若干はたちのズベレス ローマ1000の大会を制覇

月曜日 晴れ

相変わらず良い天気が続いている。ひわの実を先日収穫した。放置していたプラスチックの大きな植木鉢から目を出したのだが、いつのまにか大きくなり自力で底を破り地面に根を張って成長していた。そして実を付けるまでになっていた。成長は早い、切って切って切りたくっているのだが、しぶとい。

少し色ずくと鳥がすいすいとやってきて食い荒らすことが多かったが、今年は珍しく被害を受けずに、期待もしていなかったがある日見上げると黄いばんだ実が目についた。味は少し物足りないが初物のひわだ。

テニス界、競い合っていた若手の中から、かっこいい若者がとび出してきた。貴公子。

アレクサンダー・ズベレス(20歳 198センチ 86キロ ドイツ)はローマ1000の大会でジョコビッチをストレートで破り1000の大会で初優勝を飾った。

しのぎを削る若野もたち、チーム、キリオス、ソックス、ゴファン等の中から一歩先んじたのだ。これからの全仏、ウインブルドン、全米での活躍に注視。

・ズベレフがジョコビッチを倒してマスターズ初優勝「僕はまだ、ノバクの半分のキャリアしか送っていない」 [BNL イタリア国際]

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シングルス三日間レンチャン

木曜日晴れ

沖縄は梅雨に突入したというに当地はここしばらくは晴天が続いている。

来週の上京を前に火水金とシングルス。火曜日はアキレス腱を痛めてひと月ぶりのK氏、先週の1回目は1セット何とか逆転でものにするとセカンドは接戦の中、雨模様となって中止、そして今週は完全にやられた。2セットともどうあがいてもダメだった。

誰かさんとしていると錯覚しそうに走り回られ、甘いボールを鋭く攻められていた。水曜日の2週間ぶりのI氏とは1勝1敗、心配した肩の痛みでご迷惑をかけた人、肩の痛みは鍼を打ったりして一段落していたがこんどは左ひざに小さな痛みが発生して気にしながらでのテニスだった。

今日はひとまわり以上若いH氏、近年は何度しても勝てなくなっていたが、上京前に、力を試してみたくて懇願していた。近頃はぼくに対して余裕すらかんじるテニス、この齢になればこの差が出てくるのだとの思いも感じていた。

膝に問題を抱えて試合になるか心配していたが40とリードしていた。調子に乗りきれない相手は珍しく凡ミスが続きぼくはネットを取ったり積極的だったが、それから44と追いつかれていつものパターンかと観念しつつも、出直しだと割り切り64でファーストをものにしていた。膝を気にしつつもの勝利は少しだけ自信につながった。結局は64 36 16で終わっていたが・・・・。


(散歩で出あった草花)

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マイナンバー受け取りと淡彩画鑑賞   ナダルの勢い

月曜日 晴れ

個人番号カード(マインナンバー)の申請に二人でバスに乗り街中の市役所に出かけた。

交付申請書は手配して手元に届いていたが、してもしなくても問題ないとかいろいろと物議を小耳に挟んでいたので、どうしたもんだろうのうと、伸ばし伸ばししていたが、忘れてしまいそうなので実行に移した。

市役所一階に受付カウンターがあり、申請者は少なく時間も取らずに終わっていた。手渡された個人番号カード、このカードあると・住民票・印鑑登録証明書・住民税・戸籍等が全国のコンビニから取得できるサービスがあるとのこと。

思い立ったこの日は、テニス仲間の淡彩画の展示会が上通で開催されており、本人が会場にいる日だと思い出していた。ぼくたちは下通りを少し冷かしてから会場がある上通へと足を向けた。二年に一回やっているらしい

マドリード大会1000の決勝戦はジョコビッチをストレートで破ったナダルとテイエムだった。朝方録画を見る。ファーストの終盤はナダル有利だと思われたがテイエム頑張りタイブレークへとナダルが76(8)で取るとセカンドも優位に進めて地元の大声援に押されて64取とり優勝した。全盛のナダルを再現していたかんあり。

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最後の砦 鍼師を訪れる

日曜日 晴れ

11時予約の水前寺にある鍼灸院に出かけた。ぼくの最後のとりで手足腰の故障でどうしてもだめなときは、ここを訪れる。盲目の鍼師、何年生まれでですかと初めて尋ねると70になったとため息をついた。若いですよとぼくは言った。左肩に鈍痛があるというと、ベッドの端に腰掛けるように言われた。背中などをチェックしながら猫背からも来ていますねと言われた。テレビを見ている姿勢に思い至った。大きな丸いゴムボールになんかかって見ている。猫背になっていたのに気付いた。テニスだけではなかったようだ。

