水曜日
コートは昼からオープン、最高のテニス日和に見えたが、ぼくは昨夜は満足に眠ってない。阿蘇神社から戻って万歩計を見ると8000余歩、ダブルススリーセットに匹敵する。30,31日の夕前の路上で孫娘と対決したバトミントン、これくらい大丈夫だと思っていた後で足腰にきていけれどが何とか無難に新年を迎えて元気に新年を祝っていた。夜中に喉が張り裂けるようにせき込むのでたまらず、一階のソファーに座って、姿勢を正していると少し収まったのでその姿勢でうつらうつら朝まですごし、邪魔にならないようにまたベットで我慢していた。
箱根マラソンを見終わってベットで安静にしていると、すこし咳が収まってきた。安静が第一なのだとあらためて思った。
前回の風邪のブログを今日もたどってみた。
2012年05月23日
(いまだに完治せず)
18日、声は戻っていると言われ、かなり回復しているとの自覚はある。そして今日か明日かとはやる気持ちはあるが、少し軽くなったとはいえ、咳き込みは継続しているので、咳き込みながらのテニスでもしょうならぶり返して、取り返しのつかないことが起きそうで二の足を踏んでいる。
21日、月曜日。朝から曇り空で金環日食はお預け。土曜日、医者に近状を訴えると胸のレントゲン撮り、違う薬の処方箋を出してくれた。薬の効用か寝床での咳き込みはなくなった。コートに出かけ壁打ちでもと考えたが小雨で風も強く体調もいまいち。今日も終日でゴロゴロ。
23日水曜日。あーちゃんを空港へ送り11時半のレッスンを受ける。半月ぶりのテニスはまさによたよた。久しぶりのレッスンらしき人たちが息弾ませていた姿を今日はぼくが再現していた。90分のながいこと、時計を横目でみやりながりら普段のようにはよそおうったものの、足は動かずまともにラケットに当たらず冷や汗をかきながら耐えていた。
病ぶり返さなければいいがと壁打ち際のベンチに座り込み、べっとり汗かいたウェアを着替えて、軽く壁打ちをはじめると、人の気配で振り返ると思いがけず!氏がいた。ついにやってしまったシングルワンセット、前半は何とかついて行けたが後半は体にダメージを受けながらのブレーだった。家に戻って風呂に入りソファーに倒れこみ夕方まで仮眠。疲労は残っているが病ぶり返しは感じられずほっとした。やれやれ。ケイタイより
2012年05月27日
(小学最後の運動会)
25日金曜日。武蔵塚駅9過ぎの汽車で大津駅までおよそ10分。久しぶりの駅前は整備され、そこから空港行きタクシーを初めて利用した。無料サービスには驚く、とりあえず1年間の継続という。10時50分ANA、羽田まで2時間弱、空港前で30分バスを待って二俣川まで40分。乗りついで10分歩くこと10分で孫の住みかへ到着。
26日土曜日。運動会当日、これで3回目参観となるがこれが見納めだ。じいちゃんの想像以上に成長著しくぼくの幼児のイメージの希薄になっていくのがやるせない。体は大きいが運動神経はいまいちのようだ。応援団長を希望したようだが応援団員の一人として頑張っていた。終盤に行われた6年生の団体演技「飛翔」Unionは砂埃舞うグランドにいとわず這いつくばり寝転がり躍動感溢れる演技で見る人たちに感動を与えてくれた。
孫もどこかで頑張っていたのだろが見いだすことはできなかった。
運動会から帰るとケイタイがなる。丁氏からでF県のクローズの大会の報告だった。あれから体力の回復ままならず2~3日前回復したとみて90分のレッスンとワンセットでぶり返して、やる気のすっかり失せている弱気の現状を伝えると心配して励ましてくれたが、JOPの大会から足を遠ざけたいとの思いが強くなっている。空回りばかりの現状はぼくに何かを暗示してくれている気ががしないでもないのだ。
北九州のFの大会のばんかいせんと病床の中でそれまでには回復するはずだと締切日に申し込んだ現地でのFの大会も、前日まで用具一式をバックに詰め込み飛行機に持ち込む準備をしたのに、その日になって思いとどまった。体調不良につきとファックスして軽装で空港に向かった。
それにしても関東選手権でM氏のが頑張に勇気付けられている。3回勝ち進んで知るところB8。
2012.5.29(横浜港散策)