師走となって冬到来です

土曜日 曇り 晴れ

テニスの結果をチェックするのがおろそかになっている。テニスで放映される試合はほとんど見ているが、日本選手の姿がないので興味は半減いかになっている。錦織の後継者がそのうち出てくるだろうと、誰もが思っていたはずなのに、30代に突入した圭に期待するのは、次々と現れる外国選手若手の活躍を見ていると、無理無理無理と思わだるを得ない。

大坂なおみ選手もあんなことになって、もうテニスの意欲も失われている気がするし、テニスをしなくても知名度が高くなっているので、ハングリーがなくなっているので、出場しても今迄みたいなことはないだろうと思える。

今年締め括りのATPファイナルズ決勝戦、ズべレフがメドベージェフを6464破り優勝した。

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今日から師走とは

水曜日晴れ   

今日から師走。あーちゃんがカラオケに行っている午前中、アロエをぼくの寝室へと運び入れた。夕方の天気予表では明日から零度近くまで冷え込むというので、タイミング的にはピッタリだった。一回でも凍らせるとそれで万事休すになるアロエなのだ。

干し柿も50個くらい吊るして今週いっぱいくらいから、食べられそうになるかもしれない。
季節柄なのか白菜が、さんふれあー温泉の市場に溢れている。今年も一つ買って漬けたのだが、レシピを見らずに昨年上手くいったので、うろ覚えのまま漬けて失敗した。塩不足だった。
塩分を取りたくという先入観が働いたのかもしれない。漬物漬けるのはいいが塩分を摂取するのが気にかかると、温泉仲間に語ると苦笑いされた。

彼は自分で作った干し柿をコートに持って行って皆から喜ばれた、と今日も温泉でにこやかに話していた。ストロークだけを楽しめばよいという彼、相手を探すには、そんなことも大事だよと風呂話で語ったこともあった。今日もまた柿を買いに行ったという。ぼくも顔を出す近くの野菜市場、彼は遠いのだが、そこがいいらしい。ぼくも今日温泉の途中でよって見た。安くなっていればと思ったが、期待に反したのでやめたのだが、彼は買ってたらしい。そんなことを言うと彼は表情を見せたが、前に買ったのがひと包み500円くらいだった、ていどはよく見えたが900円位の値段が付いていたからだったし、吊るしている柿で十分という気持ちもしていたのだ。

昨年は植えていたまだ幼い柿の木に、たわわに実がなり驚いていた。それで買うことぜずに済ませたが、今年の収穫はゼロだった。なるのはへんねんおきだと誰かが言っていたが、多ければ摘花しなければいけないともとPCで勉強した。今年はほとんど成長を見せていない柿木、昨年のタワワの実が影響したのだろうかと、少し心配している。 

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震災で壊滅した南阿蘇ペンション テインクナへ

金曜日 晴れ

日奈久の宿での娘との会話。ネットで探して日奈久温泉と決めたとき熊本近郊を調べて、北海道のうんぬんという南阿蘇のペンションも検討したという。
南阿蘇のペンション村は熊本地震の時甚大な被害をうけていて再起は無理だろうと、ニュースなどの報道で想像していたので、そのことを話すと、その変わった名前のペンションのことも言ったのだ。北海道の輝き「テインクナ」、まさかと驚いていた。

2015年熊本震災の前年、プレミアム旅行券「熊本をもっと楽しむ券」が発売されて購入していた。残った券を有効期限のぎりぎりに、ネットで探して阿蘇へ行ったとき何度か前を通った記憶のあるペンション村、北海道の輝き「テインクナ」へ申し込んだ。

「2015年10月15日 テインクナ ペンションで 南阿蘇」のブログにそのいきさつは書いていた。娘の勧めもあり迷っていたが、どうなっているか行ってみようと、「ペンション テインクナへ」へ申し込んでもらっていた。

一昨日、そのペンション村の「テインクナ」へ出かける。地震で崩落した阿蘇大橋も再建されて今年開通していたので、ちょうどいい機会でもあった。新大橋までの阿蘇路は道路も立派に改修されていて、スイスイといくことができた。右折して真新しい阿蘇大橋を渡ると高森までの一本道の道路が続いている。しばらく行き、この道だったっとた左折して阿蘇山道へ抜ける道を登って行く。この辺だったと、徐行して探すがペンション村と書いたあの坂道は見当たらなかった。

