まぼろしの東京オリンピック 昭和15年

月曜日晴れ 大気汚染レッドマーク

今年の4日は仕事始めらしくて、午前中のコートは空いていた。今日からクラブハウスはオープンしてトイレもシャワーもokだったので助かる。が、空を見ると霞がかかっているみたいで、鼻がもぞもぞした。

夜BSをいれると昭和15年開催予定の東京オリンピックは日中事変の勃発などで日本が開催を返上してまぼろしにおわっていたストーリだった。
当時、10000メーター出場に情熱を燃やしていた選手のノンフィクションにまぼろしの挿話を交えた物語に引きつけられ、話は途中まで進んでいたが見入っていた。村社講平(むらこし こうへい)(中大~全川崎)は昭和9~14年まで全日本を6連覇しており1936のベルリン(ドイツ)に出場して北欧勢に敗れて4位にあまんじる。悔し涙で四年後にかけるが、6連覇を阻んだ男が現れる。くしくも東京オリンピックまぼろしの昭和15年だった。山下勝(専大)だ。

東京オリンピックにかこつけ、まぼろしのオリンピックで涙をのんだ人を若い記者が取材した形でストーリは進んでいるようにみえた。若い記者と山下勝は夕闇の競技場でまばろしの面会を果して、いろんな対話を交わす。

もしもオリンピックが中止になったらどうしますが、えー、中止になるんですか?いや、オリンピックがなかったとしたら・・・・。私は走っていると思います。・・・・・・・・・。

まぼろしの大きなスタジアムはいつのまにかこうこうとライトが照らされて、山下は記者にタイムトライをお願いする。山下勝の走るグランドにはいつのまにか、オリンピックの会場に変わり外人選手と一緒に競走、そこには村社講平の姿も映しだされ、無人の観覧席が満員の日の丸の旗をてにした歓喜の観衆に変わる。

一人黙々と走る会場変わり、山下勝は薄暗い会場に白のランニングシャツとパンツで消えていった。昭和17年山下は中国戦線で名誉の戦死、もし生きていれば名を残す選手となっただろうにと記者はつぶやいた。

テレビを見終わるやいなや、ぼくは外にうち出でて夜の街中を走った。足腰鍛えると言うばかりで何もしていない自分に火を付けられた思いだった。

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高校サッカー 東福岡PK戦せいしてB8

日曜日 曇り

午前中テニスコートへ、壁打ちとダブルス2試合でトイレの限界がきたので昼前には家に戻っていた。

箱根駅伝を垣間見る、今にも倒れそうな選手が画面に写っていた。よろめきながようようたどりつこうとする中継所にはタスキを渡す選手はもういなかった。青春の一コマ、彼らは忘れることができない貴重な体験をしていた。青春をかけている本望に違いない。

高校サッカー、東福岡というので見ようと思った。昨日だったか地元の大津が23で負けるのを見守った。残りの九州勢を応援したいという思いだった。相手の市立船橋とはインターハイで決勝を争い東福岡がPK戦を制したという。三回戦で因縁の対戦ということで大観衆が集まっていたらしい。

決勝戦と思って戦うという監督の談話が紹介されていた。確かに互いに1点も与えず熾烈な戦いが最後まで続いて、またもやPK戦となっていた。

PK戦は東福岡が先攻して、二人目を阻み優位に進んだが4人目を船橋が阻み振出しに戻る。そして5人目東福岡がキックを決めて、船橋がキック決めれば延長戦、阻めば東福岡の勝利となる。東福岡の4人目が失敗してグランドにうつ伏すとキーパーが駆けよった、心配するな俺が阻むからと言ったに違いない。意気盛んなキーパーはその約束を守って5人目のキックをゴールポストの前で見事に阻んだ。九州勢は勝ち残っていた。









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福岡県ベテラン(春)が今年のスタート

土曜日 曇り

今日は早めに出かけると、ジュニアの練習で4面使えなかったが10時になると終わっていた。
サービスの練習をして男子ダブルス、好敵手で行うこと2セットで2勝。楽しくも緊迫した内容を楽しんだ。トイレは今日も使えず、我慢の限界近づいたので帰途つく。

夜、長男立ち寄る1泊するそうだ。2月開催の福岡県ベレラン、九州テニス協会を閲覧してまだ出ていないと安心したのは年末のこと。もう出ていないとはおかしいと開くと福岡県の管轄であるのを思いだし、開いてみると締め切りが7日と迫っていたので少し慌てた。

