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ナガキヤスヒロ

ナガキヤスヒロ の紹介

フリーのテニスコーチをしています。テニスにこだわること数十年。。。こだわりが強くて周りに引かれることも多いくらいですが、コーチとしてはアリかと。 こだわりはあるけど発表できない世の中ではダメだ!と思いブログを再開します。 以前のブログ=「身辺テニス情報」 オタク万歳!!

二人のマルチナ・間にシュテフィ

彼女らが現役のころには、こういった「ふたりの~」って形容されて記事になっていた気がします。

マルチナ・ナブラチロワとマルチナ・ヒンギス

有名な話ですが、ヒンギスの名前はナブラチロワのように活躍してほしいと願ってつけられたとか。前者は苦労と努力の人。後者はジュニア時代から輝いた天才少女(ベテランの年齢になってもダブルスでスーパーウーマンでしたから、少女、っていう形容もどうかと思いますが)でした。

 

ここのところ、昔のテニスの試合も含めて動画をよく見ています。マッケンロー対レーバー、アッシュ対コナーズ、ボルグ対ビラス・・・レンドルも若かった。ゲルライティスやノアのプレーも見たかったやつでした。ここに書いてある時代の人たちは、私がテニスを始めた85年には引退していた選手も半分いましたから、リアルで見れていない選手もいます。YouTubeさまさまですよね。

 

そんななかで、女子の試合で「うわっこれ見たい!」ってなったのは、ナブラチロワ対グラフ。ポイント間の映像を詰めた、ほとんどのポイントを残してくれているものでした。89年?だかの全米決勝。ちょっと見て止めちゃう動画もじつは結構あったりするんですが、これは惹きつけられました。面白かった。

スコアから言えば、フルセットでグラフの勝ち。だけど1セット目のナブラチロワの出来はすごかった。当時見ていたはず、っていう試合だったんですけど、さすがに30年前って忘れてるもんですね(笑)。

ナブラチロワの出来は半端なくよかった。それをじりじりと追い詰めて逆転したグラフは、まだ18か19歳。その強烈なフォアハンドも、強いバックハンドスライスも、みていて戦略的な全くスキのないラリー。サービスキープがとても強く、それが徐々にナブラチロワへのプレッシャーになっていくようでした。最近の男子の試合にも数多くありますが、これも全ポイント目を離せないレベルの高さでした。技術の精密さ、ここぞというときのブレない、逃げない精神力、そしてなんていうんだろ、相手選手へのリスペクトのように感じる洞察力。読みも狂わない。こういう動画で、実際のプレー以外の時間の使い方も見る方が断然面白いんですが、キーポイントになるポイントってこれかなぁっていうのが記憶に残るのもこういう動画の特徴っていうか、いいところ。

グラフのバックハンドの、思い切ったドライブのパスが数本、ストレートにアングルにと、ナブラチロワの想像を超えた精度でコートに刺さります。重要なポイントだったと本人も記憶に残ったんじゃないかな!ってこっちで勝手に想像しちゃうくらい象徴的なプレーもいくつもありました。

 

グラフの22回のGS優勝歴を見ると、87年ころから再三にわたって対決が見られます。89年ころには、ナブラチロワの全盛期は終わっていて、だけど風格とプレーの特性でまだ強さは十分。グラフはメジャータイトルを取る自信に満ち溢れていて、オリンピックまでも取ったゴールデンスラムの88年の後。乗りに乗っている時期でした。

グラフの覇権は長く、それでもライバルは林立してきます。セレス、伊達、ダベンポート、サバティーニ、ノボトナ・・・そしてヒンギスやウイリアムズ姉妹が。

このころは女子のほうがテニスは人気があった。なので女子テニスの賞金額を男子と同等に、という運動もおこり、今日では同額ですが、このころの観客動員や視聴率で言えば、それを言って当然、という時代でした。

男子はレンドル以降、サンプラスの二つ目のGSタイトルまではっきりしたチャンピオンがおらず、アガシでさえも念願のビッグタイトルまで相当の時間を要していました。ウインブルドンはサーブとリターンでほとんどプレーが決まってしまう、見ているとつまらなくさえ感じてしまう展開、逆にフレンチではこの時期にだけポイントを稼げる南米か欧州の選手のクレーコートスペシャリストが席巻し、知っていればそれぞれが楽しめるけどひいきの選手を特定しにくい感じでした。テレビ放送が今ほど充実していないせいでもあり、全米や全豪は大きなアップセットもあり内容の面白い試合があっても準決勝までは放映がなかったり(フレンチは12チャンで見れたから大丈夫だった)、番狂わせがあるから放送が始まる頃に「誰これ?」っていう選手だったりして見なかったりしてて、女子のほうがおもしろかったんです。

女子はそんなわけでナブラチロワからグラフに世代交代がはっきりだれの目でもわかるようでもあり、そのグラフの時代にセレスがすい星のように現れますがあの事件で2年ほどツアーから離れ、そして復帰してまたトップに出ますがグラフも巻き返します。そして15歳でプロとしてツアーに参加していたヒンギスが。

