同世代の島倉千代子逝く

金曜日、曇り。
午前中、修理しながら使っていた洗濯機更新。昨日のシングルスのダメージの大きさに、歳かなと思ったりしたが、リハビリだと思いコートへ出かけた。今まであまり経験のない左大腿部が痛くなっていたし、疲労が蓄積しているようだ。がらんとしたコートだったが練習相手は見つかった。ストロークとダブルス2セットしていると、KA氏がコートに現れた。レッスンに来たという。ぼくともシングルスお願いしますというと、こちらこそ、明日8時30分からどうっですかいうのだ。明日は早すぎると思ったが、OKした。こちらからお願いしたのだ。
島倉千代子が亡くなったという。享年75歳、ぼくとほぼ同じ世代なのだ。

「この世の花」デビュー曲は16歳という。ぼくが高校生時代ということになる。あの時代の出来事を走馬灯のように思い出す。皿倉山のふもと、大谷広場の屋外舞台で当時のトップ歌手春日八郎などと一緒に見たような気がするが、幻かもしれない。
ひとごとではなかったよね、OKさん。

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久しぶりのシングルス

木曜日、曇り。
久しぶりのシングルス。HAchi氏と十時約束、朝方まで雨が降っていたが、予報通りにやがて止んだ。しかしコートは苦手な水を含んだ人工芝だった。先日ワンセットやったとき苦戦したが今日もその再現だった。得意のフォアーに足がよく動いていた。ぼくも頑張ったがファーストは26でやられていた。取れそうな2ゲームを落としたのが勝敗の分かれ目だった。

セカンドは短パンになり、腰のガードベルトもはずして意気込んだが03と相手の勢いは止まらず、どうせ負けるならと3本目のラケットを試して見ようと少し強めに張っているナダル使用の黒いガットに持ち替えた。
すると33 44 64と危うく連敗は阻止することが出来た。ガットのせいか気持ちのせいか分からないが引き分けることが出来た。
来週末、県主催のシングルスの大会が開かれるが、自信を無くすに十分な試合内容だった。

wowowでの工藤静香の歌番組を録画していたので、再生してみた。Sさんが亡くなってからの放映でなく昨年末に演奏されたものであったがSさんをしのんで聞いてみることにしたのだ。今まで二回見たものとは異なり、ドラマーがかっこよくアップで何度も映された。曲の出だしのしばらくをドラマーのソローだけで歌った珍しいシーンもあったりして驚いた。サングラスの御子息はかっこよくメリハリをつけてドラムをあやつっていた。
Sさんが見たならば涙を流して喜んだろうにと、無常をさびしく思った。今年のある暑い日だった。コートからクラブハウスに歩を進めていると、入り口近くにSさんがテニス姿でない人とたたずんでいた。近づくとぼくの方に目線を向けて、お世話になっているTさんですとか言って紹介した。
息子が帰ってくると笑顔で話していたのを思い出す。色白の垢抜けした好男子だった。東京でそんな生活をしている人に見えた。自慢の息子、突然のことでぼくも緊張していた。あとで思ったデジカメで撮っておけばと。又のチャンスもあるだろうと思ったのに・・・・。Sさんぼくがしっかり見ていたからね。かっこよかったし演奏も抜群だったよ!