今年は福岡県ベテラン(春)からのスタートとなる。好敵手は数名上がってくので厳しい戦いが予想されるが、それでもぼくは頑張らなければならい。4月の九州毎日、5月の北九州トーナメント、6月の九州選手権を終えた段階でどれほどの成績を残せるのか、全日本ベテランの道を探ることになる。








 


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初シングルス41から46のお年玉

金曜日 元旦  晴れ

冬とは思えぬ暖かい年末年始が続きそう。温暖化の影響だろうか、地球という星は着実に終末へと歩を進めているのだろう。

だから生を楽しまなければならないが現実はそうもいかぬ。鳴らぬ尺八に文句を並べで、青春時代を振り返りるこの頃。ぼくのくらい青春、友達に誘われて尺八を習いだした。演奏会には琴三味線のうら若き女性もあまたいたが何ごともなく打ち過ごしていた。結ばれたカップルのいたことを思いだす。年一度の大演奏会が市民会館で催していた。国内の指折りの奏者も呼んでいた。会長はそれだけの実力を有していた。今思えば当時としてはすごかった気がしている。だけどぼくは尺八よりギターなどに興味をもち、尺八は付き合いでみたいな程度だった。

年一回個人の発表会が奥まった静かな保養所で開かれていた。これは一人ずつ演奏曲名を決めて会長の前でかしこまって演奏するのだ。琴三味線と演奏するで、その下合わせを琴三味線の先生の所に出かけて練習しなければならなかった。ぼくの共演者はめしいの男の人でけっこう知られたひとらしかった。遠くまで出かけた記憶がある。

昭和39年12月日付のセピア色の表彰状がぼくの人生の一式が詰まっている古ぼけたみかん箱に見つかった。曲名「虫の武蔵野」で努力賞を授与されている。翌年の努力賞で終わっていた。小さな楯もあったはずだ。そして一年後くらいに当地にやってきてている。言い訳すると練習するとすぐに唇に頑固な口内炎ができて泣いていた。

あの頃を懐かしく思うのは歳のせいだが、師範とか大師範とかの先輩はもういないだろうと考えるとさびしい。さびしいからぼくは尺八を吹く。

「人は誰もただ一人旅に出て
 人は誰もふるさとを振りかえる 
ちょっぴりさみしくて 振りかえっても 
そこにはただ風が吹いているだけ 
人は誰も人生に つまずいて
 人は誰も夢破れ 振りかえる」(風)

たまらず2時過ぎにコートへ出かけた。初打ち。コートはガラガラでさすがに少なかった。女子ダブルスに挑戦してあやうく勝利、2勝上げたが相手は女性だから胸を張るわけにはいかない。

初シングルスに挑戦、いつも胸を借りている仲間、14とリードしていたがいつも逆転されていたからいやな雰囲気を感じていた。25になるチャンスを逸すると流れは変わっていた。チャンスはあったのに負けていた。46。これは今のぼくの課題。

(反 省)
・ボールが浅くなっていた。
・サービスに自信が持てなくなっていった。
・前に出る勇気、中途半端に終わっていた。








 


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来年は はらどきのテニスに期待

木曜日 曇り 雨

昨日少しだけ出かけたがおばちゃんたちとのダブルス一つで引き上げた。クラブハウスはクローズされてトイレも使えないと来ている。その辺の配慮が相変わらずいまいちだ。物足りなく終わっていたので今日は9時過ぎに出かけてみた。曇りの予報に小雨がフロントガラスを微妙に濡らしていた。

コートは半分近くあいていた。車を止めると待っていたかのようにテニス仲間が近づいてきた。相手がくるのを待っていたらしい。 ストロークとサービスからのストロークとしばらくやると体が温まり上着を脱いだ。しばらく楽しんでいるとI氏がやってきた。ダブルスを期待しているとシングルスをぼくとやりたいという。

相手の人にダブルスに回ってもらい今年最後のシングルスを楽しんだ。気温は低く衣類での体温の調整に気を使いながら、ワンセットから8ゲームに切り替えて熱戦を行なった。

今年の反省 最終日(大晦日)
・8月、負け戦の中でもランキング12位(1350)をキープしていた。それは昨年8月の東北選手権の優勝によるもの、このポイントがなくなればどこまで落ちるのだろうと不安でたまらない。8月のどこかの大会に出て消失するポイントをカバーしなければ全日本ベレランは困難に違いないと思い込んでいた。

そこで北海道ベレラン(C)に申し込んでいた。蓋をあけてみればまさかの1シード、わるくても決勝戦に行けるだろうとドローを見ながら皮算用をしていた。初戦で負けるなんて夢にも思わないできごと、ショックは大きかった。