一週間前の土曜日、K壮会がある日だった。二三日前から肩に鈍痛が脈打っていたが、腕は回るし軟膏でも塗っておけば治るだろうと軽く考えていた。脈打つ痛みが気になり始めた前の夜ネットで「左肩の痛み」と検索すると、気を付けた方がよい、心筋梗塞の予兆のときもあるともあった。

翌朝車を運転しながら運動公園に向かったが、左肩の鈍痛は少しだがひどく感じていた。腕は回るしテニスは大丈夫だろうとおもってみたものの、公園の駐車場で一息入れて、仲間のドクターに携帯をいれた。ネットと同じような意見を言われて戸惑った。気分もあまり乗らないので、とりあえず三々五々と集まっている受付まで行き年会費を払い、用事が出来たのでとキャンセルをお願いした。

土日の病院は休み、そこまでまでは待てないと一番近いと思われる日赤の救急に車をとばした。救急棟は静かだった。事情を話して待っているとすぐに対応してくれてまずは心電図をとった。担当した看護師は少し怪訝な表情を見せたりした。心筋梗塞なんかのときは、激しい痛みが走るとかいう、ぼくのニュアンスと異なるようだった。波形に異常はなかったようだ。それから医師の問診を受けて、では血液検査をしましょうと言う。血液検査は先日やりましたと言うと、専門の検査だとたしなめられた。

別室で血液を抜かれて検査が終わるまで待ってください言う。待っていると先ほどの看護師が来て、ここに誰か来ることが出来ますかというので、なぜですかと尋ねると心電図で気になるところがあったようだった。呼べば何とかこれますというと、血液検査の結果を待って判断しましょうと言われて戻って行く。しばらくして同じ医師から呼ばれたが血液検査には問題はありません。かたの痛みは分かりませんで終わりだった。そして痛み止め5錠処方されていた。

温泉に行ったり整体に2回行ったりした。整体で肩や背中が痛んでいることを確認した。

ぼくは鍼師のベットに横たわり、左肩と背中、右肩に針を打ってもらった。このこりは一回では治りませんね4回ほど来てくださいだった。あれからほぼ一週間経過していたが、鍼院を出るときは、もう左肩はすっきりしていた。4回も行かずに2回ぐらいで良いかなと思ったりしながらテニスコートへ車を走らせていた。

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マドリードの大会 圭ジョコビッチ戦 手首の痛みで棄権

金曜日 曇り 雨

11時頃まで降雨何とか免れたが、雷鳴が二回ほど駆け巡るとぽつぽつと落ち始めた。30分早めてぼくたちは9時半からコートに立っていた。K氏のアキレスけんの痛みが癒えたらしくて一昨日メールが入っていた。昨日と今日とどちらかでお願いできますかであった。昨日は蛇が谷公園でのシングルスを前々から約束していたので今日にしたのだが天気は昼から荒れ模様の予報があり、帰るときは本降りになっていた。

夜、7時前からテレビの前に座りマドリード1000の大会、錦織VSジョコビッチ戦、今か今かと待ちかまえていたが、始まると前の試合のビデオを流していた。北九州の仲間から携帯が鳴り話に夢中になり画面を見ると圭の棄権を知らせるテロップが流されていた。

そんなにガッカリもしなかった。昨日のフェレール戦を見ていたが、ストレートで勝ったとはいえ35歳のフェレールはフェデラーのようには元気でなかった。ストレートで勝利したものの今のフェレールだから勝てた気がしていた。

待望のジョコビッチ戦、いまいちのジョコビッチと故障持ちの錦織が対戦すれば、どんな試合になるのかその辺の興味はあったがジョコビッチに凱歌が上がりそうに思えていた。

痛めていた手首に又痛みが発生したための棄権だという。全仏を月末に控えてこれ以上悪くしたくない止むをえない処置なのだろう。

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(蛇が谷公園テニスコート)

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スペイン マドリード1000の大会が始まっていた

水曜日 雨 曇り

夜、テレビで番組を見る。NHKBSの番組に切り替えると何と錦織圭出場のマドリード1000の大会が放映されていた。慌てて切り替えると試合は始まったばかりであった。

圭は三月末のマイアミ1000の大会、QFでフォニーニは敗れてから痛めた体の治療で大会から遠ざかる。

錦織は四大大会の一つ全仏を月末に迎えて、これ以上は待てないと出場したのかもしれない。相手は40位の小柄のシュワルツマン(アルゼンチン)、フットワークと粘り強い選手だったと顔を見て思い出した。

故障が癒えて舞台であろうから相手が粘り強いと言っても、負けることはないだろう。はじめは互いに様子を見ているような打ち合いで11となったがそれから相手の食い下がりについて行けずブレークを許し12、それからやることなすことすべて裏目に出てファーストは16で落してしまった。確かにシュワルツマンは粘り強かった。

