月別アーカイブ: 2013年12月

今年の戦歴をふりかえる

火曜日、大晦日曇り
さて、今年一年を振り返ってみることにしょう。

・2月下旬、E「福岡ベテラン春季大会」 (15名)
 2回戦で70に上がってきたON氏に1616で敗退。ON氏は決勝戦でfuchi氏を6464で破り優勝。

・4月上旬、D「九州毎日テニス選手権」 (S-32名)(D-10組)
 1回戦ダブルスで対戦したことのある広島のTA氏641667(5)3時間余の戦いで危うい勝利。
 2回戦は70に上がったという関西のuraza氏、前日の疲れがあつたと言い訳したいが、1636の実力負け。

・5月中旬、F「北九州テニストーナメント」 (S-11名)(D-8組
 2回戦iso氏6162 準決勝ura氏6236(11-9)で勝利、決勝戦はASA氏の6446(12-10)で優勝
 asa氏と組んだダブルスは1回戦6163準決勝4662(10-7) 決勝戦はmurama,kasam組に2663(10-7)で優勝。
042
・6月中旬、C「九州選手権大会」 (37名)
 1回戦関西の70に上がったという関西のike氏に576446で敗れる。
期待したダブルスも1回戦でuraza,yamaペアーに267557で惜しくも敗れて結果的に全日本ベテランも道も?

・7月下旬、E「福岡県ベテランオープンテニス」 (S-15名)(D-3組) 
 1回戦umek氏に6060 2回戦yan氏に6076(5)で勝つも準決勝戦urab 氏に4675(4-10)で敗れる。
 M氏と組んだダブルスは2勝0敗で優勝。
021
・8月初旬、C「中国テニス選手権」 (S-23名)(D-4組)
 初戦ダブルスパートナーM氏に2646で敗退。
 ダブルス1回戦関西のiked,takag氏に6446(10-4)勝って決勝戦はobat,matud氏に7557(10-8)で敗れた。

・8月下旬、F「福岡市ベテランオープンテニス」 (9名)
 2回戦miyak氏6161 準決勝ab氏6462 決勝戦matumot氏6261で優勝。

・9月初旬、C「グラスコートベテランテニス選手権」 (S-27名)
 1回戦昨年と同じ元デ杯選手のkonis氏2667(4)で敗れる。
 M氏と組んだダブルスは2回戦6262 準決勝oos,oonペアーを466261の逆転で勝利して決勝戦は関東のペアー  に6162で優勝した。

012-1

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30日

30日 晴れ
孫娘たちが集まる。

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毎日がテニスだったのに・・・・

日曜日曇り
今日も終日家暮らし。せき込み相変わらず喉の調子はかばしからず、昨年の5月の風邪のことを思い出している。思えばあの時以来ぼくの成績は下がりつづけている。立ち直ることができるのだろうかと。そんなことも頭をよぎる。
2012年05月08日
(声をなくす)
火曜日、晴れ。ブロクはご無沙汰、投稿欄に入れなくなった。おっくうになっていたので渡りに舟という気持ちもあったが投稿しておきたい出来事がたまっていくのは気がかりだった。
熱はなかったがのどの風邪と近くの医院で診断された。昨日のどに軽い違和感を感じながらもコートに出かけて1人で練習、しばらく遊んで昼には帰ろうと、ボールを集めているとKさんがそそくさとやってきた。普通であれば彼女に付きあう余力は残されているのだが、その日は違っていた。ぼくも冷たくそそくさと帰りたかっがそれができなくて、仕上げに軽くシングルでもと付きあったのが全てであった。それから90分あまりコートを走り回り、のどのもやもやがひどくなるのが気がかりだった。最後には彼女に痛めつけられ、ホウホウのていで退散したのだが、家に戻り近く薬局で「ルル」を買い求めたがすでに手遅れだった。一晩まんじりともせず朝になると、元気もなく声もでなくなっていた。
試合が近づいているというに、なんちゅうことだと反省しきり。
ケイタイより

2012年05月09日
(さつき晴れなのに)
外はそよ風を予感させる青空なのにぼくは厚着をしてテレビの前に座って、昨年の全仏を見ている。2回戦、ナダルとアンドゥハルのスペイン同士の対戦。アンドゥハルは初めて知った選手、ナダルと互角に打ちあっての内容のこいい試合を展開して惹き付けられた。郵便やさんが来て、書留を届けてくれた。えらく速いのにびっくり。昨日、大会2週間前という遅きにようやくHPにオンされたドローにぼくの名前はいくらなどっも見つけることはできなかった。関東テニス選手権は山梨県であるという。ずいぶん迷ったあげくやめたと決心していたが、締切日に心がわり朝一番郵便局に走りこみたいまい1万百円を送金し、書類を速達便で送っていたのだ。それからドロー発表までの17日余り何の音沙汰もないから、てっきり滑りこみセーフと独りよがりしていたので、遠方から馳せ参じる交通手段や宿泊探しにPCで取り組でいた。必着を逸脱したのだから致し方なしとはいえ、固執するのならば間を置かずに何らかの連絡くらいのサービスはほしかった。

