月別アーカイブ: 2013年12月

西岡良仁選手の活躍

土曜日、曇り 寒い。寒波日本列島を襲う。
今日もコートへ行くと壁打ちにまっしぐら、スイングをいじくってまたおかしくなっている。近くに来ていたSI氏がぼくがシングルスを断るとこぼす。レベルとラベルの違う人とはちょつとと言葉を濁していたが、ダブルスをワンセットして、6番コートが空いていたので、シングルスをお願いしますと言った。
フォアーがめっぽー強い。あまかったり、浅かったりすると得意のフォアーで一発で決められる。36 16とやはりレベルが違う。できるだけサービスアンドボレーを試みたのもスコアーに表れていた。
しばらくして壁打ちをしていた上手そうな人とストロークを20分、上手な人で練習になった。おばさんたちとダブルスワンセット敗退して帰途についた。

地球の裏側、ITFフューチャーズのチリ大会で西岡良仁選手が活躍している。全日本決勝戦で伊藤竜馬選手と戦って敗れたとはいえ、日本選手権覇者二人を破っての決勝進出で注目を集めた。彼らがくずくずしていると錦織についでの二番手に名乗りを上げるかもしれない。
2007.12/21(賀状の案を)







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寒くなる

金曜日、曇り 寒い。
正月用ヘヤ―カットしてもらいに二人で福岡へ行く。
帰り宝の湯で温まって帰る。

マイブログ2007.12.20(二三日)

(ホームコートでの仲間のテニス)






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晩節を汚すな

木曜日、寒そう。曇り
あーちゃん嬉野方面の日帰り旅行。コート近くのこってりラーメン店、キムチ食べ放題にも魅かれて元気づけに時々出かけていた。そこのカウンターで何かの応募に書き込んだ記憶をたどったのは、あーちゃんだけに当たっている葉書が届いていたときだった。それがバス2台での嬉野ツアー。

曇天の寒空だったが昼過ぎコートへ。今日は寒さのせいか少ない。バックの両手打ちを重点に壁打ち、それからシングルスワンセットしてそそくさと帰途についた。

PCで探した一つ、晩節を汚す「それまでの人生で高い評価を得てきたにも関わらず、後にそれまでの評価を覆すような振る舞いをし、名誉を失うこと。」
二人だけの話し合いで「晩節を汚すな」といったというが、そこには第三者は入れてないはず、誰かが知ったかぶりをしてマスコミに流したとしか思えない。当たらずしも遠からずだが、石原氏も見る目がなかったことになる。すべて潤沢に引きついだと言っていたにも関わらづこのていたらく。見苦しい、幼稚な言いは耳をふさぎたくなった。副知事を続けておきながら政治家として素人だったとか、選挙を目の前にして、親切な人だなと思って個人的に借用したとか、やましい金と思わなければ貸金庫でなく預金するはず。都知事たる者の人格に情けなくなっていた。もっとはやく素直にかっこよくやめていれば、晩節を汚すなとまで言われなかったかもしれない。
ブログアーカイブ2007.12.19(腰を痛める)







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twitterとは

火曜日、雨 のち曇り
朝から冷たい雨が窓を濡らしていた。外へ出てみると結構な雨脚に風もあり寒かった。10時からの約束は無理だとわかったのでパソコンに向かう。ブログとtwitterの設定を昨日からやっているが、老いのせいかなかなかうまくいかない。そのためにはtwitterに入らなければならないことが判明。アカウントが必要だという。アカウントってなに? わからないことだらけ。

『Twitter(ツイッター)は、140文字以内の「ツイート」と称される短文を投稿できる情報サービス[1]で、ツイッター社によって提供されている。「ミニブログ」[3][4] 「マイクロブログ」[5]といったカテゴリーに分類される。
サービス名の「twitter」は英語で「さえずり・興奮」「無駄話」、または「なじる人・嘲る人」の意味である[6]。ツイッターでの発言を指す「tweet」は「鳥のさえずり」の意味で、日本では「つぶやき」と意訳され定着している。』 ウィキペディアより
最初のツイートは「登録やっとおわる」、少し勉強してみよう。
ブログアーカイブ6年前2007年12月18日(ブログを始めた年)







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ゼロ戦燃ゆ

火曜日、雨 、終日。
ホームコートは屋内コート3面レッスン用として用意している。詳しくは分からないがしばらく前に雨漏りを意識的に作為したため、少し強い雨が降るとコート半分には雨漏りが発生して中止となる。今日の度合いではOKだと判断して昼からのレッスンに出かけてみたが、クラブハウスにはコーチが一人ガットマシーンの前に立っているだけで、誰一人見出すことができなかった。誰もいない屋内コートへ足を運んでみた。出来そうな雨粒だったが中止と発表したのだからいたしがたないと、コートを後にして久しぶり近くの図書館に車を走らせてみた。

