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紅ークレナイー

金曜日 雨

「紅ークレナイー」
  登場人物
       向日 椿(歌う人形)
       氷差 朝顔 

 路上で一人歌いはじめて、どのくらいの月日が流れただろうか。暗く、社会と隔てられたこの路地裏には、今日も日が当たることはない。
 そんな場所で私「向日椿」は今日も歌い続ける。
 ついたあだ名は「歌う人形」。誰がつけたかは知らない。ただそのあだ名が皮肉以外の何でもないことにはかわりない。
 この路地裏で歌いはじめて色々な人間を見た。体の一部が欠けた者。心の一部が欠けた者。最早、何もないやつもいた。
 でも、あいつは違った。
 あいつは急に現れた。それは、偶然なんかではなく、生まれる前から分かっていたような、不思議な感覚だった。
 その日は今年一番といわれたくらいに寒い日で、そいつも、真っ白なマフラーを首に巻いていた。
「貴女が歌う人形?」
 そいつは準備をしていた私の後ろに立っていた。
 とろけるくらいに甘い笑顔で立っていた。吐く息のように肌が白い少年だった。
「…そうよ、何?」
 そう私が応えるとそいつは嬉しそうに言った。
「やったっ!会いたかったぁっ」
 正直、新鮮だった。こんなに感情を露にする人間を、久しぶりに見たから。
「今日ずっと聞いてて良いですか?」
「…勝手にすれば」
 心から喜んでいると言わんばかりに、そいつはその場でぴょんぴょん跳ねた。
「ありがとうっ」
 最後にそいつは、私の手を強引にとってぶんぶんと振った。
 忙しい奴だ。見ているだけでクラクラする。
「ふふっ」
 私が無意識に綻んだ自分の表情に気づく事はなかった。
 私が歌い始めると、そいつは近くの壁に寄りかかって目を閉じた。
 少したつとここいらへんの住民が私の歌を聴きに来た。住民たちは、見かけないそいつをチラチラと見ていたが、無害だとわかり気にしなくなった。日が暮れてきたころ、そいつはやっと目を開けた。
「今日は終わり?」
「そうね、今日は何か疲れたわ。あんた、家は在るの?」
そいつは考える素振りを見せて言った。
「今んとこないかな、適当に探すよ」
 少し汚れてはいるが、身なりはいいから、家でしてきたとかそんなんだろう。
「お前、名前は?」
「…っと、朝顔。氷差朝顔」
「じゃあ、朝顔。うちに泊まる?」
「え?」
 目を見開いて私を見る朝顔は、本当の子供見たいで可愛らしかった。
 私には子供がいた、葵という男の子が。
「いいの?やったぁ!」
 葵もちゃんと育てばこのくらいの年齢なんだろうなと、朝顔の頭を撫でた。生きてるかどうかもわからない息子。無表情で笑わない奴だった。
 あの頃の若い私はそんな自分の異様に大人びた子供を気味悪がり、友人の研究所に売り払った。今では後悔しか残らない。無表情でも、笑わなくても、たった一人の血の繋がった息子だったのに。葵は私を恨んでいるだろうか。いや、恨んでいるだろう。それでいい、私は恨まれて当然のことをした。
 無言で朝顔をつれて帰宅した。今にも崩れそうなアパートだ。 
「さびれたところだが、自分の家だと思って寛いでくれ」
「はい」
 またニコッと笑う朝顔は輝いて見えた。
 お茶を淹れようとしたところ、不意にインターホンがなった。
「はい!」
 こんなアパートを訪ねてくる人間は初めてだ。
 なんて、思いながらドアノブにてをかけようとした瞬間
「出ないで!」
と、朝顔が大きな声をあげた。すると、ドアの向こうで音がした。ギシギシとなる廊下を走っていく音の様だった。
「え?なに?」
「つけられてたかな…、油断した」
「どういうことよ、朝顔。あの足音はなに?」
「ごめん、後で説明する!」
 そういった頃には、朝顔はベランダから飛び降りていた。
「えっ?嘘…」
 私がベランダから顔を出した頃にはもう朝顔の姿は遠くなっていた。
 ヤバいかもしれない。特に確証があるわけではないが、この裏側の社会で身に付いた直感が悲鳴をあげていた。ベランダから躊躇なく飛び降りる朝顔といい、不気味な足跡といい、おかしなことが多すぎる。知らないうちに、変なことに巻き込まれているのかもしれない。
「よしっ」
自分の顔を強く叩き、気合いをいれると、手ぶらで家を飛び出した。とりあえず、朝顔を追ってみることしか私には出来ない。
 なにかわかるかもしれないしね。それに朝顔を放っておけない。
 朝顔は確か、あっちの方向に走っていった筈だ。でも、あの足音の持ち主を追ったのなら、足音も真っ直ぐ逃げたりはしないだろう。だからこの方向の直線上に朝顔がいるとは限らない…
「どこいったのよ…」
息も切れてきて、私は一度立ち止まった。右も左も人の気配は見当たらない。
 そのとき、路地裏の方から音がした。軽い靴の音と、悲鳴のようなものが聞こえる。
「こっちか…っ」
 暗い路地裏を走り、音のした方へと近づくと殴り合うような新しい音も聴こえてきた。
「朝顔!」
そして目に飛び込んできたのは、虐待されている朝顔と顔を腫らした黒ずくめの男たちだった。
「椿さん…、何で来ちゃったんですか」
血の混じった様な声で朝顔が私を絡める。
「何でって…、何でだろう?」
 なにも考えず走ってきてしまったので、自分にも今一分からなかった。
「もう、あなたって人は…」
 朝顔は細い首を絞められながらも、呆れたように溜め息をし、真っ正面から私を見つめた。
「そこから、動かないでくださいよ。椿さん」
「え…」
 そういえば、何で私の名前を知っているの?と聞く前に、朝顔は動いた。
 朝顔は細い体躯を器用に扱い、物の数秒で男たちを地面にひれ伏させてしまった。
「朝顔…」
「椿さん」
 振り返った朝顔が言った。
「あなたは自分の息子のことを覚えていますか?」
「何を急に」
 私は適当に茶化そうとした、が、朝顔の真剣な顔を見てそうもしていられなくなった。
「実の息子を忘れるやつがいるかしら」
 私がそう答えると、朝顔はとても嬉しそうに笑った。
「良かった、これで本当の名前をあなたに教えられる」
 朝顔はその場で、クルリと舞った。
 すると、全体的に白かった朝顔が黒く染まった。雰囲気が代わったのだ。
 でも、不思議と怖いとは思わなかった。寧ろ、懐かしいような気がした。
「朝顔?」
「それは偽名です。俺の名前は向日葵。今は大神仁と名乗っています」
 大神…、息子を売った友人の名前だ。
「そう…、葵。あんただったんだね」
「ええ」
 それだけ言うと葵は背中を向けてしまう。
 私はそんな息子に話しかけた。
「ねぇ、葵。私のこと恨んで…」
「俺は今、幸せです」
 私の言葉を最後まで聞かず、葵が振り返り言った。
『あなたの息子はここに居ますよ。母さん