個人的な・・・超個人的な思いです・・・私はヒンギスのテニスは女子テニスを面白く連れていくと思っていましたが、すぐ後に現れたウイリアムズ姉妹のテニスがこれをつまらなくしてしまったと思っています。ちょうど、90年代前後の男子テニスが面白くなくなったと感じたように一発のパワーショットで相手を崩せれば、あとはやすやすとフリーボールのようにポイントが取れる、みたいなテニス。

ヒンギス対グラフは、初対戦のフレンチでしょうか。ヒンギスの不遜な態度といい、それでも笑顔でポイントに向かっていくポジティブさは今になってみればすごいことだと思います。審判にクレームをつけて客席からブーイングも来ている中、周囲を気にせずネットの向こうのグラフだけを敵としてロックオンしていたように思います。それでも高校生になったばかり暗いの年齢の少女が、怖くなりそうな気持を殺して笑顔を作っていたと思うと。。。

この二人の戦いはまさに総力戦。将棋で言えばすべての駒をフルに使ってどこで拮抗を崩すか、というほどの拮抗。メンタルが技術を支え、技術がメンタルの基になっています。体力も十分でなければそういう状態に人体はならない。見ているこっちが緊張してしまうせいか、ヒンギスの笑顔の裏に震えて足がすくむような思いが透けて見えてしまうような気がするほどでした。

この試合もグラフが勝ちます。

だけど、対戦相手がいないとこんなにグラフが光らないし、ナブラチロワにしてもヒンギスにしても強烈な印象を残しました。

あ、ちなみに私グラフ相当好きです(笑)。

グラフもファンに愛されたチャンピオンでしたねー。フェデラーほどじゃないけど、観客席が味方になるっていうシーンが本当に多かった。それというのも二人のマルチナのように、対戦相手が本当に強くて、さしものグラフでも今回はどうか…っていうところをしっかり乗り切る素晴らしい内容の試合を見せてくれるから。

また今日も何かの動画を見たいと思います。WOWOWもオンデマンドで名勝負が見れるし、なににしようかな!

カテゴリー: プロ選手オタク | 投稿者ナガキヤスヒロ 08:19 | コメントをどうぞ

ちょっと振り返ってみる

自分は一個の人間で、毎日何をやってどう考えているかを把握しているのは、自分だから自分のことを一番わかっている…はずだと思います。

だけど、自分のことって自分の見ている面からしか見ていないってことを考えれば、わかっているようでわかっていない、というのも自分なのかなと思います。

中学生くらいのころに、だいぶ一人で考えるオタクで、人生観みたいなこととか、死生観みたいなこととか、子供っぽかっただろうけど、そのころにずいぶんいろんなことを考えていたような気がします。

以前に武田鉄矢さんのラジオ番組で、「人間は13歳までにいちどは『死』と向き合う。そこを乗り越えられないでいる子は自殺してしまうこともしばしばある」と書いてある本を読んだ、ということを聞いて、自分もそのくらい若いころに、必死に自分が死んだらどうなるのか、死ぬってどういうことなのか、全く現実的でないながらもそこにきちんと恐怖を抱けるくらいに悩んだと思います。

 

 

書いていったらものっすごく重たいテーマな感じになってしまいましたが、自分のことを自分で分かっているつもりで、考え方にはもうぶれなくてもいいくらい自分なりにですけど勉強してきたつもりです。勉強はもちろん続いていくんでしょうが、あっちを広いこっちで悩み、自分の進む方向についてはもう悩まないとは思います。

それが40代のころに出来上がったので、40代は「不惑」といいますが、そういう時代でもあったのかなと。

 

 

そこでまた話題が飛ぶわけなんですが、このCOVID-19のウイルス感染防止の時期に、自分としては自宅で撮れるなら動画を撮ってYouTubeのコンテンツを増やしていこうと思っていたんです。だけどなぜか撮れなかった。正確にはいくつかのクリップを撮ったんですが、なんか投稿するどころか、撮ったものを見返す気にすらならないほど、テンションが上がらなかったんです。

 

言いたいことがなくなっちゃったのか、ネタが尽きたのか?って自分で自問してみたりしたんです。

過去の動画をみてみる、ということにやっと気づきまして、見返してみております。

楽しそうにもやってるし、必要なことを言えているようなかんじもします。テーマも対象も最近よりもはっきりしていたような気がするなぁ、って思ってしまいました。

動画の中の自分も自分なんだし、今それを見ているのも自分なんですが、なんか中身が違う人みたいな?それで過去の動画を撮っているときの自分の記憶もあるわけでして。

でこれ面白い(興味深いのほう)なぁって思ったわけです。もしかしたらそのころの気分とか考え方に戻れるのかも。

というわけで、いくつか撮ってあるクリップはあったんですが、やっぱりあいつらはボツ。

だけどモチベーションを少しそこからもらって、また動画を撮ってみたいと思います。

 

ちゃんと蟄居してるんですが、家の中でできることを増やしていってみたりして心の健康を保つことはできてると思ってましたが、もしかしたらこれに気づかないうちに病み始めていたのかもしれませんね。。。

 

前向きに前向きに。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 19:17 | コメントをどうぞ

お休みにはしない

スクールも休校、コートも閉鎖・・・仕事がありません。

最初の日、やることがなくなった気分で、「休み」にしました。

フリーになってから、「休みの日」は設定してこなかったので、朝から雨の日とか、祝日でコートが空いていない、スクールに行かない日とかに休めていたので、丸一日ってなるのは年に数回かもしれないけど、半日開いちゃったりとかして休みになっちゃう日はそこそこある生活でした。

そういう日って、男の人って「何もしない」みたいな感じになりませんか?

