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ウインブルドン フェデラーの涙

日曜日 雨 台風

台風24号は九州の太平洋側をかすめて四国方面で上陸。

テレビにユウチューブを呼び出し、肩のインナーマッスルの強化とか語りかけると、あちこちの整体師の動画が出てくる。もうおなじみになっているが、それを見ながら肩のインナーマッスルのリハビリを続けている。だけれども古傷みたいなものがあって、その辺の痛みはなかなか取れない。利き腕でのサービス、出来るようになるのだろうかとと一抹の不安を抱えながら。

いじっているとサンプラスとフェデラーの対戦が出てきた。二人の対戦は見たことがない、クリックしてみると2001年のウインブルドンの4R、17年前のフェデラーなのだ。若々しい19歳、髪は後ろで束ねていた。大熱戦は続いてセット22となってファイナルもキープキープで行った。終盤フェデラーキープして54でサンプラスのサービス、ツーポイント落してラブサーティ、あとのないサンプラスはフェデラーに押し切られてセットカウント23で負けていた。その試合はサンプラスにとって5連覇のかかった大事な試合だったとあとで分かった。

ベンチに戻って涙を流していたフェデラーは、まだ初々しさが残っていた。

ウインブルドンで連覇しているフェデラー、この年に優勝したのかと気になって調べると優勝はイワノセビッチ、クロアチアの選手で母国に大凱旋していたのが記憶にある。準優勝は豪のラフター、鼻周辺に白い日焼け止めを塗って100パーセントサービスアンドネットだったのがかっこよかった。あの当時はそれが主流だったのか、サンプラス、フェデラーもほとんどネットを取っていた。

2002年はヒューイットが優勝していた。フェデラーは翌年2003年から2007年と5連覇を果たしていた。2004,2005はロディックと決勝戦を戦っていた。

そうして2009年もロディックとまた決勝戦を戦っていた。これもユウチューブにあった。フェデラーは絶頂期、ウインブルドンの王者と言わんばかりに上下スーツに似せた純白のウエアーを身に着けて登場して、ドキモを抜かれた昔の記憶がよみがえる。

これも大熱戦ファイナルなロングとなって二ケタの数字でフェデラーが勝利、優勝をもぎ取っていた。ロディックが哀れでしかたがなかった記憶もよみがえっていた。

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カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 20:31 | コメントをどうぞ