南阿蘇と書かれた住所をナビに打ち込むと、えらく離れた場所なので、電話番号を打ち込むと同じ辺を表すので、そこに向かってハンドルを切った。高森方面の道路を高森近くまで、登山道路を越えてから左手の山道へと案内があった。ペンションの案内がいくつかあって、細くなった道を山腹まで登るとペンションの案内板に名前があったのでほっとしていた。
先客は一組の夫婦そしてぼくたち。物静かなあの時のオーナーとおぼしき人が出迎えてくれた。雰囲気や料理は前回と同じフランス料理だった。サービスと出されたグランワイン一杯にアルコールに弱いぼくたちは酔いしれて、満腹になっていた。
翌朝はパン食を頂き9時過ぎに初冬を感じさせる宿を出発する。久しぶり南阿蘇をゆっくりと一周して昼過ぎには我が家にたどり着いていた。

詳しくは聞けなかったけど、その建物は知人から譲り受けたもので、3年前にオープンしたという。大変だっただろうなあと想像する。そこは同じようなペンション作りの建物が二棟あったが隣の建物は住宅に使っているという。ペンションの前にも木立に囲まれた和風の家があったが、消えかかった案内板には染色か何かをやっていたようで、会社と受け取れた。高く伸びた木立には「売り物」の札が見えた。

この南郷谷でも日奈久と同じようなことが起きているのだと思った。熊本地震で再建を残念した人たち、後継者がいなくて空き家になっているペンションもあるのだとも思った。

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ローンテニスコート行ってみたけれど

金曜日 晴れ

昨日久しぶりにローンコートに顔を出してみた。12月上旬行われる熊そう会年齢別なら、無理をせずにできるかもしれないと思って申込んでいるが、左足の股関節が痛みだし、左肩も一昨日定期診察でのリハビリで理学療法士から言われたことが、頭の隅に引っかかっていた。どこの痛みかわからないが、左肩はなんとなくギクシャクしている。

ローンに行ってお姉さんたちにお願いしてワンセットすれば自分の現状が理解でできるかもしれないと考え、彼女たちが集まる頃を見計らって出かけみた。彼女たちのやっている隣のコートがあいていたので、右でのサービスの練習、右でサービスは大丈夫だと確認し
て、ゲームが終わったのでお願いすると、まさかの返事が返ってきたのでびっくりした。

完治していないと思われるぼくとのテニスは、怖くてできないという内容の返事だった。いや、右でサービスしますから大丈夫ですと言ったが、かたくなだった。

あの人とも、もうテニスはしていません。遠くのコートの隅っこ、椅子に座りゲームを無言で見つめている翁が目につく。ぼくとほぼ同世代のここのオーナと見かけた。

以前はやっていたのでした。よぼよぼのテニスにお姉さんたちが付き合っていたのを、覚えている。倒れでもしたら大変です、ここでテニスができなくなるから、それを聞いて納得したが、ぼくが倒れてもそんなことはないのにと、だがお姉さんたちのぼくへの思いやりだと理解して、完治したら、その時はお願いしますとコートを後にした。

夜、グループ受付の仲間に電話した。「ごめん、ダメだと言われたので、キャンセルしてください」。先月も同じようなことでキャンセルしている。人の良さそうな彼の困惑した顔が浮かんだ。

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腱板断裂手術5ヶ月目の診察へ

水曜日 曇り

腱板断裂手術5ヶ月目の診察、小郡市の福岡志恩病院へ朝から二人で出かける。今日はあまり待たされずに診察室へ呼ばれた。いつもの左腕の上げる状態と開く状態のチェックをする。来月は6ヶ月目。はじめにMRIの撮影をするという。それから先生の診察があって一連の手術からリハビリの経過を見られて総合判断されて治療は終わりのはずだが、まずはMRIの撮影結果次第となると思う。

リハビリ室で担当の理学療法士との会話した中で、ぼくが素振りの練習したり、スポンジボールを壁に投げつけてキャッチボールのまねごとをしていると報告すると、顔をしかめてまずい、早すぎると言われた。半年、六か月は最低待ってほしいというコメントだった。

確かに痛みがあったりしたけれど、温もると痛みも無くなり、これくらいは良かろうと、やっていることを報告したのだが、tagami氏良い顔はしなかった。そして窓際で腕を曲げて固定して体をひねってのリハビリを教えてくれた。
ぼくは来月の熊そう会に出るようにしていたが、キャンセルしますと言ったものの、左でのサービスをしなければ、良さそうだとも考えていた。