私はなんとなく疲れを取るつもりでソファーとベッドを移動する程度の怠惰な生活になっちゃいがちなんです。その際にパソコンで作業したりはしますけど、家のために何かしたりとかはしない。一人暮らしの時もそうだったような気がします。

それが、今回は自宅にいる、ということが求められていることになったので、次の日にはこれを改めないといかんのだろうなってことは、初日に思ったわけです。

奥さんはパート先が休みにならない業種なので、仕事に出ます。私と、今年から社会人になるはずだった次男が家にいるわけですが、二人でできるだけ家のことやろうぜ、っていうことにしました。

普段から拭き掃除なんかなかなかやらないですけど、うちの床は無垢材の赤松で、通夜とかがないのでワックスもしないもの。だから掃除機でほこりをとったら、拭き掃除もできた方が理想的なんです。んでそれをずいぶん普段はやっていなかったものだから、台所とか、洗面所に向かう廊下とかは、料理の油とか、裸足で歩く脂?とかがついて黒っぽく変色しつつありました。膝をついてこすりまくる。

昨年の台風被害で庭のコニファーも倒れましたが、その前から風化していた木製の物置小屋はほぼ倒壊した状態に。これも解体して処分。相当な量の木材が出るもんなんですね。

それと、我が家ではほとんどだれもしない洗車。2台分をフルコースで水洗いしてからシャンプーして、ガラスの油膜とってボディをワックスがけ。最後にガラコして5時間かかりました。あ、1台5時間ね。なぜか車は一人でやってました。

息子は調理師のタマゴ?なはずなので、奥さんが仕事に行く日は晩御飯担当してもらいます。「お父さんも何かやるの?」なにもできません(笑)。

一人暮らしの時は自炊してましたが、5種類くらいのレパートリーをローテーションするだけの食生活でしたし、自分の空腹を満たせればそれでオッケーみたいな食事だったので、家族とはいえとても食わせられたもんじゃない(笑)

そうこうしているうちに、コートが使える民間のコートで細々とレッスンが入るようになってきました。在宅のバイトもやろうと思ったけど落ちちゃったみたいだし、もう一度探す前に今週はやることが少しずつ舞い込んでくるようになってきました。

自分のホームページ作るのに、息子の脳みそも借りてみるかなぁ。。。

何事もトライ&エラー。やらないでいることもないですもんね!

もっと発信しようと思います!

 

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 07:41 | コメントをどうぞ

蟄居中

政府からの緊急事態宣言がでた6日、スクールが今月いっぱいの休校を発表しました。

プライベートレッスンをさせていただいているコートも、先月末から閉鎖になっていることがあり、ほぼ失業中、という事態になりました。我が家も緊急事態宣言・・・

在宅でできるアルバイトも探してみましたが、文章をつくる仕事はどうやら落ちたようです。ここまでブログとかで培ってきた文章力は…ただ手前勝手に書いている文章なので訴求力が内容でした(笑)

でもこの場でまた書いちゃうわけですね(笑)

 

さて、もう家に閉じこもって4日経ちまして、最初の日だけ、「いつもの休日」みたいにしていました。始めたことといえば、朝ご飯の後と、夕ご飯がこなれた後に、近所をすこーしだけ走ること。これすらやらないと、マジで何も運動していないことになります。そう考えたらすごい怖くなって、ちょっとでもいいから走ったり縄跳びしたりしようと。

初日走ったら、筋肉痛、っていうか脚の筋肉がビーフジャーキーみたいに固くっていうか渋く?なって、「やっぱ年だし、なまってるのもあるなぁ」と痛感しました。1キロくらいしか走っていないし、なんならその1キロに10分近くかけてる。

膝とかに負担がかかって、あとになって後悔するような急な運動は避けようっていう(毎日テニスしてたのに)配慮?みたいな?故障しちゃって戻るのに時間がかかるようなのはもう嫌ですからね。

でも4日続けたら、筋肉痛は取れてきたし、走っているときになんていうか、腰が落ち着いた?ような感じにもなってきました。走る時間を延ばせるようにすることと、あとは坂道ダッシュみたいなことで、少し負荷を強くしたランニングにもチャレンジしてみたいと思います。

 

息子(次男)を連れて市役所に行ったり、車を買うときにお世話になったお店でオイル交換に行ったり、一日一回だけ外出する用事ができたりします。ランニングも含めて、他の人と接近することもほぼないようにできているので、大丈夫だよね、って確認しながら生きています。もちろん帰ってきてからの手洗い、うがい、消毒は欠かせません。

それと、家の周りがすごいことになっているので、これも草取りから、倒壊してしまった物置とかの処分に、毎日少しずつやっています。

 

家の中にいてする作業もそこそこありますが、一日一回、少しの時間ですが、きれいにする作業と、朝でもなかなか起きてこない次男くんの生活改善にもなるようにこの1か月足らずの間を過ごしたいと思います。

家もきれいになるし、晩御飯作ってみたり、普段やらないことって楽しめる間に楽しい!って思ってしまえばこっちの勝ちですよね!