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孫の信頼を勝ち得た日

水曜日、曇り。
近くに住む二男の嫁が体調不良でいるから、なにか電話があったらよろしくと二男からケイタイがあった。
何時も当てにしているあーちゃんは夕方まで留守なのだ。ぼくに直接電話することはめったにないから心配になって車を走らせると、途中ですれ違う。長女を幼稚園迎えのバスに送っての帰りだ。顔色悪く元気がない。病院まで送りますよと言って部屋で待っていた次女を乗せて近くの病院へと向かった。2時間ほどかかり、病院には遊ばせるところはないと、困惑顔でいうのだ。I氏には何時もの10時からの約束は断っていた。時間は十分あるが、まりあちゃんとの二人だけの時間は自信がなかった。しょっちゅう遊びには来るが玄関を上がっての挨拶と帰りの挨拶くらいで、ぼくにはほとんど近寄らずに二階であーちゃんといろいろ遊んでいるのだ。じいちゃんと遊ぼうと言ってもあーちゃんがいいと言って全くうてあってくれず、それをいいことにぼくは努力を怠っていた。
まりあちゃんを横の座席に乗せて病院を出ようとするが後追いする様子はない、家に帰ればあーちゃんが待っていると思っているかもしれない。家へ帰るのはヤバイと考えた。公園に行こうというと「うん」と笑顔。
「元気の森」と甲板のある公園が家から少し離れたところにある。ゴルフのミニコースの一部を活用、周囲にウォーキングコースのある広い草むらと、ところどころにどんぐりの木などがある。そしてぽつんと一か所幼児向けの滑り台をメインとした遊戯施設がある。
ぼくは嫁が用意していたおむつ、着替え、飲み物、お菓子などが詰め込まれた手提げを提げて、解放されたかのように草むらをよちよちと歩いて行く孫の後ろを追った。なだらかな起伏んある草むらをどんぐりの木の下ではどんぐりを探し、銀杏の木の下では黄色の葉を手にし、棒切れがあればそれを拾ってチャンバラの真似事をして、水道の飲み口では何度もコックに手を当てるが水を出すことは出来なかった。

公園をほぼ一周したところで小さなタンポポを見つけて、息を思い切り何度も吹きかけて種をとばした。最後に遊戯施設でしばらく遊んでいると元気良さそうな園児がやってきたので、あわててその場を離れたのだった。小一時間たっていたので孫を車に乗せた。そして残りの時間をテニスコートでつぶそうと思った。

コートへ着くとちょうど3番コートでI氏とHI氏のシングルスのたけなわであった。車から降りるとANAi氏と鉢合わせ、孫を見つけるとびっくりの表情で車に戻ると孫向けのお菓子を手渡してくれたのには驚いた。
シングルスのコートサイトへ行くと、驚いたように親しくしているおばちゃん二人が駆け寄ってきた。目線を合わせて孫に質問する。孫は直立不動で立っていた。「お名前は」「shinoda マリア」「何歳ですか」「にさい」としっかりと言ったのにぼくの方が驚いていた。えー、こんなにしっかりしているのだと。感心した。まりあちゃんはお利口だったのだ。まさに知らぬが仏とは・・・・。
何時までも直立不動にしているまりあちゃんへ、ここへ座ったらと横に座らせるとやっと落ち着きを取り戻した。
しばらくテニスの試合を見学していた。ぼくが拍手するとまりあちゃんも一緒に拍手した。おばちゃんからお菓子を貰った。手提げの中のジュースやお菓子を食べさせて、もうそろそろと、おいとまして病院へと走らせた。まりあちゃんンは知らぬ間に眠っていた。やっと病院へ着くと気の毒そうに先生が忙しくてあと1時間半くらいかかるという。
車の中で眠っている孫のおむつを取り替えてもらってから、もう家に帰るしかないと思った。それから孫は車の中で1時間半は十分に眠っていた。ケイタイが鳴った。診察が終わりました。ぼくは急いで車を走らせた。病院へ着くと嫁は外で待っており、車のドアーを開けるとまりあちゃんは目を覚まして満面の笑みを浮かべていた。
ぼくは2時過ぎコートへ出かけて軽くテニスをして戻ると、あーちゃんが戻ってから孫二人が来たらしく、じーちゃん大好き大好きといったらしい。さあ、これからが大変になりそうだ。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 19:46 | 2件のコメント

関東選手権の思い出

11月5日 火曜日、晴れ。 午前中、家のメンテナンス。午後、1時からのレッスン久しぶり受ける。グリップを変えたりしての左右両手打ち、少しは良い方向に変化があってほしいと、確かめているこの頃だ。今日はいろんな球出しがあって面白かった。

「第1回玉造山陰ベテランオープンテニス選手権」にfuji氏が出かけていると小耳にはさんだことがある。はるばる山陰まで出かけたと知って来年への意欲を感じていた。ベスト4だったと仲間から今日聞いたので早速パソコンを開いて見た。 山陰は陸の孤島と言われるくらい交通不便なところなのにけっこう参加者がいたのにびっくりした。65歳S-57人,D-9組、70Sー31名 D-5組 75S-4名 D-不成立。KN氏も同じく65でエントリーしていたがB16で終わっていた。

