木曜日
曇り空のぐずついた天気、正午ごろ到着のあーちゃんを迎えに空港へ。
3時過ぎ、超音波の治療にK整形外科出かけたところ、治療室の中でぼくに声をかける人がいる、顔を向けるとなんとそこにはF氏が笑みを浮かべていた。久しぶりの再会、なつかしく嬉しかった。自宅からか離れているここまで定期的に来ているらしく、たまたま今日巡り会えたのだ。
九州選手権のドローで名前を見つけて、復活したのを確認していた。テニス談義に花を咲かせ、仲間の増えるよろこびを噛みしめていた。
午前中、あーちゃんが帰ってくるので、ちらかしていた写真、整理出来たのはほんのちょっとだけだが、とりあえず大雑把に片付けた。タイムトンネルの中を行ったり来たりどれくらいしたことだろう。面白くもなかった人生を振り返るのもしゃくだからアルバム整理など、見向きもしなかったが、小学校同級会の案内が届いてから、昔の写真などを探していると、深入りしてこの際と思って風呂敷を広げてしまい大変なことになっていた。
そこにはよわい90歳になろうとしている恩師からの案内兼手紙が三枚も同封されていた。自分の人生を振り返り、受け持ったいきさつ・・・・・教師として赴任した私とのご縁、お互いに選ぶことのできない運命的な出会いだったと思います。・・・・・・おごられたことしか思い出のない人、こらえてね・・・・・・・・・。
我々、男のわるがねどもがずっと引きずつていたことを、この齢の恩師の心の片隅にまだ残っていたのかと思うと、申しわけない気がした。先生もういいんですよ、ぼくたちが悪ごろだったんですから。
だけどあのビンタは恐怖だった。19歳で赴任してきた恩師、師範学校から陸軍予備士官学校に入校してすぐ敗戦となったそうだ。そこで多分ビンタの洗礼を受けたのだと推測する。ぼくたち悪ごろのほっぺにはチョークの滲んだ手のひらの跡がくっきりと浮かんでいた。
最後になるかもしれない同級会は今月末、田舎で行われる。恩師の文章を拝読してどれほど集まるか楽しみにしている。
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