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五木寛之の『青春の門』初めて手にする

火曜日 曇り

「青年の門」は興味のあった本だった。なぜ興味が、なにせ、香春岳が最初に出てくる田川をだいだいにした小説、青春小説だと知ってからだったが、読んだことはなかった。
あるとき気になってどんな内容なのか、パソコンで調べたが、わざわざ読んでみる気にはなれなかった。
地元の新聞の夕刊に何時からか「五木寛之」の短文、随筆のようなものが週一回夕刊に大きなスペースをとって載り出した。肩の凝らない内容なので読んでいた。難しい漢字。レモン、バラともう一つあった。その漢字を書ければ女性にモテルよと、学生時代にあったらしい。ぼくもとりあえず一所懸命覚えたがすぐに忘れてしまい、その三つの単語もうろ覚え、頭の悪さが実証出来ていた。

それはまさかの出来事の様におぼえた。一週間前、運動不足が気になり、夕食後、少し歩いてみようと出かけた。夜は歩道でも歩きずらい、よろよろしながら、しばらく歩くと尿意をもよおし、探すと先の方に何度か行った古本屋とAUが合体した建物が目につきとび込んだ。ようをすませて、お礼にと古本屋の中を一周していると最後の方になって作家の名札が挟まれた本棚に、たくさんの名前が所狭しと続いていた。物書きがこんなにいたら、この商売も大変だろうなあ、とか思い歩を進めて終わり近くに、目の少し上の棚に「五木寛之」の名前が目についた。そこには青春の門がずらっと並んでいるのに、釘付けになっていた。
こんな本、文庫本と言うんだと手に取ってみた。文庫本は文字が小さいので興味がなかったが、やはり文字は小さい。古本屋なのに新しい。あとでよく読むと新カバーで再登場とあったが、これも何かの縁かもしれないと「第一部筑豊編」を買ってしまった。

窓際の明るいところでは、何とか読むことができた。ぼくは一週間かけてようやく読み終えた。夜には拡大鏡を使って読み、読み進むほどに興味は尽きなくなっていった。
主人公、伊吹信介の田川、飯塚を舞台にした、生をうけて東京の大学行くまでの十代の人生のいったん、男の成長の過程、人ごとでなく興味をそそられていた。

ヤクザな家庭の事情の中でいろんな経験をしながら成長して行く。ケンカや性など。十代のせいてんあり、大人として成長して行く、男として成長して行く過程の中で、誰もが似たような人生経験をしていたに違いないと考えていた。

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(青春の門の表紙のうらの写真 香春岳)

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(父が撮影していた昭和10年頃の香春岳)
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(炭鉱記念館より今年3月に写した香春岳 チェンソーで根っこから切られたような、山の面影はどこにもない。初めての人は驚くだろう。)

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(父が撮影していた、ありのままの香春岳)
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(ぼく写した昭和50年前後の香春岳)

香春岳のふもとで生を受け、小学校の外れにあった幼稚園は丁度家の前にあって通園の記憶はあるが、戦争の末期19年に父を病で父をなくして、祖父母の田舎にj引っ越したのだが、それからが戦後の食うや食わずの厳しい生活が待っていた。

ぼくは26才を過ぎて頃、考えることがあって熊本で働くようになった。そこで結婚して子供ができてからは、盆暮れ田舎に帰っていた。冷水峠から飯塚を通り抜け、烏峠を越えて田川の香春町から、行橋方面に抜けて田舎に帰っていた。烏峠まで来ると香春岳が見えてくる。三っの山がならんで一の岳、二の岳、三の岳、一番手前の一の岳が香春岳だ。

峠を下り近づいて来る朽ちかけた香春岳をみやりながセメント工場を右に、川沿いの向こう側に小学校をが見えてくる。小学校のすぐそばにあった昔の家の近くになると、なんとも言えない気持ちになることがあって、そんなときはハンドルを切って近くまで行くことがしばしだった。
その道を真っ直ぐ行けば北九州方面、その先を右に曲がれば行橋方面で、田舎へとつづいていた。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 21:05 | コメントをどうぞ

橋げた行くこと4回目

水曜日 晴れ

今日は母の命日。何もしなかった。久しぶりに写経を復活とか考えていたが、以前のようには根気が続かないだろうと、後日やることにする。

運動公園に出かけたとき12月の例会をお願いしておいので、心配になって久しぶり橋げたの下へ出かけてみた。9月30日いらいのこと。その時は、まともにラケットに当たらないし手術の肩は当たりがずれると痛みと違和感が生じていた。コントロールにパワーどれをとっても熊そう会に通じそうにはなかった。それからは橋げた行きは止めにして、家での素振と壁にスポンジボールを投げてのキャッチをしていた。

あれからひと月半経過しての感触は、あと二十日間あるのでここでの練習と練習試合を何ゲームか行えば、何とか遊べる程度のテニスは出来そうな感じはしていた。
これからは橋げたへ足繫く通うことになるだろう。

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(行きつけのスタンド)
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(ウイークデーの橋げた公園)

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(カニを捕獲する仕掛け?)