やはり時々くるべきだと館内を一周しておもった。新しい情報や知識教養を吸収できる場所なのだ。

BSで録画していた「零戦燃ゆ」を見る。地元の新聞にもよわい90代の人たちの戦争体験記が連載されているが、それぞれの体験談が胸を打つ。それと照らせ合わせて見ていると、戦争の非情残酷さをあらためて思い起こした。

終戦の年は幼稚園だった。祖父母の田舎に帰り2反ばかりの畑のすみにあばら家を建て、畑の作物と母の父からの見よう見まねの写真でのときどきの現金収入、激貧の生活で近くの小学校へ入学したが、ランドセルなんて空想にもできなかった。もらった優良可とゴム印の押された通信簿は黒っぽいチリシのようなものだった。今取り出すと虫くい状態になっており、ふれるのもこわい。雪が降ると長靴を履いている生徒がうらやましくて仕方なかった。
あれを履いて雪の中を思い切り走ってみたいと・・・。





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熊壮会 年齢別でのてん末

月曜日、曇り 晴れ
今年最後の定期大会が運動公園で行われた。銀杏並木はすかっり裸となり冬を迎えんとしていた。
参加者男性73名、女性24名の97名。
年齢別に男子6パート女子2パートに分かれて年一回の年齢別はスタートした。70歳代のぼくたち12名はAコートの3番コートをメインにしての戦いがはじまった。

加齢のせいで今年は賞品ビールゲットの記憶はない。3位までの記憶はあるが3位から賞品出るようになると、3位の座を得ることもできない。年齢別70歳以上では可能性は高いと意気込んで運動公園に車を走らせていた。

初戦61 まずまず。2試合目はまさかのやばい相手に遭遇していた。その通りに13とリードを許してあきらめかけたが、初めて組んだパートナーが力を出しはじめた。失礼ながら軽んじていたのだ。33と追いつきぼくのサービス、キープすれば流れはこちらにくるのに、簡単に落としてヤバくなっていたがパートナーの活躍で64と逆転勝利。この勝利で1位の座はグーンと近づいたと正直思った。3試合目のパートナーとの勝利は間違いないと踏んでいたからだ。そしてその通り60でものにする。

この時点で3勝0敗、まちがっも3位までいや優勝だと、仲間の勝敗は考えもせずに、自分の皮算用だけしていたのだ。最後の4試合目はパートナーもそこそこだと思っていたが、相手のペアーに警戒心が芽生えていた。
一人は初戦61でのパートナー。大きなテニスでチャンスには一発でのショットを持つ。一人は2試合目に頑張ってもらったパートナーだった。

いきなり相手のサービスをキープして01。だがぼくのサービスを落として11。
あとは相手の攻撃にさらされて、もがけばもがくほどアリジゴクのさまだった。食い下がるも1ゲームも取れなかった。16での完敗。ぼくの2回のサービスをキープできていれば負けても2位につけていたのだと、最後の集計で判明していた。だがぼくは力を出し切っていたし、相手を認めざるを得なかった。26で3位、36で2位というきわどい勝負をしていたのだが。対戦相手の、初戦のパートナーが4勝0敗でウイナー、対戦相手の2試合目のパートナーが3位となっていた。出たのはため息だけ。この経験を次回につなげようと、前向きな人はコメントするんだよね。

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師走も折り返し点

日曜日、晴れ
程よい寒さの日々、コートでたまらない寒さにはまだ出くわしていない。昨年の皇帝ダリアは初旬にしおれたが今年はまだ大丈夫。

北では血の粛清が行われたらしが、にわかには信じられない。見方によっては、近代化から取り残され奇しくも生き残った貴重な国のできごと、そんなことがどこの国でも平然と行われていた時代があったことを思いだす。それにしても島国の日本はおんぶにだっこで泰平の夢をむさぼっているようにおもえる。
うちわももめしてずたずたの「みんなの党」は「僕の党」と改名したほうがよさそうだし、自民党はたかみの見物で、一党独裁のにおいがプンプンとしてきた。それにしても長たる者出所進退、さすがだと思わせるように最後はやってほしいと願う。inosesann.

さて。、今日はダブルス2セットと壁打ちで2時間ほどしてコートを後にした。壁打ち練習でバックの両手打ちを何とかしたい。



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ホームコートで

土曜日、曇り
11時コートへ。土曜日は日曜日に比べると少ないのでシングルスは可能だ。A氏とR氏が駐車場よこの1番コートでシングルスを戦っていた。
ぼくは壁打ちを試みていた。バックの両手打ちナダルのスイングを何度解読しょうとこころみたことか、うまくいかないのは右腕のパワー不足も原因の一つだが、スイングをまねしているつもりだが、意図するボールはとんでゆかない、それでまた元に戻る繰り返しをしてきたように思う。バックスイングでは背中の後ろにくるぐらい手首の甲側をせいいっぱい曲げて、下から上へと振り上げてフィニッシュではラケットを背中で担ぐように終わらせる。もちろんフットワークもだいじ、腰をおろして体の回転を利用して振り切るイメージだ。