その選手たちの熱意に驚いているはんめん、ぼくの熱意は正直減退している。時間をかけて、金かけて、孤独に耐えて・・・どしてそこまで頑張り続けるの。ぼくはもう十分やった気がしている。 JOPに挑戦しはじめ頃、70を前にして知らぬが仏で関東選手権に3年つづけて挑戦したことがある。もしかしてぼくの両手打ちが通じるかもしれないと、しかし現実は甘くはなかった。選手の名前と顔を知らず、その腕前も未知数で勇躍参加したのだからお笑いもいいところだったのだ。一回目は65歳代最後の年、会場は小田原だった。四面楚歌の面持ちでの見知らぬ土地、1回戦は泣く泣く必死で頑張り1勝を挙げたが次はシードの元デ杯選手のkuromatu選手だった。たしか30代のころだった、朝日生命のテニス教室で往時の日本を代表する選手たちが、ぼくのテニスクラブにもやってきた。羨望の眼差しの中の一人に確かいたのだ。その人とできるのが光栄で緊張していたことを思い出す。一方的に敗れたが、試合が終わりそのことを話すとなつかしそうに眼を細めた。次は70歳の最初の年、仲間からチャンス到来と励まされその気になって参加した昭和の森の会場。1回戦で負けてしまったのだ。それもファーストは簡単に取りしめしめと思っていたのに、弱点を悟られたのか分からないがセカンドファイナルと相手の流れで敗退。あの時の切なかった気持ちは忘れられない。 翌年は大宮の会場、1回戦で(13-16)シードを破り2回戦も勝って3回戦2シードと対戦して敗れたが、手ごたえを感じたことを覚えている。

 

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 23:38 | コメントをどうぞ

ねんりんピックよさこい高知を終えて

水曜日、晴れ。
今回のねんりんは違った意味で自分なりに期待していたが、甘くはなかった。日ごろやらない4ゲームでは1ゲームの重みが倍ほどにも感じる。サービスを選択して落としでもすれば相手にキープされると02。次の味方のサービスは平常心ではできなくなる。絶対キープが運命づけられるからだ。相手が格下と思えてもそうなれば火事場の力を出してくるから怖い。熱気あふれる声援、団体戦での独特の雰囲気の中でどれくらい自分の力を出せるかが試される。ましてや初めての参加者には度胸も試される舞台なのだ。
ぼくたちのチームは五りん一人、残り五名が一りんで熾烈な予選を勝ち抜いてきていたが、本番では歯がゆいほど力が出せていなかったに違いない。先はながい、二りん、三りんと経験を積んでゆけば今回の経験が生かされる日はきっと来るに違いない。

007 013
(開会式前の集まりで小学生からの励まし) 
 015 016  
     (アトラクション)   
035-1 043                    (茶道のもてなし) 
056 063  
   (五台山展望所からの高知市) 
072 076                  (高知駅前の銅像)

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 21:47 | 4件のコメント

ねんりんよさこいあとにして

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火曜日、快晴。
南国土佐をあとにしてようやく帰途についた。長かったようで短かった五日間。それぞれの想いを秘めて選手たちは土佐をあとしたに違いない。
ぼくたちは全力を出し切ったが初期の目標に残念ながら、届かなかった。
しかし仲間同士力を合わせて戦うスリルとサスペンスを味わうことができた。そこでは手に汗する緊迫の一球一球に勝敗の行方が託された熱戦が各所展開されていたのだ。
迎えのバスで宿舎をおいとますると通りすがりのテニスコートには昨日の熱気がうそのように静まりかえり、人影もないのが、なんとなくものさびしかった。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 22:33 | コメントをどうぞ

二位G決勝トーナメントは

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月曜日、快晴。
二位グループの対戦相手は長野県だと知った時、いやな相手だと頭によぎった。到着した夜、風呂場で挨拶をかわした人が長野県60歳代の選手だった。そこで予選リーグ会場で、近くでやっていた長野県の試合を見ていたからだ。ぼくたち70は22から42と勝利したが女子が14で敗れ、勝敗を決める男子60は本来の力を出しつつあったものの13と苦戦、しかしそこから23と追い上げ、33になるチャンス一二度あったが惜しくも14で敗れ去り、二位グループでの活躍は、のぞみをたたれたのだった。

