戦没者記念碑に遭遇する 日吉神社

金曜日 晴れ

当県では昨日一人今日一人と感染者が出たらしいがタクシー関係からの発生。だが県の休業要請の発令からジュワジュワ~と締め付けが厳しくなっているようだ。朝方散歩しての帰り、近くパチンコ屋の横を通ると閉鎖されていた。

戦時中贅沢は敵だと憲兵か主婦連か知らないけれど、チェックして回っていたらしいが、コロナウイルスとの戦争、外出は敵だとプラカードを持って街中を行進して回ればどうだろう。頭の中では、なんかあの当時のことを呼び起こす。似通ったことに思う。

朝方1時間ほど散歩。尚絅短大のほうに向かって畑中の道を下って行く。短大の広場のある裏面にでた、部外者禁止とあった。諦めるとすぐ横の草ぼうぼうの道が並行して目についたので、そこを進んで行くと神社にたどり着いた。
地元の人たちに守られている由緒ありそうな小さな神社だった。歩を進めると大きな記念碑が目についた。
碑文
昭和6年の満州事変、昭和12年日支事変に続く昭和16年の大東亜戦争終結までの十余年のわたる戦争においては、日本男子が国の平和を願い戦場に征った。
その中にあって八久保地区からも15名の方が出征され、その中6名の方が戦死された。思えば出征されるあなた方を、ここ日吉神社において武運長久を願し、区民挙げての万歳万歳と歓呼の声で見送りあなたがたは湧きたつ愛国心に?り、我が家もかえりみず戦場へと向かわれた。・・・・・・・・
昭和20年8月15日終戦となったが、尊いあなた方の戦没、そして従軍された代償として、今日、平和で豊かな時代となった。
戦後50年の節目に節目に当たり深い感謝の誠を棒げ、茲に碑を建て、後世に名を残し平和の礎とするものである。
平成七年八月十五日 日吉神社氏子一同

あの当時を偲べば、からいも畑がメインの貧しい農村地帯だったと想像できる。
働き盛りの若者のほとんであっただろう15名に赤紙が来て、家族はどんな思いをされたのだろうか。招集された15名内6名が戦死、よくど9名も生き残って生還できなあと考える。日吉神社の加護があったに違いないと思ったりもした。13年前建立されたのだから、当時は80歳代で、生きておられた方もおられたはず、遅まきながらも、奇特な有志の方がいらっしゃったから、立派な碑が建立されたのだと思うと胸に熱くなるものを感じていた。
生存されていた人たちは感慨深いものを感じたことだろう。

下の道まで下りて左へと曲がり高速道路まで歩いて横にあるスーパーへ久ぶり行き買い物。高速道路沿いに上って行き1時間歩くで帰還。スマホで8500歩。
夕方はデイズのリコールの修理に行く。プログラムの修正で1時間ぐらいで終わる。

その足で近くの橋げたの壁打ちでサービスの練習。かなり良くなった気がするんだけれど
どうなんだろう。いつもここで満足していてもコートではだめだった。しばらくコートではできないが、致し方なし。


カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 23:35 | コメントをどうぞ

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