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 06:21 | コメントをどうぞ

自粛中

コロナ禍・・・最初は、甘く見ていたと言わざるを得ません。

身近なところに感染者のニュースがないこと(知り合いで罹患したとか聞かない)ことや、なんとなく感染しても「医者にかかって治療をうければ」とか、とにかく「何とかなるだろう」って気分でいたことは事実、認めます。

なにしろ見えない敵。テレビなどのニュースで取り上げられる内容と、自分の周りに起こっている事実とのギャップなどがそうさせていたんでしょうか。

最低限、手洗い・うがいはするようにしていましたが、意識して「やっておかなきゃ」くらいでしたから、ただやっているだけだった。

今週末、はじめて都や県からの外出自粛要請によって、コートが閉鎖になったり、スクールも営業自粛となりましたが、そういう外的な要因がなくとも、自分からキャンセルしていたと思います。あ、スクールは仕事だから行かなきゃ、ってなっていたと思いますが。

なにしろ国外の状況がひどい。でも国外だから、って傍観を決めようとしてもいられません。少し先の我が国、我々の地域にも起こりうること。

国は緊急事態宣言を出していないのですが、もしもそんな意識が低い状態で、日本の宣言は法的な強制力はない、ということを知ってしまっていたとしたら、やはり事態は収拾がつかなくなっていたんではないでしょうか。

日曜日のイベントは、自粛でなくとも雨とかでキャンセルになり、今週は自粛となりましたが何しろほとんどできていません。

こんな時はどうする?アルバイトでも探さないと収入が。。。家計も切迫した感じにもなっています。

アルバイトは在宅でもできそうなものがあればマジで探そうと思っています。この環境下、お店も開かないでしょうし、人件費を増やせるところもすくないかも。感染リスクは上げたくないし。。。

あとは、やはり自己実現ができていないことにきちんと向き合わないと。

YouTubeチャンネルも不定期だし、ブログは半休状態だし、そのほかのSNSも、アカウントはあるけど利用していない。

これらのものは「有名になっておかなきゃなにもできない」ようなことを勉強してきたので、名前を広く知られたいとおもって始めています。そこから仕事が増えたりすることでこの自営業が回ると考えて始めたはず。

ホームページ、挑戦してはいるんですけど、簡単なものはできたとしても、たとえばブログや、動画などのリンクを貼って、かつ見やすく、それと私の「主張のはっきりしない」多様な問題に取り組んできたことを、どうやって「なにかないかな」的な探し方をする人にアピールできるようなものにするか、自分の中を整理することも、また具体的に画面をどうデザインするのかもわからずに進んでいませんでした。

 

いまや問題点を書き連ねられる程度にはなっているんですが、まだ自分でそれを克服するに至っていません。だけどこれらを一つにまとめるサイトを作ることで、一定の効果はあると思いますし、大きくはないけど自分でも案内はしやすくなると思っています。

それと、この期間だけでも不定期なものを、不定期ながらも頻度を上げれば、あるていどの流れ・・・自分の仕事のルーティン化はできていくんじゃないかと。

これを書いているのもノートパソコンで、使いやすくなったし、動画を撮るにしてもコートに行けないので自室で撮ることになりそうです。そのぶんアップをしやすくもなると思う。

これを書いたことで自分なりに宣言したつもり。今日はスクールがあって朝から出るのですが、明日も午前は仕事がないので、そういった時間をうまく使わなくては。

仕事ができなくて社会から外れたような私ですが、そうだからと言ってただただ甘んじて暇になっていくのは良しとは思えないのです。

 

コロナ禍に関しては、いまは自分がキャリアであると認識しているつもりで移さないための行動、とイメージしていきたいと思います。移らないことも移さないことも、結局は同じことを要求されるわけですが、自分から移さない、って思うとやはり意識が上がると思います。

 

 

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 07:06 | コメントをどうぞ

スランプ脱出のきざし

肩を、痛めていて、棘上筋という肩のインナーの筋肉を切ってしまっています。

内視鏡手術をすることで、復活させられるというか、切れたものを引っ張ってきて縫合しなおす、という術式があるらしいのですが、痛みはなくなるかというとそうでもなく、腕を健常の状態まで上げられるようにもならない、と先輩がたから聞いていることもあってその治療は受けずに放置というか、保存することにしています。

・・・とはいえ、もう3年になります。

バックハンドを振りぬいた際に肩がブチって言った感じと同時に激痛と腕に力が入らない感じになりました。ショックで翌日も動かすのがちょっと怖い感じではありましたが、なんとなく両手打ちでバックハンドを打つ真似事をしてみたり、サーブは打たないことにしてみたりしていました。

しかし数日でバックハンドは片手になり、サーブはワインドアップをしておいてからなら打てることがわかり、その形からの効率よくパワーを伝える方法・・・サーブだけにある理想の打ち方というかインパクトに向かっての研究などが始まりました。

2018年の12月に、ラケットをダンロップのCX200にし、その直後に納得のいくインパクトができるような感覚がついてきた、と思ったところでさらに切れちゃったような日があり、それっきりサーブはどんどん打てなくなってきました。