 それだけ言うと、葵…仁は黒ずくめの男たちを連れて闇に消えてしまった。
「ははっ」
 口許から自然と乾いた笑いが零れた。それに反比例するように雨が降り始めた。

~後日談~
 ふてぶてしい息子と再開してから1ヶ月ほどたった。
 あのあと、私は自分の情報網を駆使して様々なことを調べた。
 主にあの、黒ずくめの男たちについて。
 まぁ、情報網というのは…
プルルルルルルルルルッ
『はい、もしもし?』
「あっ、大神?おひさー。椿だよ」
『えっ?椿?久しぶりだねー』
 息子を売った友人だ。
『葵を、椿のところに寄越しただろって?違う違う、今は大神仁だって…。ああ、どうでもいい?いやいや、あのね。僕だって仁を行かせる気はなかったよ。でも仁がどうしてもって言うから。あ、あの黒ずくめ?あれはもともと仁を狙ってたんだよ。いわば世界の刺客というか、うんうん。そう、親を人質に取ってしまえっていう考えだったらしいよ。考え方がかたいよねー…」
ガチャッ
 そーゆーことか。
 相変わらずギシギシいう、床に寝転がり、携帯電話を放った。
 自分の尻拭いに親を使いやがったのか、あのバカ息子は。
「でも…」
 私の目にはあの笑顔が焼き付いていた。
『あなたの息子はここにいます』
「…ここにいるの?葵」
 振り返りざまのあのキラキラした笑顔に私は救われた。
「なんて、思ってたまるか!」
 腹筋だけで起き上がって怒鳴ると、ドアの向こうで物音がした。
「なんだろ」
 四つん這いになってドアを開けるとそこには、朝顔の苗と椿の苗が入り交じった1つの上木鉢が置かれていた。
「洒落たことを…ん?」
 上木鉢の影に沢山の写真が落ちていた。
「なにこれ…」
 その写真に写っていたのは歌う人形と呼ばれていた頃の私の写真だった。
「ほんっと、腹立つわぁっっ!」
 苛立ちにまかせて上木鉢も投げ捨ててやろうかと思ったがやめた。
 私の見た氷差朝顔と息子の向日葵と友人の養子(?)の大神仁は同じ人であることを、ふと思い出してしまったからだ。
「ふんっ、今回はこの華に免じて許してやるわ」
 すると物陰からクスクスと笑い声が聴こえた気がしたが、私の気のせいだろう。

2015年 14歳kirin
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カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 19:00 | コメントをどうぞ