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 21:59 | コメントをどうぞ

運動公園のもみじ並木に晩秋のいろどり

月曜日 晴れ

運動公園の紅葉をたずねると見ごろだという。昨日テニス仲間との「さんふれあ温泉」での会話。

ぼくは熊そう会も行われる日なので行ってみようとは思っていた。朝、運動公園に行くというと、はいどうどと言うのが日常会話だったのに、車でというから、自転車で行く元気はないから車というと、行ってみようかなという、結局二人での久しぶりの運動公園となった。

銀杏並木は今週が盛りと思えた。天気も良くて申し分なかった。

Bコートでは仲間が2面を使って楽しんでいた。Bコートの横の芝生の広い広場を横切ってAコートを突きって行くと、サッカー場があり、その向こうに15面くらいのメインテニスコートがある。いつもの熊そう会がにぎやかに行われていた。

先月もこの会場に足を運んだ。退院いらい初めてで仲間と久しぶりに再会して懐かしんだ。そして今日の大会に申し込んでいたのだが、所属していたホームことを訪ねると、仲間たちがえらく心配してくれて、いましめてくれた。確かに彼らの言うことが正しいと反省して、今日の参加を断っていた。

そしてまた今日お願いしてしまった。12月の年齢別は出ますのでよろしくと。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 20:09 | コメントをどうぞ

ショッキングな(寝違い)起こしていた

金曜日 晴れ

昨日は近くの支所やスーパーに行っただけでなのに、えらく疲れを感じていたので二階の部屋にギターを持って早めに行き、ベッドで少し練習するも疲れを感じたのですぐに横になった。

寒さ感じて暖房20度でセットしていたにも関わらず、夜中に目が覚めるとガタガタと武者震いをしていた。布団を直して温まろうとしたがおさまらず、飛び起きて脱いでいたものを全部着込んで潜り込んだが、震えは簡単には収まらなかった。

丸くなっていると震えも収まったらしく、気が付くと5時ごろだった。トイレの途中に左肩が痛いのに気がついた。こんなことは初めてのこと。

食卓の椅子に姿勢を正して座っている分には問題ないのだが、前に体を倒したり立ち上がろうとすると激痛がはしり、なんでだろうとしばし考えこんでいた。

左肩だから、もしやと悪い方に考えたりしましたが、寝たがやし(寝違い)かもしれないと昔を思い出し、ユーチューブで(寝違い)で検索して調べるとほぼ間違いなさそうだったので安堵していた。
しかし寝違いしては、重症だと感じています。完治まで何日かかるのだろう。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 20:32 | コメントをどうぞ

弔問へ 菊池渓谷入口から蜂の巣湖のルートで

水曜日 雨

月曜日、喪中のはがきが一枚届いていた。まさかの名前に、言葉がなかった。小学校の同級会のお世話をしてくれている人の名前がそこにはあった。

還暦同級会から継続してお世話をしてもらい、個人的にも手紙やはがきを頂いていた。
50歳代になって大手の会社を辞め田舎に戻り、残されていた家を手直し田畑を耕し晴耕雨読の生活をやっていたようだった。。

娘さんたちが当地に転勤してきたとき、夫妻でやってきたので、市内を案内したこともあるし、ぼくたちも二人で田舎に帰ったときに訪問していた。大きな家、座敷にはひな人形を飾っていたが印象深い、その季節にうかがったのだ。帰りにはコメひと俵、車に積んでくれたので驚いた。

7時前に出発、菊池渓谷手前から左へ曲がるとくねくねの登り道、紅葉も楽しもうとこのコースを選んだ。早朝の上、曇り空でいまいちだったが、それでもぼくにしてみれば、今年の紅葉の見納めとなるに違いない。

到着すると奥さんは野良着姿で玄関先にいた、十年ぶりくらいの再会、看病疲れか昔の面影をさがしていたが、相手も同じ気持ちだったはず、車のナンバーで感じていたかもしれない。
病を抱えていたらしいが、それは感じたことはいままでなかった。健康そうに見えていた。しかし

弓道を長くやっていて、地元に戻っても指導者として活躍していたという。弓道着姿で納棺してもらったと写真を見せてもらった。立派な往生姿で天寿をまっとうしていた。
合掌

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