腕を上げて、手を頭の後ろに持っていくときに痛くて力が抜けてしまう。その時間を何本か、ゆっくり慣らしていくと、一日10本くらいまでなら、翌日の痛みがひどくならない程度に使えることがわかり、デモンストレーション用にだけサーブを打つような毎日に。

同時にフォアハンドも。スイングをスタートさせて、ヘッドが後ろに残る、ラグの時間に腕をサーブでいたい時と同じ方向へひねるとやはり痛い。

腕を上げずに低い打点に合わせられればそうそう痛くはなく、なぜか元凶となったバックハンドだけは自由に打てていました。

そんな中、YouTubeのチャンネルをはじめ、視聴者さんに受けそうなのはサーブとフォアかな、というあたりをつけていたことと、一人で撮影して、球出しをしてもらったり、ラリーの相手をしてもらう、という「誰か」を必要としないという意味でもサーブを最初にする必要があると思っていました。

病院に通いながら腱板断裂であることの確認ができた程度なのと(手術する気もないと伝えていたし、2年もたってすでに無理だったっぽい)、痛み止めを処方してもらったことで、プレーの1~2時間前に服んでおくと肩が回せることで、この後サーブなんかどんどん打てなくなるかも、という恐怖感もあり、シリーズ化してどんどん撮影することができました。視聴者さんからの反応も良く、初めての編集も面白くなってきて、ペースも上がるようになって来たりしましたが、普段はサーブとフォアで痛みがあるような毎日でした。

 

フォアハンドはその第二次の痛くなった日あたりまではすごく自由に打てていた感じがしたんですが、そのころを境になんだかどうやってボール軌道の予測をして打っていたのかを思い出すのが大変な感じになるまで落ちていってしまいました。

体が覚えていてくれている型があるので、だれも周りの人たちは気づきませんでしたが、返球がどんどん怪しくなってくるので、「アイツ下手になってきたなぁ」って思われていたかもしれません。

どうにかならないものかといろいろ悩みましたが、トレーニングボール(2㎏の砂入り?ボール)を右手で挙上して、ちょうど痛みの出る場所があるんですが、そこをゴリゴリゆっくり動かして、またサーブなどで使うひねる動きをしてみて、5分程度上げたり下げたり回したりするようにして、自分のイメージでは、関節の骨が当たるような感じの痛みを、ゴリゴリやって削り取って丸くしたような感じでやり続けたら、なぜかイメージ通り痛みが消えてきたんです。

それがちょうどこないだの12月。痛みをごまかして崩れていったフォームを何とか元に戻せないかの挑戦と、おかしくなったフォアハンドとどう向き合うか、ラケット変えようかなとかも含めていろいろと考えながらやってきました。

ラケットの件もまたいろいろ悩ましいんですが、フォアハンドは今日になって久々の復調の兆しが出てきたので、喜びのあまりこうしてブログ書いています。

まだ、「あれ、ボールってこんな風に見えてたっけ?」っていうのを思い出しちゃったくらいの段階なので、速い球の相手、遅い球の相手、不安定なバウンドのコートなどに対応がいいかどうか、自分の今日感じた目線のイメージをもとに、調子が良かったころの調子の上がる打点をもう一度確立したいと思います。

楽で、当たり負けなくて、コントロールがよく、威力も上がります。自分で見つけた理想のすぐ近くまで来ていたのに、いちど逃げられましたから、今度も何とかそのくらいの感覚が身につくまでやってみたいと思います。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 23:36 | コメントをどうぞ

スプリットステップと軸足

もう10年近く前のことですが、プライベートレッスンをやるようになって、問い合わせのメールが来たことから始まったものが、「スプリットステップをきちんと教わりたい」というものでした。そのことはよく覚えています。

さて、この時の生徒さんにかぎらず、スプリットステップがうまく使えていない人って結構見かけますよね。

ダブルスでセンターを抜かれやすい人、あなたです(笑)。

おもにネット前で横を抜かれないように反応をよくするときにフィーチャーされますが、どこの状況であってもスプリットステップはあるべきだと思います。

 

さて、ここで「自分に当てはまるな」と思った方に課題です。

「高速ステップ」をその場でどのくらい速くできますか?1秒間でいいです。

足音がマシンガンのように「ダラララララ」的な感じで。3~5回いけますか?

相手がどっちに打つかわからないときに、これをやってみてください。どっちにでも行けます。

あ、もちろんアレですよ、どっちかにダッシュするイメージを先に持たないといけないです。

重心を下げながらも足が高速で動いて上半身を浮かしてる感じ?表現あってる?