セカンドを終えたA氏がやってきた。戦果ははかばかしくなかったようだ。シングルスを申し込むと二つ返事でOK。壁の隣にある6番コートで早速許可をもらってワンセットお願いした。いつもスロースタータのぼくは03になるところを12として一息ついた。13となったがブレークして23これが大きかった。33から 63と接戦をせいして何とか勝たせてもらうが、納得できるテニスではなかった。
それでなこの頃のシングルスの成績はまあまあといえよう。



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法事

木曜日、晴れ
今日はホームコートの忘年会、有志が街で行うのだが昨年同様今年も欠席、お酒ダメだからまあいいか。
朝から福岡へ、二人で車で出かけた。天気危ぶまれたが快晴となった義母の17回忌
帰り大宰府の知人の局で年賀はがきを購入して帰途につく。

11月末でのJOPランキングが携帯にはいっていた。
シングルス何もせづ一つ上がる。ダブルスは同じ
75歳が適用される1月のランキングが楽しみだ。
来年はと仲間から期待の声をかけてくれて、その気になった時もあったが今は冷静だ。冬に行われる四国、中国のDの大会に色気をだしたが、冷静に考えるとだんだん冷めてきた。昨年と同じように2月の福岡ベテランから4月の九州毎日へ行こうと思っている。その後は結果次第で少しじたばたするかもしれないが、その結果がぼくの限界かもしれないと思うのだ。それから北九州選手権に行って、75が成立しなければパス。九州選手権と関東選手権を天秤にかけ、もう一つどこかの大会に出ようとそんなつもりでいる。

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カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 22:40 | コメントをどうぞ

苦節うんじゅう年

日曜日、晴れ
師走になって小春日和多し。それもあってコートにはできるだけチャリで行く。2台のチャリをそれなりに使い分けて。
昨夜A氏からメールあり、明日9時からの誘い、互いにほろ苦い思い出をつくった先月中旬の県シングルス以来のお手合わせ、待ってましたで返信した。「運動公園ではO氏をやっつけてほしかった。明朝OKです。・・・」
ホームコートでは強いA氏への激励もこめていた。

今日はすぐにコートがいっぱいになり、シングルスのやりにくい環境の中、早朝のエンジンがかかりにくいぼくは14と一方的にリードされていた。早く終わりたい、仲間の二人も待っているしと、よからぬことを考えていると24、はやくやっつけてくれとやっていると、ずるずると長引きだし、44 54とリードしてしまった。
早くコートを空けたいという気持ちはなくなり必至でやっていた。55で9時半過ぎた頃にスタッフの女性から声が掛った。65になったところで中止する。

しばらく休んでいるとスタッフの女性が来てコートが空きましたからと言うので、二人でもいいですかというと30分なら良いという、そこでA氏に声をかけて2セット目をやり始めた。
出だしは相変わらずダメで02とリードされて03となるところを12にして、ほっとした。長いラリー、厳しい場面も随所にあったが、今日はぼくの日だった。63と勝たせてもらった。
近々リベンジのメールが届くに違いない。

今日がその日だとみんなが思っていた宮里優作。だがひやひやして見ていた。17のロングホールで前の組の選手がバーデイ取れば並ばれる。並ばれが宮里優作にプレッシャーがかかるはず。何度も優勝のチャンスを逃している。だが、その選手はバーデイパットにひつように時間をかけていた。外してパーで1打差は保たれた。
その17番ホールで優作はバーデイで2打差。相手は最終18番パースリーでボギーを打ち3打差。
ひとホールを残しての3打差、優勝は間違いないと誰もが思うが、10年余り優勝から見放された男には、言い知れぬプレッシャーあったに違いない。

200ヤード余のパースリー、優作の放ったボールは急傾斜のグリーン奥のラフの境目に止まった。簡単そうで簡単には見えなかった。急傾斜のグリーンは何かが起こりそうな気がした。そこから放ったボールは勢い余ってグリーンを駆け抜けてラフまで転がり落ちた。そこから3打で優勝、だからほぼ優勝間違いないと考えたが、ゲタを履くまで勝負事はわからない。ボギーを狙わない方がと優勝させたい解説者は言っている。
ちょっと大きいと思えた3打目のショットはなんとチップインパーとした。優作は両手をあげて歓喜の雄叫び、グリーンの土手に背を曲げて顔を覆った。キャデーが抱き着き喜びを分かち合い、涙にむせんでいた。その瞬間のグレーン周りにも歓喜と涙があふれていた。愛妻と子供たち、妹の宮里あい、そして両親、そこにはただただ涙にあふれたシーンが繰り広げられていた。

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