水曜日
いつのまにか師走に突入している。一年の早いこと、大河ドラマ「花燃ゆ」始まったころ視聴率悪かったらしいがぼくは興味津々で欠かさづ見つづけていた。山口県(長州)が維新にどれほどかかわっていたか、どれほど貢献したか。吉田松陰がどれほどの人物だったのか、死しても尚その影響力の大きさに感銘していた。もう「花燃ゆ」終わりになるのという思い。
喪ちゅう案内をいただく。5月末に行われた小学校の同級会の中から二人がなくなったと知らされて、戸惑うばかり。昭和25年の敗戦翌年に小学校の校門をくぐったわけだが、ほとんど記憶がない。どんな格好をしていたのだろう。行く年月、あのはなたれ小僧もいつしか浦島太郎になっている。そして親父に先立たれて三人の子供を抱え、必死に生き抜いてきたおふくろのことを思うと胸が痛む。どれほど孝行をしただろうか。
今日は久しぶりにI氏とじっくりと真剣2セット対戦した。ペンキ塗りの疲れはそんなに残っているとは思わなかっが、全く歯が立たなかった。ラケットをあれこれと変えて見たりしたが、流れは変わらずワンサイドの展開が最後まで続いた。九州毎日B4で対戦して歯が立たなかったヘッダーの選手の事を重ねて思い出していた。
あの時は前の試合で2連敗していた選手を一方的に破って、意気揚々としていたが、ふがいない敗戦に肩を落とした。それからしばらくしてコーチとの練習でふくらはぎを痛め、一年間棒に振ってしまった。