2012年05月16日
(体調いまだに)
水曜日、暑くなったらしい。今日のレッスンまでには遅くとも回復していると思っていたが、甘かった。さんよっかもすれば回復するだろう、日曜日の北九州テニストーナメントには大丈夫のはずだと、おとなしく養生に専念していたのに回復の兆しは感じられず、それどころか23日すると咳が出だして、日ごとに激しくなり寝床に着くと咳き込み出して寝られない日が続いている。北九州には前日のギリギリまで待って欠場の連絡を入れる。まる5日たっていたが体調の回復は感じられず一抹の不安がよぎっていた。久しぶりに会う約束をしていた友にも事情を話すと、もうこの齢だから若い頃のようにはいかないよと、諭された。言われてはじめて我に帰するものがあった。
この間、初診を含めて三度、行き付けの医者に病状を申し立て、薬を出してもらうが期待する回復は遅々としている。思えば関東テニス選手権エントリーかなわなかったのは幸いしていた。来週までに戦える体に戻るとは思えない。
九州選手権までには何とかしなけばと思う日々。携帯より


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フェデラー、エドバーグを迎える

土曜日、雪 曇り 晴れ
朝方窓の外で雪が舞っていた。この師走初めて見る雪だ。
昼ごろ孫娘らを迎えに空港へ行く。印象がそのたびに変わっているのが何とも言えない。

フェデラーがエドバーグをコーチに迎えるという。マレーがレンドルをコーチに迎えて注目の的になったが、グランドスラムで初優勝したり、ロンドンオリンピックなどで優勝を飾り注目された。たしかに成果はあった。レンドルがいるだけで心強いといっていた。

ステファン・エドバーグは甘いマスクの貴公子、サービスアンドボレーのかっこいいテニスで一世を風靡したことは、テニスマンたちの脳裡に刻まれているはずだ。フェデラーと共通するテニススタイルに近い。どんな成果がでるのか、楽しみだ。

Edberg-9

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お前はお前で丁度よい

金曜日、晴れ 台風 冷たし
ほぼ一週間テニスの気力失くしている。年賀状ようやくプリントアウト、今年は文面2種類作成した。
ブログアーカイブ2007.12.27(今日は15回目の対戦だ)

 

パソコンの周りを整理していたらこんなこーぴーがあった。

お前はお前で丁度よい

顔も体も名前も姓も

お前にそれは丁度よい

貧も冨も親も子も

息子の嫁もその孫も

それはお前に丁度よい

幸も不幸もよろこびも

悲しみさえも丁度よい

歩いたお前の人生は

悪くもなければ良くもない

お前にとって丁度よい

地獄へ行こうと極楽へ行こうと

行ったところが丁度よい

うぬぼれる要もなく卑下する要もない

上もなければ下もない

死ぬ月日さえも丁度よい

仏様と二人連れの人生

丁度よくないはずがない

丁度よいのだと聞こえた時

憶念の信が生まれます

南無阿弥陀仏

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靖国神社参拝

木曜日雨
終日雨、予報では昼から上がるかとおもったがそうではなかった。今日は年末の挨拶かたがた城南へ行くとK氏とケイタイしていたが、2週連続の雨模様とってしまった。夕方M氏からメールが届いた。同じような気持ちだったようだ。

スキージャンプの高梨沙羅選手は3連勝だから、本当にすごいなだがマスコミの扱いは小さく感じる。

安倍晋三首相が靖国神社参拝したという。一国のトップに立てば誰でも先の戦争犠牲者に頭をたれ哀悼の意を表すのは当然だと思う。小泉元首相から7年間、だれもしり込みをしていた。中韓の反発を恐れてのことだが、マスコミが大きく大きく報道するから波風が大きくなる。そっとしておけばいいのに。

スケート高橋がソチ五輪へと選ばれた。この先行も日本独特な温情を感じた。マラソンや柔道などでも、いつも選考には納得いかないものを感じてきた。
集大成としてどこか一つの大会で上位から選考すべきだと思う。その一発勝負にいい成績を収める選手がオリンピックという檜舞台でも可能性があるとおもう。よしんばダメでもそれでいいんじゃない。





カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 22:00 | コメントをどうぞ

体調不良長引く

水曜日、晴れ
K氏との約束、ハムレットの心境で早めに床について朝の具合で連絡しょう、たぶん行けるはずだ、携帯を探して手にするとメールが輝いていたR氏かなと開けるとK氏だった。「明日は休みましょうか」が目にはいった。
さすがドクター、ぼくの体調を見透かしていた。お言葉に甘えて休むことにしたが明朝大丈夫だという気はしていた。だが、朝になってもいつもの体とは違っていた。昼から壁打ちでもと考えていたが、それも気乗りがしなかった。
体調の良い時はこれでもかというぐらいにコートへ足が向いていたが、その気にならないのは加齢のせいで益々回復が鈍化している気がしてならない。腰痛もきびしくなる。テニスできるか少し心配だ。
マイブログ20071225(フインランドから)








カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 22:33 | コメントをどうぞ

ささやかなイブ

火曜日、穏やかな冬の日曇り  クリスマスイブという。
体調いまだはかばかしくあらず。朝いちばん近くの掛りつけの医院へ出かけた。やはり汗をかいて着替えなかったのがまづかったようだ。午後のレッスンもキャンセルを入れた。軽くやろうかなと思ってもみたが気力がなかった。
パソコンに向かって年賀状の案を考える。年賀状はへらし続けているが喪中の案内が9枚もあり50枚を大きく下回った。やれやれ。夕餉は孫娘たちとささやかなクリスマスイブとなった。

マイブログアーカイブ2007.12.24(三日ぶりコートへ)









カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 20:25 | 2件のコメント

戦争の傷跡は遥かかなた消え去ってゆく

月曜日、晴れ 天皇誕生日
天皇陛下は傘寿の祝でテレビで会見をしているのかと思ったら、今日の休みが天皇誕生日だった。80年の中で一番印象にあるには先の戦争だと「夢を持って生きていた多くの人々が若くして命を失ったことを思うと本当に痛ましい限りです」と述べられた。12月に三菱A6M 零式艦上戦闘機(ゼロ戦)のテレビ番組をあらためて2本見る機会があった。痛ましさを通り越すできごとだらけ、同じようなことが陸軍、海軍でも行われ、最後には無謀いうべきゼロ戦の体当たり作戦になって4000名が海原に散ったのだ。若くて正義感に満ち満ちていた若者たちであった。彼らの生き残りはよわい90歳代、語り部として口から出る言葉にはむなしくさびしくうつろいでいた。

クラブはミックスダブルスのイベントで結果的によかった。ぼくの体調は回復せず、回復を期待しての一日を過ごしたが腰痛もひどくなっている。あの時シングルスを2セット終えてシャッを着替えなかったのが頭をよぎっていた。朝いちばん近くのユニクロに出かけてウルトラライトダウンベストを購入、東バイパスへガソリン入れて洗車して、帰り道ダブルスの試合が行われているクラブへ立ち寄ってみた。ほとんど見知らぬ若者がメインで、若いとおぼしき女性とのミックスを楽しんでいるように見えた。
マイブログアーカイブ2007.12.23(孫孫のふれあい)









カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 21:57 | コメントをどうぞ

高校駅伝とフィギュア全日本

日曜日、晴れ
夜M氏よりケイタイあり。明朝9時からダブルの誘いだった。ひさしぶりの誘いに応えたいとしたが、喉の様子がおかしくなっていた。いつもの風邪の前兆なのだ。これを無理をして長引かせたことが何度あることを思い出し、断ることのした。
今朝目を覚ますと喉がらがらで声もまともでなかった。終日テレビを見ながら過ごす。午後の男子高校駅伝は白熱の戦いで目が離せなかった。女子と異なり楽しませてくれた。最後は4校の争いで、勝敗は競技場まで持ち越された。
その中にかっての名門、九州勢の大牟田がいた。大牟田のアンカーは1年生、競技場での勝負には自信をのぞかせていたので期待したが、ゴール直前山梨学院大付属スパートについていこうとしたが最後には力尽き2位に終わった。

全日本男女のスケート選手権は、それぞれに興味を抱かせてくれた。女子のショートプログラム、浅田真央は相変わらずの安定で1位、久しぶりの 安藤美姫、 そして村上佳菜子 は自分の演技に満足の涙、 鈴木明子 も完璧で2位につけ、それぞれ自分の力を出していた。
男子フリーは高橋大輔、怪我の影響か不調で5位に終わり涙にくれる。先日、福岡の大会でのショートで出遅れ歯ぎしりしていた福岡出身の町田樹は会心の演技で2位となってオリンピックを引きよせた。
マイブログアーカイブ20071222(今日の天気は)







カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 23:32 | コメントをどうぞ