてくれとお願いしていたら、看護師長が病室へ来られて7月21日水曜日ときまる。
昼からのリハビリを3階の見晴らしの良い部屋で受けていると、虹が出ている誰かがいった。看護師にチョット言って中断してもらいスマホを手にして窓際に行き、外を見渡すと大きな虹があった。窓を開けて右手だけで、ぎごちなくシャッターを押し続けた。退院の決まった日に虹とは、久しぶりに胸のすっとする思いだった。
7月10日 土曜日雨 雨の日が多い
熱海、急傾斜地の盛土が滝のように住宅地を流れ落ち、行方不明多数、大災害となっていた。今日は九州も豪雨で鹿児島、熊本注意報出ている。
7月5日月曜日
ねむれられず、早起きして休憩室と思しき所へ、新聞が朝日 西日本 毎日が置かれテーブルがいくつかある。冷やしておいたペットボトル500ccを飲み干すと、あとで通じがあってほっと。便秘していると看護師からのチェックが厳しい。
手術をお願いした理事長の論文をスマホで見つけた。「高齢者腱板断裂の症例と特徴」
7日3日土曜日 雨
大谷(レッドソックス)ホームラン30号
7月2日 金曜日 くもり
リハビリは午前午後と若い理学療法士、イクメンの2人が最後まで面倒をみてくれた。双子のように見分けがしばらくの間つかなかった。3階の東に面した見晴らしの良いリハビリ室でほとんど行われた。八十路のじいちゃんの登場に興味があったのか、ぼくを知りたがった。5週間の入院の間に、リハビリをうけながらいろんな会話をしていた。
それから同じように午前午後と女性の理学療法士がやってきて、左手の親指と中指にりんぐを通してチェックする。装具のチェック、衣服の脱ぎ方、着方、これはシャワー室での練習。浴室では二人にうら若き看護婦に監視を受けての衣服のざっちゃくとシャワーでの体の洗濯とうを監察されるのだ。チョットチョットと言いたい場面に何回も遭遇する。
来週は4週目、ひと月がめどとなっていたが、どうなるかなあ?上腕骨に縫い付けたケンがようちゃくするまで3ケ月かかるという。
6月28日 月曜日 晴れ
左肩、手術した腕を脇に固定する装具の装着、ようやく注意を受けずにできるようになる。腱板断裂の手術、修復は大変な手術だったのに、うまく治るのかと真剣に思う。
6/27日 日曜日 晴れ
2週目の日曜日の朝を迎えた。順調な人は一月で退院とか、そして週2回のリハビリ2ヶ月とかきいたがぼくの場合によっては、永くなるかもしれない。一週目めの金曜日2人部屋から4人部屋にかわった。
6月24日
朝回診に来た先生にお願いして、手術の写真2枚もらう。サメの歯のような治具で棘上筋を引っ張りだしている、見かねるものだった。二階の長い長方形の病室の廊下を一周すると200歩、8000千歩あるく。立花隆逝去の報を院内の新聞で知る。一つ年下だった。文藝春秋に記載された「田中角栄の研究」で今太閤と言われていた角栄が透かされて、凋落のきっかけとなったことが、文藝春秋を継続していたので深く記憶に残る。
6/22日火曜日晴れ
一週間前の今日手術したのだ。1週間一月にも思えた。2時から4時の間とみよがくる。ご飯の振りかけ(色々)、洗剤、塩キャラメル、のり等、ほか。
ちっとしたお菓子。
血液検査あり。先生より映像をみながら術後の説明あり。
上腕骨の奥に垣間見える肩甲骨、それを隙間、穴というのだろうか、よくわからなかった。
6月15日火曜日
「手術の日}
昨日9時30分までに病院へ。午前9時から手術始まるという。手術室は3F、女性の看護師と点滴の支えを押しながら手術室の扉の前の椅子で履き物を履き替えて座らさせられる。扉の向こうには十三階段があるのですかと冗談をいうと看護師は黙っていた。
扉が開くと2人の看護師が青い姿で出てきて両脇を支えて手術台らしいところに連れて行き、まん中にすわるように、そして上向きに横たわるよう指示があった。何々の点滴をしますとそして、酸素マスクを顔にかぶせられ、麻酔薬もとうぜられていたのだらう。執刀医の姿はみえなかった。直ぐに眠くなりますと。我慢しようとしたが、気がつくとベットの足元の方に薄ぼんやり人影、呼び掛けられているような声がする。意識朦朧として声もかすれて、きこえただろうか。とみよがきたころも完全に覚醒していなかった。時間は覚えていない。麻酔の先生が来る、指の親指人差し指が感覚なし。2年ほど前にできた痛み止めの麻酔薬はしばらくは効果あるらしい。
6/4金曜日
(二人で病院へ)
車で7時15分出発、およを二時間で到着。
術前の検査、胸のレントゲン、検尿、心電図、肺活、身長体重、首のエコウ。
先生の診察、エコーを見ながら肩に注射。とみよも同席してMRIの画像を前にして、どういうやりかたで、どんな手術をやるのかの説明などがあった。
それからリハビリの処に行き、腕の筋力を測定する。左右の腕。数値で表す。
レントゲン写真を見て心臓肥大しているのに、先生は懸念を抱き2時ごろ専門の先生が来るので診察してもらうと、言われた。
2時間ほど時間があったので近くの駅へ行き、駅前の喫茶店で昼食。帰りに道を間違う失敗をする。
肥大の件は昔から言われていた。心電図もおかしなところがあるという。テニスを週5回ほどやっていると説明すると、少し納得してくれた。ベッドに横たわりエコーで腹をチェックしていたが、問題なさそうだ、手術にはということで終わった。
帰り着いたのは夕方だった。