足が回転

これを止まってる位置でやる。

重心が高いと身体が揺れて早くできなくなると思います。

で、相手がどっち打ったか分かった瞬間に移動につながるイメージを。重心が下がっていれば苦労はしません。重心が下がってるってことは足が地面をとらえやすく、力を入れればその方向にスパッと切れ味鋭くスタートできる。

これ、フェレールとかすごいやります。両足スプリット(分けるっていう英語ですよね)で一回のジャンプみたいにしても、自分のイメージでどっちかに勝手に予測をしても外しちゃうことがあるじゃないですか。そういうのを補正してくれることもあるようです。

両足をダン!って地面につく練習をさせているスクールもコーチもいますけど、もちろん私も若いころやってましたけど、意味を考えたらそれって「しっかりその場で止まれ」の練習ですよね。

走ってる最中でもスパッと方向を変化させるときに、走っている方向に重心が乗っかっているとそのほかの方向にはかなり行きにくいものですが、その重心を一発でニュートラルの状態に戻せて、別の方向になるべく鋭くダッシュできるようにしたいわけです。

身体が軽く感じるくらいでないとそういうイメージができないと思います。だから、この漫画のように足が速く動いているのに体が安定している感じになります。

最近はこういうのをスプリット(分ける)じゃなくてセレクティブステップとかって名前を付ける人もいるようですが、正直「技」みたいな特殊性を帯びるようでそういうのは好きじゃないです。

ま、覚えやすいという効果もあると思いますがね

 

んでこれは遠いボールに対応するステップと近いボールに対応するときのステップ

あ、ステップ後の一歩目に違いが出るための条件があります。

これが肩と腰のターンなんでしょうね。ユニットターン、って表現されますが、肩から腰までが一枚の板みたいになるイメージを私が持っちゃうので、別々に認識して上半身にもひねりがあるイメージを持ってほしいのであんまりユニットって言わない感じを個人的には持ってます。

ドロップステップとステップアウトですね。

遠いときにはドロップステップ、ダッシュが先だとこうなります。

近いときにはステップアウト、すぐに打球態勢に入ります。

なんでもいいので、この動きが関連すると、こんどはスプリットステップが頭から課題としては消え、無意識に鋭く反応しているようになるかもしれません。

カテゴリー: 打ち方オタク | 投稿者ナガキヤスヒロ 08:00 | コメントをどうぞ

両腕の間の関連付け

ボール投げ(野球に限らず)や打具を使う動きなどをこなせる人なら自然にできる動きがあります。

動画で何度かやっていることでもありますが、私の左手(非利き手側)ではその両腕の間の関連付けがなくて、利き腕である右手から見ると大きくパフォーマンスが落ちます。・・・というか、初心者になります。全く感覚がない。

 

腕はそもそも胸から生えている、と聞いたことがあって、それは四つ足の動物がもっている機構(骨組み)の要素をヒト(猿人類)にも残っている部分があって、指先から手首、前腕、ひじ、上腕、肩甲骨ときて、鎖骨(肩鎖関節)で支配(?)されて胸骨まで届きます。(支配しているのは複雑に絡んでいる筋肉の機構によるものですよね)

前回記事の肩と腰についてのことを書きましたが、腰から行くと肩に影響が出て、肩から行っても腰まで影響します。

そしてこの肩の周りにある、たくさんの筋肉群は、腕のもっている人間にしかできないと思われる器用で多様な動きを支えています。

指先などは体のどの部分よりも神経が集中している部位の一つで、感覚を鋭くしてくれる要素を持っているので鍛えれば鍛えるほどいろいろなことがわかってきます。

 

それで、冒頭に書いた動きを持っている人って、っていうことに至ります。

幼少期に経験しておくと考えて動かさなくてもイメージができているようになるんだと思いますが、逆を言えば利き腕が生まれつきのものであるということは、そういうものを教わらなくてもできるようにプログラムされている身体だということも言えるんじゃないかと思います。

 

スクールで、ジュニアの小さい子のクラスから、大人の女性のいるクラスまで、さまざまな運動経験の方に、サーブの前にちょっと遠投をしてみてください、というチェックの時間を設けたことがありました。

その時に、ボール投げができる人とうまくできない人の差ははっきりしていて、前者はテニスコートの反対側のベースラインを超えるくらい楽々と、という感じですが後者はネットを超えるかどうか、という差。私の左手も後者です。

前者のパターンは両肩のバランスよい加速運動を達成している例と言えますし、それ以上に下半身からの力もきちんと伝達されているからだとわかります。

現在は左手に徐々に「それっぽい」動きになるように要素を根付かせようとしているんですが、やはり下半身からの連動にまでなんていかないですよね。

肩から腕をひねると、肩鎖関節にひねりが伝わって両腕をしっかり関連付けて動かせるようになります。

サーブやスマッシュのようなオーバーヘッド系のスイングだけでなく、フォアハンドやバックハンドにもその動きの感覚は影響があるはずです。稲村亜美

これ。女性だからという目線で見ると驚くほど使い方ができている。筋力もあるのかもしれませんが、使い方がうまくないとやはりスピードが出ないんでしょうね。

テニスにはテニスの動きがありますが、基礎となるものは人間の体として共通のものがあると言わざるを得ない部分もあります。

その辺も言葉でなく動画で紹介できればな、と考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

カテゴリー: 打ち方オタク | 投稿者ナガキヤスヒロ 11:46 | コメントをどうぞ

肩と腰

身体の関節の中で、この二つが「多軸関節」です。

この関節がこの位置にあるおかげで、体を「ひねる」ことが「増幅装置」として初動で産んだパワーを大きくし伝達してくれる役目に大きく貢献しています。

ここの使い方は、身体の使い方、を話すコーチたちがやはり注目するところになりやすく、「肩甲骨」であるとか「骨盤」の使い方という紹介の仕方をしていますね。

肩と腰は連動していて、肩の使い方って腰の動きをつかさどるところがありますし、腰をしっかり使えると肩は動かしやすく…というか可動範囲が大きくパワフルになると思います。

