水曜日
バスを降りて志免町テニスコートに向かっているつもりがあらぬ方向へ重いバックを引っ張って歩いていた。
おかしいと公園を清掃している人に尋ねてようようわかった。さっきすれ違ったのにと悔やんだ。
志免のコートは博多の森の入り口からほんの少し下ったところに、木立ちに囲まれたコートが二面ひっそりとしてあった。60のQFが9時から4試合、その後75のQFが4試合、ぼくは最後の四試合目で、NB11時に75の1試合目が入り僕らはFollowed by。
蒸し暑かったがみどりに囲まれ環境は悪くはなかった。
相手は忘れもしない五年前初めて訪れた北信越の大会(松本市)で対戦していた。ぼくは6シード、そこで思いがけない人と出くわしたこともあり頑張って四回戦までも進み、3シードの彼と対戦した。
全日本も取ったこともあると聞いていたし、直近の九州選手権でも優勝していたので強いというイメージがあり過ぎた。対戦出来るだけでも光栄だとそんな気持ちが強かった。一人相撲で簡単に負けていた。
あれから五年、自分の成長のバロメーターの一つになるとそんな気持ちでコートに立った。ガンガン打つ選手ではない。タッチで相手の嫌なところにボールを運ぶ。強打するとライジングでかえってくる。
ぼくの持ち味で攻めて気がつくと51とリードしていた。いつもの悪い癖が出てモタモタしたが63でファーストをものにしてほっとした。ファイナルまでは行けるのだ。あまりの出来すぎに思えた。これで終わるはずがない。とにかく暑くなっていた、トイレブレークをとりセカンドに入った。
ファーストに比べればかなり苦しい内容に思えたが、必死に走り思い切りのショットを放っていた。厳しいゲームをものにして行き、気がつけばまたも51とリードしているではないか、そしてぼくのサービングセットを迎えていたのだ。
エースを決めたりして30 00とリード、あと2ポイント、ベスト4は指呼の間に見えた。
だがそれから転落が始まり、そのサービスを落すと左ふくらはぎに少しだけ違和感をおぼえる。しだいに足が動かなくなりひろえなくなっていった。ずるずると57でセカンドを落してファイナルで頑張って見ようとふくらはぎをテーピングでぐるぐる巻いて再起をはかろうとしたが、痛みは激しくなりほとんど動けなくなり諦めた。
自分のふがいなさにガッカリもしたが、そんなに落ち込みはなかった。メンタルと足を何とかすれば、まだがんばれるかもしれないと。