・9月、8月のポイント精算されてのランキングの発表は20位(988)、ぎりぎりで全日本ベテランダイレクトインでひっかかっていた。5月にふくらはぎを痛めてのた打ち回っていたが、じっくりと回復に取り組んでいてよかったのだ。

・10月、今年の総決算全日本ベテラン大会。夏の甲子園、まず1回戦は勝ちたいと願い、それは果たすことはできたが、2回戦で敗退していた。

・11月、グラスコートベテラン(C)、昨年準優勝でポイント稼いでいた。2シードと対戦するB8までは行ける、いかなければと気を引き締めて出かけた。ファーストを取り、セカンドを落すと足に違和感を感じていた。
そしてみじめな今年一年を象徴するような負け方をしていた。それは残されていたポイントを大きく失っていた。

・12月、ランキングの発表は40位近くになっていた。
来年は、足を鍛えて今年の二の前は避けたい。そして納得するテニス、試合をやりたい。足がどうのこうのという泣きごとだけは言いたくない。

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(飛行機もすいていて、行きも帰りもちょっと広い席にしてもらい、よかったです。無事帰りつきました.パリの警備がしっかりしてたため治安はかえってよかったかも。今朝部屋よりセーヌ川 )








 


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朝ドラ「マッサン」に終日ここちよい涙あふる

水曜日晴れ

今日も穏やかな終日。終日「マッサン」を見ながら涙した。一回見ていた朝ドラ、朝方テレビを付けるとBSで放映中ちょっとだけと思っていたのに、グイグイと引き込まれて夕方まで見てしまった。
『ライフ・イズ・アンアドベンチャー』

・反省三日目

4月13日コーチと練習中に右ふくらはぎを痛めたのが、今年の全てでした。九州選手権はまさかのエントリーし忘れ、ふくらはぎを痛めていたので不幸中の幸といえばそれまでだが、今年の前途を暗示していた気がする。

5月下旬の北九州テニストーナメント(F)は自信のないままに出場したのですがシングルス準優勝ダブルス優勝と結果的には今年一番の成績。

6月の北海道はジューン―ブライドといわれえるように、一番良い季節だと耳にしていたから、一度行ってみたいそれを今年にしていた。北海道毎日選手権は大会(D)は3シードでドローも悪くはなかった。6月の中旬までにはふくらはぎも回復しているだろう、九州選手権の分も取り戻そうと回復に全力を注いでいたつもりでしたが、両ふくらはぎに来てしまい万事休し欠場のファックスを送っていた。

7月の福岡県ベテラン夏大会(E)は2回戦は今伸び盛りの地元の選手と対戦、ファーストはものにしたがその終盤から足がもたついて追いつかれていた。セカンドの11でリタイアを申し入れた。もう動くことが出来なかった。それから出場した3試合にもその傾向が色よく表れていた。

(オルセー美術館)
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(エルゼ宮)大統領官邸
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(パリ市庁舎)
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肉弾戦のラグビーはサッカーより魅力あり

火曜日晴れ

今日も穏やかな一日だった。孫娘と前の道路でバトミントンで遊ぶことしばし。

夜のBSでラグビーの対南アフリカ戦、3名の活躍した選手の解説付で2時間、ぼくも初めてつぶさに観戦して狂喜してよろこびをあらわにしたことがようやく理解できた。

相手の選手も一人加わり、試合進行の中での心の内を適宜にコメントしてくれた。負けるはずはないと戦っている相手チームが、真綿で首を絞められるように、接戦を強いられていたが、後半はパワーを見せつけトライ。7点差としてこれまでかと思うところから、ジャパンは信じられないような粘りをみせた。練習で積み重ねた連係プレーをはじめて大事な場面で使って鮮やかなトライをして同点とすると、客席はジャパンに声援、南アフリカは完全にアウエイであった。

ペナルティキックで3点を奪われたが、ジャパンは敵陣に迫り、ペナルティも同点は狙わず、モールを選択、ゴール前堅い守備人に波状攻撃を幾度となく仕掛けて最後に左隅になだれ込みトライを上げると、やおら試合終了のホイッスルが鳴り響いた。

その瞬間誰もが信じなかった世界の強豪に競り勝っていたのだ。

・反省二日目

今年の1月になってランキングは7位から9~10位くらいを4月くらいまで続いていた。テニス仲間の女性二人が沖縄オープン国際ベレランテニス選手権(E)にでると聞いてからぼくも行きたくなった。2月下旬というに那覇空港降りたっての気温の違いに驚いていた。着ぶくれのぼくは2枚脱いで大きなテニスバッグに押し込んでいた。