 

テニスの動きに対しては、野球やゴルフと共通の部分もあるし、やはりそれぞれに向いた特殊な部分もあると思います。

テニスにおいては、注目されるのはやはりラケットを持っている利き腕になろうかと思いますし、解説するとしたらやはりそこが主になると思います。

しかし、非利き手側の骨と筋肉は関連しあって動くこともわかると思いますし、そこでバランスの取れる動きがあろうかと思います。

ボールに反応する動きには、まず足が一歩目をどう動かすかが素早い人ほど守備範囲も広いといえると思いますが、それを追いついてすぐに思ったスイング(コントロールできる態勢)で入れるようにするには、ほぼ同時に利き腕側の肘から肩を持ち上げるようにするとよいようです。

スイングをしっかりするには、「軸」を作らねばならず、右手側のスイングの軸は右足に、逆もしかり、ということなんですが、走るという動作は両足を交互に動かすことで骨盤が安定しますので、走っていると軸が作りにくい、という発想になると思います。

しかしスポーツを経験していればわかることなんですが、走りながら軸を作ることってできるんです。それって走りながら手(腕)を作っておくこと。

手を作るときに、すでに「打てる」形としておくことです。それが「肩」の形を作ってくれて、肩ができることで「腰」につながりができます。それが走りながらできる「軸」になる。

これ、何の効果があるかを、こうやって言葉で説明すると、できている人でもわからない感じがするかもしれません。

ランニングパスを抜くときに、フォアハンドだったとしたら右足が走りながら「グンッ」ってリズムを崩さずに力が入るのを感じるはずですね。

サッカーのボールを蹴るときに、追いついてすぐにちゃんと足を間違えないでできるようになっているはず、というのと同じことかと思います。野球の外野手が走りながらバックホームに送球するときにも逆の足が出てこないっていうこととも同じこと。

腕の形を欲しい形に作ってくれると、それに合わせてスピードを落とさずに走れる足ができることがあります。

軸はできると(体の片側にできる)歩幅が小さくなりそうですが、ちゃんとできると普通に?(同じくらいに?)走ることができたりします。

テニスをするときに、これを知っている(体が知っている)のはすごく大きい。

テイクバックでは肘を上げて、肩の関節を動かすまたは浮かすようなイメージにすると、ここで言っていることがわかりやすくなると思います。

上がった腕は降ろしてきていいので、普段からそうやって打っていない人でも、「まだ打っていない」時間のうちにそれ(腕を上げる)ができてしまえば、いつものフォームに戻して間に合ったとしてもすこし当たりがよくなっているはずです。体感できるくらいの違いが判ると思いますので、そこからコントロールのほうに意識を修正していくうちに質の上がったショットを普段できている通りかそれ以上にコントロールを良くしている可能性があります。

腰は落としておいたほうがよい、というのは私自身がそう感じますが、じつはこれが上がっていてもよい(上がっていたほうがよい)例の人もたくさんいます。自分がどちらのタイプなのかは、両方をきちんとやってみたほうがいい。なんとなく、ではなくてきちんとです。そのほうがわかりやすい。

推進力が感じられないとしたらそれは効果が薄い。体の使い方として、身体の深部の軸とか重心とかっていうのがそれぞれ得意な場所があるらしいので、自分でつかむことです。

意識することはリズムを保って打っている実感があること。

それと、自分のレベルに応じて感覚が違うことがありますから、自分がいつも打てているショットや手ごたえを基準にしっかり持っているといいです。

コーチから見ていいショットになっているのに「ほんとにこれでいいんですか?」とか「これであってますか?」って聞いてくる人はこの基準がない。それってその人の中にビジョンがないってこと。目標というか、普通にこのくらいはできる、という基準もないんじゃないでしょうか。このパターンが一番教えにくい。教えていて手ごたえがない感じがします。

コーチの側にも基準があって、その人の体に投影してみています。このくらいはできるだろうな、と思ってアドバイスをしても、その本人からのフィードバックがないと次の手を出しにくくなります。

そこいらへんは蛇足になってきましたが、もし使い方がよくなかったり、使えていないとしたら、肩と腰の使い方が変わるとパフォーマンスは確実に上がります。

カテゴリー: 打ち方オタク | 投稿者ナガキヤスヒロ 11:06 | コメントをどうぞ

2019年は私にとって…

2019年は令和元年となりまして、私にとってはSwingBuilder元年?となりました(笑)

自分をネットの世界に売り出そうとするときに、なんかキャッチコピーとか、タイトル的な何かとか、屋号?みたいなものが欲しかったんですが、ある晩に急に「降りてきた」のがこれでした。それも数年前のことでしたが、ついぞ使うことがなかった。とうとうYouTubeでSwingBuilderっていう名前を世に出したって感じでした。