昼食をとりながら熊本県チームを応援して宿に戻り、男女4人でタクシーをチャータして市内観光を楽しんだ。まず桂浜に直行した。ここにはうんじゅう年前、新婚旅行で来ていた。台風一過の海岸線は澄みわたり深呼吸したくなる海が目の前に広がっていた。あの当時、坂本龍馬銅像の前で記念撮影したのだが、写真とイメージがぜんぜん違うように思えた。
それから高知市内の大パノラマを眺望できる高台に案内してもらい、胸のすくような眺めを堪能する。そして「はりまや橋」近くでタクシーを降りて市内を散策、街中の観光用の朱塗りのはりまや橋にたどり着くと、そこにはねんりん選手らしき人たちが群がっていた。しばらくたむろして、近くの珈琲の店で一息入れてから宿へタクシーを走らせた。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 20:46 | コメントをどうぞ

ねんりん予選

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日曜日、晴れ。
ぼくたちテニスの予選リーグは高知県立春野総合運動公園で行われた。
会場は開会式の行われた公園の一角で宿泊ホテルから目と鼻の先に位置していた。
3番コートで、Bブロックの名古屋市、岐阜県、岩手県との3試合を戦った。初戦は岩手県チームだった。一番楽勝は岩手県チームかもと、話し合っていたのに、10分間の各チームの練習を眺めて見た時、岩手県が一番強そうに見えてきたのだ。
70男子ぼくたちは41で取ったが60女子は03と一番期待していたのに、まさかと追い詰められていた。ぼくのバートナーが慌てコーチとしてコートサイドのベンチ座った。すると流れが変わり33と追い付きタイブレークに突入していた。41とリードし勝利九分九厘と楽観視していると42 43 53 54 66での一本勝負、仲間のセカンドサービスをネット際に落とされて万事休したのだった。

勝敗を託され60男子は調子の出ずまま14と敗れ、明日の第一グループへの道へ大なきな赤信号が点滅しだした。その後熊本市は岐阜県に2対1、名古屋市にも2対1で勝利していた。運を天に任すしかないないのだ。
最後に対戦していた岩手県と岐阜県は熊本市の一位が託された内容で、試合は推移していたのだ。
1対1での最後の60男子は岩手県リード、しかし岐阜県が追い付きタイブレーク、そこで66での一本を岩手県がものにした。熊本市一位の望みが絶たれた瞬間だった。岩手県3勝0敗で1位グループへ、2勝1敗の熊本市は2位グループとなっていた。
話を聴いてみると東北各県の選手たちは大なり小なり震災の被害を被っていた。
頑張った岩手県選手団にに拍手を送りたい。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 22:00 | 2件のコメント

よさこい開会式

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土曜日、晴れ。朝外を見るとたゆとう海辺の空にはうそのように青空が広がっていたのだ。8時過ぎバスで海辺の果樹園をあとにしたが、地獄の1日が始まった。開会式でのアトラクションが終わってほっとすると、又バスに詰め込まれて街中のテニス・ソフトテニス合同開所式に連れられ、疲れ切った体をむちうつような時間が流れた。そして6時過ぎに昨日とは打って変わった、手狭なホテルに詰め込まれた。
だが、テニス会場のすぐそばで、明日から二日間の試合には利するかも知れない。
疲れた。寝ることにしょう。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 21:51 | コメントをどうぞ

よさこいねんりんへ出発

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金曜日、小雨。交通C8時集合、バスで福岡駅へ向かい10時5分発のぞみ20号で岡山下車(11.48分)。そこで又バスに分乗して曇天雨模様の中、しまなみ街道を一路高知を目指す。4時頃初日の宿泊地「海辺の果樹園」に到着。
部屋の3階から眺めると夕闇の雨空の中で目の前に海辺あった。下を眺めると変形のブールが二つ、ライトに浮かんでいるチャペルが目についた。リゾートホテルなのだろうかと思ったりした。4人の部屋も十分満足のいくものだった。
夜の会食、 名物の鰹のたたき、一味違う味を堪能し、ご馳走を味わいながら、6名のチーム仲間と和気あいあいの楽しいひととき過ごし、親交を深めることができた。

カテゴリー: 日記 | 投稿者ていちゃん 22:24 | コメントをどうぞ