セカンドはファーストの轍は踏むまいと見ているとさすがトップテンの落ち着きを取り戻したかのように冷静に試合を進めて、付け入るすきを見せずに60でセカンドをものにしていた。

こういうセカンドの勝ち方をしたファイナルはあなどれないという印象がある。相手はセカンドを捨ててファイナルに掛けるのだ。そのようにファイナルは始まったかに見えたが、サービス圭から始まり先にブレークして31にするもすぐにブレークされ32、33、43、53でフレークされて54、ブレークして64で55になりそうなシーンを何とか逃げ切っていた。

あれから手首も痛めたらしくてモナコのモンテカルロ1000の大会を辞退して西岡に出番が回り活躍したのも目新しいが、試合中ベンチで手首を心配そうに見ていたのが気にかかった。
次は明日あるそうだ。フェレールとツオンガの勝者との対戦が待っている。

ちなみに昨年この大会の初戦はフォニーニだった。

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孫娘と南阿蘇へ

木曜日晴れ 曇り

連休も半ば、長男の孫娘が一緒に昨日から遊びに来ている。利発で活発な娘さんに順調だ。

今朝も早く目覚めた、一人朝食を作りすませて長靴を履いて庭に出た。昨日ゴーヤと朝顔の苗を買ってきておいたのだ。二十センチ角の穴を五つ堀り、培養土入れてゴーヤを四つ朝顔を一つ、長方形のプランターに朝顔二つ、腰ベルトをして穴を掘ったがかなりしんどかった。

家に戻ると南阿蘇に行きたいらしく10時に家を出るという。トンネルが開通してうんぬんと報道されていたので長男の車の横に座って出かけることにした。南阿蘇には詳しいつもり、渋滞を避けようと指示しながら西原村入口らしきところの信号までたどり着くと左折は出来なかった。この先の集落がやられたのだと実感していた。真っ直ぐに上り大きく迂回して山田牧場の近くに出た。道が開通してオープンできたと報道の「萌の里」を右手に見ながら回復したというトンネルに直行できるのかと思いきや、ゴルフ場の手前にできていた橋脚は回復しておらず、その橋を迂回すると俵山越えをする旧道へと続くのだ、えらいこっちゃと思っていると峠のづっと手前から急激に山を下り気が付くとトンネルへと直行していた。

昨年は3月の下旬に同じメンバーで阿蘇ファームランドへ出かけていた。渋滞を避けて崩壊した阿蘇大橋を下から見上げる隘路を自慢げに橋を渡り川の合流地点の小さな公園で車を止めてしばし周囲の景観を楽しんでいた。首を伸ばすと阿蘇大橋が見えたし反対側を覗けば南阿蘇方面の見ごたえのある渓谷があり、川際の山は原始林のおおわれて、りっすいのよちも感じられなかった。
遠くには今は通過不能になっている南阿蘇鉄道の鉄道橋が郷愁を誘っていた。ひと月もたたずにその一帯が崩壊するとは悪夢の熊本震災がおきていたのだ。

トンネルをくぐり抜けると、そこにはさつきの山野がほっとするように広がっていた。

南阿蘇 月廻り公園まで足を延ばす。広大な芝の中を孫は草スキーや子ずれの山羊たちと戯れることしばし、中食の弁当を広げてそしてゆっくりと帰途についた。

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さつき晴れ ゴールデンウイークに思う

火曜日 晴れ

いよいよこいのぼりの泳ぐ季節が訪れた。今日のたくまの練習会にはりチャリで行く。いつもの練習パターン2時間、Mさんが九州選手権のドローが出ているよ言う。いつも連休の後半オンされていたので、連休明けにでもと思っていた。九州毎日が尾を引きドローを早く見たいという気持ちはさらさらなかった。ドローを見てがっくりする自分がいた。ドロー運がよくても負け、この一年は燦々たるものだった。テニスはうまくなっているはずと自負していたのに結果は自信を無くすのに十分すぎていた。

4月の九州毎日選手権は、仲間のM氏に初戦で対戦して完敗、ショック大きく、家の戻ると関東選手権キャンセルの手続きを早々に済ませてほっとして、出る資格はないなと卑下していた。

五月の半ばから上京して大宮で行われる関東選手権に出て、下旬に行われる予定の孫娘の運動会を参観して友人に会ったり仲間とテニスの練習をしたりして月末から始まるもう一つの大会に標準をあわせていたのだった。

二つともキャンセルしたかったが、孫娘の運動会はもうそうそう見ることもないだろうからと、もう一つはキャンセルせずにおいた。

小学校間もない孫は母親に伴われて未知の都会へニコニコと旅立って行った。そこには何が待ち受けているかもしれなかったが、ただただ母親の愛情にすがって行ったに違いない。その夏二人で上京すると、一人でバス停まで出迎えてくれていた、さびしそうな孫の姿はやるせなかった。今でも脳裏に鮮やかだ。