テニスコーチをアルバイトで始めて以来、自分がテニスがうまくなりたいっていうことが常に先にあって、興味があったのが、「うまく打つこと」でした。最初に記憶にあるのが、いろんな上手な先輩方のボールがみんな特徴があって、それに対応しながら自分のボールがちゃんとラリーの相手になることが目標になったことです。

それで練習に明け暮れるわけですが、ボール打ちたそうな先輩のところに行って相手させてもらう、っていうことが日課で、毎日遅い時間までラリーしてもらったりダブルスしてもらったりしていました。

でサーブであったりリターンであったり、パッシングショットであったり、そういうシーンに合わせて使うときにも「落ち着いて、いつものストロークを」ってやればいいんだと思っていましたし、それを生徒さんにも伝えられるように言葉を選んだり、ドリルを考え付いたりして感覚的にこうやればできるようになる、っていうことを勉強させてもらってきていたと思っていました。

 

そこで長年やってきて、最近になってやっと気づいてきたことがあって、そのやり方で気づいてくれる人も多いですが、一方で全く違う結果になったり、実践になると全くできなかったりする例もたくさん見てきました。「できる人」も「できない人」もいるのは当たり前だしそうだと思い込んでいましたが、私はテニスコーチなので「できるようにさせる人」でなければ「できさせる人」である必要があったんです。

日本語ってむつかしいのでこの両者がどう違うかわかりにくいと思いますが、私にとっては前者は「教わったことを履行できる人を育てる」で、後者は「自分で考えて切り開く人を育てる」です。この両者は同じ教え方から育つことはないようで、私がその両者が同時にいるグループレッスンでできることはどうやればいいか、っていうことをよく考えた一年でした。

もうテニスコーチになってから、意識が低かった時代があったといってももう30年もやってるわけで、いまさら?っていう思いもあります。

そう、今更なんですよね。もっとゲームを考えさせて、自分で回りを見るゲームをする。

目的が「ボールをうつこと」じゃないんですよね。うまく打てるようになることの目的が、「ゲームを楽しむこと」で、そのために「狙った通りにボールが打てる」ようになりたいんです。強打をまっすぐ打てる、それがいつもコートに入るだけでは、強くはならない。高いボールも低いボールも加減しながら使い分けて、相手を相手のコートで動かすと返球のパターンを限定させることができるようになるわけです。それって教わったからってやっていいものじゃない。例えばコーチが言った配球の通りに打てたとして、球速であったり、それぞれを打つポジションであったり、バウンドのどのタイミングで打つのかによって、また相手の予測がどうだったかによって全く状況は変わります。そういう空気を作るのに、自分の中にビジョンがあるかどうかのほうが大事。それを一つ一つは「教え」られない。できるのは「見せる」ことです。

クラスの中では打ち合わせなしで自分が言う通りのショットから相手のショットをコントロールして見せることです。スライスを使うとどうなるのか、それは相手から見たらどうなるのか、だからこういう効果があるんです、まで説明したい。

もちろんそういうシーンを作ってもまったく狙った効果が出ない相手も出てきます。それはその相手がものすごく強い人で自分の狙いの意図を知って逆襲してきているか、その対応ができなくて自分のやり方でしか対応できない人かどっちかです。それはその時に対策を考えなければならないし、さっき見せた作戦のショットを出汁にして今度は意表を突く効果を信じてやってみる、っていうことが大事・・・っていうか試合の仕方です。

相手は自分のキャラを見定めようとしているはずで、「このひとバックに打っとけばスライスで返してくる」ってことがわかれば怖くないかもしれません。「ミスしないけどクロスしか打たない」とかっていうことを観察してくるわけです。

そういうゲームの時におこる、楽しい部分・・・闘っているというスリリングな体験・・・を紹介したい。

決して私はゲームがうまいほうではないし、大会で何度も優勝してるとかっていう猛者でもありません。とはいえ県の選手権で上位に行くこともあるし、優勝経験だってないわけじゃない。

だからこそ!って私自身は思っています。考える楽しさは、それを大変だぁって思いながらやることです。どうせ試合中って頭の中は高速回転してるわけですが、「迷い」があると回転数ばっかり上がって煙が出てくるような思いをします。

それを整理して考えられるようになるのに、戦略とか戦術とかっていう言葉が出てくる。

 

これまで「打ち方」ばかりのコーチだと自分の中で自分を揶揄してきた部分もある私でしたが、ダブルスにせよシングルスにせよ、戦い方を考えるテニスの楽しみをやっと紹介しようとしてることに気づけました。

押してダメなら引いてみな、ってことばもあるし、テニスの試合でもそういうことはあると思います。

練習ってたくさん失敗することだと思うようにもなりました。失敗しながら練習していく。それも昔なら「失敗を減らせるようにする方法を教える」みたいなところがありました。失敗って努力目標にすり替わります。そこまでコートが見えていて、相手のショットに対応がうまくいっていて、狙ったところでミスをしてるわけです。最後のピースがちゃんとはまれば作戦通りのショットになるはずなんですね。そこの感覚的なズレとか、自分の動きの速さとか、相手のテニスの見立てとかのビジョンをしっかり持てるようになればいいってことなんですよね。

慣れれば慣れるほど対応の速度も上がります。それが上達。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ナガキヤスヒロ 08:51 | コメントをどうぞ