75歳は9人のエントリー、1シードのぼくは初戦Byeで2回戦からだった。ランキングからいってぼくが断トツで優勝しておかしくないと勇躍であったが、3回戦で粘りもなく敗退していた。いまならまさにがっくりポンのできごとでかなりのショックでした。おかげで観光は出来たのだけれど。

今思えば体力がなかった気がする。だが、その時そんなふうには思わなかった。

4月上旬に行われた九州毎日選手権は、宿敵とおもえし選手を3回目にして圧勝してベスト4へと進んだ。一度対戦して見たかった2シード選手との試合はなんとセンターコートにセッティングされていたので驚いた。センターコートは1シードの試合とか優勝戦とかをメインとして使われいる。

あこがれの選手にどこまで通用するのか、できれば苦しめ接戦に持ち込めればと胸算用は胸算用で終わっていた。雨上がりの人工芝のコートはボールは弾まず、苦手としていた。ぼくのボールは相手の打ちごろになっていたに違いない。フォアもバックもさく裂して一方的に終わっていた。こんなに通用しないのかと、前の日の圧勝に気をよくしていた矢先だけに、落胆は大きかった。

(コンコルド広場)

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(オペラ座)

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今年の反省一日目

月曜日晴れ

今日明日はジュニアの合宿とかでホームコートではできない。できないと分かれば割り切って外の事に専念できるのでたまには良い気がする。

それでも10時にコメの受け渡しの約束をしていたので、10時少し前に出かけるとコートはシーンと静まり返っていた。お百姓の彼は遠路10キロのコメをわざわざ届けてくれた。米だけ確保しておけばしばらくは飢えずにやっていけるので一安心。

彼はお百姓をしながらテニスをやっているのだが、人一倍熱心で向上心があり上手な人のふところにとび込むのをいとわないので、メキメキと上達している。今月のK壮会では彼と対戦して負けたので準優勝に甘んじた。いつのまにかライバルになっていた。

今年の反省一日目

今年も残すところ数日なってしまった。昨年はランキング7位と出来すぎを出来すぎと思わず慢心していたに違いない。誰かさんじゃないけれど、誰にも負けそうでない気分になっていた。一年経過した今は40位近くまでダウンしてしまった。

同じような経験を積み重ねてきたのに、全然生かそうとしなかったぼくがいた。喉元過ぎれば熱さを忘れるたとえにぴったりする。一昨年、8月の東北選手権(c)で思いがけなく優勝してしまい、11月のグラスコート選手権(C)でも準優勝して、慢心があったのかもしれない、いやあったのだ。冷静に振り返ればたまたま運が良かっただけで、実力ではなかった。運も実力のうちというけれど、実力と思いたかったそれが転落のもとであったと思う。

(凱旋門)          (ルーブル)

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澤に真央 トップアスリートにも必衰の無常あり

日曜日 晴れ

小春日和らしき日が続いている。孫はどこにも行かずに勉強にいそしむ方針らしい。食卓に勉強スペースを確保してほとんど動かない。

早めにと9時半コートへ行くともう一杯になっていた。それでも接戦を含めてのダブルス3試合楽しんだので、満足してコートを後にしたが、次々と会員は訪れていた。

・澤穂希が自らの決勝ゴールで有終の美飾る…神戸、2年ぶり5度目の皇后杯制覇
・真央踏ん張った3位「一つ成長できた」 世界選手権代表決めた

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(サクレクール聖堂)
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(モンマルトルの丘からの風景)
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パリから写真が投稿されていた

土曜日曇り

孫は食卓テーブルを机代わりに勉強に取り組んでいる。中高一貫の学校に行ったはずなのに受験勉強のようにママは孫娘に厳しく言いつけて自分らは欧州のへと旅立っていた。だからぼくは一緒に遊ぼうとは言いだせずに、午前中は年賀状の仕上げに取り組んだ。

昼から二人は光の森まで散歩にと出かけたので、ぼくもコートへといそしむと満杯の駐車場に初めて遭遇した。隣に借りていた2コート分の空き地は返却して住宅用地に造成してのが原因なのだ。それにしても満員であった。壁打ちしてダブルス一つしてそうそうに引き上げた。
夜、娘のtwitterを開くとパリのエッフェル塔やノートルダムなどの写真を投稿していた。湧水トンネルの動画も見たというから、国外からでもスマートフォンでブログが覗けるのだ。

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無題








 


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