小学校の運動会は欠かさず出席して、夏休みには長期帰郷して絆を温めていたが、中学になると運動会は欠席していた。昨年、試合で上京すると高校生になっている孫の運動会があると知らされて、ばくは手を上げて参観をすると言った。中学になってからは母親らも行ってないという。

中高一貫女子学校の運動会は、ぼくたちの小学校の運動会を再現していて、全ての競技が面白くなつかしく思えていた。

もしかすると今年が最後になるかも・・・・・行かなくちゃー。いじめを受けて剣道しばらく止めていたと聞いていたが、初段を取ったという。生徒会の副会長にも決まり成績も徐々に上向いているとの報告もある。

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十年の歳月あり、再会

金曜日 晴れ

街で元の部下と一席。

今年の年賀状の一枚、会社でバンドを一緒に楽しんだ元部下の内容は熊本地震で全壊してみなし仮設で暮らしています。という内容にショックを受けたがかぼそい年金暮らしのぼくには何もできない。しかし脳裏から離れないので思いきって昼休みに電話してみた。

十年ぶりの会話、少し口ごもる変わらぬ声、驚いていた。なつかしさがこみ上げたがありきたりの話で携帯だけ聞いてまた後でときっていた。だがぼくは後で電話することが出来ずに気になりながらも打ち過ぎていた。

震災から一年目がやって来てマスコミや世間が騒がしくなって、彼のことを思い出していた。せめて後で電話すると言ったことをあやまっておこうと電話するとぜひ一緒に飲みましょうとくいさがってきた。現役と年金暮らしとは別世界だからとかたくなになってみたが、それならぼくの家の近くでいいです、飲みましょう、それならいいでしょうと言う。近くに大きなショッピングセンターあるので捜せばあるかもしれない、がぼくの行きつけの店などあるはずもない。

それならぼくが街まで出かけるから店を予約して連絡してくれと頼んでいた。それが今日だった。後日一緒にバンドしていたM君いいですかと言うからノーとは言えなかった。一対一じゃと思ったかもしれなかった。役員のU氏にもという、多分彼は来ないだろうと思いながらもどうぞといった。そしてサプライズでもう一人とも言った。

連休前で「ここさ」オープンもあり、にぎわっているアーケード街を進み二つ目の通りを右折すると目的のビルがあり地下へと降りて行った。若干遅れて到着すると4人が待っていてくれた。2時間過ぎたので帰ろうとするとまだいいでしょうと言う。結局3時間余りいろいろと話し、していた。

ぼくはこんなことをしてもトラウマは消え去ることはないと知りつつも、不思議な気持ちで饒舌になっている自分がいた。少しだけ胸のつかえを吐露することが出来たかもしれない。

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蛇が谷公園でN氏と対戦 帰り道 田原坂古戦場 

木曜日 曇り

10時から蛇が谷公園での約束、コートは4面づつ待機場を挟んで上下にある。30分ほど前に到着すると多分9時からであろうが盛況だった。駐車場にマイクロバスがやってきたテニスにしてはと思っているとどうやら、グランドゴルフの一向だった。

さくらに似たピンクの大きな花がコートサイドを彩ってめずらしく、管理人らしき人に尋ねたらやまざくらと言われた。

利き腕左手の薬指が握りしめると痛みが走った。昨日K氏との練習日、早めに入ってサービスの練習をやっていて気が付いたのだ。張り切っていただけにガッカリしていた。手袋を捜して痛みをカバーしょうとしていたが、負けを覚悟をしていた。フォアの両手打ちが特に力が入らなかった。押されぱなしで進んでいたが最後には粘り勝っていた。本試合中にもこんなこともあるだろうと、言い聞かせてそれなりの頑張りはしていたが、負けを覚悟でラケットを取り替えながら最後のあがきをしていると、体調悪しきなかでもなんとか逃げ切っていた。

だから今日も自信はなかった。薬指の根元をテーピングして痛み止めを飲んだりしてできることはしていた。今日は素振りでのサービスフォームを意識してやった。浅めのサービスだったがサイドスピンがかかっていたのか、相手はてこずってくれた。フラットぎみのファーストもタイムリーに決まったりして終始ぼくのペースだった。前回はセカンドを取られたが、今回はセカンドもファーストと同じペースで進んでいた。

相手からは前回ほど厳しいショットはなかった。体調がどこか悪かったかもしれない。3セットを終えて11時半前前だった。30分残して今日の対戦は終わりとした。

帰り道の中ほどに田原坂の古戦場がある。ずいぶん昔に行ったことがある、この頃テレビで紹介されていたこともあり、ちょっと寄ってみようという気分になった。

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